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塩松軍の陣幕の中では、長門義員が床几に座ったまま腕を組んで眠っていた。
気配に目を醒まし、顕綱の存在に気付くと、端緒、聊か遠慮がちに口を開く。
「さて、何から手を付けましょうや」
その目つきは楽しげですらある。
顕綱はそれを頼もしく感じ、秘めたある決意に対して、猶も片隅で抱いていた不安を振り払った。
「今夜半、我らと片平勢にて磐城本陣を急襲する。よって――」
「御意。すぐに斥候を出し、進路を確認しておきましょう。小平を借りますぞ」
長門は足取り軽く、幕をめくって出て行った。
小平は、顕綱の妹と石川摂津の嫡男弾正との婚姻の際に、秘密裏の引き出物として正式に譲られた。その後、次第に百目木と疎遠になった後も離れることはなく、顕綱の影となって只管付き随っていた。
いつものように、宵の口に至ってぐずつきだした天候の中、一切の準備を調えた顕綱らは、密かに出陣した。その規模は精兵を選って最小限に留め、残った者共は大将在陣を偽装している。
清顕には何の事前報告も入れていなかったが、軍目付を殆ど拉致同然に同行させた。
雨は虫も鳴き止まぬ程度の細いものだったが、道案内と為した斥候を最前に立てて山間の辿道らしき狭道を進むと、相手が迂闊なのか辿った道が良かったのか音を潜めた進軍が奏功したのか、敵方に一切見つかることはなく、歩を止めたときには磐城軍本陣のすぐ手前まで辿り着いていた。
ここで打ち合わせ通りに軍勢を分割、敵本陣の篝火を望んで、顕綱を中央として左右からそれぞれ親綱と長門に廻り込ませる。
頃よしと鬨の声を揚げ、本陣目掛けて突進すると、左右からもそれに続いた。当方少勢であることから相手に直接与える被害は多くないものの、不意を衝いた攻撃は奏功し、ろくな抵抗を許さぬままに本陣を蹂躙する。
磐城軍は泡を食って総退却、親隆は辛くも遁れ、空が白む頃には全ての陣が空になっていた。
翌朝の空はからりと快晴になった。
戻った顕綱と親綱は、軍目付を引っ張って清顕の本陣を訪ねた。
「右馬殿の家士の身柄を貰い受けに参りますぞ」
清顕は何も言い返すことができないままだ。
顕綱と親綱はそのまま右馬頭の陣へ押しかけたが、件の家士は逃亡した後だった。
二人はそのまま陣をまとめ、清顕へ何の挨拶もなしに陣を払った。
「兄上、それがしの為に、申し訳ないことをしました」
顕綱と馬首を並べた親綱は、済まなそうに言った。
だが、顕綱は朗らかに笑った。この表情は、親綱が片平に去ってから、家中の平穏を保つ為に習得したものである。
「これから忙しくなるぞ。助ゑ、其方にも存分に働いて貰うからな」
顕綱は、五年前に米沢で伊達輝宗から初対面の時に言われたことを、思い出していた。行く末への不安と期待で、柄にもなく心が粟立つようだった。
三春まで戻ると、それぞれの屋敷に立ち寄って人と物を引き払った。
顕綱の長男三右衛門は前年、清顕を烏帽子親として元服し、石橋蔵人友顕と名乗っていた。始めは顕綱との同行を渋っていたものの、家士が皆、嬉々として顕綱の選択を歓迎したことから、最終的には同意した。
顕綱は塩松へ戻ると、友顕に塩松城を預け、尚義後室と共に暮らさせた。