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この頃から志保姫は、再び体調勝れず横になっている日が多くなった。歳はまだ三十代半ばだったが、幾分腰も曲がり、髪には白いものが多く混じるようになり、嫗の様相を日々濃くしている。
清顕から三春に移住させてはどうかと言われることもあったが、顕綱は何かと理由を付けて避けていた。
その日も志保は布団に横になっていたが、顕綱が訪れると身体を起こした。
「無理するな。横になっておれ」
「いえ。今日は幾分気分が好いので、折りよく殿にお出でいただき、見苦しい姿をお見せして恥ずかしうござりますが、どうかごゆっくりなさって、お話しなどされて行ってくださりませ」
「うむ。顔色も良く、元気そうで何よりだ」
志保は暫し微笑んで歓談していたが、ふと哀しい表情をすると、改まって思い詰めたような口調になった。
「今となっては、自ら跡継ぎを産むことも叶わず、お役目を果たせなかったことが口惜しうてなりませぬ。勿論その負いは、総て私にあります。それでも殿に於かれましてはご子息に恵まれ、胸を撫で下ろすばかりでござりまする。もはや思い残すこととてござりませぬ。私が死んだら、いえ今すぐでも構いませぬ。何方かよき方をお迎えして正室を据え直してくださりませ。これまでも殿にはご迷惑を懸け通しでした。こんな悪妻はどこへでも放逐して、立身の糧となる力を持った女性を娶られませ。それが殿の御為でござります」
「………」
「殿はもう、名代などではありませぬ。ご自身が塩松殿そのもの。だから――」
「志保……。『塩松殿』とは所詮名跡に過ぎぬ。尚義公には申し訳ないが、それだけのものだ。……其方は立身の足枷などではない。其方あればこそ、儂は今まで田村の麾下で我慢することができたのだ。其方なくば、とうに短気を起こして三春に楯突き、塩松は田村大膳によって平らげられていただろう」
顕綱は突いて出るままに言葉を継いだ。
志保はめくれた布団の上で組んだ手を見下ろしている。顕綱は動揺を隠すべく、黙ったまま志保の髪を漉いた。志保は静かに、嬉しそうな顔をした。
「――其方を人の母とすることができぬのは、儂にも同じだけ責任がある。一人で気に病むな。いつも言うておろうが。子供がいたらいたで、あちらこちらへ人質に出さねばならなくなっただろう。一体に幾らいても足りぬわ。それならば始めから一人もおらぬが良い。平和なときが来たなら、その後でこさえた方が、儂らにとっても生まれくる子供にとっても、なんぼか幸せかと」
「三右衛門殿らは……」
「あれらはもう石橋家のもの。其方は、大内家の嫁だ」
顕綱は志保の耳元でそう囁いて肩を抱くと、横たわらせて布団を掛けた。
「殿……」
志保は布団をめくって唇を尖らせた。
顕綱は困った顔をしながらも、上げかけた腰を再び下ろすと、その手を取った。
はだけた白い胸に肋が浮かんでいた。
――志保は翌年に死んだ。
その後、顕綱は正室を置かなかった。