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斉義は宮森城へ戻ると、汗ばんだ小袖を換えて再び同じ大紋を着込んだ。そして周囲の者を下げると、屋敷前庭に出た。
この城に遷ったときはまだ仮屋敷だったが、徐々に建物を普請してゆき、様相は一日一日様変わりしている。この本館の邸宅はもう殆ど完成していて、生活する分には何の支障もない。
広い庭は一角だけ来客向けとして常にきちんと整備させており、それ以外はわざと鬱蒼とさせている。境界には灌木を植え込み、その茂みの先は伸ばしたままの竹林になっている。
斉義は茂みに声を掛けた。
「いるか」
「……ここに」
茂みの中から、小さな声で男が返事をした。姿は見せない。
「――ぬかりはござりませぬか」
「うむ、恐ろしいほどにな……。一つ危惧するのは、公が逝かず、この企てが露見した場合だが――」
「その点のご心配は無用に願います。効き目に間違いはござりませぬ。ただ、末期に若君へ疑いの目を向け、その気持ちを他人へ漏らされた場合のみ、揉み消しに手間が掛かることになります。よって、できるだけ早くお側へ着き、少しでも疑いの芽を摘み取ることが重要になりましょう」
「じきに連絡が来よう。……弾正の嫁に我が妹をという話、進めようと思うのだが――」
「………」
「縁組の条件に、其方の身柄を申し請けることが加えられるのなら、其方はどうする?」
「それがしは主人の命に従うのみです。百目木の大殿からその旨を仰せつかったならば、そのときより主人は太郎様になります。されど思いまするに、これはさほど急いだ話ではありますまい。今は目の前のことに集中なされませ」
「うむ。其方の言う通りだ」
声の主は、百目木の門番小平である。斉義に信頼を寄せるようになった石川摂津は、斉義から諒解を取った上で小平を宮森常駐と為し、双方の連絡手段としていた。
近付いてくる足音に反応して、小平が再び気配を消した。斉義が目を向けると、駆け足で宿居がやってきた。
「塩松より危急の使者が」
「通せ」
使者の旨は予定通りのものだ。
斉義はその報告を聴くと、すぐさま馬に飛び乗って駆け出した。
山の端が(気のせいか)と疑うほどほんの少しだけ白み掛けている。身体は少し重く感ぜられたが、意識の方は朝風の刺激に覚醒し、一層研ぎ澄まされていくような気すらしていた。
塩松城内は、ほんの一刻足らず前に辞去したときと変わらずに、静かだった。斉義は呼吸を調節して、少しでも気分を高揚させてから、寝所に入った。
尚義の枕辺では典医が脈を取り、その後方では正室たる叔母が、瞑目したまま眉尻を下げて端座している。他に誰もまだ到着していない。
斉義は典医の対面に座り、尚義の顔を見つめた。
尚義は眉間に小さく皺を寄せ、少し口を開けて小刻みに浅い呼吸をしている。顔は土気色で、口元には微かに喀血の跡が拭いきれずに残っていた。
「何者かに附子の類を盛られた模様。……予断を許さぬ状況です」
斉義は懸命に困惑の表情を取り繕った。
「吐いたか」
「吐かれたのは血だけです。呑み食いされたものを吐き出されれば、多少は見込みも出てくるのですが……。診療の始めに吐瀉を試みましたが駄目でした。咳き込むばかりになったので、致し方なく止瀉を投薬しました」
斉義は心象に反する険しい顔を作った。
「――何かお心当たりなど、ござりませぬか」
「……思い当たる節と言えば、百目木の宴席しかない。――おのれ摂津め、謀ったな」
斉義は声を震わせ、尚義の手を強く握った。我ながら演技が拙いと感じたが、目を瞬かせて漸く一条涙を搾り出し、込み上げる感情を抑えているふりをすることに腐心した。
「太郎殿は真っ先に登城して、流石我が殿の身を誰より案じ、忠孝の筋を立てておられる。何卒、百目木に手を入れてたも」
叔母の今にも崩れ落ちそうなほどに高揚した様子を見て、斉義は幾分安心感を得た。
そこへ義綱が息を切らして到着した。義綱は斉義の存在に少しく驚いた表情をした。
叔母がすぐ口を開いてくれるかと思いきや、皆の前で取り乱すのを我慢しているのだろう、口を震わせたまま声を発しない。
義綱はその雰囲気に(どうしたものか)とたじろいでいる。
斉義にしてみれば、「一難去ってまた一難」である。すかさず自ら機先を制した。
「父上っ、あな口惜しや。殿は附子を盛られた由。疑わしきは石川摂津。早急に呼び出して詰問せられよ。素直に応じぬときには、討ち果たすべきです」
義綱はその涙を流しながらの訴えに面食らった様子で、到着第一声として息子へ慰めの言葉を発した。
「太郎落ち着け。其方の言いたいことは解った。追々皆集まってくるだろう。そのときの摂津の様子を見れば、事態は瞭然となろうぞ」
その言葉を聞いて、斉義は漸く事態の方向付けに手応えを得た。
その時、尚義が目を閉じたまま口を動かした。すかさず典医が口に耳を寄せる。目を閉じて聴き取ると、義綱を差し招いた。
「大内様、お傍へ」
義綱は枕元まで膝を進め、腰を折って耳を寄せた。
斉義は枕元を父に譲りながらも、そのすぐ隣を占めて顔を寄せた。斉義は動悸が高まり、もし何かまずいことを尚義が口走ったらどう場を取り繕ったものか、瞬時にあれこれ考えを巡らしている。
尚義の声はかすれ、吐く息は饐えた臭いがした。
「備前……太郎……其方らが頼みじゃ――。お松を、松丸を……」
その後は咳き込んで言葉にならなかった。
朝になって、尚義は息を引き取った。