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――夏になり、尚義妾石川氏は、塩松城下の屋敷地にて女の子を産んだ。もとより尚義は大変な喜びようである。
石川摂津は、女子誕生の祝いを百目木城で行いたいと申し出た。
当の幼子は塩松に置いたままではあるけれども、祝宴には尚義と共に大内父子も招かれて、盛大に行われる運びとなった。石橋家の相馬番としての本領発揮として、取り寄せられた魚介類の豪奢なことは、塩松では例のないほどだ。
午から始まった宴席は、様々な座興をまじえながら進められ、やがて日も暮れた。
膳が進むと、座が乱れてくる。
斉義は尚義の所へ酌をしに行った。
「この度はおめでとうござりまする」
「うむ。早う孫の顔も見せてくれ」
斉義は笑ってお茶を濁した。勿論、尚義が自分の子供と思っている今日の主役が本当は外孫かも知れぬなどとは、言える筈もない。それを知ったらこの舅はどんな反応を見せるだろう。一瞬だけそんな誘惑に駆られたが、すぐに振り払うと、尚義の盃に重ねて酒を注いだ。
「御方様も仰っておられました。庶子なれど愛しさは変わらぬと。殿におかれましても如何ばかりのお喜びかと」
「歳からみれば、孫のようなものだからな」
「寝顔など、格別のものでしょう」
「二六時中眺めても、飽くことのないものじゃ」
「ならば今夜は淋しいですな」
「今宵はおことの寝顔を拝もうかの」
「されば、まだまだ呑まねばなりませぬな」
斉義は戯れ言に笑い、盛んに呑ませながらも、背の先に神経を澄ましていた。
後方では摂津が、斉義同様に順を追って酌をしている中、義綱の所で話し込んでいる。
「備前殿、娘御はそろそろよい年頃と伺うております。我が嫡男も元服を終え、そろそろ室を迎えてやりたいと思うておるところ。甚だ不躾ではありますが、貴殿の娘御を息子弾正と添わせてはいただけますまいか」
義綱の娘、つまり斉義の妹は数人おり、下の二人がまだ親元に居た。上が十三歳。下は十歳になったばかりである。何処かへ嫁す約束も、まだない。
摂津の嫡男は、先日元服して主君から一字拝領し、弾正尚国と名乗っていた。
条件に非の打ちようもなければ、断る理由もない。
「お話は承りました。されど娘はまだまだおぼこいもので……。また、酒の上で斯様なお話は……」
摂津は嫌なそぶりは鱗ほども見せず、爽やかに笑った。
「これは失礼仕った。私もかなり酔うておるようですな。後に改めて、人を介しお願いに上がります」
そこへ斉義が、義綱の隣にある自分の座へ戻った。
斉義は考えあぐねていた。
摂津との結びつきを強める為には、縁組を成立させるのが良いとは思うものの、長期的な見通しを思えば、思わぬところで足枷になりかねない。石川勢を敵に廻したらやっかいになるだろうことは、斉義は嫌というほど身に沁みていた。
「あぁ太郎殿。いまお父上に、貴殿の妹君を当家の嫁に貰えぬものかとお願いしておったところです。何卒、貴殿からもお口添えしてくだされ。貴殿が義兄となれば、弾正も安心じゃ」
摂津は斉義の正面きって「否」と言えぬ心情までも見通して、斯様な挙に出ているのだろう。この男は何気ないふりをしながら、その実、先の先まで読んでいるのだ。
斉義は慎重に言葉を選んだ。
「……お話は、失礼ながら脇から聴かせていただいていました。父にとっても大事な娘であり、私にとっても可愛い妹であります。弾正殿と妹が添うことについては、両家にとって良きことと、それ以上を望むべくもないお話ではあります。よって……まぁそれとは直接に影響のないことになるのですが、妹に弾正殿がどんな人物か語って聞かせる為にも、一度腰を据えてお話をしてみたいと思います。……今日は如何されましたか?」
「お話はご尤もです。今日の宴席に向けて、あれにもさまざま手伝わせており、今日のこの席にも末席に居させて貰うつもりでいたのですが、一昨日からどうも風邪をひいたらしく、臥せっております。よって今日ここで会っていただくことはできませぬが、近いうちに必ず機会をお作りしましょう。その上で改めて、この話を進めさせていただくということで、宜しいでしょうかな」
「それは――お大事に」
摂津はにこやかに二人へそれぞれ会釈すると、座をずらしていった。
「其方どう思う。今の話」
「まぁ、そう急いだ話でもないでしょう。そのときになってから状況を踏まえて、こちらから条件を提示していければいいと思います」
義綱は何の疑いも抱かずに納得して、斉義に注がれた盃をすすった。義綱も尚義同様、酒が強い方ではない。ただ尚義とは違い、下戸を称してこういった宴席や儀礼以外では一切酒を口にしない。日頃酒を口にしないから、このような席にいつまでも馴染まない。
「思えば、其方と酒を酌むのは久しぶりだなあ。様子を見ていると、すっかり堂に入っていて、儂の出る幕なぞ、もうないようだ」
そう言うと、嬉しいような淋しいような、はにかんだ笑顔を見せた。
「何を仰いますか。まだまだ父上は必要です。私にとっても、家中にとっても」
斉義は父の盃に酒を注ぎ足した。