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ある日、斉義は塩松城へ出仕した際、ふと懐かしさから久しぶりに住吉城の方まで足を伸ばした。「元後嗣」たる斉義なれば、間の門を通過せんとて咎めもない。
相変わらず静かな城内だったが、時折姿が見え隠れする女達からは熱い視線が送られた。
しかし静寂を期待して訪れた斉義には、それは却って煩わしいものでしかない。
斉義は、女達には用なしの書庫に入った。
尚義から賜わった書庫の中身は既に多くを運び出しており、寂しくなった庫内で何気なく手に取った書籍類の題簽を一つ一つ眺めていると、不意に庫外から声を掛けられた。
「太郎様。こちらにお出でと伺い、御方様からお連れするよう申し付けられました。もし今ご都合が宜しければ、ご同道願えますまいか」
声の主は、叔母が尚義の正室に輿入れしたときから、その側女として付いている老女である。斉義も尚義の後嗣として城内にいた頃には何かと世話して貰い、こと尚義妾達への手付けの際には裏で少なからぬ協力を受けており、頭の上がらぬ存在だ。
叔母は、斉義放逐に際して義綱以上に反対し、幾度となく尚義へ異見に及んだほどであり、斉義にとってはこれもまた尽くせぬほどの恩義を受けた一人である。
老女について行ってその部屋へ顔を出すと、叔母は急かすように部屋へ招き入れ障子を閉めた。
とうに女としての盛りは過ぎていたが、それを隠すように厚く塗られた白粉が、彼女の老いを却って強調している。決して吝嗇な女ではないが兎に角激昂しやすい性質で、よって彼女からの情報は何であれいつも、言葉に込められた憤懣の分を差し引いて聴かねばならない。
それを判っていても、ただならぬその様子に、斉義は思わず身構えた。
「何事ですか」
叔母は、どう切り出したものか少しく口をモゴモゴさせた後、堰を切ったように喋りだした。
「おことの父は頼りにならぬ。よっておことに頼むのじゃが、道海を討ってたも」
「何のことですか、藪から棒に。道海とは、ご一門の道海殿ですか?」
「道海めは殿に面し、おことらを侫臣とこき下ろしておったのじゃ」
道海とは石橋一門、石橋新助隆則の道号である。彼は文武に通じ、剛直で知られていた。
彼は石橋一門が悉く周囲の流れから取り残されていく中、それらの者共に担がれる形で尚義へ諫言に及んだのだろう。
だが尚義は前々から、一族一門というものを毛嫌いしていた。それは、自らの立場は血筋によるものという意識が強い為、それが通用しない者、こと有能者に対しては、劣等感に苛まれ、接するときにどうしても見下されている気がしてならなかったからだ。
道海はその最たる対象で、一門が彼を担いだのは、その辺りの事情を踏まえると、火に油を注ぐ行為であり、逆効果でしかない。
「我が殿を山口の大内義隆や関東管領上杉憲政になぞらえ、政を侫臣に任せ、武備を忘れ歓楽に溺れておっては、当家も終には他家の掌握となるだろう、と」
斉義は穏やかな心持ちで聴いている。
叔母はその表情を見てますます苛々を募らせている様子だったが、斉義はその表情すら楽しんでいた。
「なるほど。その侫臣が父や私であると、御方様はお考えなのですな。――して、殿は如何に応対を」
「暫くは黙って聴いて居られたが、おもむろに『君臣をわきまえぬ妄言、不審なり』とお怒りを発せられ、勘当を申し渡し、追い出された。もはや彼の者は主家筋でも何でもない。はや討手を遣わしてたも」
「それを父上に言ったのですね。して、父上は如何なる返答を」
叔母はいちいち発言者の口調を真似して見せる。その口調はもともとの発言者に対してではなく、彼女に対する不快感として斉義に伝わった。
だが、込み上げた溜め息は飲み込み、逆に微笑みすら浮かべて、拝聴する姿勢を取り繕っていた。
「『放っておけばよい。殿のお言葉からも、我らが彼らよりも信頼を得ていることが推し測られよう』と言うておった。されどわらわはそうとばかりは言えぬと思う。我らに好からぬ感情を持つ者は道海のみではあるまい。見せしめの意味でもこれを厳しく処さねば、我も続けとばかりに転覆を企てる者が現れようぞ」
斉義は、(その発想は彼女にしては慧眼だ)と思いながらも、どうしても気乗りがせず、全面的に支持することはできなかった。
「えぇと、それはいつのことですか」
「五日ほどになろうか」
「ならばもう遅いでしょう。あの道海殿のことなれば、もう奥州には居りますまい。御方様は斯様に仰せられますが、やはりご一門への手出しは周りの聞こえにも障りがござります。よってこのことは、父上の申しておるように放っておくのが宜しかろうと思われます。それでは御方様のお気持ちは晴れぬでしょうが……。一応、消息は探ってみましょう。なに、向かう先にまるで見当が付かぬ訳ではないのです」
斉義は、連座の疑いのある者の多くを一人ずつ呼び出して聴き取り調査を行い、宥恕を引き札に情報を集めた。その目的には、情報蒐集ばかりではなく、一門衆の結束へのてこ入れの意味合いが多分に含まれている。
而してほどなく、道海が出奔に当たって高野聖を同道していたという情報に接し、それを叔母へ伝えると、猶も胸がすっきりしない様子だったが、やっと諦めた。