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考えた末、斉義は住吉城内に部屋を与えられている尚義の側室や妾数人に付け文をした。尚義に洩れぬようにという配慮は勿論、遠からぬ過去に尚義が通ったという履歴の下調べなど、事前の根回しにぬかりはない。言うまでもなく、志保姫にも秘密である。
彼女達の心には、酒乱気味で老年に差し掛かっている尚義に気兼ねする部分は既になく、いっそ斉義の妾であったならと願う者ばかりだった。そしてそれは、そんな側室や妾達の心証を慮っているそれぞれの侍女達も同様だった。
斉義の許には、日時を書いた熱い返書が複数寄せられた。
そんな中、尚義は無防備にも斉義を城に残したまま、松丸母子を伴って昨日はこちら明日はあちらと行楽にうつつを抜かしている。
また、松丸誕生は禅宗に帰依した加護だとして、十願寺を廃して時衆僧を皆追い出し、その寺領を全て招聘した禅僧達に与えた。領内全域にも触れを出し、殆どの時衆道場は他の宗派に取って代わられた。
人々の目がそれらのことを向いているその間に、斉義は返書をよこした妾の全員と、それぞれ数度に亙って情交を結んでしまっていた。
丁度、それまで心の拠りどころとしていた時衆を失い、不安を募らせていた彼女らを慰める、という旨い口実があったこともあり、事を運ぶに当たって障りはまるでなかった。
斉義は決して捨て鉢になっていた訳ではない。策略あってのことである。
即ち、尚義の酒癖――毎晩酩酊するまで呑んで翌朝になると昨晩の記憶がなくなることが多い、周囲から盛んに迷惑がられているその酒癖に目をつけて、将来の再起を目指し、塩松の行く末に混乱を巻き起こさんと種を播いていたのだった。
やがてそれは芽を出すことになる……。
案の定、秋を前に斉義は一方的に放逐され、義綱の許へ返された。少年期から青年期の十年余を、尚義の後嗣として過ごしたことになる。
姫君との間には相変わらず子がなかったが、離縁させられることはなかった。
松丸という後継者があることから、新たに婿を取る必要もないのは当然ながら、大内氏の礼聘を継続させる為の配慮には、尚義なりに気を遣ったのでもあろう。
斉義から「尚義の後嗣」という資格は剥奪され、斉義が婿として石橋家に入るという形から、姫が大内家の嫁に入るという形になった訳である。
またその御免料として、尚義から銘馬と十文字の銘槍が下賜された。そして他に何か欲しいものがないか訊かれると、斉義は住吉城の書庫にある蔵書を望んだ。
尚義は「何だそんなことか」と、一部家相伝の物を除いてそれを許可した。
大河内一族を除く全ての家中は、斉義放逐の決定に溜息をこぼした。
これまで家中は皆、斉義が尚義の跡を継ぐことを当然と信じて多大な貢物で誼みを通じ、また斉義が継ぐことで家が隆盛に向かうことを期待していたのだ。
それほどに斉義の評価は、内外に高くなっていた。
「太郎、口惜しかろう。儂も今度ばかりは辛抱ならん」
義綱は小浜へ戻って挨拶に来た斉義を前に、歯軋りして悔しがっている。
されど斉義は、今回の一事で家中が皆心情的に味方となったことを感じ、また、犯した禁忌を一切暴かれることなく小浜へ戻りおおせたことから、今後の展開が楽しみでならない。そんな気持ちを抑えるのに腐心した結果、知らず通常よりも冷静に振る舞っていた。
「父上、今暫く辛抱なされませ」
そう言うと、歯を見せて口を笑った形にした。
義綱は口をぽかんと開けたまま言葉を失っていたが、斉義は構わずに一礼して退出すると、親綱の屋敷へ向かった。
親綱は再び大内家の後嗣の座を斉義へ空け渡すことになる。
だから斉義も彼に対してだけは後ろめたく、済まない気持ちを感じていた。――だが、何と言って会えばいいのか。あれこれ思いを巡らせど巧い言葉は浮かばず、裏腹に会いたい気持ちから進む歩に考える時間を削られ、まるで考えがまとまらぬままに面会してしまった。
しかし親綱は、そんなしがらみはまるで感じさせずに、いつもと変わらぬ明るい笑顔で異母兄を迎えた。
「帰りましたね」
思わず口を突くままに戯れ言が洩れた。
「当面、……この顔を毎日お目に掛ける」
「なに、住吉まではるばる会いに行く手間が省けるだけのことです」
緊張が一気に解けた斉義は、大笑いをした。自分でも珍しいことだと思った。