会えない人
何か大切なことを忘れている、そんな気がする。
でもそれが何かはわからない。頭の中に大きな穴がぽっかり空いてしまったような。大切にしていたおもちゃをなくしてしまったような。
私はなにを忘れてしまったのだろう。
見慣れてしまった白い天井。白い壁。白いカーテン。ひどく殺風景な部屋。
私がこの病室で目を覚ましてから1週間になる。
ここに運ばれてきたときのことは聞かされていない。私が尋ねると皆口をつぐむ。
左の手首には包帯。それ以外の場所には目立つけがはなかった。
この手首の傷はなにをしてつけたものなのか、私にはわからない。
私には記憶がない。正確にはこの2年ほどの記憶がない。
それより前のことは覚えていたのでそんなに苦労することは無かったけれど、少し違和感がある。
なにか大切なことを忘れている。でもそれが何かは思い出せない。
とてももどかしい気分だ。
でも、心当たりがないわけではない。
医師や私の両親に記憶のこと、傷のことを尋ねると口をつぐむということはおそらく私にとって辛いことだったのだろう。忘れているのならそのままにしておいた方がいい、そう思っているのだろう。
包帯を見る。
この位置にある傷。それが何を意味しているのか、そんなの中学生でも知っている。
たぶん、私は自殺をしたのだろう。
誰もいない病室で私は考える。私はどうして自殺をしようとしたのか。
記憶をたどり思い出せる限り、私は自殺をしようと考えてはいない。友人関係にも苦労はしていなかったし、家族も皆仲がいい。
ということは、記憶の無いこの2年の間に何かがあったのだ。私が自殺をしようと考え、実行するほどの強い何かが。
2年前と言うと大学には通っている。ゼミにも所属しているはずだ。
ゼミのメンバーは覚えてはいない。だけど、同じゼミの仲間だという人が何度かお見舞いに来てくれている。
その人たちの顔は皆明るく、それは何かを感づかれまいと必死に覆い隠しているようにもとれた。
彼女たちが隠していることとは何なのだろうか。
先日、同期の友人が私のもとを訪れた。彼女とは高校時代からの友人で、いろんなことを相談していたのを覚えている。
怪我についてストレートに聞くとはぐらかされる。それは何度も経験した。
なので私は別の角度から探りを入れる。
「ねぇ、この2年の間にさ、私に彼氏っていたの?」
怪我とかそんなものをは関係なく気になっていたことだった。この2年間の私は青春を送っていたのか。
「えっ、さぁ?わたしは・・・知らないなぁ・・・」
明らかに狼狽している彼女の姿を見て私は一つの回答を得た。
私が自殺をした理由は恋愛に関係している。
「どうしたの?顔色悪いよ?」私はそう尋ねた。
「そんなことないよ。あ、もう時間だから今日は帰るわ」
そう言うと彼女は逃げ出すように病室をあとにした。
私の恋愛関係を誰に尋ねればいいのか、正直分からない。
もしかしたら彼女から話がいって口裏を合わせているかもしれない。
なら、私は確実な方法をとることにする。
それから数日後、母が見舞いに来た。手には私のハンドバック。
「はい、頼まれてたもの」
私はそれを受け取り、中身を見た。
そこにあったのはアルバムとプリクラを貼ってある手帳。
母には「昔の私が見たいから」としか伝えていない。本当の目的は知られるわけにはいかないから。
アルバムをめくる。母にそう言った手前、最初からきちんと目を通す。
幼いころの私については覚えているので正直どうでもいい。早く先に進みたい。
高校の卒業式の写真の次は大学生になった私の写真だった。
友人と遊びに行った時の写真がたくさん並んでいる。
次のページからいよいよ私の記憶の無いページだ。わずかに緊張しているのが分かる。
ページをめくる。そこには、
「・・・なにも、ない?」
私の記憶と同様に、そこには一枚の写真も無かった。
「ねぇ、お母さん」
「なあに?」
私は空白のページを指さしながら尋ねる。
「なんで2年前からいきなり写真がなくなったの?」
一瞬の沈黙。それを破ったのは母だった。
「あ、ああ。それは2年前にカメラが壊れてしまったからよ。そういえばそれから撮ってないわねぇ」
そんなわけはない。家には父の趣味でカメラが何台もあったはずだ。それがすべて壊れたとでも言うのか。捨てたとでも言うのか。
だけど、私は追求はしない。どうせ答えてはくれないだろうから。
「少し疲れたから休むね」私がそう言うと母はどこかほっとしたようだった。
「そう。ならお母さんは帰るわね。写真はどうする?」
「あとでまた見るから」
「そう。じゃあ、ゆっくり休むのよ」そう言うと母は病室から出て行った。
少し間を開け、私は起き上がる。
プリクラ帳をめくる。やはり2年前からいきなり止まっている。
引きちぎったような跡もある。おそらくだけど、持ってきてくれと言われて慌てて処分したのだろう。
母も私にこの2年間のことを思い出させないようにしている。
そして私が思い出すための道具として挙げた写真を処分した。これで思い出せない、そう思っているのだろう。
私はアルバムに手を伸ばす。開いたのは私が小学校に入学した時の写真。
母は2年前の写真を処分した。アルバムをめくり、それだとわかるものを片っ端から。
でも、それだけでは不十分だ。私は入学式で整列している写真を手に取る。
緊張した面持ちの6歳の私。でも今は感慨ふ耽るわけにはいかない。
6歳の私の下にもう1枚写真があった。そこには高校生になって初めてできた彼氏との写真があった。
写真を撮るのが好きだった私はとにかくたくさん撮った。そして、それをアルバムにしまっていた。
だけど、人に見られるのが恥ずかしい写真についてはこうして別の写真の後ろにそっとしまいこんでいた。
おそらくだけど、その習慣はずっと変わらないはずだ。
私は写真を取り出し続ける。
そして、私は1枚の写真と出会う。
日付を見る。1年半ほど前の写真だ。
そこには私と背の高い男性がバイクの前で腕を組んでいた。
その写真を見て、私の頭の中にさまざまな記憶がよみがえってきた。
この男性は私の彼氏。1年前に亡くなった私の彼氏。
懐かしさに浸りながら、私はかすかな違和感を感じていた。
彼が亡くなったのは思い出した。たしか交通事故だったはずだ。
でも、それだとつじつまが合わない。
彼が死んでから1年間の間があるのだ。その間、私はなにをしていた?
まだ何か忘れている。それこそが私が自殺した本当の理由。
彼は事故に遭った。それはどんな事故だった?
私は思い出そうとする。1年前、季節は夏だ。そして、写真のバイク。
「!!」
そうだ、彼はバイクに乗っている時に事故に遭ったんだ。
夏のある日、バイクに乗っていて。
次第に記憶が鮮明になってくる。
確か、彼は友人とツーリングに行った。場所はどこかはわからない。
なぜなら、目的地に向かう途中だったからだ。
彼のバイクが故障して、それを2人で修理した。
幸い、その場でなんとかなる程度のものだったので2人はすぐに走りだした。
だけど、
彼のブレーキに細工がしてあって、急カーブを曲がり切れなかった。
そして、彼はそのまま海へ・・・。
これが、その事故の顛末だ。思い出した。
でも、私はこの話を誰から聞いたのだろう?
それに、彼と一緒に走っていた人物。その人のことも思い出せない。
もう答えは目の前にある。そんな気がする。
それから数日だ経って、ゼミの仲間がやってきた。
その中に見慣れない顔があった。こちらを見ようとせず、顔を伏せている。
私は尋ねる「そこの男の人は誰?」
男性は一瞬身体を震わせた。
「この人もあなたと同じゼミの仲間。やっぱり覚えてない?」
「・・・うん、ごめんなさい」
「いや、気にしなくていいよ。今まで見舞いにこなくてごめんな」
弱々しい笑みを浮かべる。
その後は何事もなく時は過ぎていった。
みんなが帰った後、私は一息つく。
覚えていない。よくそんなことが言えたものだ。
覚えていないはずがない。彼を殺した人間の顔を。
顔を見た瞬間私はすべてを思い出していた。
目の前の男の手によって彼は死んだ。
そして、私は彼の死の真相を知るためにあの男に近づき、そして辿りついたのだ。彼の死に。
真相を知った私はこの世に用は無いと言って、この世を去ろうとした。
手首をナイフで切り、ビルから飛び降りた。
手首以外に怪我がないことから下で受け止められたのだろう。
すべてを思い出した私がなにをすべきか。
また自殺する?それもありかもしれない。
でも、今日あの男の姿を見て私は別の道を見つけ出した。
私の大切な人を殺しておきながら平然と暮らしているあの男に、復讐をしてやろう。
私から彼を奪った罰を――。
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