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第8話 お見舞い

 気象庁が発表する日の出時間とほぼ同じ時間にセットされた目覚ましが数回ベルを鳴らして、止められた。

 耕太は二度寝することなく起き上がると、大きく伸びをして朝の支度に取り掛かった。

 着替えが終わって、今日持っていくものを再チェックした。

「えーと、ミツキちゃんに借りてた漫画と……あ、そうだ。見たいっていってた、花言葉図鑑を持っていってあげよ」

 本棚からポケットサイズの本を取り出し、ディバッグに詰め込むとそれを持って居間のある一階に降りた。

「おはよう。あいかわらず、早いな」

 耕太が朝食をとるために台所に入ると、テーブルには大学生ぐらいの若い男が少し疲れた顔で座っていた。

「おはよう、兄ちゃん。また徹夜?」

 耕太はあきれたように少し年の離れた兄、正輝を見た。しかし、兄にかまってのんびりしている暇はない。ディバッグを置いて、ご飯を茶碗によそい、インスタントの味噌汁を作った。

「うん、まあな。朝一番で大学にレポート持っていかないといけないからな」

「また友達に売るつもり?」

「勉強もできてお金ももらえる。一石二鳥のアルバイトだよ」

 正輝は楽しそうに笑った。勉強の苦手な耕太には考えられないアルバイトである。正輝も別に勉強が好きなわけではないが、どういうわけか小学校一年から学年トップを走りつづけ、今では名前を聞けば誰もが知っている有名国立大学の学生をしている。

「頭のできが違う」

 耕太は正輝と比較されるたびにそう言って笑っていたが、かなりコンプレックスであった。もっとも、学校の先生は、正輝が残した伝説の数々のおかげで、「お前のお兄さんは――」という言い方は絶対にしない。逆に「お兄さんに似てなくてよかった」と心底、言われるぐらいであった。

「しかし、毎日ご苦労だな」

 正輝は目覚ましに濃く入れた紅茶をストレートで飲みながら耕太のバッグを覗き込んだ。中には軍手やタオルなど園芸グッズが入っていた。

「地面が乾くとだめになるからね。朝の早いうちに水をやって蒸発する前に吸い上げてもらわないと」

「お? 少女漫画が入ってる」

 正輝はビニールに包まれたマンガ本を見つけて楽しそうな声をあげた。

「ミツキちゃんに借りたんだよ。この間、家に行った時に読み出して、続きが気になるって言ったら貸してくれたんだ」

「ふーん。確か、孤児の女の子が大物女流小説家の養子になって子役をする話だったな。いい話だった」

 正輝は漫画のタイトルを見て目を細めた。

「読んだことあるの?」

「まあな。少女漫画はちょっとうるさいんだぞ」

「……兄ちゃんって、いつ勉強してるの?」

「ひまな時」

 正輝がにやりと笑って耕太の問いに答えると耕太はため息をついた。

「本当に出来が違うや」

 耕太は失意を感じながらも、食べた食器を洗い桶に沈めるとディバッグを持って立ち上がった。

「それじゃあ、いってきます」

 耕太が出て行こうとした瞬間、電話が鳴った。耕太はこんな朝早く誰だろうと思ったが、電話は正輝に任せて出発することにした。しかし、正輝は電話を取りながら手をあげてジェッシャーで耕太の出発を止めた。

「はい、遠野です。――ああ、おひさしぶりです。ご無沙汰しておりますが、お変わりありませんか? ――ええ、はい。僕の方はあいかわらず、のんびりやってます。――ええ、はい。ぜひ、そのうち。それでは代わります」

 正輝は通話口を押さえて、耕太の方を見た。

「美津紀ちゃんのお母さんからだ」

 耕太は台所に戻り、受話器を受け取った。なにやら受け答えをし、数分後、少し落胆した表情で小さくため息をついて受話器を置いた。

「美津紀ちゃん、今日はお休みか」

「聞いてたの?」

 正輝の声に耕太は驚いたように振り返った。

「受け答えの内容を聞いてたら想像はつくし、なにより最後のしょげたため息だけでもだいたいわかるよ」

「夏風邪をひいたんだって。ミツキちゃんは平気だって、行きたがってたみたいなんだけど無理はさせられないからって」

 耕太は、美津紀が長期欠席から復学してからも週に何度か通院していることは知っていた。しかし、予定されていた通院以外で休むのはこれが初めてであった。耕太にとって、美津紀は絶対に休まない健康な女の子という昔からの印象が強かったし、一緒に作業するようになってからも病気だったのが嘘のような元気な振る舞いをしていたので、今更ながらにショックを受けていた。

「夏風邪はこじらせるとつらいからな。賢明な判断だ」

「わかってるよ! そんなこと」

 耕太は正輝の正論にいらついて声を荒げた。

「まあ、帰りにお見舞いにでもいってあげれば、美津紀ちゃん、喜ぶかもな」

 正輝はわかりやすいかわいい弟の反応に微笑みながら、ヒントを教えて自分の部屋に戻っていった。

「お見舞い、か」

 耕太は少し考えていたが、予定していた出発時間を大分と過ぎていることを思い出して慌てて家を出た。

 今日は一人で、しかも他にもやらないといけないことが急遽できたのであるから、ますますのんびりしている暇はない。


 美津紀の家はこの辺では新しい住宅街で、耕太たちの住む昔からある集落などとは違い、マスの目状に道路が走り整然としていた。

 午前中の作業を終わり、日差しが厳しい昼下がりに陽炎とともに耕太は自転車を走らせた。

 やはり一人での作業では思うほどはかどらず時間がかかってしまった。午前中にお見舞いに行く計画は早々と頓挫して、この時間となったのであった。

 以前ならば一人が当たり前であって、誰かに手伝ってもらえる日がボーナスステージだったのを思うと、慣れは怖いと耕太はしみじみと感じていた。

 耕太は母親に持たされたお見舞いのプリンが乱暴な運転でダメにならないように気をつけながら美津紀の家へと急いだ。

「やっとついた!」

 家に帰ってシャワーを浴びて着替えてきたが、それは無意味といわんばかりに汗が噴き出して、シャツは汗でべったりと身体に張り付いていた。

 耕太は少しためらいながらも美津紀の家の呼び鈴を押した。昔、何度も押した呼び鈴なのにやけに緊張している自分が不思議だった。

「はーい。どちらさまで? あら、耕太君」

 出てきたのは予想通り、美津紀の母親であった。耕太の小さい時の記憶とあまり変わらない姿になぜだか彼は少し安心した。

「あの、ミツキちゃんの具合はどうですか? あ、これ、母がつまらないものですがって。食べてください」

 耕太は気持ちが焦るのをなんとか抑えながら、プリンの入った箱を差し出した。

「あらあら、気を使わせちゃったわね。ごめんなさいね――美津紀の具合はもういいのよ。多分、明日はちょっと様子を見るのに休ませるつもりだけど、明後日には花壇にいけると思うわ」

 美津紀の母親はプリンの箱を受け取り、優しく耕太に応えた。

「あの、ミツキちゃんは?」

「ごめんなさいね。耕太君に風邪をうつしたらいけないし、今、寝ちゃったところなの。本当にごめんなさいね」

 直接会うつもりだった耕太は見るからに落ち込んでしまい、美津紀の母親が本当に申し訳なさそうに謝った。

「いえ、風邪引いてるんだし、長引かせるといけないし、またすぐに会えますから。あ、そうだ。これ。借りてた本と、ミツキちゃんが見たがっていた図鑑です。起きたら渡しておいてください。お願いします」

 耕太は「無理を言うわけにはいかない。自分は大人なのだ」と自分に言い聞かせ、優等生の反応を示した。

「ありがとう。起きたら必ず渡しておくわ。耕太君が来たこともちゃんと伝えておくわ」

 美津紀の母親は優しく微笑み、耕太から本を受け取った。その微笑が少し寂しそうな感じがして耕太は不思議に思い、それをそのまま言葉にした。

「おばさん、どうかしたんですか?」

「え? なにが?」

 美津紀の母親は驚いた表情を一瞬見せたが、すぐに元の優しい笑顔に戻った。

「いえ、なんとなく。ごめんなさい、変なこと訊いて」

 耕太は失礼なことを訊いてしまったと身を縮めて反省した。

「いいのよ。――耕太君」

「はい?」

 美津紀の母親の声がやけに神妙なので耕太は思わず身構えた。

「美津紀と、これからも仲良くしてやってね」

 しかし、彼女の口から出てきたありきたりな言葉に耕太は拍子抜けした顔をした。しかし、すぐに笑顔になった。それは小さい時から美津紀の母親によく言われた台詞であった。そして、その返事も決まっている。

「はい、もちろんです。ミツキちゃんは、僕の最強の相棒ですから」

「ありがとう、耕太君。あなたが、美津紀の幼なじみで本当に良かったわ」

 美津紀の母親はいきなり耕太を抱きしめた。突然の事に耕太はびっくりして、されるがままに抱きしめられていた。

 耕太ははっと我に帰り抱きしめている美津紀の母親に呼びかけた。

「あ、あの、おばさん?」

「あ、ごめんなさいね。こんなおばさんに抱きつかれて、イヤだったわね」

 美津紀の母親は耕太からそっと身体を離し、優しく微笑を浮かべた。

「いえ、そんなことは……」

 当たり前の話だが美津紀の母親は美津紀によく似ていて、耕太の母親よりもずっと若く、しかもキレイだった。正直なところ、耕太の心臓はかなりドキドキして、まともに顔を見ることが出来なかった。そのため美津紀の母親の目じりに光るものがあったことには気が付かなかった。

「あの、僕、夕方の水遣りがあるので帰ります。ミツキちゃんによろしく言っておいてください。風邪が治るまでは無理しないでって。それじゃあ、お邪魔しました」

 耕太は妙な空気に居心地が悪くなり、別れの挨拶を一息でいい終わると自転車に飛び乗り、一気に駆け出していった。


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