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第7話 ジュースの乾杯

 夏の盛りはすぐに地面が乾燥する。植物が十分に水分を吸い上げる前に乾燥してしまっては意味がないので、水やりは涼しい朝と涼しくなる夕方の二回することにしていた。

 バラに限らず、植物は水が不足すると生き残るために葉っぱを落として水分の節約に努める。葉っぱが多いと水分を外へ放出してしまうからである。しかし、それは植物にとって最後の手段であった。葉っぱを落とすことは葉っぱで行われる光合成を捨てることであるため、水は節約できても栄養は不足する。

 なので、水が不足することはなんとしても避けなければならないことであった。しかし、水のやりすぎてもいけない。水が多いと植物は根をしっかり張らなくなり、脆弱になってしまう。最悪の場合、根が腐ってしまう。

 程よい水を与えることは植物を育てる基本であった。

 そして、肥料にも同じ事がいえた。肥料食いと異名を持つバラも肥料が多ければ健全には成長しない。肥料が多すぎると花の色が悪くなることもあり、その匙加減は熟練の技が必要となり、職人技ともいえた。

 耕太は園芸が好きとはいえ、経験では中学二年の青二才である。しかも、その中でも経験の浅いバラである。失敗も数多く、予想以上に悪戦苦闘していた。

 水、肥料、それ以外にも苦戦を強いる存在があった。

「うーん、虫がついてるな」

 園芸の専門家で、耕太が師匠と仰ぐ初老の男が渋い顔をした。

「虫……」

 バラの大敵は病気と害虫。大抵の植物でもそうだが、バラは品種改良を重ねた結果、美しい花を咲かす事はできたが、その二つへの抵抗力をかなり失ってしまっていた。

 なので、耕太は病気も害虫も細心の注意を払ってきたが、完璧ではなかった。病気にもさせかけたし、害虫も一度、アブラムシを大量発生させて危ういことがあった。

「まだ、少ないようだから見つけて潰したほうがいいな。薬はできれば使わない方がいいからな」

 初老の庭師はゾウムシを一匹捕まえて指先で潰した。耕太の後ろで美津紀が短い悲鳴を上げた。

「手伝ってやりたいが、仕事があってな」

 庭師は少し苦笑しながら腰を上げ、耕太の頭をなでるように手を置いた。

「そんなことないです。見てくれただけで感謝しています、神崎社長。あとは僕たちだけでやりますから」

「そうか。すまんな。美津紀ちゃん……だったかな? しっかりな」

 庭師はすまなそうに耕太と美津紀に謝るとバラ園を後にした。その後姿を見ながら美津紀は硬直していた。

「ミツキちゃん……」

「何も言わないで! わかってるから。でも、ここで引き下がったら、女がすたる! 女は度胸よ!」

 心配そうな耕太に美津紀は気合を入れて、虫退治に取り掛かった。

 既に耕太と二人、図鑑で害虫の種類は調べて憶えている。目に見えないハダニなどは形も知らないが、その退治法も知っている。あと美津紀に必要なのは勇気だけだった。

「おりゃあ!」「とりゃあ!」「ほにゃあ!」

 その日、美津紀が勇気を振り絞る際に出す謎の掛け声がバラ園に響き渡ることになった。その奇妙さは、運動場で練習していた運動部部員が気味悪がって覗きに来たほどである。そのたびに耕太が事情を説明する羽目になっていた。

 二人がかりで鬼神のごとく害虫駆除に奔走した。もともと、発見が早かったこともあり、虫の数はさほどではなく、二日目にはほぼ駆除を完了してしまった。あとは順次見回りを強化しながらの掃討作戦に移行してよいと師匠の庭師から合格をもらうことができた。

「はい、ミツキちゃん」

 その日の作業が終わった後に耕太は良く冷えた缶ジュースを美津紀に手渡した。

「どうしたの、これ?」

「神崎社長からのおごり。がんばったごほうびだって」

 師匠の庭師はだいぶ前に車で帰っていた。多分、見送りにいった耕太がジュース代を貰ったのだろう。美津紀はジュースを受け取ったものの、飲むのをためらった。

「どうしたの? ミツキちゃん。オレンジジュース嫌いだった?」

 ジュースの缶を持ちながら戸惑う美津紀に耕太は首をひねった。

「あたしたち、自分たちがしたくてやっているんでしょ? 神崎社長は仕事じゃないのに、わざわざ見に来てくれているんでしょ? それなのにごほうびをもらうって、いいのかな?」

 美津紀は指先に少し痛いような冷たさを感じながらジュースを見つめた。表面には結露した水が「おいしいよ」といわんばかりについている。

「真面目だなー、ミツキちゃんは」

 耕太は美津紀の戸惑いを知って苦笑を浮かべた。

「ごめんなさい」

「ちがうよ。優等生だからつまらないとか思ったんじゃないよ」

 耕太は首を振って、美津紀の「ごめんなさい」を否定した。

「神崎社長、褒めてたよ。ミツキちゃん、絶対逃げ出すと思ってたんだって。失礼だろ? ミツキちゃんがそんな女の子じゃないことぐらい知ってるのに」

 美津紀は黙って缶ジュースを見つめながら耕太の話を聞いた。

「いまどきの若い女の子にしては根性が据わってるって。当たり前じゃないか、ミツキちゃんだよ? 僕の最強コンビの相棒が根性据わっていないわけがないじゃない、って言っておいたよ」

 耕太は屈託のない笑顔で美津紀にブイサインした。

「たぶん、神崎社長、ミツキちゃんが途中で逃げ出さなかったことがうれしかったんだと思うよ。だから、ごほうびなんだ」

「コウちゃん」

「それにさ。夏休みも遊びまわらずに毎日毎日水やりとか、バラの世話をしているのを見ていた神様がくれた、ささやかなごほうびなんだよ。真面目にやっている人間は神様がきっと見ていてくれて、なにかごほうびをくれるんだよ、きっと。だから、ありがたく貰っておこう」

「神様……ごほうび……まじめに……」

 美津紀は罪のない耕太の台詞が胸に刺さった。

「じゃあ、あたしは?」

 美津紀は思わず声に出した。しまったと思ったが、耕太には脈絡がなさ過ぎて怪訝な顔をされただけであった。でも、すぐに笑顔になった。

「うん。ミツキちゃんの頑張りへのごほうびだよ。乾杯しよう」

 耕太はジュースの蓋を開けると中の空気が鋭い音を立てて外へともれた。美津紀も黙ってそれに倣った。

「虫退治完了祝いと、きれいなバラが咲くように祈願して」

「乾杯」

 二人は缶をお互いに軽く当てて、ジュースを飲んだ。

 渇いた喉と疲れた身体には気持ちいい酸味のある甘いジュースだったが、美津紀はほんの少し苦さを感じた。舌のせいなのか、もっと別のもののせいなのかはわからない。

「美味しいね、ミツキちゃん」

 耕太がそんな美津紀の悩みを吹き飛ばすように笑顔を見せた。美津紀はその笑顔をしばらく見つめていた。

|(あたしのごほうびは、あたしが真面目にやっていたごほうびは、きっとコウちゃんに会わせてくれたことなんだね)

 美津紀はなんだか知らないが、うれしくなった。そして、ジュースを飲み干そうとしている耕太を止めた。

「ねえ、もう一回。もう一回、乾杯しましょ」

 さっきまでの沈んでいたのが嘘のように晴れ晴れとした表情でそういった。

「うん。いいけど、なにに?」

 耕太は申し訳程度にしか残っていないジュースの缶を軽く振った。

「ないしょ」

 耕太と出会った事に乾杯など言えるはずもないので美津紀は悪戯っぽく笑って誤魔化した。

「内緒なんてズルイよ」

「いいの。ほら! ちょっと貸して」

 膨れる耕太の持っていたジュースの缶を強引に自分のほうに引き寄せると、まだ大量に残っている自分のジュースを耕太の缶に注ぎ込んだ。

「これでよし。それじゃあ、かんぱーい!」

「え? あ! かんぱい」

 缶を当ててあまりきれいでない音を立てると美津紀は一気にジュースを飲んだ。今度はどこまでも甘く酸っぱい味がした。

 耕太は動揺しながらジュースを慌てて飲み干した。念入りに最後の一滴まで。

「よっぽど喉が渇いてたんだね、コウちゃん」

「う、うん。そうなんだ。あはははは」

 耕太は笑って誤魔化した。まさか、美津紀と間接キスだから最後の一滴までもったいないと思ったなどいえるはずがない。

 その日は始終、二人とも変な間合いで笑いあい、家路に着いた。


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