第4話 幼馴染といつもの朝と
せわしなく美津紀は部屋の中に消えると、どたばたと音を立てて準備しているのを耕太はのんびり待った。
(そういえば、なんか病気でここ最近、学校休んでるって聞いたけど、治ったのかな? まあ、あんだけ元気なら治ったんだろうな)
耕太はクラスの女子が話していたことを思い出しながら、ボーっとした。
(でも、コウちゃんなんて呼ばれるのは久しぶりだな)
耕太は美津紀が昔の呼び方で自分を呼ぶのを思い出して、思い出しうれし笑いを浮かべていた。
「なに、にやついてるのよ。コウちゃん」
一人悦に入っているところを呼びかけられて、耕太は驚いてこけそうになった。なんとか、こけるという醜態を晒さずにはすんだが、恥ずかしさに顔を赤くした。
呼びかけた美津紀はジャージにトレーナー、頭には麦藁帽子をかぶっていた。お洒落な格好とは程遠いが、やはり女の子である。耕太と同じ格好でも華やいで見えた。
「は、早かったね」
「あんまり待たして、行っちゃったら嫌だから」
美津紀は真剣な顔でそう言うと耕太は思わず吹き出した。
「僕はそんな意地悪しないよ。じゃあ、行こうか、友坂さん」
耕太はスコップを担ぎ上げ、歩き出そうとした。しかし、美津紀は不満顔で耕太を睨みつけた。
「どうかしたの? やっぱり、嫌になった?」
耕太は怪訝に思ったが、すぐに理由を思いついて寂しそうに苦笑した。
「違うわよ。友坂さん――なんて、他人行儀に呼ばないで、昔みたいに呼んでよ、コウちゃん」
「え?」
耕太は美津紀の不機嫌の理由が思わぬ事にびっくりして固まった。
「それとも、昔の呼び方忘れちゃったの?」
「お、憶えてるよ、それぐらい」
「じゃあ、呼んでみてよ」
「み、ミツキちゃん……」
美津紀にせかされて、耕太は暑さ以外の理由で喉がからからに渇きそうになった。それでも、喉が渇ききる前になんとか彼女の昔の呼び名を言う事に成功した。
「うん、コウちゃん。これで、最強コンビ復活だね」
美津紀は満面の笑みを浮かべると、片手を高く上げた。耕太は反射的にその手とハイタッチした。ハイタッチは小さい時の二人のお約束であった。
耕太はそのハイタッチで小学二年からさっきまでの、彼女との空白の六年を取り戻したような気分になり、笑いがこみ上げてきておかしくなって笑った。
翌日は朝から小雨が降り出して、うっとうしい天気になっていた。梅雨だからとはいえ、じめじめしたこの季節を喜ぶのはカエルぐらいなものだろう。もっとも、雨が降らなければ、降らないで、空梅雨で水不足と心配するのだが。
いくらうっとうしい天気でも朝がくれば一日が動き出す。友坂家もそれは変わりなかった。
昨日は久々に明るい美津紀を見ることができて、両親は涙をこらえるのに必死だったし、弟も昔の姉が返ってきたとはしゃいでいた。たが、今日も昨日のままである保障はない。両親と弟は変な緊張を朝の食卓に漂わせていた。
「お姉ちゃん、やっぱり、起きてこないね」
小学生の弟、勝昭が食卓に朝食だけが並んで空席となっている椅子を見ながら独り言のように呟いた。
「だれが起きてこないって? カツアキ」
「お、お姉ちゃん!」
食卓のある居間に姿をあらわした美津紀に家族全員が目を丸くした。別に変な格好をしているわけではない。普通に学校指定のセーラー服を着て、朝の支度を済ませた、ごく普通の、数週間前までの彼女の朝の姿であった。
「美津紀、あなた……」
母親は口に手を当てたまま目を見開いて涙を溜めた。父親も何かを我慢するかのように口をつぐんでいた。
「ごめんね。お母さん、お父さん、それに、カツアキ」
美津紀は何か吹っ切れたような笑顔を浮かべた。
「美津紀……」
「今日から、学校に行くから。あたし、一生懸命、生きていこうと思う」
「美津紀……」
「ほらほら、朝から湿っぽいのは天気だけで充分だぞ。早く食べないと、遅刻しちゃうわよ」
しんみりする食卓を明るくしようと、美津紀がはしゃぐような声で朝食を急かした。母親は耐え切れずに背を向けて肩を震わせていた。父親も何も言えずに朝食を口に運ぶ事しかできなかった。ただ一人、一番歳下の勝昭だけが、彼女に向かって笑顔を見せた。
「よかったね、お姉ちゃん」
その言葉で父親の目からは堰を切ったように涙があふれ、母親は堪えていた嗚咽を漏らした。勝昭も目に涙を浮かべている。もちろん、美津紀の目からも光るものが零れ落ちた。