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第2話 盗み聞きの代償

 美津紀が待合室に戻ると弟の勝昭はまだ漫画雑誌を読みふけっていた。診察前から読んでいるのにと思って、覗き込むと読んだことがあるはずの号を読んでいた。どうやら、前のを読んで続きが読みたくなったのだろう。熱心なことだと感心ししつつ、自分も何か暇つぶしの雑誌を探そうとマガジンラックを覗き込んだ。

「あんまり、読みたいのが無いなー」

 主婦層が読むような週刊誌や小さな子供が読むような絵本の他は、勝昭が読んでいる少年漫画しかなかった。

 美津紀は仕方なく、待合室のソファーに腰を下ろして、周囲を見渡した。美津紀にとって病院というのは来慣れていないだけに珍しさもあるが、それ以上に居心地の悪さを感じて仕方なかった。早く帰りたいが、両親が医師と話があるので待っていなければならない。

「あ、そうだ。由貴にメールしておかなきゃ」

 そう思って、自分の携帯を探してズボンのポケットをまさぐったが、見当たらなかった。

「そういえば、お母さんのバッグの中だった」

 美津紀は病院内では携帯の電源を切るという常識的なマナーを守り、もし追加で診察することになってもいいように、ポケットに入れずに母親のバッグの中に入れたことを思い出した。

「外で使うし、いいよね?」

 誰とはなしに独り言で確認すると、美津紀は両親のいるはずの診察室に戻った。しかし、診察室には両親も、医師の門松と伯父もおらず、看護師が忙しそうに診察に使う器具の準備をしていた。

「あの、すいません。門松先生はどちらに行かれました?」

 美津紀は自分の主治医の居場所を聞くのが一番の近道と頭をめぐらして、看護師に声を掛けた。

「あれ? 門松先生は廊下の突き当り、第三会議室に行きましたよ。カンファレンスすると言ってたから急いでいったほうがいいわよ」

 看護師は自分の手元から視線を外さず、主治医の居場所を美津紀に教えた。

「ありがとうございます」

 美津紀は看護師に一礼すると、廊下を迷惑にならないように急いだ。カンファレンスの意味がわからなかったが、急いだ方がよさそうなことはわかった。

 会議室には表札があったので、美津紀にもすぐに見つけられた。中から彼女の両親の声が聞こえるので、間違いようもない。その声がなにやら大きな声だったが、美津紀は迷わず、そっとドアを開いた。携帯を貰うだけだから、母親だけ呼び出せば事足りる。何か大事な話をしているのかもしれないから、邪魔してはいけないと彼女なりに気を使ったのであった。

 日ごろのメンテナンスがいいのか、ドアは音もなく開いて、美津紀は部屋の中に滑り込んだ。ついたてがあるので、ドアが開いて入ってきても彼女の姿は中の人には見えない。美津紀はそっと、母親だけ呼び出そうとついたてから顔を覗かせようとした。その時――

「冗談にもほどがありますよ、義兄さん」

 険悪な父親の声に美津紀の体が硬直した。

「こんな悪趣味な冗談がいえるか」

 なにやら、父親と伯父が言い争っている。二人の声の後ろには母親の嗚咽が聞こえて、美津紀の頭は少しパニックになった。

「兄さん。お願いだから、お願いだから嘘といって。間違いと言って」

 母親の狂いそうな声が聞こえて、美津紀の鼓動が早くなった。

(なんだろう? すごくイヤ)

 美津紀は心臓を押さえつけるように胸に手を当てた。やっと膨らみかけたやや遅い成長の胸が強く押されて痛んだが、そうしないと心臓が飛び出すかもしれないと痛みを無視した。

「残念ですが、友坂さん。検査の結果は変わりません。お嬢さんは珍しい血液の病気にかかっております。余命は長くて三ヶ月ほどかと思われます」

 先ほどの温かみのある初老の医師の声がまるで、かみそりのように冷たく部屋に響いた。

 母親はその宣告に再び大泣きした。

「治療法は? 治療法はあるんだろ? 今の医学は発達している。なあ、義兄さん」

「すまない」

「すまない? なんだよ、それ」

「この病気の治療は今の医学では不可能なんだ。症例自体が世界でも百例もないんだ。しかも、子供の症例は数例あるだけ。治癒例は無い。死亡率は……百パーセントだ」

「じょ、冗談じゃない! あの子はあんなに元気じゃないか! 死亡率百パーセント? 何かの間違いに決まってる」

「残念ですが、本当です。延命に有効と思われる薬はあるのですが、その薬は抗がん剤の一種で、国内で認可されていない副作用の強いものです」

「副作用が強くても、治るなら――」

 初老の医師の声が父親の声をさえぎった。

「治る事はありません。上手く効いても延命は一ヶ月程度なのです。効かないケースも多い。しかも――」

「投与した時に、へたすれば投薬のショックで死んでしまう。特に子供は! 何もできないんだよ」

 机を激しく叩く音が聞こえた。悲しいその音に美津紀は心が引き裂かれそうになった。

(なんなの? 一体、何の話?)

「そんな、あんまりよ。あの子はまだ、十四年しか生きてないのよ。それなのに、それなのに……美津紀が、美津紀があと三ヶ月の命なんて――」

 母親の慟哭が会議室を満たし、美津紀の胸に突き刺さった。

「うそ、でしょ?」

 美津紀は隠れていたはずなのに、いつの間にかついたてからふらふらと歩み出ていた。

「美津紀!」

 八つの目が驚きと絶望と困惑とに揺れながら彼女に注がれた。美津紀はそんな視線を全く感じずに、自分の視線もあやふやになりつつ、夢遊病者のように彼らの近づいた。

「うそ、よね? 三ヶ月なんて」

「美津紀……ちゃん」

「うそよね? さっき、異常なしって言ったじゃない」

「美津紀ちゃん」

「うそだよね? そんなことないわよね? だって、あたし、健康よ。ほら、どこも痛くない。どこも悪くない。ねえ、見て。見てよ。ちゃんと診てよ。どこも悪くないんだから!」

 最後はなんだかわからない叫びになっていた。しかし、四人の大人は誰も美津紀と目をあわそうとしなかった。それが答えであった。

 美津紀は膝が震えるのを感じた。立っているのが難しい。だが、このままここで崩れ落ちたら、さっき聞いたことを認めてしまう気がして、わけもわからず部屋の外へ飛び出した。

「美津紀!」

 彼女を後ろで呼ぶ声が聞こえるが、振り返らずに全力で駆けていった。

「あ、お姉ちゃん。お父さん、お母さん、遅いね。まだかかる――って、お姉ちゃん?」

 待合室で漫画を読み終わった弟の呼びかけを無視して病院の外へと飛び出していった。


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