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最終話 美津紀のバラ

 二日後の朝、どこか秋の空を思わせるような抜けるような青空が広がる一日の始まりだった。

 いつものように耕太は朝の支度をしていると電話が鳴った。

 一瞬、耕太は硬直したが、落ち着いて受話器を持ち上げた。

 電話は美津紀の母親からのものであった。内容は、今朝早く、美津紀が眠ったとのことであった。今まで耐えてきたものが我慢しなくてよくなった彼女の母親は悲しみと涙を隠さずに耕太にそのことを伝えた。

「コウちゃんは呼ばないでって、あの子が、美津紀がどうしてもって。ごめんね、耕太君。ごめんね」

 美津紀の母親は何度も耕太に謝った。耕太は美津紀が何故自分が呼ばなかったのかわかるような気がした。

「だって自分だって、そうなったらミツキちゃんを呼びたいとは思わないから」

 耕太は電話の向こうで泣きくれている美津紀の母親を優しく慰めた。

「あの子、今度、コウちゃんに会ったら、バイバイって言っちゃうからって……」

「ミツキちゃんらしいや。本当に」

 あとはほとんど美津紀の母親は泣き声だけだった。しばらくして、落ち着いたのか美津紀の母親は通夜の場所と時間、葬儀の時間を伝えて電話は切れた。

「美津紀ちゃん、か?」

 いつの間にか台所に降りてきていた正輝が耕太に訊いた。耕太は黙って頷いた。

「そうか」

 正輝は目を閉じてしばらく黙祷した。

「母さんには俺が言っといてやる。お前は行くところがあるんだろ?」

 正輝の言葉に耕太は頷くと、かばんを持って出かけていった。

 耕太はバラ園にいた。

 美津紀の見つけた蕾が満開の花を咲かせていた。ピンクがかった白いバラであった。そんなに大きくない中輪の花なのに、元気一杯で勢いは大輪の花に負けていない。耕太は剪定ばさみを持って、その花を摘み取ろうとした。

 しかし、それにはさみを当てて、あとは指を握るだけでいいのに、それができなかった。耕太はいつの間にか、そのバラの花の姿に美津紀の姿を重ねていた。

「いいよ、コウちゃん。無理しなくても。もう、ちゃんと貰ったから」

 そんな声が聞こえた気がして、耕太ははさみを花から離した。そして、ただそこに立ち尽くしていた。


 美津紀の葬儀には大勢の人が参列した。

 クラスメイトはもちろんのこと、彼女と友達という別のクラスの女子も大勢駆けつけた。もちろん、男子の数も多い。耕太と同じクラスの男子も何人か見かけた。

 葬儀の会場中をすすり泣く声が止むことはなく、友人代表で弔辞を読んだ女子たちは読みきる事ができず、泣き崩れてしまった。誰もが心痛な表情を浮かべていた。

 そして、輝くように笑った美津紀の遺影が更に涙を誘っていた。

 その写真は耕太がバラ園で撮ったものだった。家族の誰もが病気のことを知ってしまった後では美津紀の写真を撮ることが遺影を想像させ、シャッターを押せなかった。それ以前の写真でも耕太の写真ほど美津紀らしさが撮れているものはなかった。

 あまりにもしめやかな葬儀に、葬儀屋の社員も「若い人の葬儀は辛い」と会ったこともない美津紀の死を心から悼んでいた。

 しかし、そんな中、耕太はいつもと変わらぬ表情と態度であった。男子の中にも涙を流しているものもいる。それなのに、ともすれば冗談すら飛ばしている耕太に美津紀の親友という女子たちが詰め寄っていった。

「ちょっと、遠野君! あなた、美津紀と仲が良かったんでしょ? 幼なじみだったんでしょ!」

 少しヒステリックな声が葬儀を終えて散り始めている人のざわめきの間に聞こえた。

「うん、そうだよ」

「じゃあ、なんで泣いてあげないのよ! 美津紀はね、美津紀はあなたのバラ園を手伝うようになってから、あたしたちと会うたびに、コウちゃんが、コウちゃんがって、楽しそうにあなたの事を話してたのよ。仲良かったんでしょ? 好きだったんでしょ!」

 女子は平然としている耕太にますます腹を立てて怒鳴った。まるで耕太が美津紀を殺したかのように責めた。

「うん。好きだよ。今でも」

 耕太は微笑みを浮かべて答えた。

「なんで笑ってられるのよ! 信じられない!」

 美津紀の親友たちはまた泣き崩れた。しかし、耕太はただ微笑むだけしかできなかった。

 葬儀も終わり、人がほとんどいなくなった会場から帰ろうとした耕太を美津紀の母親が呼び止めた。そして、耕太が美津紀に貸していたノートを彼に返した。

「あの子、病院までそれを持っていって一生懸命読んでいたわ。元気になって手伝う時に困るからって、最期まで手放さなかったの。美津紀は、本当に耕太君と会えて幸せだったと思うの。ありがとう、耕太君」

 耕太は美津紀の母親の言葉に首を振った。

「僕の方こそ、ミツキちゃんに会えて幸せです」

「ありがとう、耕太君」

 美津紀の母親と父親、弟にまで頭を下げられ、困ったような微笑を浮かべて、葬儀の会場を後にした。

 耕太はまっすぐ帰るつもりだったが、なぜかバラ園へと足が向かった。このまま歩いていくとバラ園に行ってしまうことは気がついていたが、それを止めるつもりはなかった。

 耕太はバラ園に入ると、かすかに香るバラの匂いに迎えられ、その中をただなんとなく歩いた。

 夏休みの学校とはいえ、人は大勢いるし、周囲も住宅街で人通りも多い。普段はにぎやかなはずなのにその日の耕太には妙に静かに感じた。

「なんだか世界が止まってるみたいだ」

 耕太は美津紀のバラの前に来て立ち止まり、しゃがみこんでバラを見つめた。そして、作業日誌にバラのことを書き込もうとページをめくった。

 そして、今日書き込むつもりのページに封筒が貼り付けてあるのを見つけた。封筒の表書きには大きな元気のよい字で――

『コウちゃんへ』

 と書かれてあった。

 耕太は大きく一つ心臓が脈打ち、静かな世界を騒がせたが、すぐに元の静かな世界に戻り、機械的にその封筒を開けて中の便箋を取り出した。便箋は女の子が好んで使う少しファンシーなもので、丁寧に折りたたまれていた。

 宝物のようにそっと便箋を広げて読み始めた。


――コウちゃんへ

 この手紙を読んでいるということは、あたしは遠くへ行ってしまったということだね。

 ごめんね。あたし、本当は自分が病気で長くないこと、知っていたの。でも、そのことを話したら、コウちゃんが気を使って、昔みたいに仲良くしてくれない気がして怖かったの。だから、黙ってた。ごめんね。あたしって、身勝手だよね。自分の都合だけでコウちゃんをだまして。ごめんね。

 あたし、病気のことを知ったときはショックで、すごく辛くて悲しくて、暴れて、泣き叫んだの。

 「何で、あたしだけ」って。

 お父さんやお母さん、勝昭にも、ずいぶんひどいことをしたと思う。あたしって、バカだね。誰も悪くないのに。

 何日も泣いていたんだけど、急にあたし、怖くなったの。このまま、あたしは何もしないまま死んでしまうんじゃないかって。怖かった。本当に怖かった。でも、何をしたらいいかわからなかったの。

 そんな時、コウちゃんが楽しそうにあたしの家の前をスコップ持って通りがかったの。びっくりして、それで思わず声をかけたの。話を聞いて、あたしはこれだと思ったのよ。コウちゃんは神様がつかわしてくれた天使だと。ジャージ姿のやぼったい天使さんだったけど。

 バラの世話、楽しかった。

 コウちゃんとあんなふうに泥んこまみれになって遊んだのは何年ぶりかな? 泥んこ細工じゃなくて、バラの手入れだったけど、それでも楽しかった。虫を取るのも……あんまり、できれば、やらなくてすましたかったけど。楽しかった。神崎社長にほめられたのもうれしかった。おごってもらったジュースもおいしかった。

 コウちゃんとゆっくりいろんな話できたのも楽しかった。小学校の二年からほとんど話さなくなったよね。おたがい変に意識しちゃってさ。でも、最後にたくさん話せたから、よかった。本当によかった。

 いつだったか、あたしが気絶したふりをしたこと、憶えてるかな? うれしかった。あたし、不安だったの。あたしが死んでも誰も悲しまないんじゃないかって。バカと思われるかもしれないけど、死んだ後なんてわからないから、すごく不安だったの。でも、ふざけて気絶したあたしを泣きながら呼びかけてくれたり、そのあと、真剣に怒ってくれたり。うれしかった。あたしが死んでも、コウちゃんだけは絶対に悲しんでくれるってわかって。

 でも、すぐに、あたし、とんでもないことしたって反省したのよ。コウちゃんを試すなんて、コウちゃんが悲しんでくれることなんてわかっていたことなのに。

 あやまりにいった時、病気のこと、話そうかと思ったけど、やっぱりできなかった。怖くてできなかった。話したら、絶対さけられないことに、本当の本当になっちゃう気がして言えなかった。

 あの時、公園で話した夢の話。あれ、本当だよ。もし奇跡が起きて、病気が治ったら、あたし、ファッションデザイナーになるの。その時は応援してね。パリでファッションショー開く時はコウちゃんをファーストクラスで招待してあげるから。あ、でも、この手紙を読んでいるってことは、もう無理なんだね。あたしって、本当にバカだね。

 コウちゃんの夢、かなうといいね。コウちゃんならきっと、みんなを幸せにするきれいな花を咲かせられるよ。だって、コウちゃんだもん。あたしも応援しているから。もう、あんまり、役に立てないけど、ずっと応援してるから。

 バラ、キレイに咲いたかな? 見れたら、書き直すつもりだけど、これをコウちゃんが読んでいるってことは、あたし、見れなかったんだね。残念だな。でも、つぼみが一杯ついてたし、きっと一杯きれいに咲いているよね?

 あやまって、ばっかりだったけど、最後に ありがとう コウちゃん

                          ――コウちゃんの相棒の 美津紀より


 耕太は読み終わると、何かを堪えながら立ち上がった。手紙を優しく、力強く持って。

「たくさん、咲いたよ。毎日、一生懸命、世話したもんね。お水あげたり、草むしったり、悪い虫を追い払ったり……。ねえ、何か言ってよ! ずるいよ! 僕を一人置いていくなんて……。僕もだよ。いっぱい謝りたいことあったよ。でも、一番言いたかったこというよ。ありがとう、ミツキちゃん! 大好きだよ、ミツキちゃん!」

 耕太は心の底から叫んだ。空を見上げて叫んだ。空の向こうの天国に届くように。


           ― 了 ―


 最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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