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第14話 二人のバラ園

 耕太はいつものように朝の支度を終えて、朝食をとっていた。朝食をとりながらも電話が気になって、何度か箸を止めては電話を見つめ、ため息をついては朝食を再開するということを繰り返していた。

 それというのも一昨日から美津紀はバラ園の世話を休んでいた。理由は前回と同じ夏風邪であった。今度は長引きそうだから行けるようになったら電話をすると美津紀の母親から言われたのであった。

 もちろん、夏風邪が嘘ということは知っている。しかし、長引きそうというのは真実だろうと思った。

 休む前の美津紀は明らかに体調が悪そうであった。少しの作業でもすぐに息があがって辛そうで、肩で息をしていることはしょっちゅうであった。顔色も悪く、夏の色彩豊かな太陽の下で見ると寒気すら憶えるようであった。

 耕太はふと「長引かなかったら?」という考えが頭をよぎり、懸命に頭を振ってその考えを追い払った。

「そんなこと、あるはずがない。バラだってあと三日もすれば咲くんだ。それまでに元気になってやってくるに決まってる」

 耕太は誰にでもなく、自分に強く言い聞かせるように大きな声で独り言を言った。むしろ叫びに近かった。

 しかし、心の底で渦巻く不安はぬぐいきれず、その「あと三日」を長く長く感じさせた。そして、押し寄せる不安が耕太の心にさざなみを浮かべ苛立ちを募らせていった。

 どこにもはけ口のない怒りを奥歯にぶつけ、強くかみ締めた。電話の音が鳴ったのはちょうどそんな時だった。

 耕太は今までで一番素早く受話器を持ち上げた。

「もしもし、遠野ですけど!」

「……あー、びっくりした。いきなり出るんだもん。――コウちゃん?」

 電話機の向こうでは驚きつつ苦笑を浮かべている美津紀が耕太の脳裏にありありと浮かんだ。

「うん。ミツキちゃん。おはよう」

「おはよう」

 そう言ったままお互いに黙り込んでしまった。言いたいことはお互い色々あるが、何一つ言えない。そんな沈黙であった。

「……あのね、コウちゃん。コウちゃんにわがまま言ってもいい?」

 美津紀は何か探るように耕太に問いかけてきた。

「なんだよ急に改まって。いつもわがままは言ってるじゃない。そんなふうに前振りされたら構えちゃうよ」

 耕太は冗談っぽくそう応じた。いつもそうするように。

「あははは。そうだね。あたし、いつも、コウちゃんにわがまま言ってたよね」

「それで、ミツキ姫。今日はどのような『僕の楽しみ』でもある姫のわがままを聞かせていただけるのですか?」

「もう、コウちゃんたら……」

 美津紀はさっきの少し寂しそうな笑いではなく、微笑を浮かべるよう呟いた。

「あのね。あたし、バラ園が見たいの」

「うん。わかった。それじゃあ、迎えに行くよ。待ってて」

 耕太は頷いて、電話を切った。

 美津紀の家の前に耕太が着くと美津紀は以前撮影した時に着ていたワンピース姿で玄関前に立っていた。

「またコウちゃんの特訓に付き合えるね。賭けに勝たなくちゃ、借金地獄だもんね」

「うん。ミツキちゃんが協力してくれて、ありがたいよ。絶対に賭けに勝つからね」

 耕太は美津紀を自転車の後ろに乗せると、ゆっくり慎重に走らせた。夏の早朝、風を切って走る自転車は静かに風景に溶け込んでいた。二人の間に会話がなかったが、落ちないようにしっかりとつかまったお互いの体から伝わる鼓動をお互いに感じていた。それだけで充分であった。


「もう、こんなに膨らんでいるんだね」

 バラ園についた美津紀は自分が最初に見つけた蕾を見た。もう花弁がこぼれて緩やかに開きかけている。

「あと三日もすれば開花すると思うよ」

「三日か……」

 美津紀はじっと蕾を見つめながら呟いた。

「もっと早く咲けばいいのにね」

 耕太は少しじれたような声で呟きに応えた。

「焦っちゃ、だめ。そう教えてくれたのは、誰だっけ?」

 美津紀はゆっくりと立ち上がりながら意地悪そうに笑顔を見せた。

「そいつは僕に似た誰かだよ」

 耕太は膨れてそっぽを向いた。

「じゃあ、あたしの知っているコウちゃんはそっちのコウちゃんね」

「ふーんだ」

 耕太はわざとむくれた。美津紀はその様子に満足して微笑むと踊るような足取りでバラ園を散策した。あっちこっちの植え込みを覗き、他の蕾も見て回った。耕太はその様子を黙って眺めていた。まるで白い蝶が飛び回っているようだった。

「ねえ、コウちゃん。やっぱり、あたし、ここが好き」

 あらかた見て回ると美津紀は耕太の方を振り返ってとびっきりの笑顔を見せた。

「どうしたの急に?」

「一番好きな場所ってどこかなって思ったら、ここが浮かんだの。だから確認しにきたの」

「そりゃあそうだよ。ここはミツキちゃんが手塩にかけた場所なんだもの」

「コウちゃんもね」

 美津紀は嬉しそうにはにかんだ。

「うん。僕たち、最強のコンビが手塩にかけたバラ園だもの。一番の場所になるのも当然だよ」

「そうね。そうよね」

 美津紀は大きく頷いた。

「これからもよろしく、ミツキちゃん」

「こちらこそよろしく、コウちゃん」

 二人はお互いに握手した。

 耕太は再び美津紀を自転車に乗せて、ゆっくりと走らせた。美津紀の家の前には心配そうに彼女の両親が待っていた。

「ごめんなさい。お父さん、お母さん」

「いいのよ、美津紀」

 美津紀は父親に抱きとめられるようにして自転車を降りた。そして、父親から身体を離して、一人で立って、耕太に向き直った。

「バイバイ、コウちゃん」

「またね、ミツキちゃん」

 耕太はいつになく真剣な顔で『またね』と強く言って、しばらく黙っていたかと思うと、かばんからバラ園の作業日誌を取り出した。

「一昨日と昨日、作業の状況を知らないと手伝う時、困るだろ? 今度、会ったとき返してくれたらいいから」

 美津紀に無理やり手渡した。

「……うん。ありがとう、コウちゃん」

 美津紀はゆっくり頷いた。そして、顔を上げた顔はどこか晴れやかだった。耕太は自転車にまたがって学校へと向かって走り出した。

「またね、コウちゃん!」

 耕太の後ろから美津紀の元気のいい声が聞こえた。

「またね、ミツキちゃん!」

 耕太は身体をひねって手を振って元気のいい声で別れの挨拶をした。


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