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第12話 希望の蕾

 最初に蕾を見つけたのは美津紀であった。

 見つけた途端、「コウちゃん」を連呼しながら作業をしていた耕太を強引に理由も話さずにその蕾のところまで引っ張っていった。

「ねえ、ねえ、ねえ! これ、蕾じゃない?」

 耕太は美津紀が指差した先を見た。「まさか」と思ったが、確かに蕾であった。しかし、その蕾のあるバラの木は発育もよく、元気もあったのに二番花を咲かせなかった。条件が何か悪かったのかと、耕太を残念がらせていた木であった。

「返り咲き……か?」

「返り咲き?」

 美津紀はオウム返しに首を傾げた。

「一定の間隔で花を咲かせる四季咲きと違って、返り咲きは気紛れに花をつけるんだよ。育成条件で変化するから不規則で予想できないんだ。でも、この品種は四季咲きだけど、そういうのじゃないのに……」

 耕太は首を傾げた。咲かないと咲かないで頭を悩まし、咲いたら咲いたで頭をひねらす。随分と人を振り回すバラの木だと園芸の奥深さを感じてた。

「いいじゃない。そういうこともあるわよ。きっと、これも神様のくれたごほうびよ」

 美津紀はうきうきとした声でそういうと中断していた作業を再開した。

「この種類は確か、花が開くまで二週間ぐらいだったはず。花は中輪の淡いピンクだったな。香りのきつくない、明るくてかわいいバラ……」

 耕太は頭の中の図鑑を広げて、花の映像を思い出していた。ふと、その花が先日の美津紀の写真と重なった。

 なんとも言えない気持ちが湧き上がって耕太は泣きそうな気分になった。だが、ここで泣くわけにはいかない。いざとなったら目に土が入ったと言って言い訳しようかと考えていると、冷たいものが頭にかかった。

「うわっ! なんだ? 水? 雨か?」

 豪快にぶっかけられた水に雨を疑って空を見上げたが、上空は水色の空が広がっていた。水色の水が落ちてきたわけではない。こんなに豪快なキツネの嫁入りも聞いたこともない。あと、考えられるのは――

「ミツキちゃん!」

 耕太は立ち上がって振り向いた。そこには引きつった笑顔の美津紀がホースの先から水を滴らせて立っていた。

「ごめーん。だって、そんなところでボーっとしているとは思わなかったんだもん」

 最後の方は堪えきれずに美津紀は笑い出していた。

「このっ!」

 耕太は水を張ったバケツを掴むと水撒きの要領で手で水をすくって美津紀に向かって水をかけた。

「きゃっ! 濡れちゃうじゃない! コウちゃん」

「人をびしょ濡れにしておいて! 不公平だ」

 美津紀はきゃあきゃあ言いながら楽しそうに逃げ回った。耕太もそれを楽しそうに追いまわした。少しこぼれた涙も美津紀の水で洗い流された。永遠に続く夏の一幕のように時間を忘れて二人はじゃれあった。

「ちょこまかと、こしゃくな!」

「へへーん、そう簡単に濡れませんよーだ。下手くそ~」

「このー。言ったな。えいっ!」

 耕太はバケツに半分ほどになった水を一気に撒き散らした。美津紀は完全に避けきれず、ほんの少しだったが水をかぶった。

「きゃっ!」

 悲鳴を上げるとともに美津紀はその場に倒れた。耕太は「やった!」と声を上げようとしたが、倒れた美津紀を見て血の気が滝のように引いた。

 いつも通りにしすぎて、彼女が病気であったことをすっかり忘れていた。

 耕太はバケツを放り投げて美津紀の側に駆け寄り、倒れた彼女を抱き起こした。彼女はまるで死んだように重たく、全体重が抱えた彼の腕にのしかかった。ぐったりとした彼女に彼の血の気はさらに温度を下げて、真夏だが凍りつかんばかりになった。

「ミツキちゃん! ミツキちゃん! ミツキ!」

 激しく揺り動かしたが反応はない。耕太はどうすればいいかパニックになり、目に涙があふれた。

「ミツキちゃん! ミツキちゃん! こんなの嫌だ。こんなの嫌だよ!」

 彼は泣いた事で少し冷静さを取り戻した。

「そうだ、救急車! 携帯を!」

 携帯電話を取るために彼女のもとを離れようとしたが、その手を誰かにつかまれた。

 耕太はつかまれた腕にはっとして振り返ると、地面に寝かせられた美津紀が半身を起こして彼の手を握っていた。

「うそだぴょーん」

 悪戯っぽく美津紀が笑っていた。そして、それでいて寂しそうで嬉しそうだった。

「うそ……」

 耕太はその場に文字通りへたりこんだ。それは、まるで張り詰めていた緊張の糸が切れたマリオネットのようだった。

「もう、コウちゃんたら本気で泣くんだもの。びっくりしちゃうじゃない」

 美津紀は完全に起き上がると、自分の顔に落ちた耕太の涙をいとおしそうに拭って、その指を胸の前に抱きしめた。

「うそ……」

「そう。迫真の演技だったでしょう? アカデミーものよ」

 美津紀は得意げに胸を張った。耕太は顔を伏せてゆっくりと立ち上がった。

「冗談でも……冗談でもしていい冗談と悪い冗談があるんだ! こんな冗談、冗談じゃない! もう二度とするな! したら絶交だ! ほんとに本気で絶交だからな!」

 耕太は普段、絶対に発する事のないぐらい大きな、厳しい声で美津紀を怒鳴った。その迫力は耕太をよく知っている人間なら信じられないぐらい本気で怒っているものであった。

「ご……ごめんなさい……」

 美津紀は迫力におされて、神妙な顔で謝った。耕太はそれに黙って頷き、作業を再開した。その日はそれからお互いに一言も会話もせずに重苦しい空気のまま作業を終了した。


 夕方に降った天の恵みでその日の夕方の水やりは中止になった。

 その雨も日が沈む前にあがって、雨に空気中のゴミが洗い落とされ夕焼けがやけに澄んでいた。藍色の空の上に雲が茜色に染め上げられ、どこか非現実的な風景を作っている。その風景にアクセントをつけようと茜色の空には金星がさんさんと輝いて、藍色の空には昇りかけの満月が顔を覗かせていた。

 雨のおかげで気温が少し下がり、過ごしやすい夕刻、しかも、水やりの手間が省けて楽ができたと嬉しいはずだった。だが、耕太は今日ばかりは間の悪い雨だと恨めしく思った。

「はぁ~」

 耕太は何度となくため息をついた。夕方の水やりが中止というのは頼み込んで、兄の正輝に電話をしてもらった。兄の話では向こうも電話に出たのは母親だったらしいが、自分でかけるべきだったと反省していた。

「うっとうしい奴だな」

 延々とため息をつき続ける耕太の頭を正輝は読んでいた雑誌を丸めて木魚を叩くように叩いた。

「だって、今日は最悪の一日だったんだよ。一期一会とは程遠い」

 叩かれても反撃せずに耕太はされるがままになっていた。

「なんでも完璧にできるんなら人間やめて神様にでも転職しろ」

「できないから人間やってるんだよ。兄ちゃんじゃあるまいし」

「じゃあ、完璧にできないのは諦めろ」

「兄ちゃん、それは向上心がなさすぎると思うんだけど」

「完璧を目指すのと、完璧なのは、越えられない壁があるんだよ。過去の失敗を反省して完璧を目指すことはよいことだけど、過去の失敗にとらわれて完璧でなかったものを後悔するのは最悪ってことだ」

 正輝はコードレス電話の子機を耕太に差し出した。

「それはわかってるけどさー」

 耕太は正輝の正論と子機に背を向けた。

「勝手にしろ」

 これ以上は面倒見きれないと正輝は耕太の部屋を出て行った。耕太は最大のきっかけを逃してしまったと後悔したが、もうそれは後の祭りであった。

「はぁ~」

 その日、何度目かわからないため息をついた。

 落ち込みつつも胃袋は別の人格が支配しているのか夕食を綺麗に平らげ、なんとか美津紀と仲直りする方法を考えようとした時、玄関のチャイムが鳴った。

 母親が対応に出て、そのまま玄関の方で盛り上がっていた。耕太はどうせ近所のおばさんが何かを持ってきたついでに話が盛り上がったのだろうと、気にも留めずに自分の部屋へと戻ろうとした。

「耕太! 耕太! お客さんよ。美津紀ちゃんが来てくれたわよ」

 階段をあがりかけるその時に声をかけられ、思わず落ちそうになりながらもなんとか堪えて踏ん張った。そして、そのまま玄関に急行した。

「ミツキちゃん?!」

「あ、あ、あの、こんばんは、コウちゃん……」

 美津紀はいきなりダッシュで登場した耕太に驚いて、しかもかなり緊張しながら挨拶した。

「あ、うん。こんばんは、ミツキちゃん」

 挨拶をかわして微妙な沈黙になった二人を変に勘違いした耕太の母親は「邪魔者は馬に蹴られてしまう」といいながら奥へと引っ込んでいった。

「……あの、今日は、ごめんなさい。あたし、どうかしてたんだと思う」

 長い沈黙の後、美津紀はなんとかその言葉を口にした。まるで、捨てられた子供のようなその不安さを漂わせる声に耕太の胸は締め付けられた。

「あ、いや、いいよ。わかってくれたんなら」

「ありがとう、コウちゃん」

 美津紀は少し目を潤ませながら笑ってお礼を言った。その笑顔に耕太も自然と微笑んだ。そして、再び沈黙が流れた。今度の沈黙はさっきのものとは違う、心地のよい沈黙だった。

「あの、これ、あたしが焼いたの。あんまり上手くできなかったけど、でも味は保障つきよ」

 美津紀は手に持っていたナプキンをリボンでくくってラッピングした小さな袋状のものを耕太に手渡した。ナプキン越しの感触からクッキーか何かとわかった。

「ありがとう、ミツキちゃん」

「うん、それじゃあ、あたしはこれで。夜遅くにごめんなさい。おやすみなさい」

 美津紀はほっとした表情で頭を下げると玄関のドアに手をかけて帰ろうとした。

「美津紀ちゃん、久しぶり。しばらく見ないうちに美人になったね」

 帰るタイミングを見計らっていたかのように正輝が玄関に現れた。

「あ、正輝おにい――正輝さん。ご無沙汰してます」

 美津紀は帰るのを中断して頭を下げた。ちょっと頬が赤くなっていたのをみて、耕太は少し膨れた。

(なんで、兄ちゃんが出てくるんだよ)

「昔みたいに呼んでくれたらいいのに。他人行儀だよ。まあ、それはそうと、夜道を女の子一人で歩いて帰らせるなんてことはしないよな? 耕太君」

 正輝は耕太の手にもっている包みをひょいと取り上げると軽く背中を押した。

「あ、当たり前だろ!」

 耕太は迂闊にもそのことを忘れていたが、当然そのつもりだと胸を張って返事した。

「じゃあ、しっかりやりたまえ、ナイト君。くれぐれも月夜の晩といっても送りオオカミに変身しないように」

「なるか、バカ兄ちゃん!」

 怒鳴りながらも耕太は靴をはいて、夜道のボディーガードの準備を完了していた。

「じゃあ、行こう、ミツキちゃん。このままここにいたら、兄ちゃんに襲われるから」

「そうだぞー。襲っちゃうぞー」

 ふざけた正輝に美津紀は声を立てて笑い、再び一礼して、今度こそ本当に玄関から外に出た。


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