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第11話 二つの笑顔

 バラ園を二日ぶりに見た美津紀はその様子に目を丸くした。そして、次の瞬間、うなだれた。

「どうかしたの、ミツキちゃん?」

 耕太は落ち込む美津紀に気分が悪くなったのかと心配になり、その顔を覗き込んだ。

「コウちゃん、やっぱり、あたし、邪魔かな?」

 美津紀は悔しそうに呟いた。

「そんなことないよ。とっても助かってるよ。ミツキちゃんがいなかったら、ここまでできなかったよ」

「だけど、あたしがいない時の方が予定より進んでるじゃない。それって、今まではあたしが邪魔してるせいでしょ」

 美津紀は耕太を睨みつけた。耕太はその言葉に何を落ち込んでいるのか納得して、困ったように頭をかいた。

「そんな事あるはずがないじゃないか。一昨日は半分ぐらいしか進まなかったんだよ」

「うそよ。それが本当なら、昨日は二日半分は進んだってことじゃない。どっちにしても、進んだ事には変わりないわよ」

「違うよ。実を言うと昨日は兄ちゃんが手伝ってくれたんだ」

「正輝お兄ちゃんが?」

 美津紀は意外な顔をした。よほどイメージからかけ離れていたのでだろう。「嘘」と否定するよりも顔全体で信じられないという文字を浮かび上がらせていた。

「ひまだったんだって。滅多にやらないのに僕より手際がいいんだから嫌になるよ」

 耕太は、嘘は言っていないと自分に言い聞かせ、笑ったつもりだったが、苦笑になった。その苦笑が真実味となったのだろう。美津紀はしばらく考えるように無表情になってから微笑んだ。

「まあ、正輝お兄ちゃんだからね」

「仕方ないよね」

 誤解が解けたところで耕太は作業を始めた。病み上がりということで理由をつけてなかなか作業をさせない耕太に「もう大丈夫だって言ってるでしょう!」と美津紀が何度も怒って文句を言うことが繰り返されたが、最後には耕太の方が加減を覚えて、美津紀の怒鳴り声が少なくなった。

「さて、こんなものかな?」

 耕太は真上に差し掛かった太陽を感じて、作業の終了を宣言した。作業時間は長かったものの、のんびりとやったのでいつもと同じ程度の進捗具合であった。

 美津紀はさすがに二日のブランクで身体が鈍っていたのか、少し辛そうにしていたが、決して弱音は吐かなかった。

 耕太は美津紀の顔を見て噴出した。それに少しムッとして彼を睨みつけた。

「なによ、失礼ね。身体が少し鈍っていただけよ」

「ちがうよ。片付けはやっておくから顔洗ってきたら? 泥だらけだよ」

 耕太はそう言って、わざと自分の顔の汗を土のついた軍手で軽く拭って、顔に泥をつけて見せた。美津紀は弱音を吐かなかったが、汗はいつも以上に吹き出て、それを無意識に土のついた軍手で拭っていたのだ。結果、彼女の顔はそのまま密林ゲリラの迷彩で使用できる模様をつけていた。

 それに気がついた美津紀は見る見る顔を赤くした。

「行ってくる」

 恥ずかしさで短くそう言うと、タオルを引っつかんで洗面所に向かった。顔を洗うだけなら園芸用の水道で充分だが、顔についた泥が完全に落ちたか確認するための鏡がここにはない。

「でも、途中で人と会ったら、その方が恥ずかしいんじゃないかな? ここで泥を落として、洗面所に確認に行けばいいのに」

 耕太はくすくすと笑いながら走っていく美津紀の後姿を見送った。

 笑っていた耕太はふと、自分が自然に笑えて、いつも通りに美津紀と話している自分に気がついて驚いた。あんなに悩み苦しんだのに、こうして普通にできるのは不思議だった。

 全て納得したわけでもないし、完全に吹っ切ったわけでもない。なのに、なぜ? その理由は頭ではわからなかったが、耕太はなんとなく身体でわかった。

 言葉にする事はできない、目にも見えない――

「絆ってやつなのかな?」

 耕太は美津紀が戻ってくるまでに片づけしないとと思い出して、道具を集めて洗い出した。


「コウちゃん、何してるの?」

 顔を洗って戻ってきた美津紀はカメラを構えて、バラ園を撮影している耕太に声をかけた。

「作業日誌に写真を貼っておこうと思って。時々、兄ちゃんに借りて撮ってたんだ」

 日々の作業は地味なだけに変化はやはり乏しい。しかし、まとまればそれなりに変化する。変化した事を見れば、やはり気合が入るのが人情というものである。

「へぇ~」

 そう言いつつ、美津紀は何か考え事をしながらバラ園を撮っている耕太を見つめていた。

「そのカメラ、レンタル料とか取られてるの?」

「まさか! 兄ちゃんもそこまで鬼じゃないよ。空いている時は使っていいって言われたんだ」

 耕太は美津紀の質問に「兄ちゃんならそれもありえるよな」と思いながらも首を横に振った。

「ふーん。それじゃあ、さあ。明日も持ってこられる?」

「うん。たぶん、大丈夫だと思うよ。何かあるの?」

「じゃあ、お願いね。――そうだ。明日は学校に持ってくる荷物があるから、お母さんの車で送ってもらおうと思ってるの。だから、特訓、付き合えないけど、いいかな?」

 美津紀はかわいくお願いのポーズをした。耕太はそのかわいさに顔を赤くして、曖昧に返事をするのが精一杯であった。美津紀はそんな耕太を尻目に鼻歌を歌いながら、道具の片付け忘れがないかをチェックしはじめていた。


 次の日の朝、耕太は兄の正輝にカメラを貸してもらい学校へと向かった。

「でも、なんだって、フルセットで持っていけなんて」

 カメラ本体以外に重たい望遠を含む交換レンズ三本、本格的な三脚、簡易携帯用レフ板、ストロボまでつけている。

「これじゃあ、カメラマンの助手だよ」

 耕太は重いカメラバッグが肩に食い込むのを感じて、ため息をついた。文句を言う耕太に兄は「女心というもんだ。後悔しないように黙ってもっていけ」と家を出るまで監視して持っていかせたのであった。

 バラ園では、既に美津紀は到着しており、その横にはどこか海外にでも旅立つつもりかと言いたくなるような大きな旅行カバンが置かれていた。

「おはよう、コウちゃん」

 美津紀が耕太を見つけて、明るく朝の挨拶をすると、カメラの重装備を目に留めて、にんまりと笑った。

「こ、これは――」

「さすが、コウちゃん。わかってるぅ。やっぱり、あたしたちは最強コンビだね」

 美津紀は言い訳しようとした耕太に上機嫌でオッケーサインを出した。そのサインの理由が理解できず、耕太は目を白黒させていたが、美津紀は感心したように頷いていた。

「いったい、なんなんだ?」

 耕太は心の中で呟いて、必死に理由を探った。ここで美津紀に理由を聞けば、逆鱗に触れるのは間違いない。感心しているだけにその落差による怒りはいつも以上だろう。

 ヒントは、美津紀の旅行カバン、自分のカメラの重装備。旅行に行くわけではない。ここで何かする……。

 耕太は必死に考えたが、焦っているせいか考えがまとまらない。

「コウちゃん、今日の作業は水遣りと病気にかかっていないかのチェックだけだったよね?」

「う、うん。そのつもりだけど」

「じゃあ、それが終わってからお願いね」

 美津紀はそう言って、スキップでもしかねない勢いで水をやるためのホースを準備にかかった。

「まずい! 非常にマズイ!」

 タイムリミットは作業終了まで。しかも、そんなに時間はかからない。病気のチェックを入念にして時間を稼げなくもないが、それでは美津紀の機嫌は悪くなるだけである。

 耕太は八方塞で美津紀に正直に訊こうかと腹をくくって、カメラバッグを日陰の水のかからない場所に置いた。時間稼ぎのささやかな抵抗として、カメラバッグの中身を確認するふりをしてバッグを開けた。

 最終ヒント『誰でも簡単 プロのように撮れるポートレート写真丸秘テクニック集――これであなたもポートレート名人』。

 べたなタイトルの写真雑誌の付録小冊子が開けたバッグの一番上に入っていた。

「あっ。わかった!」

 それを見た耕太は思わず、大きな声を出してしまった。

「な、なに? コウちゃん?」

 耕太の声にびっくりした美津紀が驚いて駆け寄ろうとしていた。

「な、なんでもないよ。宿題の問題の解き方を思いついただけだよ。うん、それだけ」

 耕太は慌てて、小冊子を隠して首を横に振った。美津紀はそれでも怪訝な表情を浮かべてこちらを見つめている。

「さあ、早く作業しよう。バラも水を待ってるし、あんまり日が高いといい写真が撮りにくいよ、ミツキちゃん」

「そうね」

 美津紀は納得して、水やりに戻っていった。耕太はそれを見ながらそっと小冊子をバッグに戻して、チャックを閉めた。

「あぶなかった。兄ちゃん、感謝」

 耕太は素直に兄に感謝して、美津紀と一緒に水やりを始めた。

 予定通り作業が終わると美津紀は着替えるためにカバンを持って運動部の部室へと向かっていった。前もって水泳部のシャワーを使わせてもらう約束をしていたのだろう。着替えにはしばらく時間がかかると美津紀はすまなさそうに耕太に謝った。

 しかし、その時間は耕太には天の恵みであった。その間に小冊子を急いで読み込んだ。知っていることもあったし、知らないこともある。できることもあるし、機材や条件でできない事もある。しかし、ポートレートを撮る知識は最低限、知ることができた。

 一通り目を通しておけば、撮影中わからなくなってもまた見ればいい。さっきは思わず隠したが、別に隠す必要はなかったのである。逆にプロではないのだから、そういう本を持ってきていることはおかしな事ではなかった。

 耕太はカメラのセットを済ませるとぼんやりとバラ園を眺めた。

 青々とした葉が生い茂り、元気がよさそうなバラたちである。秋に備えての剪定をして高さが低くなっているが、それだけに力がみなぎっているようにも見える。三番花をつけるかもしれないというバラの木も生育は順調である。

「なんとか間にあって欲しい」

 耕太は真剣に思った。たとえ秋のバラが全滅してもいい、三番花だけは間に合って欲しい。園芸の神様に心から祈った。

「おまたせ、コウちゃん」

 祈りを捧げているちょうどその時、耕太は誰かに声をかけられた。耕太はその声のする方を見て、息を飲んだ。

 淡いピンクのノースリーブのワンピースに、お嬢様のようなツバの広い帽子をかぶった美津紀が立っていた。少し照れたような微笑みを浮かべたその姿は耕太には女神のように見えた。

「どこか変かな?」

 美津紀はスカートの裾を翻しながら不安そうに前後を確認した。その姿に耕太は悩殺された。

「いや、とっても……とっても綺麗だよ、ミツキちゃん」

 耕太は顔を真っ赤にしながら、照れくさかったが正直に感想を口にした。

 それを聞いて、美津紀の方も顔を真っ赤にして俯いた。

「あ、ありがとう、コウちゃん」

 撮影はギクシャクしながらも始まった。しかし、シャッターを切るたびに緊張が解けはじめた。耕太も冗談を飛ばすようになり、美津紀も心から笑っていた。スカートの裾がバラの刺に引っ掛かったりするなどのハプニングもありながら、撮影は順調に進んだ。

「もうすぐバッテリーが切れちゃうよ」

 バッテリー残量の警報表示が点灯し、耕太があと数枚しか撮れないことを美津紀に伝えた。

「せっかく乗ってきたのに」

 美津紀は残念そうに呟くと気を取り直して、最後の数枚に気分を切り替えた。

 バラ園の中でもお気に入りの場所、三番花が咲く可能性のあるバラの前に美津紀が立つと、夏にしては爽やかな風が一陣吹き抜けた。風で帽子が飛ばないように押さえつつ、気持ちのよい風に穏やかな微笑を浮かべた。それは何か儚げで、どこかに消えてしまいそうな、そんな表情にぞくりとして、耕太は美津紀が消えてしまわないように思わずシャッターを切った。

「もう、コウちゃん! 変なところ撮らないでよ」

 美津紀は突然シャッターを切られて文句を言った。

「ごめん。すごくいい表情してたから、つい……」

「もうっ、上手いんだから。いつのまにそんなお世辞いえるようになったのよ。本物のカメラマンみたいよ」

 美津紀は耕太に向かってはじけるような満面の笑みを浮かべた。耕太は「これこそが、ミツキちゃんだ」とシャッターを切った。そして、そこでバッテリーが切れたことを知らせるアラームが鳴った。

「最後の二枚だったのに、変な表情ばっかり撮って」

 美津紀は最後に二枚がいたくご不満と文句を言ったが、耕太の心の中では最後に二枚がベストショットであった。

「だけど、ラストのほうが好きだな」

 甲乙捨てがたい仕上がりになると予想しながら心のフイルムを現像して耕太はポツリと呟いた。

「何か言った?」

「なんでもないよ。さあ、帰ろう。ミツキちゃんはお母さんに電話しないといけないんじゃないの?」

 耕太は誤魔化すと、美津紀も深く追求せずに携帯電話を取り出して迎えにきてくれるように電話を入れた。


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