湾のヌシとの出会い
「釣った魚一匹もろてええか」
釣りあげた魚をどうするか、まったく考えていなかったわたしは魚は好きにしてくれと答えた。
「助かるわ」と彼は答えた。
そして、彼はもっとも太く長い釣り竿を手にとった。
釣りあげた魚を彼は左手でしっかりとつかんだ。
彼の手をよくみると、白く細い傷跡が幾本もあり、傷跡は白いイトミミズのようにもりあがっている。
傷跡のたくさんのこる不器用にも見える手は、サルが木をのぼるように、するすると魚に針などのしかけを素早くとりつけた。
そして彼は、いちばん太く長い釣り竿を剣豪のようにふりあげ、そして大リーガーが長い腕をふり白い球を投げるように、針をつけた魚をやさしく100メートル以上前方の海へと投げいれた。
「この湾には、ヌシがいるんや」
「そのヌシは肉食だといわれとる、ヌシを釣りあげるためのしかけや」
「ヌシとかうさんくさいと思っとるやろ、あそこをよくよく見てみ」
彼の指さすほうを見ると、海面に黒い影がうかんでいる。
流木かとおもったが、海流に翻弄されておらず、じぶんの力で泳いでいるように見えた。
いそがずに、しずかに、黒い影は泳いでいる。
「釣りをはじめてから5年。ずっとヌシをねらっているけども」
彼はまぶしそうに眼をほそめた。
ヌシについての話をまとめると、日中は漁船の影にかくれるようにひそみ、朝方や夕方になると泳ぎだす。
冬のあいだは姿を見せず、どこかで子孫をのこしているのか、餌場をかえていると思われている。
最後に、いままで誰もヌシを釣りあげたものはいない。
ブイに生餌をくくりつけ1日中流しても釣れず、だれかが投げ縄を用意した瞬間にヌシは海の底へともぐりこんだ、などなど伝説じみた逸話を彼は教えてくれた。
太陽がしずむまで釣りをつづけたが、ヌシが釣れることはなかった。
わたしは、20匹ほどの魚を釣りあげた。
彼は20匹ほどの魚を出刃包丁でさばいてくれた。魚屋のように、器用に、てぎわよく。
そして祖父の家まで彼はついてきてくれた。
わたしがはじめて釣りあげた魚は、祖父をたいそう喜ばせた。
祖父が笑いながら青魚の刺身をたべ、泣きながら日本酒を飲んでいる姿をいまも覚えている。
父と母も「おいしい、おいしい、」「新鮮ね、身がしまっているわ」とわたしの釣った魚をほめてくれた。
わたしは、魚を釣りあげた感覚はおぼえている。
けれども、その日に食べた魚の味はおぼえていない。
それから彼とは祖父の家をおとずれるたびに、いっしょに竿をならべた。
2年がたった。ヌシは釣れなかった。
3年目、彼は死んだ。ヌシを釣りあげることなく。




