09 新たなる出会い
師匠に『恋愛薬』を盛ってから一週間が経過した。
いつもより少しだけ違う朝が訪れる。
窓の外からピチチッと鳥の声が聞こえて、私は目を覚ます。
暖かい布団から抜け出し、あくびをしながら洗面桶に水を張った。
パシャパシャと顔を洗い終わると、頬を叩いて気合いを入れる。
「……よしっ!」
鏡に映った自分は、明るめの茶髪に緑色の瞳と、相変わらずどこにでもいるモブ顔だ。
「あれ……??」
気のせい……かな?
目を擦って、もう一度鏡をしっかり見る。
(私の瞳の色って……こんな色だったっけ?)
もう少し濃い緑色をしていたような気がしたけど……光の加減で違うように見えただけかな。
首を捻って、角度を変えて、じっと見つめる。
けれど、いつもより薄くなった緑色の瞳がこちらを見つめ返すだけだった。
「……まぁ、いっか!」
エプロンをして、袖をまくる。
頭に三角巾をつけてから、掃除用具の入っている扉を開けた。
そこの中にあるモノを取り出し、廊下に置く。『ルーバー君』だ。
師匠に問い詰められて色々とゲロゲロした後、どうやら彼が改良に改良を重ねて、完成版を作ってくれた。
一台では足りないので、あと数台欲しいとお願いしたら、快く引き受けてくれたので、私の心は浮かれている。
「ルーバー君、一階の廊下をよろしくね~♪」
スイッチを入れるように、人差し指をルーバー君に当て、魔力を流す。
彼がしっかりと稼働しているのを見て、私は二階へ上がった。
二階の廊下は自作の『クイッ〇ルなんとか』で拭いていく。
目の前の仕事に集中しすぎていたようで、背後に人がいたことに気づかなかった。
「おはよう、マナカ。ずいぶんと起きるのが早いんだね」
「ひょあっ!?」
突然声をかけられて、ビクッと体が跳ねた。
後ろを振り返るとそこには師匠が立っている。
「お、おはようございます。ずいぶん早いんですね」
「ああ。今日はお前の作った『薬』の報告書を城に持っていくからだね」
にっこりと微笑まれ、私は赤くなって俯いた。
『恋愛薬』──という名の『媚薬』を私はどうやら生み出してしまったらしい。
師匠に調合のメモを見られ、もう一度作り、それから『効能』を試すことになってしまった。
「…………」
そう。もう一度『試した』のだ。
この薬は王族に売れると言って師匠は報告書を作成していた。
今日はそれを王城へ持って行くらしい。
「そ、そ、そうですか」
「そういう訳で、今日はお前と一緒にいる時間が少なくなるからね。だから、頑張って早起きしたんだよ」
師匠がぎゅうっと私を抱きしめる。
私はあの日から変わってしまった彼についていけず、ただアワアワするしかない。
「わ、わたしっ! 朝食用のパンが切れてるから、買ってきます!」
師匠の拘束をするりと抜けて、バタバタと廊下を走る。
背後からクスッと笑いながら「あー、逃げられたか」という声が聞こえた気がした。
**
屋敷の外へ出て、街外れにある小さなパン屋さんへと向かう。
週に一回、街中へ出かけたときに寄って行くパン屋も良いが、こちらのパンも素朴な味で美味しくて気に入っている。
師匠から逃げるようにして外へ出たため、マントを羽織るのを忘れていた。
けれど、店までそんな遠くないし、朝だし、変な輩に出会うこともないだろうと思った私は、それを取りに帰ることをしなかった。その結果、自分を呪う出来事が起こる。
(私のバカ! 少しの距離でもやっぱりマントは必要だった! フードをしっかり被っておくべきだった!)
目の前には朝方まで飲んでいたであろう男性が二人ほど、私の行く手を阻んでいる。
酒のにおいがこちらまで届く。時折、ヒックとしゃっくりをしており、完全に酔っ払いですね……はい。
「こんな街外れに、カワイ子ちゃんがいる~」
「おじょーちゃん、どうしたの~? 迷子ぉ? 俺達が家まで送ってあげようか?」
「いえいえ、大丈夫です。結構です」
アハハと笑ってやり過ごそうと思ったけれど、やはりそう簡単にはいかなくて。
少しずつ後ろに下がっているけれど、向こうもジリジリとこちらに近寄ってくる。
(どうしよう……)
自分の魔力を使えば、このふたりを吹き飛ばすくらいのことはできる。けど、それをやると師匠に迷惑がかかってしまう。
私はあのお屋敷と自分のこと以外で力を使ったことはない。
誰かに向けてその力を放ったり、見せたり、そういったことはしないように気をつけていた。
ジリッともう一歩後ろに下がる。
すると、そこには大きめの石があって、私は足を取られてしまった。
後ろに大きく傾いて、体勢を崩す。
「あっ──」
──このままじゃ倒れる!
覚悟して目を瞑った。しかし、想定した衝撃が私に訪れることはなかった。
代わりに、ガシッと強い力が私の肩を掴んでいた。
ゆっくりと目を開けると、そこには少しクセ毛の黒髪、黒い瞳を持つ、整った顔の持ち主がいた。
「大丈夫か?」
低くて、でもどこか包み込むような優しさのある声が耳に届く。
痺れるようなその声に、ドクン──と跳ねた心臓が胸の内側を叩くのだった。