08 師匠の変化
「……う、ん……?」
まぶしい。
まぶたに眩しさを感じて、私はゆっくりと目を開いた。
カーテンの隙間から光が射しこみ、その光が私の顔に当たっていたようだ。
光から逃げるように目を瞑り、私はゴロンと寝がえりを打つ。
心地よい温もりを感じて、そこへ頬を寄せた。
すりすりして、それからハッとする。
この温もりは……?
そおっと顔を上げると、視界いっぱいに師匠の美麗な顔が広がっていた。
思わず悲鳴を上げそうになった口を押え、ぐっと堪えて我慢する。
そうだ。そうだ。そうだった。
(私、昨晩、師匠と……!)
もう一度ゴロンと転がって、そおっと布団から這い出ようとした。
さすがに、このままお互いに目を覚ましたら、どんな顔をしたらいいのか分からない。
ベッドから足を下ろし、師匠を起こさないように立ち上がろう──としたとき、腕を強く引っ張られた。気づけば私は、彼の腕の中に捕らわれていた。
「……私の弟子はどこへ行くのかな?」
「お、起きてたんですか!?」
(まっまだ心の準備が……!)
顔を上げないようにしていたのに、彼は私の顎に手を添えてぐっと持ち上げる。
紫色の瞳に自分の顔が映り込んでいた。
はっ、恥ずかしい……!
徐々に自分の顔が熱くなっていくのが分かった。
「あ、あああ、あの」
「ふむ。あれだけ出したのに、マナカは影響を受けないのか……」
「ななな、なんですか」
「ちょっと、失礼」
──ちゅっ
師匠からキスされた。
驚いていると、彼の舌がぬるりと入ってきて、そこから唾液が送り込まれる。
「んっ……んんっ……?」
「マナカ……目を閉じないで」
目を閉じないの……!?
えっと、それはこちらの世界流の作法だったりするのかな?
それともこの国の作法……とか?
「んん……??」
あ、れ……? 唾液と一緒に、師匠の魔力も流し込まれている?
じいっと私を見つめる瞳は、仕事をしているときの彼の目だ。
対象物を観察しているときの──あの眼差し。
師匠の唇が離れる。
しかし、視線は離れない。
「ふむ。やはり、影響を受けないね」
「あの……一体なにを……?」
「ああ。私の魔力量が多いことはお前も知っているだろう?」
「は、はい。それがなにか……?」
「……大抵の人間はね。自分の器以上の魔力を流し込まれると、酔うんだ。吐き気がしたり、酒を飲んで酔った状態になったりと、人によってその症状は様々だが……お前にはそれが全く起こらないようだ」
「そう、なんですか?」
首をこてんと傾げる。
あ、それってもしかして……。
「私も魔力が多いから……?」
「その可能性が高そうだ。そうか……もしかすると薬を作った後だから、器に受け止めるだけの空きがあったのか……?」
師匠が顎に手を当て、ぶつぶつとつぶやきだす。
私も自分の体の中にある力へと意識を向けた。
彼が言ったように、確かに減っていた力が少しだけ戻っている。
戻っているということは、師匠の魔力を自分がその器に溜めたということ……?
「まさか、こんなところに受け止められる人間がいるなんて……盲点だったよ」
「?? 師匠? どうしたんですか?」
「考えてみれば、私が見つけたんだ。なぜその可能性に気づかなかったのか」
「あのぉ~……もしもーし」
私は師匠の目の前で手を振ってみた。
彼は特に何も気にすることなく、思考の世界の中にいる。
──くぅ。
お腹が鳴った。私は慌てて、お腹を手で押さえる。
ご飯も食べたいけど、でも、その前にちょっとお風呂へ入りたいかも。
私はまたそっとベッドから出ようと試みた。──が、腕を掴まれその試みは阻止される。
「どこに行こうとしてるのかな? マナカ」
「え、っと、ちょっとお風呂に。あとお腹も空きましたし……」
そう言うと師匠がベッドから下りて、私の体を横抱きにする。
いわゆるお姫様抱っこ。
そのままスタスタと歩いて部屋の出入り口を目指した。
「えっ? ええっ?」
「……マナカ。体がつらいだろう? いいから、そのまま私に掴まっていなさい」
「ええ……?」
「はぁ。まったく……お前にはいつか好いた男ができて、ここから出て行くと思っていたから、その対象から除外していたのに……これでは手放せないじゃないか」
「……はぁ?」
師匠はさっきから何を言っているのだろう?
私に話しかけているようでいて、独り言を言っているようにも思える。
彼は私の顔を見ると、にっこりと笑う。
師匠の顔がいつもの1.5倍増しで輝いていて、その笑顔にどこか嫌な予感めいたものを覚えた。
「君の花を散らした責任はしっかり取るよ。ちなみに私は逃がすつもりはないからね」
「師匠。なにを言っているのか、さっぱり分からないんですけど」
「それはきっとこれから分かるさ」
お風呂場にたどり着き、私はそっと下ろされた。
「あ、運んでいただきありがとうございました」
「礼には及ばないよ。私も一緒に入るからね」
「いっしょに!?」
「ああっと、そうだ。風呂を出て、ご飯を食べたらお前の部屋へ行こう。きっとマナカのことだから、薬の調合はしっかりメモしてあるのだろう? まずそれを見せなさい」
「調合のメモを見せるのはいいんですけど、師匠……あの、一緒って……!?」
戸惑っている間に、服がはぎ取られ、浴室へと連れ込まれた。
師匠も裸で、もう、どこを見ていいのか分からず、私はずっと天井を見上げるしかない。
真っ赤になって、混乱している間に丸っと洗われた。
ふかふかのタオルで拭きあげられ、また横抱きにかかえられる。
そのまま自室に連れて行かれ、ベッドにそっと下ろされた。そのとき、師匠が口を開いた。
「今日の食事は私が作ろうか」
にっこりと微笑むルシード様の顔は心臓に悪い。
きゅうっと心を鷲掴みにされてしまう。
(もしかして……師匠が私のことを気にしている?)
なんだかまだ夢の続きを見ている気分。
慌てて私は、そんなことあるはずないと頭を振った。
**
師匠が料理を作って部屋に戻ってきた。
部屋の扉を開けたときから、なんともいえないニオイがこちらに漂ってくる。
「マナカ。どうぞ」
そう言って師匠が運んできたお皿の上には、緑色にピンク色のものが混ざり合った謎の物体が載っていた。
──ごくり。
この十年間、私は彼が料理をしているところを一度も見たがない。
そんな人間が生み出した料理は、なにやら摩訶不思議な食べ物になっていた。
時折、「キシャー」という音がする。そもそもこれは食べ物なんだろうか……?
にこにことルシード様は微笑む。
私は彼の顔を料理を交互に見ながら、冷や汗を垂らし、胃がきゅうっと鷲掴みされたように痛くなるのを感じたのだった。