最初で最後のスレチガイ
「こうなる前に手を打っておけばよかったって顔をしているね」
いつもにこにこと、自分に言わせればへらへらとしている今日の主役が、何もかもお見通しといった顔で口を開く。
「でも、もう遅い。彼女は僕を選んだのだから」
すっと立ち上がり、自分自身の姿を鏡に映し出す。普通の人間がやればキザったらしく見える仕草も、この男がやれば様になるから余計腹が立つ。
彼は少しだけ乱れたネクタイを直しながら、たぶん鏡に映っているであろうこちらへ話し掛ける。
「僕みたいなタラシにもっていかれるなんて思っていなかっただろう?」
女と見れば口説かないではいられないこいつは、知っている限りでは両手両足の指の数ではとてもじゃないが足りないほどの女性関係をもっていた。また、それをまるで隠そうともしない、一種の潔い性質のせいか、男友達もそれなりに彼の行動を許容していた。
たぶん、世間では堅物で真面目一辺倒だと思われている自分でさえも、彼そのものに対しては好意にも近い感情を抱いている。
ただそれは、彼が彼女を相手にしなければ、だ。
「彼女の事が好きなんだ」
この友人が初めて見せた真剣な顔。
常日頃軽いと評される彼が、どれだけ真面目にその女性のことを思っているかが素直に伝わってしまった。
だけど、そんなことを許せるはずがない。
なぜなら、彼が好きだと言った彼女は、自分の初恋の女性でもあり、今もずっと好きな女性だったからだ。
ただし、このことは誰にも言ったことはない。秘めたる恋。
別に表ざたにしたくない理由があったわけじゃない。
自分にとって彼女と一生を共にするということが、ごく自然で当たり前のことだと思っていたからだ。
子どもの頃からずっと一緒だった彼女とは、大学生になっても相変わらず二人一セットで扱われていた。当然性別の違いから、誤解を持って彼女との関係を見る人間も大勢いたが、あえて誤解させたままでいたのも、いずれはと思っていたからだ。
なかなか告白のタイミングが取れなかったのも、幼馴染という関係のぬるま湯から抜け出せなかったことと、彼女が年の割に幼かったせいだ。子どもから少女へ、さらに大人の女性へと身体は着実に変化しているのに、中身はいたって幼いままだった彼女は、愛情よりも友情、さらに言えば俺自身も含む家族と過ごす方が居心地が良さそうだった。だからこそ安心して側にいられた。
彼女の一番近くにいるのは、俺であり、未来永劫そのポジションを奪われるつもりはなかったのだ。
そこへきて、彼からの突然の告白。
一瞬にして凍りついた心は、それでもなんとか常識的な言葉を吐き出させてくれた。
「俺に言われても困るんだけど」
「ああ……、わかってる。おまえらが付き合っているわけじゃないのは、な」
彼には否定も肯定もしていないのに、とっくの昔に正しい関係性を見破られていたことにショックを覚えた。わずかならがもそんな顔をしていたのか、彼がいつのも彼に戻って軽口を叩く。
「そんなものは見てればわかるよ。僕を誰だと思ってるんだい?」
その後ただのタラシと言って、その話題は終了したはずだ。もちろん、彼の告白は胸にズシリときたけれど、そんなものは上手く行くはずは無い。そう高をくくっていた。
本当に突然、彼の告白の何百倍もの威力をもって幼馴染の彼女が晴れやかな顔をして報告してくれた。
「私、あの人と付き合ってるの」
その一言は今までの世界全てを破壊するに足るもので、一瞬にして足元が全て壊れていく感覚を味わった。
「そう、ですか。彼は友達としてはいいやつですけど、女に対しては少々だらしないところがあるけど、大丈夫?」
嫌味にならない程度に、彼への情報を刷り込む。自分の身体をまっすぐ保つ事すら必死で、顔以外の部分は汗が噴出している。なのに、手足は冷たくて、まるで血が通っていないようだ。
「とても真面目で誠実な人だって気が付いたから」
そんなはずはない。あんなにもあちこちの女にいい顔をしていたじゃないか。知らず知らずのうちに下唇を噛み締めていた。舌先に血の味が滲み、少し我に返る。
「私はもう大丈夫。結構見る目はあるつもりだから」
それはまるで決別の言葉。
私は行き先を決めたから、これからは別々の道を歩いていきましょう。彼女の告げた最終宣告。
何も言えなかった。
彼女は静かにこちらを見て微笑みながら去っていった。
まるで俺の気持ちもなにもかもお見通しだと言うように。
それが二十歳になった頃の話。
そこから先は、二人が別れるのを今か今かと待ちわびていた。
最初に彼女から聞いた衝撃から割合と早く立ち直ったのは、二人がうまくいくはずがないと思っていたからだ。俺と同じく堅物でお嬢様育ちの彼女と、声を掛ければあちこちから恋人が名乗りを挙げるような彼とでは、そりが合うはずがない。彼女にしても、箱入り娘が一度ぐらい異色の雰囲気をもった男に心を囚われるのは仕方の無い事だと、そう自分自身に言い聞かせていた。現に二人の間では痴話げんかがたえなかったらしい。詳しい話を聞くことはなかったけれど、その度に塞ぎこむ彼女と、何かを期待してしまう自分が愚かでも、そんなことにはかまっていられなかった。
だけど、いつしか彼女のそんな顔を見ることもなくなり、ますます彼女と過ごす時間はなくなり、最終的には朝一番で彼女の姿を見かけなければ、何週間もずっと顔を合わせないといった日々が続いた。
それでも、滑稽な自分は彼女がいつしか自分の所へと戻ってくると信じていた。
楽観的過ぎて笑ってしまうけれど。
それが、今、現実を思い知らされている。
「真剣だって言っただろう?」
「聞いた気もする」
友人達が次々と控え室に入ってくるなか、新郎である彼はにこやかにそれに答えている。
人々が入れ替わっていく中、一番の親友であると目されているところの自分は、親族のために用意されたであろう椅子の一つに陣取っている。
「どうして告白しなかったのさ?」
「それを……」
それをお前が言うのかと、言う言葉を必死で飲み込む。今ココで全てを吐き出してしまったら、お祝いの席に相応しくない失態をおかしてしまいそうで。
「結局、その程度の思いだったってことだろ?」
今度ははっきりと不快の表情を浮かべる。幸い彼の母親は他の兄弟たちとのおしゃべりに夢中でこちらの事など眼中になさそうだから。
「まあ、言いたい事はいろいろありそうだけど。黙っていたんなら、最後まで黙っていてくれよ」
「そんなに自信がないのか?」
やけに挑発的な彼の態度にこちらもそれなりのものを返す。
「まさか!!!そんなわけないだろう。彼女が混乱するからさ」
「今更そんなにみっともないマネはしない」
「そんな風に格好つけてるから、僕みたいなのに奪われちゃうんだよね、結局」
カチンとくるはずの彼の言葉も、こちらを射るような視線を送る彼に、次の言葉が出てこない。
「悪いけど八つ当たり。今までさんざん君と比べられてきたからね。しかも本人は無意識ときてるから性質が悪い」
「長いこと一緒にいたから」
「でも兄妹じゃない」
そう、結局のところ彼女とは何のつながりもないのだ。血という家族のつながりも、愛情という恋人同士のつながりも。
「彼女は完全に兄扱いしていたみたいだけどね、一人っ子だし」
「ああ、知っている」
兄以上の感情も持ってはくれないのだと本当はわかっていたのだ。
「君みたいな完璧な男と比べられる身にもなってみろよ。学業、運動、何一つ勝てやしないのに」
確かに、そういう目に付いてわかりやすい部分だけみれば、自分は優秀であると言えるだろう。
だけど、彼の持つ判断力や柔軟性、なにより人を惹きつけてやまない人間的魅力は、非常に素晴らしいものだ。
そう、結局彼女の見る目は正しかったのだ。
振られることを恐れ、何も言えずに立ち竦んでいた男など、彼女と釣り合うはずはない。
「ごめん、幸せにする」
「あたりまえだ、ばか」
重い腰を挙げ、ホテルのロビーへと戻る。
そこには共通の友人たちや新郎新婦の関係者達が集まっていた。
大丈夫、今日は笑っていられる。
宣誓の声が聞こえる。
初めてまともに見た彼女の顔はとても美しくて、白いベールが眩しくて。
今日、彼女が結婚式を挙げる。
彼女のために笑っていよう。
誰よりも大切で、誰よりも愛しい人だから。
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おまけの彼女視点
私はとても狭い世界に暮らしていたのだと、気がついたのはいつの頃か。
地元の高校、大学へと進み、交友関係も環境も変わらないまま。
居心地が良くて、でも、なんとなく物足りなくて。
そんなことを思う方がぜいたくだと思いはしたけれど、それでも心のどこかにそんな思いが燻っていた。
「そんなことも知らないの?」
いつか浴びせ掛けられたその言葉は私のプライドを甚く刺激した。
思った以上に負けん気が強かった私は、そこから色々なことに挑戦するようになっていった。
バイトだったり友達との付き合いだったり、他の人間からみればあたりまえのようにこなしてきた事を今更ながらに経験していった。
そうして私は、思ったよりも世界というのは広くて狭くて、汚くて綺麗だ、ということを学んだ。
きっと本当はもっと小さい頃に知らなくてはいけないことを、十八歳も越えて知ることになるなんて、と、そんなことに気がついたことですら進歩だと思えた。
「いいかげん兄離れしないと、いつまでたっても大人になれないよ」
私のプライドを刺激した人間は、こんな風なことも言っていた。
その人が私が世間知らずである原因の一旦だ、といった兄とは、本当の家族ではなく兄妹同然に育った幼馴染のこと。
確かに、私は彼と一緒に過ごすことが多い、それはきっとこれからも変わらないだろうと思っていた。
友人作りの下手だった私にとって、幼馴染は兄でもあり唯一の友人でもあったから。
なのに、その人はそれだけではダメだと言う。
彼に言われたからだと思うと少し悔しいけれど、その時初めて出来た友人は、今でも一生の宝物だと思っている。
私の世界が少しずつ広がっていく。
無知な幼子が段々と大人になっていくように。いつのまにか幼馴染の彼ではなく、その人に手を引かれながら。
結局は、誰かの手を借りることになってしまったけれど、色々な世界を見せてくれた彼には感謝している。
その気持ちがいつしか恋愛感情になっていったことも、よく考えれば自然な流れだったように思う。
だけど、初めてできた幼馴染以外の異性の友人、というその人のポジションに戸惑っていた私には、その感情がどういうものなのかをすぐには理解することができなかった。
最初は、自分に異性に対する免疫がないせいだと思っていた。その人に触れるたび緊張するのも、その人がどう過ごしているのかを知りたがるのも、その頃初めて出来た同性の友人に対して抱く感情とどこか異なるのも、自分の中でうまく消化することができなかった。
それ以前の私は異性どころか同性の友人すらほとんどいなかった状態なのだから、いきなり過度な情報をもたらされて混乱しているだけだとも思っていた。
唯一子供の頃から付き合いのある幼馴染へ対する気持ちと、彼への気持ちが異なると気がついたとき、おぼろげながらその正体を掴んだかもしれない、と思った程度だ。
だから、自分の思いにはなかなか自信を持つことができなかった。少しずつ少しずつ自分の中にある感情と向き合いながら、私はようやく自覚することができたのだ。だいぶ時間は掛かってしまったけれど。
明確に気がついてしまった後は、どうしていいのか途方にくれる自分がいた。
彼は私とは異なり、様々な友人を持ち、もちろんその中には魅力的な女性たちとのお付き合いも含まれる。
友人以上の思いに気がついてから、彼の方を注意深く見てみると、男性としてもとても魅力的な人物だと気がついてしまった。
途端に、ただ隣にいる。それだけのことに緊張を伴うようになる。
否定すればするほど思いは膨らみ、どうしていいかわからなくなる。だけど、そんな私の混乱をあっさりと彼は見抜き、さらなる混乱へと私を落としいれてくれた。
「好きです、付き合ってくれませんか?」
告白の言葉がどのようなものかもわからない私でも、はっきりと理解できる平易な言葉。
けれど、はっきりと私の目を見て思いを告げてくれる彼の真摯な態度に、改めてこの人と共に生きていきたいのだとはっきりと気がつくことができた。
私はこの人を愛している。
また世界が広がる。
こんな思いは初めてで、自分の中のどこにこんなにも激しいものがあったのかと、訝しく思うほどの感情に翻弄される。
なのに、そんな思いすら心地よいと思えるなんて。
根底にあるのは彼への尊敬と信頼。愛し愛されることの喜び。
幼馴染は消極的にも反対の姿勢をみせてはいたけれど、私に最初の世界を与えてくれた人は、最後には穏やかに微笑んでくれた。
ベール越しに彼の顔を見つめる。
穏やかに、少し照れながら笑う彼。
涙ながらに祝福をしてくれる人たち。
私は新しい一歩を踏み出す。
彼と共に。
こちらの幼馴染は普通のおさななじみです