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第6話:主人公になれない男、それでも

「少し、思い出にふけりすぎたかな。もう2年だっけ、年は取りたくないもんだ…まだこっちの世界じゃギリギリ10代のはずなんだがな…ん?」


あまり愉快ではない思い出から現在に意識を引き戻し、ねぐらにしている宿屋の一室のドアを開けると、部屋は冷えた夜の空気に満たされていた。


窓を開けっぱなしにしていた、ということはない。

だが、現に窓が空いている。


侵入者か。俺なんかのところに盗みに入っても大したものは盗めないというのに、ご苦労なことだ。


俺は収納魔術に手を突っ込んで、居合の構えをとった。


「待ってください、こちらに敵意はありません」


そう言って姿を現したのは、王女付きの侍従。

俺に今回の依頼を持ってきた、隠密の心得もある侍女(メイド)だ。


侍女(メイド)長から、これを預かっております。報酬と合わせて、ウォルド様にお渡しするようにと」


侍女(メイド)が差し出してくる手紙を受け取り、開く。



『唐突かつ無理なお願いにもかかわらず、此度の依頼を受けていただいたことに感謝します。

 此度の依頼には、シエル殿下にあなた様とのひとときをお楽しみいただくことの他にもう一つ、シエル殿下を姉殿下の派閥による暗殺からお守りする目的がありました。

 姉殿下に王者の資質が著しく欠如していたことと、シエル殿下が希代の秀才であられたことから、陛下は王位継承権第一位をシエル殿下と定められ、これに反発した姉殿下とその派閥が、シエル殿下の暗殺を企てたのです。

 シエル殿下は、内乱を防げるなら自分の命を差し出すことも厭わないと、暗殺を受け入れるお覚悟でした。

 そんなシエル殿下に、せめて最後の幸せな思い出を作って差し上げること、そして、何よりも暗殺計画の阻止。それが今回の我々の目的です。

 そして、この手紙は、依頼終了後にシエル殿下が襲撃された場合かつ、騎士団の出動が間に合う確信がない場合に、あなた様のお手元に届くものです。

 このような事態に巻き込むことになり、本当に申し訳ありません。

 しかし、もし、我々があなたを巻き込んだことを許していただけるなら。

 言えた義理ではありませんが、殿下をお助けください』



俺が手紙を読み終えると、侍女(メイド)は報酬の金貨袋とともに、もう一つ、一回り大きい袋を差し出してきた。そちらも中身は金貨らしい。


「これが、私たちが差し出せる全てです。…いえ、もう一つだけ、お望みなら私の体を」


悲壮な覚悟を決めた顔で言う侍女(メイド)に、俺は首を横に振った。


もはや、報酬がどうの、という話ではない。


賢い判断をするなら、俺は今すぐ逃げるべきだ。

この国から。


だが、そうする決断ができない。


理由など明々白々だ。

俺の脳裏には、王女が「名残惜しくなった」と言って浮かべた、儚く美しい笑顔がこびりついている。


手紙を読む限り、王女は侍女(メイド)たちからお忍びでの外出の提案を受けた時には、姉が企てた暗殺を、受け入れるつもりでいたらしい。


それを知ると、王女の「名残惜しい」という言葉の重さは、全く違ってくる。


彼女の言う「名残惜しい」は、単なる楽しみの時間の終わりを惜しんでいたものなどではない。

彼女は、この世に対する未練を口にしていたのだ。


俺には決してできない、あの儚く美しい笑顔の正体は、死ぬ覚悟を決め、それでもなお未練を思い浮かべる者の、決死の笑顔だったのだ。


…そんなことを知って、自分だけ逃げられるか。


明日から、カツ丼を食うたびにあの悲しい微笑みを思い出すなど、まっぴらごめんだ。


逃げろと叫ぶ理性を振り切って、怒りが俺を支配する。


…俺は今まで、何をしていた?


俺は主人公になることを諦めた。

異世界転生、追放…数多の主人公になれる機会にあっても『最初から好感度の高いヒロインが来るなんて展開がないから』などというナメた理由で、何かをなそうとすることなく、ただ、静かに暮らしてきた。


主人公になる資格を、自ら投げ捨ててきたのだ。


その間に王女は、俺のような者ですらもそうして暮らせる国を守るために、内乱を避けるために、自分を殺す決断をしていた。

俺とは違い、自分の意志で、王の座を姉に渡して権力闘争の濁流を鎮めるために、命すら差し出した。

そのうえで、それでも自分を想う者達の意を酌み、今日の外出を受け入れた。


そして、ほんのわずかに生まれた未練、決意のほころびを、その強靭な意志の力で押し殺し、笑って死地に向かった。


こういう気高い魂の持ち主こそ、主人公にふさわしい。


今なら分かる。

王女が口にした「名残惜しい」という言葉。

それは最高の賛辞だ。


王女の、国のために死ぬ覚悟が僅かでも揺らいだという意味なのだから。


だというのに。


何が、また依頼してくれればいい、だ。

言わずに飲み込んだ言葉にすら腹が立つ。


王女には次の機会どころか、明日すら無かったというのに。


…許しがたい。


あの王女の最後の1日が、こんな俺などと過ごした時間であったなど。


彼女には、俺などでは想像もできないほどの幸せを望む資格がある。

いや、幸せになる義務がある。


そして俺には、その高潔さにふさわしい、それこそ主人公と呼べるようなやつとの出会いと幸せな人生を、彼女に差し出す義務がある!


そうでなければ、俺などが怠惰な暮らしの中で好物を頬張る幸せを望むことなど、到底許されない!


「依頼を受諾する」


侍女(メイド)に答えた俺の言葉は、怒りに震えていた。

そのまま俺は窓から飛び出し、住宅の屋根から屋根に飛び移りながら、まっすぐに王城に向かった。



王城の門が見える位置まで走ると、横手で何かが燃えているのが目に入った。

その周辺を動く人影、響き渡る金属と金属がぶつかり合う音から、何者かが争っているのは間違いなさそうだ。


物陰に隠れながら近づくと、王家の紋章が刻まれた馬車を、覆面を被った鎧姿の者たちが包囲している状況が見て取れた。

数人の護衛が抵抗しているが、まさに多勢に無勢。

全滅は時間の問題だ。


火の手は、分かりやすく馬車に向かって放たれている火矢によるもの。

まだ火矢を放ち続けている者の存在が、馬車の中に王女がいることを俺に確信させる。


すでに王女が馬車の外にいるなら、馬車に攻撃する意味はないからだ。

そして、馬車が炎上し始めている今、すでに趨勢は決しているとみるべきだろう。


王女の選択肢はもはや、燃え盛る馬車の中で焼け死ぬのを待つか、飛び出して包囲の兵に切り殺されるかの二つのみ。


そして、俺のすべきことは…。

馬車の中から王女を救出し離脱、ということになるわけだが。

その前提として、敵の視線が集中している馬車に突入しなければならない。


その手段は…やはり、これが適する。


魔法剣・流水(エンチャント・アクア)、斬撃転移!」


斬撃転移はあくまで転移なので、射線が通っている必要がない。

この性質を利用し、物陰から、馬車に大量の水がかかるように、最大出力の水の魔法剣を数回、斬撃転移で馬車の上空に送り込む。


「新手か!」


「水魔法の使い手だ!」


「周囲を警戒しろ!」


馬車を攻撃していた者たちが周囲を警戒し、包囲が緩む。

…今だ。


魔法剣・氷結エンチャント・フリーズ、斬撃転移!」


降り注ぐ大量の水を凍らせ、氷の壁をドームのように形成して馬車を覆う。

こうすれば火矢による射撃でも、そう簡単に突破はできない。


「転移」


俺は氷の壁の内側、火が消えた馬車のすぐ傍らに転移し、扉を破壊して座席に躍り込んだ。


「王女、無事か」


侵入してきた男の姿に一度身を縮ませた王女は、俺の問いかけに目を丸くした。


さっき別れた、もう二度と会うことはないはずの何でも屋が目の前にいるということには、いくら聡明な王女でも多少驚いたらしい。


「ウォルド!? なんで来たの!」


戸惑う王女の気持ちも多少はわかる。

最小限の被害で、自分だけを殺して国の平和を保とうとした王女にとっては、俺もまた、守りたかった民の一人には違いない。

ならば、俺が王女のために死にに来たとしか見えないこの状況は、きっと王女にとって不本意だろう。


だから、努めて軽い調子で返す。


「君を見殺しにした明日に食うカツ丼は、まずそうだと思ってな」


当然、王女がそんな説明で納得するはずもないが。


「そんな理由で…」


「そんな理由でも!」


俺は、外に響かないぎりぎりの声圧で王女の言葉を遮った。


外からは、戦う音が失せ、氷壁を硬いものが力強く殴打する激しい音が聞こえてきている。

どうやら護衛はすべて殺され、敵は氷壁の突破を試みているようだ。


今は時間がない。

自分の惰弱さを憎む時間すらも。


だから、理性を圧殺しなければならない。

王女が口にする、絶対に正しい言葉を聞くわけにはいかない。


彼女が死ぬことの正当性などに、耳を貸すわけにはいかないのだ。


その正当性を認めてしまえば、惰弱な俺は、必ずその正しさを言い訳にする。

そうなった明日の俺は、王女を救えなかったのは仕方ないことなのだと、薄味のカツ丼を食いながら自分に言い訳するだろう。


俺はそういうやつだ。

《《自分に主人公の資格などないのだという諦め》》を言い訳に、夢を持つことすらせず、ただ生活のために何でも屋を続けてきたこの2年が何よりの証左だ。


だから、一切の正しさを拒絶し、心を固める。


「そんな理由でも、俺には命を張るに値する。それだけだ」


「それだけって…そんなんじゃ…」


涙がこぼれるのを必死に抑え込んでいる、震えた声で、王女は詰問してくる。


「そんなんじゃ分からないわよ! 国のためって必死に自分に言い聞かせても、私はこんなに怖くて仕方ないのに、なんでそれだけで納得できるのよ!」


徐々に声を荒げる王女の瞳からは、大粒の涙が零れ落ちていた。


そして、王女の問いに答える言葉を、俺は持たない。

死ぬのは、俺だって怖い。


「納得などしていないが、君を見殺しにすることにはそれ以上に納得できない。そう答えれば満足か?」


吐き捨てた俺の言葉を拒絶するように、王女は涙を流しながらぶんぶんと首を振る。


「やめて! 私を助けることを正当化しないで! 希望を見せないで! 私…私…」


泣きながら、王女は、覚悟の残り香を叫んだ。


「生きたいって願っちゃうからぁ!!」


その瞬間、俺の視界は怒りで深紅に染まった。


「…生きたいと願うことの何が悪い!!」


俺は激怒した。

必ず、この自己犠牲的で献身的で気立てのいい乙女を救わねばならぬと決意した。

俺には政治がわからぬ。

俺は、場末の冒険者である。

仕事を選ばず、悪党を殺して暮らしてきた。

けれども理不尽に対してだけは、人一倍に敏感であった。


こんな女は、誰かが縛り付けてでも幸せにしてやらねばならぬのだ。


「生きろ。死に逃げるな」


それだけ吐き捨てて、俺は馬車から飛び出した。

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