第30話 決着
バストラの頭部が破壊される直前、イルマはダイブアウトしていた。機体を完全に放棄してしまうことになるが、直前であれば強制ダイブアウトのダメージを受けることはない。
ハイペリオンの後方には、青い装甲のメックが立っている。あれは確かアウグスト家のメックだ。
邪魔さえ入らなければ、ハイペリオンの装甲を切り裂いていたはずだ。
胸部装甲が完全に開いた時には、バストラの体は後方へ倒れている最中であった。ダイバールームに備え付けられているスラヴァーを引き抜くと、イルマは機外へと飛び出した。
その時、ハイペリオンの胸部も可動していた。相手もまた、外に出ようとしている。
——素人めッ!
メック対生身の人間であれば、人間の側に勝ち目は全くない。いかに優秀なデュナミスであろうと、結果が変わることはない。もしかしたらスラヴァーで装甲を傷付けたりすることはできるかもしれないが、勝敗が覆ることはまずあり得ない。
それほどまでに、メックは強力な兵器である。しかし、目の前のメックからデュナミスが降りようとしている。スポーツであれば、相手と同じルールで競うのは当然であるが、ここは戦場だ。条件が違っていようと、勝つことが目的である以上、デュナミスから降りるのは致命的な失敗と言わざるを得ない。対人戦になって優位を失うばかりか、最悪の場合メックを奪われてしまうことだってあり得る。
勝機がイルマの目の前に転がってきた。しかも、相手が手放した絶対的な勝機が。
イルマの口角が上がる。
スラヴァーを起動させ、青い光を宿す。
彼女が地面に降り立った時、ハイペリオンの胸部から飛び出した人影があった。瞬時に着地点を予想し、イルマは大地を蹴る。
人影は少女であった。暗闇に溶け込むような黒髪、深い井戸の底のような黒さと輝きを宿した瞳の美しい少女である。
戦闘前に交わした声の感じから、若い女であることは予想していたが、まさか少女とは思わず、その美しさにも驚きはしたものの、イルマの突進の速度は変わらない。
少女もスラヴァーに光を纏わせる。だが、構えるまでに至っていない。
攻撃は、イルマの方が先であった。
青い光で少女の胴体めがけて薙ぎ払う。手応えはなかった。
続けてイルマの一閃は、少女の喉元を切り裂こうと襲いかかる。
しかし、少女は後方に飛び退いて避ける。
身のこなしはなかなかで、戦いにも慣れているようだ。訓練がよかったのか、今まで数知れないほど殺し合いをしてきたか。どちらにしても、イルマにとっては殺し甲斐のある対象であった。相手が強ければ、それだけ屈服させた時に感じる快楽は大きくなる。
「あんた、なかなかいい動きするじゃあないかッ!」
決して手を抜いているわけではないのに、全く少女に当たらない。イルマを振る剣が、少女の長い髪を焦がすこともなければ、服の裾に触れることもない。
イルマの息が乱れ始めても、少女の動きは変わらない。イルマの年齢の半分にも満たない少女の動きを捉えることができない。呼吸の乱れと精神の乱れは、剣の乱れに繋がる。そして、剣の乱れは隙を生み出す。デュナミス同士の戦いにとって、小さな隙は命取りとなる。
「……ごめんなさい」
少女の小さな声が聞こえると、黒い髪が駆け抜けていくと同時に、青い光が煌めく。
斬られた、ということを理解できたのは、激しい痛みが襲ってきたその時であった。
* * * * *
イルマは、ハイゼ家の三女として生まれた。上に五人の兄姉がいたが、イルマが幼いうちに流行病で命を落とした。
彼女の育ったのは、非常に貧しい街だった。街には売春と盗みと殺人が横行していて、それらの犯罪を取り締まる警察機関は汚職にまみれており、無法地帯と化していた。ゴミを漁って生計を立てる者も多く、イルマは子供の頃から「スカベンジャーの娘」と謗られていた。
ハイゼ家は爵位を与えられていたものの、この当時はメックが登場してデュナミスの地位が見直される前のことであったため、ハイゼ家の立場も低かった。
こんな街で育ったイルマが、まともな人間になれるはずもなく、10歳になった頃には街を悪人たちを取り仕切っているほど勢力を伸ばしていた。
そんなイルマの素行を見かねて、ハイゼ家は彼女を軍へ無理矢理入隊させた。これで娘も落ち着くだろう、と考えたのかもしれないが、一度根付いてしまった悪の華を摘みきることはできず、才能を思う存分発揮する場所を提供しただけに過ぎなかった。
戦争が始まると、輝かしい戦果を上げ続けていった。合法的に人を殺すことができるのだ。これほど適した職業はない、と彼女自身思っていたほどだった。
軍で出世するほど、不意に故郷のことを思い出すことが多くなった。父は落ちぶれた子爵ながらも、厳しく子供を躾ようとしていた。母親は気が弱かったが、愛情を注いでくれていた。子供ながらには母親に懐いていたのだが、父の躾によって甘えることができないでいた。
「ママ……私は……」
誰に言うでもなく、イルマの口から声が出た。
これはイルマが見ている走馬燈である。
少女に斬られた痛みは、もうなかった。体から力が抜けていく。
——ちくしょう、なんでこんな時にパパとママの顔が浮かんでくるんだよ。
あんなに嫌いだったスカベンジャーの街が、今では懐かしい。
もはや声を発する力もなく、体の制御がきかない。感覚も失われてきた。
——ああ、私は死ぬんだ。
最後、イルマが薄れゆく意識の中でそう思っていた。




