歌う私、歌わない私
一流歌手、バンドのコンサートやライブなどは盛り上がるものだ。
彼ら、彼女らの歌声は人々を熱狂させる。
演者との一体感に陶酔し、跳びはね、声を枯らして歌う。
それが、一流という事なのだろう。
私のライブは違う。
私が歌声を発すると会場は静まり返る。
息を吞む気配がして、私の歌声だけがその場に響く。
万雷の拍手に満たされるのは、私が歌い終わり、その場を去った後。
私はどんな歌手とも違う。
世界で唯一の体験を提供できる、超一流の歌い手なのである。
私が世界に見出されたのは、まだ子どもの頃だった。
有名な作曲家に母が私の歌声を録音したデータを送ったらしい。
すぐに電話がかかってきて、会いたいと言ってきたとのことだ。
彼のレッスンは厳しかった。
だが、私は持ち前の負けん気で彼の指導の元、才能をぐんぐんと伸ばし、10歳になる前にはデビューをはたしていた。
以来、私は熱狂の中で歌手生活を送ってきた。
歌。
私にはそれしかない。
それは私が一番わかっていた。
少なくない浮き名を流したが、彼らは私の才能に惚れ込んでいたのだろう。
私は私自身を見て欲しかったのに。
ある日、喉に違和感を感じた。
すぐに医者にかかるべきだったのだが、そうしなかった。
私はよく夢想することがあった。
もし私の声が出なくなって、歌が歌えなくなったら、その時、私をどれだけの人が認めてくれるのだろう、と。
そんな事を考えていたのも発見を遅らせた一因だったのかもしれない。
医者の見立ては厳しいものだった。
手術。そして、少なくとも一年は声を発することを禁じられた。
『国民的歌手、芸能生活絶望か?』
『落胆するファン 本人にも責任が?』
『独白 彼女の本当の私生活を知るA氏』
私に関しておもしろおかしく書かれたネットニュースの記事を、怒りとも悲しみともつかない感情で見つめた。
だが、私のYouTubeチャンネルの動画に寄せられるコメントはおおむね愛情に満ちていた。
「私たちはいつまでもあなたを待ち続けます。あの歌声をふたたび聞ける日を」
「今まであなたの歌声に支えられてきました。絶対また歌えます。あきらめないで」
「これまで走り続けてこられましたもんね。ちょっとした休養期間と考えましょう」
そんな多くの書き込みを見ていると、自然と涙があふれてくる。
その涙に自嘲する。
気弱になって・・・。
これが本当にあの私なのかしら。
生意気に生きてきた私。常に得意げに歌っていた私。それらを当然と思っていた私。
私は自分の動画を積極的に見るということをしてこなかった。
療養期間中、YouTubeから流れる歌声に耳を傾けた。
これが私。
その歌声はやっぱり他の誰とも違って。
こんなふうに歌えたら。
もう一度、こんなふうに歌えたら。
私は私に憧れた。
絶対あの場所に戻ってみせる。
力強くそう思った。そう思わせるものが、私の歌声にはあった。
一年の療養の後、私は徐々に声を出していった。
医者から歌うのを許可されて、プロデューサーや家族の前で歌を歌う。
彼らの顔はひきつっていた。
「一年ぶりにしてはいいじゃない」
「こっからこっから」
「あせらないでゆっくり戻していこう」
そんな声をかけられた。
「あの子、もうダメかもね」
母がそう言っているのをある日、偶然聞いてしまった。
私は私の動画を見る。
「もしあなたの歌声に、みんなをそんなに勇気づける力があるのなら、私にも力を頂戴よ! もう一度みんなの前で歌えるようにして頂戴!」
画面に向かって私は慟哭した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
復帰第一回ライブ。
「みなさんの前でこうしてもう一度歌えることを、ただただ感謝の想いでいっぱいです。信じて待ち続けてくださったファンの皆様。支えてくださったスタッフ。家族。みんなにありがとうの気持ちと、恩返しの気持ちを込めて精一杯歌わせていただきます」
そして私は歌う。
全曲歌い終わり、拍手に包まれて。私は頭を下げる。
あの日と同じ様な万雷の拍手。
バックステージに帰ってくると、みんなが涙を流しながら、拍手で迎えてくれた。
母が抱きついてくる。
「よかったわね。本当によかった」
拍手はいつまでも鳴りやまないように思えた・・・。
ライブの様子はネット配信で全国中継されていた。
コメント欄を読んでいく。
たくさんの賞賛の声、安堵の声。
その中の一つのコメントに目がとまる。
「素晴らしかった。本当に素晴らしかった。でも彼女、ちょっと変わった?」
そのコメントに笑みがこぼれる。
そう。ちょっと変わったのよ。