025 飛んで火に入るなんとやら
木曜日、僕と鵜飼さんはカフェ『Good times Bad times』に足を運んでいた。
ホールスタッフにはもちろん梓がいる。
彼女にテーブル席へ案内されると、メニューを見るまでもなく僕らは注文をした。
「ぶ、ブレンドコーヒーひとつで」
「私はカフェラテ、ミルクマシマシで」
「かしこまりました」
梓はまるでこの間のことなど無かったかのように、至ってフラットな態度で接客をする。
睨みつけられることもなく、かといって何か話しかけることもない。僕らが他人であるかのように接してきた。
これはもしかしたら、もう関わることなどないでしょうという彼女なりの意思表示なのだろうか。
梓が立ち去ると、僕は小声で鵜飼さんに話しかける。
「……ねえ鵜飼さん、どのタイミングで実行するのさ」
「そりゃもうあの子が演奏し終えた直後っしょ。飛び入り参加って感じで」
突然始まったコソコソ会議に、鵜飼さんも乗っかってきた。
先日彼女が考えた作戦は、実行するタイミングも重要だ。少なくとも、梓がこの間のようにピアノ演奏をしてくれないと効果は薄い。
「じゃあ下手をしたら、今日は演奏しない可能性もあるってことか。そうなれば作戦の実行はまた別の日に……」
計画はあくまで計画で、上手く実行できることなんてそうそうないのはわかっている。でも、出来る事なら実行は早いほうがいい。
僕はちょっとした焦りからか、ソワソワした気持ちが心の中から漏れ始めていた。
「そんなにソワソワするなら、梓ちゃんに弾いてくれってお願いすればいいのに」
「そ、そんなこと言えるわけないでしょ!ただでさえ普通の会話を交わすのが難しいのに」
鵜飼さんは簡単にそんなことを言うけれど、僕はそれが出来ないからこんな感じに面倒くさいことをやっているわけだ。
僕だって鵜飼さんみたいに誰にでも明るく接することができたら、どれだけ良かったかななんて考えることは多々ある。
「岡林くんは難しく考えすぎなんだって。私に任せてよ」
鵜飼さんはそう豪語する。
その頼もしい姿に、僕はちょっと自分が情けないなと思ってしまう。
いつかこんな気持ちを克服出来るような日が来るのだろうか。頑張らなければ。
しばらくして、注文の品を携えて梓が僕らのテーブルへやって来た。
「お待たせしました。ブレンドコーヒーとカフェラテです」
梓がブレンドコーヒーとカフェラテをテーブルに置くと、その瞬間を見逃すものかというタイミングで鵜飼さんが話しかけ始めた。
「ありがとー!ねえ梓ちゃん、今日は演奏しないの?私、楽しみにしてるんだけど」
「……そうですね。お店がもう少し落ち着いて余裕が出たらですかね」
僕は梓が返事しない、もしくは冷たくあしらうものだとばかり思っていたので、その返答は意外も意外だった。
鵜飼さんは、お得意の太陽みたいな笑顔で喜びを見せる。
「ほんと!?やったー、じゃあそれまで待ってるね!」
「……どうぞごゆっくり」
そう接客めいた言葉を残し、梓はまた仕事へと戻っていった。
一方の鵜飼さんはやったぜと親指を立てて、おまけにドヤ顔を僕に見せつけて来る。本当にこの人は凄いや。
「ね?これで少なくとも今日演奏してくれることになったでしょ」
「鵜飼さんのコミュ力、もの凄く見習いたいなって思ったよ……」
とにかくここからは待ち。
いつも味わっているこの店のコーヒーをゆっくりとすすっているうちに、お店の雰囲気が段々と落ち着いてきた。
客入りとオーダーが落ち着いてきた頃、梓がおもむろにアップライトピアノの椅子へと腰掛ける。
「あっ、梓ちゃんがピアノ演奏を始めるっぽいよ」
ゲリラライブかのように梓の演奏はいきなり始まった。
でもびっくりするような感じではなく、自然にお店の雰囲気に演奏を溶け込ませているのがさすが梓といったところか。
何度見ても、やっぱり梓は天才なのだなと感じさせられる。
「凄いや……、あれからどれだけ練習したんだろう。才能の塊って感じだよ」
思わずそんな言葉がこぼれた。そんな僕の弱音にも近い言葉を、どうやら鵜飼さんは聞き逃してはいなかったようだ。
「お、岡林くんだってずいぶん弾ける方だと思うけど……?」
「……ん?鵜飼さん、何か言った?ごめん、聞いてなかったよ」
「別になんにも言ってない!」
「……?」
演奏に気を取られていた僕は、鵜飼さんが何かを言っていることに気が付かなかった。
何故か彼女の顔はちょっと紅い気がする。これから始まる作戦にちょっと緊張でもしているのだろうか。
「……ありがとうございました」
梓が演奏を終え、聴いてくれたお客さんへ深々と頭を下げる。彼女を称えるかのように、優しい拍手が店内には沸き起こった。
拍手がなり止もうかという頃、ここぞとばかりに鵜飼さんが声を上げる。
「ねえ、そのピアノって自由に演奏してもいいの?」
「……はい、構いませんが。あなたが演奏するのですか?」
梓は虚を突かれたようにキョトンとしている。鵜飼さんがピアノ演奏をするのだと思っているみたいだった。
「ううん、私じゃなくて演奏は岡林くんだよ。私は歌」
「……それは、ご自由に」
梓はあからさまに嫌そうな眼差しで僕を一瞥する。
しかしもう踏み込んでしまったからにはしょうがない。鵜飼さんの作戦通り、ここはやりきってやる。
「じゃあ早速1曲演らせてもらうね。岡林くん、よろしく」
「……うん!」
僕はピアノ椅子に腰掛けて、『ベニー』のとある曲を演奏し始める。
読んで頂きありがとうございます
少しでも「続きが気になる!」「面白い!」と思っていただけたら、下の方から評価★★★★★と、ブックマークを頂ければと思います
よろしくお願いします!