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第11話 本能寺


 人の手を介し真形へと至る森羅万象を(うつ)す真理の欠片。

 その一片。『焔』が現すは『異界の門を開く者』。

 情念を宿らせし炎が紡ぐ秘術。『転移』。



 謀叛。

 その喊声が朝の静寂を破ってより数刻。全ての命運が尽きた事を悟った織田信長は、最後の抵抗として戦場と化した本能寺に火を放つことを命じ、如何なる者にも自身の亡骸を見つけられぬよう、一人、寺院の奥へとその身を隠した。

 ――はずだった。

 大曼荼羅を見上げる信長の背後で小姓姿に扮した女が静かに拝跪する。

 信長はそれが誰であるかを気配で察し、振り返ることなく女に問う。

「何故此処だと?」

「此処が最も強く燃えますので」

 信長は整然とした声で返されたその言葉に片笑む。

 二人がいるのは『本能寺大経蔵』。本能寺貫首『日承上人』の宗教観の集大成として本堂を凌ぐ規模と絢爛さで先年改築を終えた本能寺の大伽藍である。

 女は床に散らばる書物に視線を移す。

「やはり全ての書物を持って逃げることは出来なかったようですね」

「僧共は余が追い出していたからの」

 信長は嫌らし気に笑う。

 僧や女は本能寺からの脱出を両陣営から許されていたが、本能寺の僧の殆どは経蔵の改築に反抗した為に寺院から追い出されていた。元々、僧達は改築内容に「宗旨に反する」と密かに不満を抱いていたのだが、施工目前に日承上人が死したことによりその不満を顕在化。改築内容の大幅な見直しを計った。それが日承上人を敬仰していた信長の不興を買い、寺院から追い出される事態となったのだった。

「して……」

 信長は笑みを殺し女へと振り返る。

 女は顔を伏せたまま強い意思を込めて信長の言葉に続けた。

「共に!!」

 信長は眉間に皺を寄せ、自らの腕から滴り落ちるてくる血を握りしめる。

「うつけめ」

「父上の娘ですから」

 震える声と共に伏せた女の顔から涙が落ち、床を打つ。

 女は信長とその正室『帰蝶』との間に産まれた娘であり、名を『千代』と言う。千代は紛れもなき摘女の姫であるが母である帰蝶の影響を強く受けて育った。帰蝶は正室でありながら表に出ることはなく、裏で動く者達を束ね信長を支えた。そしてそんな母を見て育った千代は幼き頃より武術の教えを受け、やがて姫としてではなく父を守る裏の者として生きる道を選んだのだった。

 信長は絶望を呑み込むように息を深く吸い、覚悟と共に静かに吐いた。

「余……儂は燃えて尽きるが……」

 信長は腰に挿した刀に手を置く。

「必要か?」

「いえ。最期まで父上と共……」

 千代は父の手によってではなく共に炎に焼かれて死ぬことを決意していた。しかしそれを告げる最中、その言葉を遮るように、如何なる時も懐に収めている短刀の存在が千代の脳裏をよぎった。

 短刀の名は『粟田口藤四郎吉光』。

 裏の者として生きる事を信長に告げたおりに下賜された短刀である。

 それは、別名『薬研藤四郎吉光』とも呼ばれ、かつてこの短刀で切腹をしようとしたとある大名の腹には傷ひとつ付かなかったが、その事に憤慨し投げ捨てられた先にあった鉄製の『薬研』には深々と突き刺さったという。

 千代は溢れる涙を手のひらで拭い、懐から藤四郎吉光を取り出す。

「藤四郎か」

「ハッ」

「フ。ハハハハハ」

 信長は高らかに笑い声を上げた。

 そして千代も、久し振りに見る父の笑貌にこの場が死地であることを忘れ心を和ませる。

「面白い。"主を守る刀"、その真贋を儂が試すことになろうとはの……イヤ。今の主はおぬしか」

「いえ。父上から賜ってよりこれまで、この刀は父上を守る刀として身に着けておりました。ですのでこの刀の主は今でも父上です」

「で、あるか」

 信長は再び片笑み、藤四郎吉光を血にまみれた手で受け取った。

 瞬間。二人の頬を熱風が襲う。幾人もの命を呑み込みながら本能寺をかけ走ってきた炎が愈愈いよいよ、大経蔵に手をかけたのだ。

 炎は瞬く間に大経蔵の壁を灰燼と化し、外界の強風を招き入れる。

 それにより天井から吊り下げられたいくつもの金色の瓔珞ようらくが鈴の音を振り鳴らし、床に散乱していた書物が宙を舞い、経蔵内の左右に設置された2基の回転式書架『輪転蔵』も炎を纏い回り出した。

 異様。

 まるで風と炎の化物が暴れまわっているかのような光景に、千代は思わず信長に身を寄せる。

 だが信長の意識は既に周囲の状況から離脱し、目を閉じた先にある手中の藤四郎吉光のみに注がれていた。

 思い浮かぶのは誰しもが最期に振り返る己の一生。

 そして、死に様。

 ある者は病で。

 ある者は自身の刃で。

 ある者は他者の刃で。

 ある者は……。

 醜くも美しく、哀れなれども気高い。

 かつて見事だと胸に刻みつけた死に様が瞼の裏で思い起こされ……自身は"興の刃"で死ぬ。

 ――似つかはし。

 信長は薄笑みを浮かべながら瞼を開けると、一息で心を整え、眼前に翳した藤四郎吉光を抜いた。

「っ!?」

「なに?」

 抜かれた刀身から重く粘度のある風が渦巻く。

、その渦は二人の周囲から炎を遠ざけ、二つの輪転蔵が纏う炎を巻き込むと二人を囲うように真円で繋げ、二人の足元に青白き光を放つ魔法陣を顕現させた。

 それが何であるのか。

 何をすべきなのか。

 信長は疑心など些事と切り捨て、目の前の床を見つめる。

「父上?」

 そしてただ"導かれる"ままに藤四郎吉光を魔法陣の中心に突き刺した。


 『火』。『穴に落ちる人間』。そして残された"縦線"は『鍵』。


 藤四郎吉光は鍵となり異界への門を開けた。



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