第一話 殺し屋からのお願い
雲一つない青空、オフィスビルの屋上――――くたびれたスーツのサラリーマンが携帯で電話をしている。取引先が相手なのか、空中に向かい何度もお辞儀している。
「はい鈴木です。はいっ、お世話になります! はい、大丈夫です!」
「えぇはい……あ、金額面ですか? あぁ、いや、ダメだなんてそんな! ただその、もうウチも最終段階に入ってまして」
「30%!? いや……人件費もですし、下準備も含めて既に費用が……」
「あぁ、いや、それは勿論。御社に支えてもらってこそですから」
「何とか、15%くらいなら……」
「え?いやいや、それでも完全赤字ですよ!せめて18%で……」
「…………」
「……承知しました。20%引きですね? これでお願いしますね……いえそんな、嫌々なんて事は……」
そう言って鈴木はため息をつくと、フェンスを背中から離して素早くしゃがみ込み、狙撃銃のスコープをのぞき込む。
「では始めますね。 20%でお願いしますよ? はい、ありがとうございます。失礼しまーす」
『バスッ―――――!!』
その瞬間、擦過音と共に撃ち放たれた7.62㎜のライフル弾が、遠く離れたのビルの屋上にいた男の眉間を正確に貫いた。鈴木はスコープからその様子を確認すると、素早く銃を解体してケースにしまい、大きな紙袋に入れる足早に歩き出す。
「はァ……また赤字だ」
掲題
【世界で一番、ダサい殺し屋】
場面変化
とあるオフィスビル。30階建てのオフィスビルで、中規模の会社が多くここに本社を構えている。
その中の一つ「東京パッケージ株式会社」と書かれた、オフィスの看板。オフィスの看板には萌えキャラクターの大きなおパネルがあり、吹き出しにはこう書かれている。
「ようこそ東京パッケージへ!弊社はお洋服屋さんの紙袋から家電の段ボールまで、何でも扱うパッケージの総合メーカーです!」
オフィスの中では、女子社員二人がパソコンを叩きながらコソコソと話をしている。
「ナベシマさん聞いた? あそこで総務課長と話してる人、ケーサツだって」
「えぇ!? ほんとに?」
ナベシマと呼ばれた女性がパソコンから顔を上げて、言われた方を見ると、かっちりとしたグレーのスーツを着た男が、コピー機の脇に突っ立ち総務課長と話をしている。
「マジマジ。先週近くで殺人事件あったじゃん。大企業の社長が"刺された"ヤツ。あれの捜査だって。さっき総務課長がウキウキで話してたもん」
ナベシマが総務課長を見ると、彼は心なしか楽しそうに、しきりに首を振っている。
「その情報、広めちゃうのってどうなんだろうね……」
「うちの会社らしいよね」
場面は話をしてる刑事と総務課長へ。
「あとは……御社に出入りしている清掃会社のシフト表、拝見できます?」
「ハイ喜んで! あ、もしてかしてアレですか? 掃除屋のフリして、実は"あっちの掃除屋"っていう」
「……シフト表、拝見できますか?」
「あっはい」
ナベシマが呆れ気味に総務部長のやり取りを眺めていたが――――
『バンッ』
フロア全体に響く様な机を叩く音で、全員が一瞬、目だけを動かしその方角を見る。窓際に大きな机を構える部長が目の前に、鈴木を立たせている。
「鈴木さァ!この提案書見返したのか!? コピペ・コピペで線の太さバラバラ! こんな分かりづれぇ提案書で受注できるならしてみろよ!」
「はい……申し訳ありません」
「同じ"スズキイチロー"で、お前こんなで恥ずかしくねえの? なぁ!! すぐ作り直せ! 15分でやれ! あと、会議の資料出力したからコピー機から取ってこい!」
背中を丸めて戻ってくる鈴木(以下、イチロー)。イチローは刑事達が話しているコピー機の前まで来ると、軽く会釈をする。
「すみません。前、失礼しますね」
「………」
おどおどしたイチローの様子を眺める刑事。イチローも、彼の視線に気づく。
「……? あの、何か……?」
刑事は首を振ると、一礼してコピー機の前をあける
「いえ……失礼しました。大変ですね」
「いやいやそんな、仕事ですから」
そう言って、イチローはコピー機から資料を取り部長席まで持っていくと、自分の席に戻ってパソコンを叩き始める。
「イチローさんも何か言えばいいのにね。モジモジしてるだけでさ」
女子社員が呆れ気味にナベシマに語り掛けるが――――
「あの提案書……」
「え?」
「私が作ったヤツだ……!!」
ナベシマはそう言うと受話器を取り口元を手で押えながら、5mほど離れた席に座るイチローに内線を掛ける。
「はい鈴木です……あ、奈辺島さん?」
「鈴木係長……すみません。さっきの、私の書類ですよね」
「あぁいや、こっちこそゴメンね。あれ、まだ推敲前でしょ? 提案は1週間後なのに、なんか部長が張り切っちゃっててさ。すぐに見せろって」
「私がやったって、言って頂いて良かったのに」
「あの提案書、アイデアすごく良かったよ? アパレル業界に洋菓子屋のコンセプトでアプローチなんて、面白いじゃん。奈辺島さんは提案が仕事なんだから、フォントや図の調整みたいな作業は任せてよ」
「ダメです!そんな甘い言葉をかけては。とにかく気を付けます!」
「はは、奈辺島さんはマジメだね。ありがとうね」
電話を置いたナベシマは、パソコンの前に突っ伏す。
「あぁ~~~~。ちゃんとしないと」
「いいじゃん別に。イチローさん何やってもヘラヘラして怒らないし。なんていうかあの人、ヘタレなんだよね」
「そんな言い方!!」
「怒んないでよ……何? ああいう"枯れ系"が好きなの?」
「そんなんじゃないけど……なんか、お父さんぽいっていうか。うちはお父さんいないから、なんか変な親近感湧いちゃって…」
「あぁ……そうだったよね。でも、イチローさんまだ40だよ? 全然フォローになってないよ?」
「あっ……いやあ……あはは」
場面変化
自動販売機に100円を入れるナベシマ。ガコリと音がして、ブラックの缶コーヒーが出てくる。
(……確か……鈴木係長これが好きだったはず)
ナベシマは、イチローを探し始める。しかし、昼休みという事もあり、人もまばらなオフィスの中にイチローの姿はない。
(外出かな……?)
ナベシマがオフィスビル1Fの入り口まで来ると、丁度大きな紙袋を肩に掛けた、鈴木が足早に歩いているのを発見する。
「あっ……! すずっ」
しかし声を掛けるにはやや距離が遠く、鈴木は曲がり角を曲がって見えなくなってしまい、ナベシマはイチローを追いかける。
(……勢いで来ちゃったけど、わざわざ外まで追いかけてコーヒー渡すのも、なんか……)
しかし追いかけて角を曲がったナベシマは、イチローを見失ってしまう。
「……?」
曲がった先は喫煙所があり行き止まりだが、誰も見当たらない。その横には非常階段へ続く扉。ナベシマが何となくドアノブに手を掛けると、施錠されているはずの扉が開く。上を見上げると、幾何学模様の様に、延々と続く薄暗い階段。その真ん中辺りで聞き覚えのある声が響く。
「えぇはい。"ご注文"は頂いてますんで、これから……」
(何で非常階段なんか……ていうか、もうあんなとこ……!?)
場面変化
非常階段を足早に上り、屋上までやってくるイチロー。
彼は慣れた手つきで大きな紙袋から「輸送段ボール試作①」というシールが貼られた段ボールの箱を取り出す。中には狙撃銃を構成するパーツ群が、専用に設計された段ボールの中にピッタリと納まっている。
流れる様な手つきで、バレルと本体を繋ぎ、スコープを取り付けた本体を三脚と繋げ、
銃口にサプレッサーをクルクルとねじ込んでゆく――――
場面変化
「ハァ……ハァ……」
ようやく階段を登り切り、息を切らしながら屋上までやってくるナベシマ。扉のガラス戸越しに、イチローの姿を認める。
「え?いやいや、それでも完全赤字ですよ!せめて18%で……」
(? 一体何をやって……)
その瞬間
『バスッ――――――!!』
「………!!」
ナベシマは気付いてしまった。彼が構えているのは銃で、彼が目の前でそれを撃ち、そして人を殺した事を。
彼女は腰を抜かしてしまい、屋上の入り口の内側に座り込んでしまう。過呼吸になり、涙が頬を伝い、体がぶるぶると震え始める。
(ど……どうしよう……立てない……!!)
イチローは落ちた薬きょうをハンカチ越しに拾ってポケットに入れ、素早く銃を解体して段ボール箱にしまうと、再び足早に近づいてくる。
ナベシマは必死に足に力を入れて立ち上がろうとするが、足が痙攣してしまって立ち上がる事ができない。
そして、イチローはドアノブに手を掛ける――――
『ヴヴーッ ヴヴーッ』
だが同時にイチローの携帯が鳴り、彼は電話に出る。ナベシマは口を両手で多い、涙で溢れた目を見開き、必死に息を殺している。
「はい鈴木です。えぇはい、一応完了して、えぇはい、勿論」
「はぁ………お話というのは……?」
しばしの沈黙の後、イチローは大きなため息をつくと、そのまま向き直り屋上に戻ってゆく。
「いえ……ですから、契約履行後にさらに交渉と言われましても……」
扉が閉じ、やがて少しずつイチローの声が遠くなっていった。
「はぁっっ!! はぁァっ はぁっ………!!」
ナベシマは呼吸を忘れていたかのように大きく息を吐くと、急いで階段を駆け下りてゆく――――
場面変化
その日の夕方。ナベシマのデスクの電話が鳴る。
『ルルルルッ ルルルルッ』
ナベシマは青ざめた表情になる。固定電話の小さな液晶には「スズキカカリチョウ」と書かれていたからだ。机の上には、渡しそこねたブラックコーヒーが、結露を少し残し放置されている。
『ルルルルッ ルルルルッ』
「ナベちゃん、電話だよ? 出ないの?」
「あっいえ……」
ナベシマは暫く躊躇っていたが、恐る恐る電受話器を取る。
「はい……ナベシマです」
「あっ……ナベシマさん? 鈴木です、お疲れさま」
「お、お疲れ様です」
「今日さ……」
「……!」
「……ナベシマさん?」
「あっ……いえ、そのっ」
「今日さ、ありがとね。ナベシマさんの資料すごく役に立ったんだよ」
「え……?」
「実はさ。あの後取引先から連絡あって、むこうの社内プレゼンが早まってさ。一週間も前に準備してたのはウチだけだったから……この商権、うちで囲い込めそうなんだ」
「え? あっあぁ……良かったです!」
「だから、ちゃんとお礼を伝えようと思ってさ」
ナベシマさんは緊張が解けたのか大きく息を吐き出す。
「ハァ……いや、そんなのわざわざ良いのに。でも、お役に立てたなら良かったです」
「はは……また無茶言うかもしれなけれど、是非よろしくね。あとさ……今日、もう上がれるかな?」
「え?」
「屋上で狙撃してるトコ、見られちゃったからさ。その件で話がしたいんだ」
「・・・・・・」
「カフェ『カサブランカ』知ってるでしょ? あそこで会おう。18:30に、申し訳ないけれど必ず一人で来て欲しい」
「……あ……あの」
「……来てくれるかい?」
「……分かりました……」
場面変化
カフェ『カサブランカ』
柱から机、イス、食器の柄に至るまでウォールナット調で統一された店内。
アンティークなタイプライター、柱時計、古びた地球儀、蓄音機。良く分からない英語の分厚い本。
『カランカラン・・』
古びたドアベルが乾いた音を立て、イチローが入ってくる。端の席でナベシマが背中を丸めて座っている。
彼女は入り口に立つイチローの姿を見ると、目は合わせず、怯えたように軽く会釈をする。テーブルの上には何もない。
「ごめんごめん……お待たせしてしまって。先に何か頼んでて良かったのに。コーヒーでいい?」
「……はい……」
「マスターこんにちは。 アイスコーヒーを二つお願いします」
レジの奥で新聞を読んでいた初老の男性が、クイと顔を上げて返事をする。
「アイスコーヒーね」
「わざわざごめんね……なるべく時間は掛けないからさ。そう緊張せず、楽にして欲しいな」
そう言って、イチローは困った様な笑みを浮かべる。だがこの男の笑顔が、ナベシマにはもう猟奇殺人犯の笑顔にしか見えなかった。膝の上に置かれた彼女の手が、カタカタと小刻みに震えている。
(殺される……私は……ここで殺される……!)
彼女の目から、大粒の涙が零れ落ちる。辺りを見渡すと、自分と同い年くらいの女性が一人と、あとはマスターだけ。今自分が力の限り叫べば、助かるだろうか?――――恐らくは犠牲者が増えるだけだろう。
口封じのために、自分は殺される。せめて周りを巻き込むことなく――――
「じゃあ……いきなりで悪いけれど、本題だ」
膝に置かれたナベシマの両手が、グッとスカートを握りしめる。
(あぁ、お父さん……もうすぐそっちに行くよ……せめて……せめて最期は、楽に……)
「ごめん……えっとその、屋上での事は……皆には黙っててくれないかな……!」
そう言って、イチローは申し訳なさそうに顔の前で手を合わせる。
「……え?」
「……え?」
「「えぇっ……??」」
『第一話 殺し屋からのお願い』
第二話へ続く。