02.センスの削りカス
乖離代替次元のメインストリートには既に充分過ぎるほどの往来ができあがっていた。年齢層こそインターネットを反映したかのように若者中心だったが、その風貌は名札だけが闊歩する世界よりも様々だった。
「いつ見ても皆カラフルな格好だな」
「全くじゃ。面白いもんじゃのぅ。肩も脚も腹も丸出しで、あれでは服と肌の2色しかないではないか。あんな格好、儂には信じられん」
「白黒2色常時全裸なのに」
あちこちに顔を向け、目を楽しませているシャチの容貌は至って普通のシャチである。それが宙を泳ぎ、人とコミュニケーションを取るのは、ここが紛れもないもう1つの現実だからだった。
乖離代替次元に季節はない。時期的な区分や、流行によって生まれるシーズンは存在するが、年間を通して人々の暮らしを左右し得る季節は存在しない。現実と離れた次元である乖離代替次元では、季節が人々を変えるのではなく、人々が季節を変える。加えて、どれだけモノを所有しようとも、全て析置換装器のインベントリに収められてしまう。そのデータ容量は人の記憶の長期貯蔵庫の容量に等しい。ゆえに人々は現実に由来するモノから乖離代替次元のみで所有するモノまで、無数の選択肢からファッションを楽しむのである。
時代錯誤的にも和服に草履という出で立ちの、いわば侍とすれ違った後だった。
「久しぶりにお会いしますね。元気にしていましたか?」
鎌滝に声を掛けたのはビジネススーツに身を包んだ中背の男だった。鍛えられた体によって、却って撫で肩に見え、整えられた黒髪とよく響く声も相まって、只者でない雰囲気を漂わせていた。見知った男である。その通り名をストラグルという。
「あぁ、ちょっとした事情があって。しばらく来られてなかったけど、それも落ち着いた。またボチボチ顔を出すことにしたよ」
そう言って、鎌滝は事情をごまかした。当然のようにストラグルはそれ以上言及せず、「そうなんですね」と納得する様子を見せた。
一方で、鎌滝としてもストラグルが自分に声を掛けた理由が気になった。鎌滝ほどでなくとも、ストラグルも要件がなければ積極的に人と関わるほうではない。鎌滝が「ところで――」と言い掛けた瞬間だった。
ストラグルは右手をタクトのように振るった。すると遥か上空から1羽の巨大なワシが舞い降りてきた。砲弾の降るかの如く空気を震わし、それでいて尋常ならざる精密さによってピタリとストラグルの肩に留まった。ワシはシャチをも食らいそうなほどに巨大で、獰猛かつ怜悧な目をしていた。
メインストリートにどよめきが広がった。対峙する鎌滝とストラグルを中心として、波紋が広がる。
「こんなところからエンタメを始めようだなんて粋だな。もう逃れられないじゃないか」
「そうでしょう。久々に会ったんです。1戦交えようじゃないですか。市場を動かしましょうよ」
ストラグルは銃口を突き付けるのとそっくりに、黄金色のラインを持つ析置換装器を向けた。そして期待を顔に表していた。皮肉めいた様子は一切なかった。勝つか負けるか、終わってみなければ分からない本当の勝負というものが待っている。
「……受けるしかないな。復帰戦があんたなのは光栄極まりない」
鎌滝もまた析置換装器を取り出した。ガジェットを介した戦闘意思の交換により、今ここに〈市民の興戦〉が成立した!
『ただいまより〈市民の興戦〉が開始されます/五屋敷・ストラグル・ジーン/鎌滝アレン/7分/引き分けなし/空中戦闘が認められています/電瞬の使用が認められています』
アップテンポの音楽が鳴り響く。ドッドッドッと取り囲む聴衆を沸き立たせ、熱狂の渦を生み出した。
乖離代替次元の入場と同じ音声がルールを告げるときには、既に叫び声が飛び交っていた。
『俺はストラグルに出すぞ! 格の違いを見せろ! やれ! 叩きのめせ!』
『アレンーッ! 気合見せろー! 俺の金を増やせーっ!』
空中に大きく映し出された画面には、二人の顔と登録名、身長・体重、戦歴、その他ルール等が記されている。更には変動し続けるオッズまで。
乖離代替次元は現実と全く別のところに存在している。ここでの所持金は実際の資産を僅かたりとも反映しない。当然、乖離代替次元への課金も可能であるものの、そんなチンケな金は意味を成さない。乖離代替次元は道楽の世界である。1月ごとに給付される金は前月に使った分に従い、世界を賑わせた者こそが賑わいを楽しむ資格を得る。ストリートファイト――〈市民の興戦〉に、戦士も観客も世界も躍動するのである。
鎌滝とストラグルは互いに〈繋光の徒〉を析置換装器の中に収め、それから歩み寄って握手を交わした。聴衆の対立は意にも介さなかった。
「分配、どうする? 5:5? 6:4? 俺は自分の儲けなんてどうでも良いぞ」
「10:0ですね。勝てばファイトマネー全貰い。負ければ戦い損。盛り上げましょうよ」
鎌滝はこれを笑って引き受け、手を解き、拳を突き合わせた。いつの間にか、勝敗予想が鎌滝の劣勢で落ち着いていた。
再びアナウンスが鳴り響く。
『護域――展開/撃域――展開/析置換装器による武装解禁/離域――展開/電瞬解禁――』
鎌滝の意思に呼応し、析置換装器が光を放った。彼はそれを投げ上げた後、左手で掴み取る。刃の血を振り払うが如く所作を続けた。すると、析置換装器を仕舞うが早いか、彼の右腕を電光が駆け抜けた。視線の先へ手を掲げると、ワッと空気の震えたのが分かった。右腕の周囲に幾つもの金属部品が出現し、衛星軌道をなぞるように宙を漂う。黒鉄色の精緻な内部機構が乖離代替次元の奇妙な光を鈍く反射しながら、鎌滝の右腕を軸に構造を成していく――
間髪入れずに出現し続ける部品の最後は、完成された機構を覆い尽くす曲線的な装甲だった。継ぎ目を持たない漆黒の鎧を装着し、遂にその姿を見せ付けるは、1門の大砲に匹敵する大口径ライフル。流線型の造形に、背びれのようなマガジンが装備され、側面にはレバーを有していた。
「これぞ〈繋光の徒〉バトルモード――繋錬武装器。この2モード変形で装器と称されるワケだ。これを見るのも久々だな!」
鎌滝はふとして起こった感情の間欠泉を止めることができなかった。自身を包む熱気に当てられ、繋錬武装器がその機能を振るうことを今か今かと待っていることと、完全に同期していた。
ちょうど同時に、ストラグルも武装を完成させていた。槍にも似た形状の、鋭く、洗練された攻撃性を元としたかのようなデザインだった。
ゴングと同時に鎌滝は掃射した。水平に弾丸をばら撒き、それから半円を描くように空中に向けて連射した。しかし、その全弾はストラグルの飛翔の軌跡を通り抜けるばかりだった。
「相変わらず遠慮を知らないですね。最高だ!」
ストラグルの背には1対の翼が可視化されていた。彼の析置換装器のラインと同様の黄金色で、圧倒的な大きさを誇る猛禽の翼である。彼はその羽ばたきによって刹那的に宙へと躍り出、容易く弾丸を置き去りにしたのである。
「その速さは俺にも再現できない……神速の化け物みたいだな」
ストラグルが不敵な笑みを浮かべた。その微かな動きを感じ取った瞬間、彼は鎌滝の視界から外れていた。攻防が逆転したのだ。
鎌滝も翼を展開する。真後ろへと跳び、そのまま全速力で後退した。充分な間合いを稼ぎ、その速度を緩め、観客が青いヒレのような翼を認められたとき、鎌滝がいた地点には亀裂が入っていた。そして、開いた距離を無視したかの如く、既に目の前でストラグルが構えていた。
互いの繋錬武装器が交わり、甲高い音が響き渡った。
「そちらこそ化け物みたいじゃないですか。後ろに飛ぶなんて鳥でもしませんよ」
「俺は人だからな。後ろ向きに進むのに慣れてる」
「そういうブラックなのも嫌いじゃないですよ」
互いに武装を押し合って相手を突き放し、距離を開けた。もっとも、その距離もあってないようなものだった。
鎌滝は空中であることに気を留めることもなく、平然と引き金を絞った。弾丸は当たり前のようにストラグルの各部へと向かう。
彼は身を翻し、翼を打ち、急加速によって飛翔する。稲妻が宙を裂くが如く、ジグザグに位置を変え、躱し、迫り、鎌滝を貫かんとした。
避ける。鎌滝はほとんど落下するようにストラグルの下へと飛び込んだ。地面に背を向け、仰向けに弾丸を放った。
ストラグルは直上へ突き進み、逃げる。
それを追う内に、戦場はみるみる高度を上げた。ギャラリーが見ているものはいつの間にかカメラ越しの映像に切り替わっていた。
「弾丸を見てから避けられると屈辱的だな。火器のアドバンテージってなんなんだ」
「スピードを売りにしながら避けられるほうも、大分悔しいですよ。我々はとにかく、それでも付いてきてくれるカメラに感謝しながら、全力でぶつかるしかないんです。我々が楽しくなって、ギャラリーを沸かせれば良いんですよ! それがすべからくあるべき姿ですからっ!」
ストラグルが突進した。鎌滝は身を傾け、飛び退こうとするが間に合わなかった。槍の穂先を免れたものの、組み付かれたまま引きずられるようだった。そのスピードは自身の翼で飛ぶよりも明らかに速い、二人分の重量であるにも拘らず。
「タックルされた経験なんて全然ねぇんだよっ!」
「だというのに経験者に匹敵するなんて!」
思考を寸断しないことを強要される鎌滝に対し、ストラグルはどこまでも嬉々として襲い掛かった。そういう攻撃だからこそ、鎌滝は自身の力を以て正面から反撃せねばなるまいと感じていた。
幸いにしてストラグルの回り込んだ手は組まれていなかった。鎌滝は身を捩り、崩れたバランスと戦いながら飛んだ。追い付かれないように可能な限りのスピードで、上下左右の感覚を保つように飛んだ。ストラグルがまたも肉薄している気配はなかった。
鎌滝が振り返ると、ストラグルの空いた左手に析置換装器が握られていた。即座に自身も取り出した。
あと少し振り向くのが遅ければ、あと少し体勢を崩していれば、あと少し気付くのが遅ければ、決定的な敗北が鎌滝を囲っていただろう。
繋錬武装器の核となるのは〈繋光の徒〉の力に他ならない。〈繋光の徒〉ごとに武装の形状から性能まで千差万別であり、また中には固有の特殊能力――電瞬を有するものもある。
鎌滝は武装の側面に付いているレバーを勢い良く引いた。武装は変形し、スロットが口を開ける。鎌滝は析置換装器を挿し込んだ。ガシャンと噛み合う音が鳴り、再び武装が機能し出す。大きな流線型の装甲には1条の青線が立ち現れていた。
「それで間に合ったつもりですか! 否、これでチェックメイトですッ!」
五屋敷・ストラグル・ジーンが切っ先を向けていた。彼の繋錬武装器に黄金の閃光が迸る。
「電瞬:The Cage After Forgiving!」
幾筋もの雷電が鎌滝に襲い掛かった。その軌道の全てを読むことは不可能。一触即発の光の槍が、鎌滝を包囲する。
「罪によって罰せられたとして、ないしは許されたとして、その後に待ち構える永久の拘束をご存じですか?」
鎌滝は一切の動揺を見せなかった。ただ1つ、青い閃光を見せ付けた。戦場は既に最高地点に達していた。
「……知らないね。あいにく、俺は社会に拘らないんだ!」
そもそも、〈市民の興戦〉が行われる戦域は3種類の層からできている。護域がユーザーのデータを攻撃や高速移動による改変・損傷から保護する。撃域がユーザーの座標や攻撃による相互の影響を演出する。それから、離域に電瞬が反映される。電瞬は普遍ではない。それがある層は通常の攻防と異なり、仮に逃げおおせたとしても、通常の行動が干渉することはできない。だからこそ電瞬が切り札なのである。
けれども、鎌滝は刹那的に瞳が捉えた雷の檻にいささかの逡巡もなく、ストラグルへと一直線に間合いを詰めた。
「――――電瞬:Layer」
他に類を見ない鎌滝の電瞬はこれらの層に普遍である。その能力自体は特段何をするわけでもなかった。一方で、どこにでもあることにより、何に対しても干渉する権利が与えられる。
鎌滝を縛る檻が消えた。ストラグルの電瞬は無効化された。そして銃口を突き付け――
「――いない!?」
振り向いてさえ、ストラグルの姿は見えなかった。しかし、鎌滝が空中の1点に留まった瞬間、ストラグルが降ってきた。
「明らかに、どう考えても、詰めが甘いですよ。何も戦術は多対多のときにしか現れないものではないんです」
ストラグルの右腕に繋錬武装器はなかった。翼もなかった。彼は鎌滝の最後の1手を読みきり、上昇した後に武装を解除して落下したのだった。そうして背後を通る一瞬に鎌滝を捉え、首に腕を回した。
「バックチョーク。格闘技の経験があったとしても処理の仕方を知っているとは限りませんからね。いわんや素手のケンカもしたことがないのでは、どうしようもないんじゃないですか?」
終わりは呆気なかった。
『Winner:五屋敷・ストラグル・ジーン』
2人が再び地面に足を付け、繋錬武装器を解除したとき、ギャラリーのおよそ半数が最初から入れ替わっていた。それでも総数は変わらず、拍手と声援と罵倒とが飛び交っていた。
析置換装器から〈繋光の徒〉が姿を現した。2人は開始と同様に握手と、いくつかの言葉を交わす。
「やはり強いですね」
「勝った奴がそれを言うか。いや、でも強かった。また戦おう。今度は小遣いも歓声も喜びも全部貰って行くよ」
「ええ、また是非」
メインストリートに小さなリングを作っていた観客が1人、また1人と去っていく。突如として起きた勝負は瞬間的に乖離代替次元を盛り上げ、動かし、そしてまた日常に戻っていく。
2人は更に歩み寄り、互いの背中を叩いた。最も顔の近付いたときだった。
「ただ1つ。なんだか妙に動きが大雑把でしたね」
ストラグルが小さな声で刺した。
「……………………ブランクだよ」
鎌滝は薄く笑って答えた。
交わしていた手に再度力を込め、「それでは」と言って解散した。ビジネススーツに身を包んだストラグルは大股でキビキビと歩き、その後ろをワシが大きく羽ばたいて付いて行った。
シャチが呟く。
「分かられてしまうもんじゃな」
「そりゃそうだ。あの人、強いから。俺らみたいな素人なのに乖離代替次元ならできちゃう奴とはわけが違う。条件を整えれば整えるほど、瞬殺されることになる」
道の真ん中に突っ立てるのも落ち着かない、と鎌滝は壁際へと向かった。歩道ですら更に端へと寄った。別に負けたかったのではない。負けて当然だったというのもわけが違う。取り溢さないに越したことはなかった。ただ、勝とうとするほどに「勝ってはいけない」と、反作用が体の動きを鈍くした。自分の中のものが自分を押さえつけていた。それに加え、別に目的があるとどうにも身が入らないのだ。せっかく元の力と共に乖離代替次元に戻ることができたのだから、もっと違う、新しい戦い方をしても良いのではないか。
鎌滝とって、この勝負は滴り落ちた水の1粒に等しかった。器にはまだ水が盛られている。たった少し落としたものがあっても、中に残るものがまだまだ体を重くさせていた。