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sinECG  作者: XelMon
12/14

12.動脈を押さえる首輪

 鎌滝かまだきはここしばらくの間に行われる中で最も白熱するであろういくつかの〈市民の興戦(アウトオブ)〉が観戦できないことを残念に思っていた。手筈ではこれから隆郷りゅうごうがメインストリートで〈市民の興戦(アウトオブ)〉を繰り返すことになっており、彼もまた鎌滝同様に話題性を持ち合わせていた。〈繋光の徒(ディラグ)〉を連れていないにも拘らず、持ち前の肉体と数々の武器を使い分けることで平然と勝負し、その果てに勝利を収めるのである。


「もっとも、これで俺がどれだけ損することになるかはあいつの相手次第なところもあるな。テキトーな奴らだけだったらそんなにもったいなくならない」

「瞬殺というのも、見え透いていたり、繰り返すのでは面白くないじゃろう。一方で、儂らでもそういう『ぷろふぇっしょなる』と戦うのはやはり厳しいもんじゃからな。天に任せるのみじゃのう」


 シャチは穏やかな海をのらりくらりと気ままに泳ぐような態度で、鎌滝に与えられたスルメを口の端で食んでいた。夜も更けた閉塞的な頃とは到底思えないような雑談を2人は続けた。


「元手芸部なんて元帰宅部よりも弱そうだ。そんな奴が武道、格闘技ないしはいっつも運動してますって奴に勝てるほうが不思議なんだ。そんなイッパイイッパイの状況なのに、盛り上がる戦いを1人で演出できるものじゃないよな」

「そんなのはどんな勝負でも同じじゃ。これも相手次第で奴が早くに疲れ切ったり、自警団連中が目を離す隙ができる場合には、むしろ儂らに与えられる猶予があっという間に減ってしまうのう」

「それでも、あいつならそんなに時間の短くなることもないだろ」


 隆郷の役目を頭から除いて、鎌滝は自身の目の前に聳える壁に目を向けた。彼はメインストリートからいくらか離れた、団地内の1棟の陰に立っていた。ここの1室に古城門ふるきどがいる。

 鎌滝はただ夜中に散歩するような格好で、力は抜けていて、少しばかり気だるげだった。気乗りしている反面、気乗りしていない部分も同居する曖昧な心持ちの上に立っていた。

 隣を泳ぐシャチがスルメをすり潰さんとばかりに口を動かし続けながら言う。


「何をそんなに心配しておるんじゃ。これから力を振るおうってのに、そんな意識じゃ自分が振るわれて終いじゃぞ」

「そんなことは分かってる。目的は古城門と殴り合うみたいに話すことでしかないんだ。向かってこられる準備もできてるし、今更誰かを潰す可能性があるからって、何かすることが怖くなったなんて言わないよ。俺は既に道を外れてるんだ。それに、道を外れたことで今の俺がいる。居場所も、背負ってるものも、どうだって良い」

「なら何をそんなに後ろめたいような顔をしとるんじゃ。用を足すなら今の内じゃぞ?」

「そんなんじゃない。この感じは……新しく加わるものとか前に積み重ねたものとか、全部合わさってるんだよ……人の感覚には弁別閾ってものがあってな、水の1滴が2滴になるのは分かっても、海の水が1滴増えるのは分からないんだ。このまま俺の罪が増えていくと、そのうち罪の増えたことに気付かない瞬間が来るかもしれない。重くなり続ける罪に俺が気付かなくなったら、それってどうなってんだって考えると、自分の軸が抜き取られそうな怖さに駆られるんだよ」


 シャチは宙に浮かんだまま何も言わなかった。口の中も空っぽになったらしく、そこも動いていなかった。鎌滝は薄く笑って誤魔化した。眩しいメインストリートの陰で、鎌滝はこれからある個人の領域に踏み込んでいき、もしかしたらその存在を消すに至るかもしれない。乖離代替次元オルトラクションの秩序がジェンガのように抜き取られ、崩壊に導かれることを止めるという大義名分ために。大義名分のためというのに働くのはたった1人の力であって、決して社会のどうこうではないという矛盾を抱えて……


「どうなるかは古城門がどうやってことの顛末を話すか、その末端が判明するか、そんなところに懸かってるのかな。俺のほうも相手次第じゃないか」


 鎌滝は独り言ちて、シャチの胴に手を当てた。それから自分達の立つ地面へと向かうと、シャチがアスファルトに潜り込んだ。それに連れられて、鎌滝もアスファルトに潜り込み、鉄筋コンクリートとして造形されたマンションの壁の中を泳ぎ進んだ。しかしその壁はただの1つの塊に過ぎず、内部には鉄筋なんて通っていない。


「まったく、便利で無秩序な能力だ。隆郷が勝手に増やしといてくれて助かった」

「儂は元より使えるんじゃがな。お主が付いてこられるようになっただけじゃろう」

「なら狭いところを嫌う必要もないじゃないか。壁があっても潜れるなら、どこにも拘束されない」

「分かっとらんのう……そういうことじゃないんじゃよ。実質的な部分が必ずしも見えている部分を上回るはずはないんじゃ。儂にとっては儂がそう感じてるってことが全てなんじゃ。嫌なもんは嫌じゃ。スルメは旨いもんなんじゃ」


 壁の内部に音はなく、潜航する2人にはこのやりとりが聞こえる音の全てだった。実際には外の音も壁に響くはずだろうが、人の手で作り出された乖離代替次元オルトラクションでは、その本物らしさは排除されていて、壁の中はこの上なく冷静になれる場所だった。

 鎌滝はシャチに牽引され、325号室に至った。しかしそこは玄関の前ではなく、閉じられた窓の下、壁の中だった。人が出入りすべき場所とはちょうど反対の位置だった。


析置換装器ケムトジコンをもう一度壊すには、もう少し破壊力が必要なんじゃないか?」


 そう言って鎌滝が壁から姿を現したとき、古城門は金槌を握り締めていた。硬く力の込められた左手を、床に置いた古城門自身の析置換装器ケムトジコンに向かって振り上げているところだった。彼女は驚愕を露わにし、壁から現れた鎌滝に釘付けになったまま、微動だにしなかった。言葉を発することさえできなかった。

 暗く狭い部屋だった。到底シャチを招き入れることはできず、壁の中から剥製のように首だけ出して様子を窺っていた。ピシャリと閉められた窓から赤黒い月光が差し込み、部屋の角へと鎌滝の影が伸びた。その影に覆われる古城門の体は、酷く矮小なものに見えた。堂々たる振る舞いはどこへ消えたのか。


「あんたは……ッ!」


 古城門の背後には1人の少年が立っていた。白い格好をした少年だった。彼は古城門の肩に両手を置いて、それから背中にべったりと圧し掛かった。自分の体重を全て彼女に被せるようにしていた。古城門は振り上げていた腕を力なく下ろし、一方で少年に抵抗することもなかった。


「メェー」


 とだけ少年が鳴いた。表情が少しも変わっていないにも拘らず、常に水平を保つ黄褐色の瞳は傾いていく人々を嘲笑うかのようだった。

 シャチが析置換装器ケムトジコンの中へと立ち戻った。鎌滝の手の中で、少しだけ重さの増す感覚がした。それから彼は淡い輝きを放つ析置換装器ケムトジコンを、ヤギに浸潤されるかのような古城門へと突きつけた。


「……だめっ…………――――」


 消え入るような声で古城門は言い、自分の肩に置かれたヤギの手に触れた。きゅっと固く掴んだまま、レンズからも外れた震える視線で鎌滝のほうを向いた。彼女の顔は血の気が引けて青白くなっており、明らかな名前の付かない感情に取り憑かれているようだった。


「……何が駄目なんだ? 自分が襲われることか? ヤギが襲われることか? 俺が襲うこと自体か? その他にもこの状況を構成する要素の一つ一つをつぶさに考えれば、いくらでも理由が考えられるけど…………あんたは何をそんなに恐れているんだ?」


 鎌滝が言い終わるよりも先に、ヤギが古城門の黒い首輪に手を添え、耳元で何かを囁き聞かせた。それを境に彼女の瞳の焦点が定まり、歪んだ眼がちょうど光を跳ね返さなくなった。グイとヤギを自分の背中に隠れさせ、壊そうとしていた析置換装器ケムトジコンを乱暴に掴み取って、力の限り握り締めた。


「こいつは……私が守らないといけないんだ…………」

「そうか、守らないといけないのか……あんたはそいつの盾に過ぎないんだな。持ち手を掴まれたまま、馬よりも更に思うがままにされる……盾が攻撃するなんてほとんど意味がないのにな」


 鎌滝だけの意思によって〈市民の興戦(アウトオブ)〉が始まる。古城門に拒否する権利は与えられず、アナウンスが聞こえてきた。


『ただいまより〈市民の興戦(アウトオブ)〉が開始されます/鎌滝アレン/古城門レーナ/時間無制限/空中戦闘が認められています/電瞬シナークドの使用が認められています』


 ヤギは古城門の背後でニタニタと笑っていた。鎌滝からしか見えず、古城門は自分が頼られていると妄信せざるをえない、たちの悪い薄ら笑いだった。


護域ファースト・レイヤー――展開/撃域セカンド・レイヤー――展開/析置換装器ケムトジコンによる武装解禁/離域サード・レイヤー――展開/電瞬シナークド解禁』


 先に武装を展開したのは古城門だった。しかし、彼女の戦闘意思が析置換装器ケムトジコンに反映されたと表すことはいささか不適当に思われた。ヤギが泥の如く彼女の右半身へと覆い被さり、半ば侵すようにしてその身を繋錬武装器ウルトジコンへと変えたのである。彼女の欠落した右腕には、それを補って余りある巨大な紫の拳が繋がった。武器としては単純な構造であるにも拘らず、圧倒的な攻撃力を予感させるそれと一続きに、彼女の武装は右脚や、右目にまで及んでいた。ユーザーと〈繋光の徒(ディラグ)〉という2つの存在がそれぞれの役目を果たす格好を遥かに超えた、尋常ならざる融合体だった。

 古城門が繋錬武装器ウルトジコンを完成させたのに僅かに遅れて、鎌滝も自身の繋錬武装器ウルトジコンを纏った。流線型の大型装甲が目を引く銃火器である。シャチの背びれを想起させる弾倉を備え、側面には電瞬シナークドのためのレバーが控えている。今宵は特別に銃口の更に先までもが手指に等しく操れると感覚された。

 拳が繰り出された。古城門の拳は予備動作の1つもなく、突如として投げ出されたかのように鎌滝に襲いかかる。彼が辛うじて身を捩っても、狭い部屋の中で巨大な一撃から逃れることは能わず、全身を駆け抜ける衝撃に従って壁に押し付けられ、ブチ破った。否、彼の体との衝突が、壁に設定された耐衝撃性を上回ったことによってすり抜けたのだった。


「……!? これで電瞬シナークドでも何でもないのか!?」


 鎌滝は空中で身じろぎし、即座に翼を広げた。体勢を立て直し、すり抜けたばかりの壁に目を向ける。目を離さなかったと言っても過言ではないほどの、理想的な動きだった。しかし既に古城門は眼前で2撃目を構えていた。彼女の瞳が鎌滝を射抜いていた。口をきつく結び、繋錬武装器ウルトジコンに力を込めていた。

 鎌滝は全速力で後ろ向きに飛び、拳の届かないだけの距離を開ける。すんでのところで古城門の攻撃は空気を震わせるのみに終わった。まさに一触即発の爆発的な威力を有し、次にまともに食らえばひとたまりもないと容易く判断し得た。


「こいつがいなくなったら……私は…………」


 古城門は自身へ呟き聞かせていた。繋錬武装器ウルトジコンに覆われた右腕が碇のように重力に任せて垂れていた。彼女は背中の小さな破れかぶれの翼で宙に留まり、体を歪に傾かせていた。右半身がやけに重そうだった。


「戦おうってのにこっちには目を向けないんだな。ひょっとして敵は俺じゃないってことか?」

「……………………」


 古城門は僅かに目線を上げたばかりで、顔を向けることもないまま沈黙を貫いていた。その右腕は眼鏡を押し上げるには重すぎた。

 鎌滝は銃口を向けた。漠然と古城門の胴体にアタリを付けて1発だけ引き金を絞る。


「俺が扉の前に立ったまま進めないのに対して、あんたは誰かの部屋に監禁されているみたいだ。そのまま自分の居場所を忘れてきている」


 古城門は放たれた弾丸から逃れようとしたが、その足は鈍く、1撃が左肩に突き刺さった。


「そう、本来弾丸ってのは見てから避けられるものじゃないんだ。中にはやってのける奴もいるが、その場合はそもそもの種がある。あんたは……自分の中で格闘しながら外でも戦闘するなんて芸当はできるはずもない……案外普通の存在なんだよ」


 続けざまに放たれた2発目、3発目の弾丸もまた、古城門の左半身に食い付いた。


「ここは乖離代替次元オルトラクションだ。弾丸の3発なんて致命傷にはならない。そうすると、あんたを追い詰めているものはこの弾丸でもないな」

「…………足が遅い……もっと速くないと私を――ヤギを守れない……………………」


 古城門は右腕の内側に仕舞われていたレバーを起こし、力任せに引ききった。武装が継ぎ目に合わせて弾け、析置換装器ケムトジコン分のスロットが口を開けて待っている。彼女はふともものホルスターからそれを取り上げると、即座に差し込み、それから空いた左腕を体の横に投げ出した。


「〈電瞬シナークド:Sacrifice〉――今だけくれてやる、私の左腕! 私に力をよこせッ!」


 武装に1条のラインが迸り、古城門の左腕が不可視の悪獣に食い潰されたかの如く消失した。武装が厚みを増し、対照的に中身を失った袖が靡く。それは右腕とそっくりだった。


「右腕の原因って――」


 古城門が獰猛な眼差しを向けたかと思いきや、鎌滝の視界から姿を消した。彼が問うことさえ叶わず、拳が迫っていた。かろうじて可能であったのは、守るとも言えない格好で受け止めることだった。


「私だって最初にそんなことだろうと思った! だけど……そんなはずもないんだ…………」


 これまでになく顔と顔とが近付いていた。噛み締める古城門の、歯のすり潰されるような音まで聞こえてきた。浮いている首の筋の一本一本まで見えた。既に速度が失われ、力任せな鍔迫り合いになっていた。鎌滝は彼女の左腕が戻っているのを見た。


「あんたも最初は電瞬シナークドのせいで腕がなくなったんだと思った……だが、そうだとしても戻るはずだった。最初の不審混迷はそこだったんだな」


 鎌滝が力を強めたとき、古城門の眉が吊り上がった。一層乱暴な押し合いは圧力を大きくし、最後には互いを弾き飛ばした。

 空いた間合いの先で、古城門は背後に集合住宅の平らな壁を背負って、松明もない闇夜にぽつんと立っていた。誰も寄せ付けず、自分だけで自分を抱きかかえる様子を纏いながら。


「ただ不安が募って……傍にはヤギだけがいて…………全部どうでも良くなるんだ。私――ヤギのために全部くれてやるッ!」


 鎌滝は古城門のひしゃげた声が飛び込んでくるのをしかと聞いていた。

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