11.人間関係ヘタクソ選手権
鎌滝は隆郷の部屋を訪れていた。これから古城門が修理された析置換装器を受け取りに来ることになっていたが、彼らには受け渡し以上に語るべきことがあった。
部屋に流れていた音楽は、隆郷のいつもの通りに重く、速く、かつ攻撃的だったが、そこに乗るボーカルが妙に旋律的に聞こえた。
「これは大分耳馴染みが良いな」
「ただの俺の気分だ。なんというか…………夕方になると聞きたくなるヤツってあんだろ?」
隆郷は預かっている析置換装器に最後の微調整を行っていた。「預かる前と差を感じるようじゃいけない」と説明するが、鎌滝にとってみれば、隆郷の修理は充分だった。多分ほとんどのユーザーはそこまで頓着しない。
既に景色の半分は影に覆われ、紫の空が赤みを増している頃だった。「実はこの世の皆に等しく流れる時間なんてないんだって」と言われても信じてしまえるような、ミステリアスな流時感が背後に迫っていた。
鎌滝は作業机に対して腰を落ち着け、両腕を組んで待っていた。ちょうど時間になると、彼の傍に析置換装器を置いて隆郷はドアの鍵を開けた。析置換装器を持ち合わせていない古城門は、開けられるまで待つしかなかった。
「3日ぶり。また会えて嬉しいよ」
古城門は親しい友人に会うように言った。ヤギを連れていなかった。格好も今までと違っていた。
「この曲は……親しみが持てるな。どことなく物寂しくなるこの時間帯にピッタリだ。やっぱり、君はセンスが良いな」
「そう言われちゃ嬉しいな。いつも通りコーヒーで良いか? アレンはどうする」
「君の優しさだけ頂くことにするよ。君達とたくさん話したかったけど、ちょっと予定が合わなくてね」
「隆郷、そしたら俺も大丈夫だ」
鎌滝が平生のものから少しも声色を変えないようにして言うと、隆郷はパソコンの前の椅子にドカッと腰を下ろした。しばらくして彼はデスクの上に転がっていたボルトとナットを弄り始めた。
古城門は席に着こうとはしなかった。鎌滝の近くに自分の析置換装器を見付けると、彼の後ろに向かった。元から古城門に背の高い印象があったものの、今、自身の背後に立つ彼女を、鎌滝は更に大きく感じた。硬い芯か何か、支えが与えられてしまったようだった。
「それが私の析置換装器だな。どうも、一時はどうなることかと思ったけど助かったよ。ありがとう」
古城門の声色のどこにも、ささくれのような棘は見当たらなかった。彼女は左手で鎌滝の背中をポンと優しく叩いて、それから首から肩へと1度だけ撫でた。彼女はそうして相手との意思疎通のためだけに、片方しかない手を塞いだ。ずっとヤギが与えられていたものはこれに違いないと直感した。
古城門は自身の析置換装器を取り上げると、その外見をひとしきり眺めた。それから、その表面に親指の腹を滑らせ、「うん」と満足そうに頷いた。空っぽだった太もものホルスターに、析置換装器はぴったりと収まった。
「なんだか、今までと雰囲気がまるで違うじゃないか」
腰を据えて腕を組み、古城門の言動を静観し続けていた鎌滝がようやく問う。
「『相手に近付きすぎてしまうかもしれないから』って何もかも変えないようにしていたのはどうしたんだ? 何か心変わりでもあったか? 自己愛が溢れ出して周りなんて全部どうでも良くなったか? それとも……いっそ近付ききったか」
隆郷は何も言わずに、またモニター上に新たなウィンドウを開いていた。その間にも、空いた手の指先が玩具未満の塊を弄りまわしていた。彼は知っている、自分自身と鎌滝の役目の違いを。
鎌滝はじっと古城門の瞳を見つめた。瞳孔の奥の、盲点を貫いた先の、視神経を辿った先の、脳の極みまで透かすかのようだった。そうして漏れ出たものを、自らが立てている仮説と照らし合わせるつもりだった。鎌滝の中では既に、古城門が変えられた理由は見付かっていた。それでも彼女は「君は凄い人だな」と落ち着き払った声で言った。
「俺は人と話すのが下手なほうだけど、人の中身を言い当てるのは得意なんだ。吹っ切れたんだな。前は被っていた泥が流れ落ちて、小さく残った汚れが気になっていたのが、今度は生ごみにでも突っ込んだみたいだな。自分を包むものは変われど、代わりの当てが見つかって落ち着いたんだ。今のあんたは、贈り物のぬいぐるみに盗聴器が仕込まれてるのを知った上で愛でる――そういうつもりなんじゃないか?」
古城門は何も答えず、部屋の中ではオーディオからアルバムのタイトルナンバーが流れていた。破壊的なサウンドがよく聞こえた。隆郷もまた、何も言わずにいた。「土足文化圏でも会話は土足じゃねぇよ」なんて頭の片隅で思いながらも、自分の出る幕ではないと、鎌滝にことを任せていた。
しばらくして、再び古城門は鎌滝の首元に触れる。
「別に、元の性格が改めて発揮されるようになっただけだ。だけどそれなら、私はぬいぐるみを愛でるだろうな。それどころか私の生活の全てを教えてやろう。食事のときには対面に座らせて、私の咀嚼を教えてやろう。風呂場に連れて鼻歌を聴かせてやろう。すっぽりと空いた時間に私が何をするか、そいつだけが知ることができるんだ。寝るときには同じ布団に入ろう。こうなってくると私の抱く強さや、熱が伝わらないのが残念になってくるな……ともかく、君の言う通り私はどんな奴でも好きになれるし、そのつもりを取り返した。私に興味津々なのに、私が興味を向け返した途端に逃げ出すような、ドブガエルみたいな奴でも好きになれるぞ。私は絶対に目を離さないからな」
古城門は思い描く理想に恍惚としながら、演説じみて語った。このときばかりは隆郷も手を止めて聞き入っていた。彼女の口調には、人を自分との関係性の渦に巻き込む魔力が込められていた。
「確かにそういう性格なら、人との距離感ってのは測り続けないといけなかったかもな。それでもやっぱり、支配しつつ、されるのが好きなんじゃないか」
「バカを言うな。今までのいつだってそんなことはなかった」
古城門は大したことでないと、鎌滝の言葉を真面目に受け取らなかった。一方で、彼には確信があった。自分が知らない自分がごく自然な格好で存在することを、身を以って知っていた。
「そういうわけで、私の問題は解決したんだ。この様子じゃ記憶こそ戻らなさそうだけど、いっそそれで良い。報酬はまた後で請求してくれ。きっちり払うよ」
古城門の声はまさしく別れを惜しむ声で、仕方のないことと納得する反面、後ろ髪を引かれる思いを伴っていた。しかし彼女は「短い髪も似合うね」なんて誰かに囁かれたら、即座に切り捨ててしまいそうな危うさを持っていて破滅的だった。鎌滝にも隆郷にも、部屋を後にする彼女は引き留められず、「きっちり金払うまでは付きまとうからな」という乱暴な物言いしか浮かばなかった。
扉が閉められ、音楽プレイヤーから流れる曲が移った。アルバムの次の曲は更に暴力的だった。
「……問題は解決したらしいが、アレンはどうするつもりなんだ?」
「俺らは心理士じゃない。問題が解決すれば良いというほど相手本位には振る舞えない……いや、むしろ業務から離れたらあとは俺らが勝手にするだけだな」
鎌滝は何も心配することはないと言うように、ハッキリとこの後を見据えていた。隆郷はパソコンの脇に置いていたコーラを飲んでから、「お前が言うならそうするか」と少しの反発も示さずに言った。再びペットボトルの底がデスクに付いたとき、鎌滝が呟くように問いかける。
「最近、興味ってのが何か分かったかもしれないんだ。多分、自分の感じる景色の端に、ポンと見えるか見えないかで存在してる感覚なんじゃないか?」
「分からねぇよ。興味なんていつの間にか持ってるもんで、次へ次へって勝手に広がんだ」
「いつの間にか持ってないんだよ、俺の場合は。この前、扉の前に立つような感じがしたんだ。その扉の向こう側にものがあって、扉を開けないと次に行けないんだ。多分興味を広げようとしてもまた扉があって、一個一個を歩くだけのエネルギーじゃ進めなくなってる。扉を開けるエネルギーも必要になってるんだ。その理屈で行くと、やっぱり俺は興味を持つってのが、どうも苦手なんだよ。ただ――」
「なんだ? 興味がなくても、興味を持つ方法があるって言いたいのか?」
隆郷はやや投げやりになって言った。鎌滝の少々内省的で考えすぎるきらいがあるところは、出会ったころから変わらず、一方で彼がそうしてたどり着いた結論を大外ししたことはない。だからこそ、隆郷がいかにテキトーに答えようが関係なく、ただデスクトップ上に乖離代替次元の地図を開いて待っていた。
「そういうことだ。俺が興味を持って進むのに掛かるエネルギーがあまりに大きいとしても、扉を開けるのに掛かる分だけならそれほどでもない。俺は門戸を開いて向こうから飛び込むのを待つ。古城門についてはそれができた。居場所も分かってるんだろ?」
鎌滝は既に見た事実に言及するかのように確かな心持ちで隆郷に尋ねた。彼の見ている画面上には、乖離代替次元の地図と、その上を行きかう赤い点が大量に現れていた。彼がその赤い点を一気に非表示にした時、唯一残ったのはちょうど別の団地内の公衆転移装置から出てきたらしい青い点だった。
「預かってる間に改造までしといて正解だったな。居場所どころか古城門に割り当てられた部屋まで分かったぞ。なんだかんだ、乖離代替次元からは離れられねぇらしいな」
「隙あらば機能の追加、本当に嫌な手癖だな。俺のにもしょっちゅう特殊能力を加える。完璧に直したおまけでしかないから他の機能にも差支えはないんだろ? 古城門にも気付きようがない」
「当然だろ。あーあ、俺も悪事を働いちまったな」
隆郷は悪びれる様子は見せなかった。「俺のやることはやったぜ」と鎌滝に投げかけるばかりである。その何も考えていないような分かりやすい態度が、却って頼もしく見えた。鎌滝は呆れるほどに散らかった部屋へと放り込まれ、好きなだけ片付けて良いぞ、と任ぜられたかのように、疲れと楽しさを予期していた。
「もっとも、古城門は盗聴器が仕掛けられてたら、自分を余すことなく晒すらしいじゃないか。追跡されてる場合も同じなんだろうな。その最後に向こうが飛び込んで来たときの準備は整ってんだ。あいつの全部を教えてもらいに行こうぜ」