要請に対して補償を手厚くって、「一時的な措置」だからだよね。
いや、新型コロナウイルス感染症が世界を変えてしまってもう二度と元の世界に戻れないのならね、「休業に対する補償」って、ものすごい無駄遣いですよね。だって、継続できない事業に対してお金を払って、その事業を継続させようとしているのですから。
どんな小規模な飲食業もね、独立した事業で店主は事業主です。給料の補償されたサラリーマンとは根本的に違います。
事業主には、どうやって稼ぐのか、自分で決める責任があります。その責任が取れないのなら、事業を続けるべきではありません。事業から撤退するという決断を、できるだけ傷が浅いうちに取るべきです。
そして、そういった決断もあることに対して、世間はもっと理解を示すべきです。継続不能な事業を続けることに対して過度な理解を示すことの弊害を、もっと真剣に考えるべきです。
事業に失敗したり、破産したりすることは恥ではありませんし、他者より劣っている訳でもありません。特にこのコロナ禍ではそうでしょう。
困難な情勢下で、先が見通せないままに事業を継続することは、美談ではありません。むしろ、美談にしてはいけない類のことだと思います。
もちろん、協力金がなかなか支払われない等の、明らかに行政の失敗は批判されるべきだと思います。ですが、それと事業の継続性は別問題のはずです。
「事業主は何も悪いことをしていないのに国や自治体からの要請で休業に追い込まれた、だから国は補償しなくてはいけない」
この言葉には、二重、三重の欺瞞が隠れています。採算が取れなければ事業は継続できませんし、社会情勢の変化によって収益が悪化するのもよくあることです。
今を持ちこたえれば特需が発生すると見越して事業を継続するのは筋が通っていると思います。そうですね、私は特需が発生すると思いますし、それは早ければ今年の年末あたりになると思っています。
もし特需が発生しなくても、条件次第で飲み会だってできるようになっているのかなと。飲み会すら完全に否定されるという今の状況は、かなり改善していると予測しています。
……でも、そこまで楽観的に考えられない人は、「休業に対する補償」ありきの考え方は、少し考えるべきなんですよ。新しい生活様式を受け入れなければいけない世の中になるのなら、飲食業は今のままではいられないのは明白なのですから。
もしも新型コロナウイルス感染症が本当に世界を変えるのなら、その変化によって倒産も失業者も大量に出るのは避けられないはずです。自己破産する人も生活保護に頼る人も増えるでしょう。でも、その後に再出発すれば良いだけのはずです。
今の日本はそういった「撤退と再出発」に対して極めて酷薄だと感じます。続けた方が良い、廃業は避けた方が良い、そういう常識が強すぎるのだと思います。
ですが、その真面目さが、事業主をどうにもならない所にまで追い込んでいるような気がするのです。
先の見通しが立たないのなら、苦境に立たされる前に、余力のある内に事業はたたむべきです。そこから目を逸らさずに、もっと真剣に考えてから主張すべきだと、私は思います。