ワクチン接種に自由はあるのか、という話。
感染症対策って、結局のところ、人権の制限なんですよ。生存権、自由権、幸福追求権、そういった諸々の「人として当たり前の権利」が、疫病が蔓延することによって脅かされる。
疫病が蔓延すれば生命が脅かされる。外に出るだけで感染する危険があるのなら、それは自由に対する脅威です。そして、疫病が蔓延して外出するのも困難になった街では、幸福を追い求めることなんてできません。そうなれば、飲食店にしろ娯楽施設にしろ、苦境に立たされることになります。ですが、有効な治療法もない状態では、行動を制限する以外に、蔓延を防ぐ方法はありません。
だから、外出することができる程度に規制をして、致命的なまでに疫病が蔓延しないようする。感染症対策というのは、人権なんて言ってられない状況になる前に、効果的に人権を制限する行為に他なりません。
そんな状況下で、ちょっと過去に類を見ないほどに効果的なワクチンが登場した。だから急いで接種しようとしているのが、今の状況です。
ワクチン接種は自由、確かにそうかも知れません。ですが、ワクチンを接種することによる「社会的な意義」というのは、現時点でも十分に周知されていると思います。だって、皆さん、当たり前のように言ってるじゃないですか。たくさんの人が接種すれば集団免疫が獲得されるって。そうやってワクチン接種者によって確立された「安全に外出することができる世の中」に、ワクチンを接種しない人がどれだけ権利を主張できるのか。
これは、単純に政府の責任とか、そういう話ではないと思います。例えば飲食店や観光地で、ワクチンを接種していない人は歓迎されないかもしれません。それは事実上、ワクチン非接種者に対する権利の制限になると思います。でもそれを、多くの国民が望めばどうなるのか。映画館で、喫茶店で、ライブハウスで、ワクチンを接種していない人は入店を拒否していいという空気が生まれる可能性を、私は否定しきれません。
もしかしたら今年は会社の忘年会も、「ワクチンを接種を条件に」参加できるかもしれません。幹事に文句を言っても、「店側にそう念を押された」と言われ、店に文句を言えば「店としては感染症対策の都合上、確認せざるを得ない」と返される。それでも無理矢理参加したら、今度は一人だけ離れたテーブルに案内されて、店と参加者が無言で「お前は一人静かに飲んでいろ」という圧を加えてくるかもしれません。
――それを、本当に悪いと言えますか? ワクチン接種が感染症対策を解除する鍵なら、ワクチン接種をしない人は感染症対策を続けろと、騒がす黙って飲み食いしろと、そうなってもおかしくないと断言できますか?
確かに、ワクチンの接種は自由かも知れません。でもね、その後の「当たり前の権利」には差が出てくる可能性はある。ワクチンを接種しなかった人にはね、少なくともこの騒動が終わるまでの間は、それ相応の制限が課されることになってもおかしくはないと思います。