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彼女は牡丹君は椿②  作者: 汪海妹
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鈍感で間抜けなことを学ぶ














鈍感で間抜けなことを学ぶ













このは













「あの、わたしからもいいですか?」


月一の会議。いつも記録取って終わりだったわたしが手をあげた。


「なんですか?」

「あの、うちは後発だから、日本で初期からコンテンツのダウンロードやってる大手を参考にしていますけど」

「はい」

「あそこはもともと本だけでなく日用品等の通販も並行してやっている会社で、そのせいで本の売り方も物の売り方と同じになっちゃっている気がして」

「というと?」

「たとえば、Aの作家の本を買うと、次、サイトに入ったときに自動的にAの本が自分で検索したわけじゃないのに、ばっと並ぶんです。これだと、新しい本との出会いがないんですよね」

「はぁ」

「普通本屋だと自分の本を買いに棚へ行くと、そのほしい本の横に積まれた別の作家の本も目に入る。ちょっと立ち読みできたりもする。そんなふうに、本屋としてもおすすめしたい新しい本が買い物の途中で目に入るように工夫したほうがいいと思うんです」

「具体的にいうと?」

「あの、こちらのサイトは歴史は浅いけれど、もっと見やすいと思うんです」


わたしは会議室のプロジェクターにつながれたPCにサイトのアドレスを入れた。みんながじっとスクリーンを見る。様々な視点から集められた小説、実用本、売れ筋がカテゴライズされていて、クリックすると進める。ランキングからも検索できる。


「うん、きれいだね」


誰かがぽつりと言った。


会議でちょっと意見を言っただけ。他の人にとってはどうってことないことなのかもしれない。だけど、わたしにとっては小さいけど偉大な第一歩だった。


***


屋形船から1週間ほどして、ハーメルンがわたしに写真をくれた。

なに?プリントアウトしたの?封筒の中見て、ぱたんと封筒を閉じた。


「火野先生にも渡してあげてね。二枚ずつ入ってるから。じゃ、仕事頑張ってね。野中さん」


そつない笑顔で去っていく。わたしは誰もいない資料室に入り込み、端っこへ行く。澤田さんがくれたのはあの日の夜、花火を見ているわたしと先生の写真。背中から撮られているんだけど、先生が花火を見ているわたしを見て微笑んでいる写真。その後、2人が顔を合わせていて、その次はわたしが花火を見ている先生を見ている。

完全に……、この人……、覗いてたんだ。あんな暗い中、誰にも見られていないと思ったのに。 


写真は嬉しかった。嬉しかったけど、なんか澤田さんに2人だけのことを覗かれた気がして嫌な感じがした。


「先生、澤田さんから写真を預かりましたよ」


その日の夜、家に着いたら写真を渡して、そしてわたしは台所へ行った。冷蔵庫からいろいろ出してごはんの準備をする。カウンターごしに先生が封筒から写真を出して見ている様子が見える。おかずを器に入れてあたためて、ごはんをよそって、食卓へ運んでいくと、先生はまだ写真を見ていた。


「先生、今日は何飲まれますか?」

「麦茶、まだ仕事があるんで」


冷蔵庫から麦茶を持ってくる。

先生は写真をそっと封筒に入れて、脇に置いた。

しばらくだまって食事をする。先生がぽつりと言った。


「正面からも撮ってもらったらよかったね」


そして、優しく笑った。


「後ろからだとよくわからない」


それからまた黙って食事を続けた。先生が言った写真は、わたしたち2人の写真だろうか。浴衣を選んでもらって、買ってもらって、着て、一緒に花火見て、2人で写真に写る。そしてそれを二枚印刷して、それぞれがときどき出してみては、あの夜のことを思い出す。先生はそんな写真があったら、困るのじゃないですか?あの夜は、あの日2人の間に流れたものは、形に残さずにそのまま消えてなくしてしまうべきものじゃないんだろうか。


どういうつもりでそういうことを言うのかわからない。わからないけど、止められない。わたしは自分の気持ちが止められない。


***


夏が過ぎて、秋になって、今度はハーメルンに先生を紅葉狩りに連れ出すようにと言われた。先生は遠出をしたがらないので、日帰りで行けるところを検索する。2人で高尾山に行って、それから三渓園というところにも行った。


先生は言葉少なに風景を眺めながら歩く。わたしはもくもくと先生の背中についていく。つまらないはずなのに、なぜかつまらなくない。カメラを持って行ったけど、先生が写真を撮らないので、なんとなくわたしもかばんに入れっぱなし。でも、折角きたのだから少しは撮りたくて取り出した。


「先生、写真撮っていいですか?」


先生を撮ろうとしたら、


「写真嫌い。風景だけ撮りなさい」


と逃げられてしまった。でも、


「君が写りたいんじゃないの?」


そう言って撮ってくれた。2人で行ったのに、1人しか写らない写真。後で、その写真を見る。わたしはカメラを覗いている人に向かって笑っている。不思議だった。その笑顔はなんだか自分で言うのもなんだけど、単純ではなかった。お兄ちゃんとかなっちゃんとかに向ける笑顔と違う。先生へのわたしの気持ちが隠そうとしているんだけど、少し透けて見える。そうか、わたし先生に向かってこんな顔をしているんだ。そう思った。そして、写真を撮りながらその笑顔を見ている先生だって、きっと気づいている。わたしのその隠そうとしている恋心に。だって、普通に顔を合わせるより写真を撮るときに見つめ合うのって、カメラを仲介にして、もっと濃いと思うんだ。もっと濃く見つめ合ってるんだと。そして、カメラがわたしのその恋心の透けた笑顔を記録する。形にとどめる。


時々2人で絵を見に行ったりもした。先生が人込みを嫌がるので、平日、仕事をこっそり抜けて午後の閉館ぎりぎりに待ち合わせて、美術館に入る。


「ことばを使って作ったものは、自分の作っているものに少なからず影響を与えるので、嫌いじゃないけど慎重になるんです。でも、絵はそういうのなしで見られますから」


じっと見て終わった後、そういう日は外でご飯を食べる。先生は何かをじっと考えていて、そして、ときどきふと絵をみた感想を話したりする。


「写真でみるよりも実物のほうがきれいな青でしたね」

「はい」

「野中さんは何色が好き?」


こう聞いたとき、優しい目をしていた。フォークを動かすのをちょっと止めて。


「さぁ?何色だろう?」


なぜだろう。とっさに出てこなかった。


「先生は何色が好きですか?」


ちょっと考えた。


「様々な色を背景にしてぽつりと輝く赤かなぁ。ぽつりとしているのもいいし、思い切りどんと出てくるのもいい。様々な赤い色を眺めていたいなぁ」


少し上を見ながら。ぽつりぽつりと話した。そしてまた、フォークを動かす。


「わたしは緑が好きかもしれません」

「みどり?」

「新緑から深緑。草花の緑の色って、そのときどきの場面によって深さが違いますけど、その変化を眺めていると、人生を思います。黄緑に生まれて、一番深い緑の後に散る」

「さすが、このはっていうだけあるね」


そういえば、そうだね。夢中で話した後に、わたし、何話してんだ、と思った。


「赤くなったり、黄色くなったりして散るものもあるけどね」


ああ、この前みた紅葉。


「野中さんも意外と詩人のようなこと言うんですね。書いてみたいと思ったことないの?詩とか小説とか」


フォーク口に入れたまま、ちょっと首をかしげた。


「なんというか、わたし、子供の頃から様々な名作を読んできて、表現の良し悪しみたいなのは分かると思うんですけど」

「うん」

「それだけに、自分よりもっとうまい人がいるってわかりすぎちゃってて。書いても書いてもきっと自分の書いたものには満足できないと思います。わたしは読めればいいんです。読んでそれを語るのは好きですけど、無から書いても……」

「無から書いても?」

「自分よりうまい人いるなぁって思って終わり」


ははははは、先生が笑った。ここまで笑うのはこの人にしては珍しいと思います。


クリスマスイブにはクラシックのコンサートに行った。黒いワンピースを着て、爪を赤く塗った。生まれて初めて赤いマニキュアをした。待ちあわせの場所に着いたとき、先生は何も言わなかった。でも、ずっと機嫌がよかった。1年くらい一緒にいて、今はほんのちょっとしたことで、この人がいつ機嫌がよくていつ機嫌が悪いのかなんとなくわかるようになっていた。コンサート聴いて、終わった後に近くの店で飲みながら軽く食事した。先生はずっと静かにしていた。きっと聴いたばかりの音楽の余韻にひたっていたんだと思う。そしていつもみたいに唐突に話し出す。


「キリスト教徒じゃないけれど」

「はい」

「クリスマスはちょっと神々しい気分になりますね」

「はい」

「星がぶつかって光をまきちらしながら降ってきたみたいな音と夜だった」

「きらきらしてるんですね」

「そうだね。クリスマスって街も人もきらきらしている」


そしてぼんやりと斜め上を先生は見る。


「不思議だね。もう何年も、世界がきらきらしてるなんて感じたことはなかったのに」


その時先生はとてもさみしそうで、悲しそうで、きらきらしてるって感じたってことはそれは楽しいはずなのに、どうしてそんな顔をするのかと思った。


ふと思った、その時に。


先生はクリスマスに奥さんと過ごさないんじゃなくて、過ごせないんじゃないだろうか。だから、こんなに寂しそうなの?そして、奥さんの代わりに呼ばれて、うきうきしているわたしって、どんだけ間抜けだろう。

あちこちにクリスマスで飾られた美しい光、その光のあふれた東京の中を、寒くてすがすがしい冬の道を、好きな人と歩くけど手をつなぐこともできずに。だけど、きっと鈍感で間抜けであることを学べば、わたしはきっと幸せだと繰り返し思う。絶対に今日は幸せなんだと。


雪がなくて滑らない道を新調したブーツをはいて、歩く。やっぱりわたしの足元は砂のように頼りない。 


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