美しいものは一瞬のうちにしかない
美しいものは一瞬のうちにしかない
このは
去年の夏には花火も見た。ハーメルン澤田が隅田川の花火大会の日に屋形船を貸し切って、売り出し中の作家さんとか仕事関係の人たち集めて宴会するという。
「みんな先生に会いたがってるから、ひっぱりだしてきて」
澤田さんはそういって電話を切ろうとして、思い出したように更に課題を与えてきた。
「先生に浴衣きさせてよ」
「は?」
「花火は浴衣でしょ?知り合いの呉服屋さん教えるから。あ、野中さんのもいいよ。こっちでもつからつけといて。2人で行って選んどいてね」
「先生、浴衣なんて着ないと思いますけど」
「でも、それじゃ、若き作家の集いみたいな雰囲気でないなぁ」
「浴衣じゃないとまずいんですか?」
「こんな会ありましたってさ、SNSにあげんの。浴衣の火野先生、うけると思わない?」
「本人、そういうの、嫌がりますよね」
露出が極端に嫌い。火野先生。
「だから、内緒でやるんだよ」
***
でも、先生は浴衣がどうのこうのというより、そもそも、
「行かない」
「え?」
「毎年、暎がやってるやつだろ?人がいろいろ来てめんどくさい。昔1回だけ行って疲れたからやだ。行かない」
行くこと自体、断られた。
「でも、ほら、小説家は一流のものを見て、常日頃から勉強しなければいけないんじゃないですか?隅田川の花火は、伝統ある江戸の……」
先生がじろりとわたしをみる。
「野中さんが僕の分も行けばいい」
「先生、わたしが行っても、残念ながら代わりになりません。みんな、火野先生に会いたいんですから」
無視された。先生、よく答えたくないことは無視する。
「浴衣も作っていいって言われたんですよ」
だめもとで言ってみる。
「浴衣って誰の?」
思いがけず、反応した。こっち見た。ニャー、エメラルダが寄ってくる。
「先生と……」
エメラルダをよしよしする。お腹減ってんのかな?
「わたしの」
わたしはエメラルダを抱っこする。猫缶しまってあるところへ行く。背中のほうで先生の声を聞く。
「君も行くの?」
「はい。先生と2人でって言われてます」
ニャー、ニャー、猫缶を出そうとしているのに気づいたエメラルダがかりかり扉をひっかく。缶1個出して、お皿、どこ?
「行く」
え?わたしが振り返るともう、本に戻ってしまっている。今、行くって言った?ニャー、抗議の声。ああ、すみません。餌の皿が台所の床で見つかる。缶をあけて入れてやる。
***
澤田さんに教えてもらった呉服屋さんに行くと、既に澤田さんが先生の浴衣は何点か選んでいて、その中から選べばいいようになっていた。
「どれがいい?」
ひとつひとつ、試着する。先生、結構和装が似合った。
「どれも素敵です」
「じゃ、一番高いのにして」
お店の人に言っている。
「いいんですか?」
「どうせ、1回着た後、中古で売るんだ。あいつ」
へえ、そうなんだ。
「この子の浴衣はあいつ選んでないの?」
お店の人に聞いている。
「承っているのは男物だけです」
「適当に売れ筋の持ってきてください。何点か」
お店の人がお辞儀して、4、5点持ってきて並べる。
「好きなの選びなさいよ」
迷った。なんか、色とりどり。自分にどれが似合うかなんてよくわからない。結構時間をかけて、白地に大振りの花と葉が淡いピンクと青紫で描かれたのを選んだ。お店の人に着せてもらう。帯は濃紺。
「お似合いです」
お店の人はそう言ってくれたけど先生は
「君は壁の花になりたいの?」
たぶんほめてない。これ。
「似合わないですか?」
「無難」
次には、濃紺の地に大判の白い花、花の中央に水色がグラデーションであしらわれたの。帯は白。
「地味」
なかなか合格がでない。
「じゃ、先生が選んでください」
「もう少しぱっとした感じのないですか?」
先生がお店の人に言う。出てきたのは濃紺地にくっきりとした太い線で、花と葉の図柄が白で描かれていて、花の真ん中に向かってピンク色のグラデーションで色がついている。そのピンクはよく見れば、ピンクというより淡い赤。濃紺の心の闇を背景にひそかに息づく恋心のようだと思った。それは水に薄めた血の色だ。薄めてもなお痛い。
「こんなはっきりした柄ですか?」
「いいから、着てみなさいよ」
印象が全然変わった。自分じゃないみたい。
「だめ?」
「なんか、主義主張しそう」
「君は自分を隠そうとしているの?本当の自分を」
「本当の自分ですか?」
「主義も主張も、野中さんはもともと持っていると思いますけど」
「……」
「でも、大人しそうに見える服を着たがるんだね」
今日は、先生饒舌だな。そしていつも助走がなくて急に核心に飛び込んでくる。
「すみません。これ、おいくらですか?」
値段を聞いて、驚いた。
「先生、これはやっぱりちょっと」
「どうして?」
「先生が買われる浴衣より高いです」
会社経費になるのに、メインの先生より高い物買うなんて、言語道断。
「じゃ、僕が出してあげる」
簡単にそう言った。そう言って、財布からカード出すと、あっちは澤田につけといてと言って、お店の人にカードを渡してしまった。
「ありがとうございます」
しずしずと店員さんがさがる。
「先生……」
「なに?」
「あんな高い物もらえません」
「でも、安いぺらぺらの着させてもつまらない」
困ったな……
「僕の楽しみのために、僕がお金使っただけ」
「楽しみですか?」
「自然も人も移ろっていく中で、一瞬一瞬の美しさを目にするのは、人生の喜びでしょ?服はその一幅の絵を彩る絵具みたいなものだよ。僕はそういう形の残らない物にお金をかけるのが好きなだけ」
本当は、受け取ったらいけなかったのかもしれない。でも、わたしは先生から贈られたかった。火野蒼生の女になった気分を味わいたくて。だから、結局受け取ってしまった。