澤田の言いなり
このは
新しい仕事が始まった。まず出社すると、昨日1日で売れた販売数量をチェックする。データをダウンロードして、カテゴリ別に売れ筋をチェックしていく。それから、購入者が残したブックレビューで新着のものに目を通す。本ごとにブックレビューの傾向をまとめて、これは週一で上にあげる。上司は、数量とレビューの概要から販売傾向のレポートをまとめて、版元にウィークリーとマンスリーでレポートを出す。
余った時間でひたすら売り物の本を読む。売れ筋から中心に。とにかく、この仕事はどれだけ書籍の知識を持っているかで決まる。読まなければならない冊数もすごかったけど……
「どう?野中さん。元気してる?」
ハーメルンの笛吹が来る。
「みなさんでどうぞ」
ドラえもんのポケットでもついているのか、澤田さんはいつも甘い物を持ってる。
「いつもすみません」
電子書籍部。テクニカル担当PCばりばりのオタク系男子(30代)と、女子(3~40代)中心。上司は男性だけど、既婚。そして女性、男性ともに独身率が高い。
「お茶入れますね」
一番ぺーぺーのわたしが席を立ったが、わたしがやるからと別の女子に取られた。独身率が高いせいか、ハーメルン澤田が来ると、みんな嬉しそう。
「で、元気してる?野中さん」
「……」
1週間働いてみてわかった。電子書籍部は、人が少ない。だから、哲学宗教ビジネスPC経済文芸……。とにかく様々な自分が専門でもなんでもないカテゴリーまで、カバーしなきゃいけない。ちんぷんかんぷんなのに読まなければならない。
「なんというか……」
「うん」
澤田さんはにこにこしている。悪魔の笑顔に思える。もはや。
「自分の頭から煙が出ていると思います。最近」
そんなことばきいても、澤田さんはにこにこしている。
「ああ、そっかー。でも辞めるなんて言っちゃだめだよ」
澤田さんは肩をぽんぽんとたたく。
「野中さんが今まで働いていた職場が天国すぎたんだよ。大変じゃない仕事なんてね、仕事じゃない」
なんかわたし、ちょっと前までお兄ちゃんのこと大丈夫この人?なんて思ってたけど、今、同じような位置に立っているんじゃ……
「澤田さん、お茶入りましたよ」
矢野さん、声がいつもより高いような気がする。
「あ、そうそう。野中さん、用事があったの」
澤田さんはそういって振り返る。資料渡された。それとメモと封筒に入ったお金。
「なんですか?」
「メモ書きのお店でそのおかし買って資料持って、おつかいしてきて」
おつかいで分かった。
「そうそう。これ、先生の携帯番号。こっちからも今日は野中さんが行くって伝えておくから」
***
「君はどうして、いつも澤田の言いなりになるの?」
「すみません」
先生の家にあがって、資料とおかしを渡した。
「嫌なときはちゃんと断らないと」
「嫌ではないです」
つい、即否定してしまった。
「男1人の家に女の子が1人であがるのはまずいでしょ?物は受け取ったので、帰りなさい。暎には僕から言っとくから」
「暎?」
「ああ、澤田のことだよ。澤田暎。とにかくもういいから帰んなさい」
なんだ。やっぱり他の人と一緒じゃないですか。門前払い。
「あの、先生。わたし、澤田さんには恩があるんです」
「恩って何?」
「今、住んでいる家すごい安く借りられるよう仲介してくだすって……」
「うん」
「もし、物だけおいて帰ったら、恩を仇で返すことになります」
じっとわたしのことを見る。
「暎に何を頼まれたの?」
「先生とおかしでもごはんでもいいから一緒に食べておしゃべりしてって」
しばらく先生は考える。
「おかし食べたら帰るんですよ」
わたしは思わず笑ってしまった。先生はその顔をちょっと見て、
「ほんと頑固なんだから」
と言った。
「今日は何なの?」
「アップルパイです。少しだけ温めますね」
先生は黙って、カウンターの向こうからわたしの手元を見ている。
「飲み物は……」
戸棚を開ける。紅茶でいいと思うんだけど、茶葉がいっぱいあってどれがいいんだろ?選びあぐねていると、先生が寄ってきて、
「これ」
選んでくれた。次にすたすたとキッチンに入り、やかんを出して水を入れる。
「先生、わたしやります」
先生はわたしを見る。
「どこに何があるかとかよくわかんないでしょ?」
そして、やかんを火にかけた。なんだ。全然何もしないってわけじゃないんだ。ポットとカップだしてフォークとお皿出す。
「あの、先生って甘い物、お好きなんですか?」
「なんで?」
「いつも澤田さんが差し入れされてるようなので」
お湯がわいた。先生がやろうとするので、止めた。
「わたしやります」
立ち位置を交換する。ポットとカップにお湯を入れて温める。
「甘い物は嫌いじゃないけど、特別好きなわけじゃない」
「じゃあ、なんで?」
「あいつ流の教育?小説家は一流のもの、見て食べて飲んで聞いて、それをことばにできなきゃいけないんだと」
「はぁ」
なるほど
「スポーツ選手の筋トレみたいなものですか」
ぷっと笑われた。わたしもちょっと頬がゆるんだ。ポットとカップのお湯を捨てて、ポットに茶葉を3杯入れる。先生はわたしの手つきを横からじっと見ていた。お湯をかけるとお茶の香りが広がった。
ニャー
え?
「エメラルダ」
先生がわたしのかたわらを離れた。カウンターの向こう側にしゃがみこんで、ひょいと何かを抱き上げる。名前から連想される通りの緑の目に、全身真っ黒な黒猫。
「先生、猫飼われているんですか?」
「うん、まあね」
テーブルにお茶とアップルパイを並べる。先生はいすに座って膝の上に猫を抱きながらお茶を飲んだ。猫は片手でなでると、気持ちよさそうに目をつぶる。
ニャー
「なんで、エメラルドじゃなくてエメラルダなんですか?」
両手でカップを持ってお茶を飲む。
「なんでなんだろうね」
先生は猫を見ながら答える。ああ、そうか。この猫、きっと奥さんが名前つけたんだわ。なんでだろう?直観でそう思った。アップルパイを口にする。甘酸っぱい。
「どんな味?」
「甘酸っぱい」
先生は笑った。
「それだけじゃあ、平凡だなぁ」
***
そういうふうにして始まった。1週間に最初は2回くらいだったかな?澤田さんに頼まれて、夕方電話かけて、帰りがけによる。お土産を持っていくこともあったし、家政婦さんが作りおいている食事を温めて食卓に並べることもあった。
食事を並べて、先生が食べてから片づけて帰ろうと思って向かいに座ると、彼が言った。
「1人でご飯を食べるのを見られるのは落ち着かない」
それもそうだと思って、わたしも箸をつけるようになった。わたしが食べると、彼は大人しく箸を持った。そして、食事をした。1人でいるときはちゃんと食べてるのだろうか。その食の細さに驚く。澤田さんが心配するわけだ。
「仕事はどうなの?」
いつだったろう?ぽつりと聞かれた。
「少し慣れてきました」
「どんなことやってるの?」
わたしは仕事の内容を教えた。
「ふうん」
先生は興味なさそうにそう言った。
「先生は、電子書籍ってどう思います?買いたいですか?」
先生はこっち見た。
「よくわかんない」
この人と話していると、話続かないな……
「野中さんはどう思ってるの?」
わたしはちょっと考える。
「もう少し、購入のときにわくわく感というか、出会いがあればいいかな?」
「どういうこと?」
「今だと、自分のIDでページに入ると、過去購入履歴をもとに、おすすめ本が画面に出てくるんです。だから、例えばわたしが火野先生の本を買った後に、そのページを開くと、わたしのページは火野先生の本ばっかりずらっと並ぶんです」
「うん」
「でも、そうすると、自分が読んだり買ったりしたことのない作者の本とは、そのサイトからは出会えないんですよね。それって本屋と違うなって」
それから、もくもくと食べた。なんか、わたしタダメシいつもいただいちゃっていいのかな、と思いつつ。
「そういうこと、ちゃんと会社の中で意見としてあげてる?」
わたしは顔をあげて先生の顔を見た。いつもの無表情。
「いいえ。会議とか、発言できる立場じゃないんで」
「発言できる人とできない人って分けられてるの?」
「そういうわけじゃないですけど。わたし、入ったばっかりだし」
先生は、お箸をおいて、もうお茶を飲んでる。今日もちょっとしか食べないな。
「ふうん」
「先生、今日は大福ですよ」
わたしは立ち上がる。お茶を入れなおす。
「今日の大福はどうですか?」
ハーメルンお墨付きの老舗の大福。
「うーん。正直、普通の大福とどこが違うのかわかんない。小豆だなって感じ。野中さんも食べてみてよ」
口に運ぶ。これは!
「おいしいの?」
「とってもおいしいです」
「じゃあ、それをどうやって表す?」
「……おいしいじゃだめですか?」
ははははは。先生が笑った。そして急に黙る。
「ねぇ、前にも君には言ったと思うけど」
「はい」
「こういうふうにずるずると暎の言いなりになって僕のところへ来るのはやめなさいよ」
「……」
何回か繰り返し言われてた。
「ご迷惑ですか?」
「迷惑って言ったほうがいいのかもね。君みたいな子には」
ずずず、お茶飲む。2人で一緒に。困ったな。2人でいても少ししか食べない。ときどき笑うことはあるけれど、どっちかというととても静か。1人だときっともっと食べないし。それに、話さないし、笑わない。ほっとけない。心配。
「でも、家賃安くしてもらった恩がありますから、もう少しは……」
「前言ったときも、同じこと言ったね」
はぁーとため息をつく。
「あいつは自分の意図通りに周りを動かすのがうまいからなぁ」
「前から思ってたんですけど、先生と澤田さんってどうしてそんなに仲がいいんですか?」
ん?という顔をする。
「ああ、一部の人しか知らないけど、編集と小説家として知り合ったんじゃないんだ。大学時代の同級生。あいつが出版社入って、編集なって、バイトしながら小説書いてた僕を作家にしたんだよ」
「えー!」
「秘密ね。隠してるから」
知らなかった。
「あの、澤田さんって独身?なんですよね」
「ああ、そう」
「なんでですか?しない?できない?」
先生がじーっとわたしを見る。
「野中さんって暎みたいなのが好みなの?」
「え?いや、違う、違う、違います」
力いっぱい否定すると返ってあやしかったかな。
「あいつ、女には結構手が早い、でも、あきたらすぐ別れる、その繰り返し」
「はぁ」
「それで、どうして問題起こさないのかが不思議」
聞かないほうがよかったかも。
「まあ、でも、手を出していい人といけない人の区別はついてるんだな。野中さんは手を出してはいけない人」
「そうなんですか?」
「残念?」
こっちを見てる先生から何の表情も読み取れない。
「いいえ」
先生は静かに大福の続きを食べている。わたしはそれを眺めている。急に先生が口を開いた。
「男1人の家に女の人が1人で、それもしょっちゅう出入りしていると、周りにそういう目で見られるよ」
大福の粉がついちゃってる、先生。お茶を飲んだら、消えた。
「そういう目ってどういう目ですか?」
先生は黙ってしまう。わたしもそれ以上聞かない。
「ほんとに頑固なんだから」
***
「この演劇、今週で最終なのね。チケット売れ残り。先生連れて行ってきてください」
春先にはハーメルンにチケット渡された。急に今週って言われても、わたしも忙しいんですが?心の中でつぶやきながら、澤田さんを見る。
「時間はね、作るものですよ。野中さん」
この人はいつも笑ってる。笑いながら、結構ムチャ通すんだよ。
「先生、お時間ありますか?」
「そんなの、ほんとに行かないとだめ?」
先生は結構、出不精。
「見たって言って、適当に感想いっておけばいい」
「他の人にはそれでいいけど、澤田さんにはばれます」
あの人、頭がいい。先生はそれでもぶつぶつ言っていたけど、しぶしぶ承知した。
当日、仕事終わらせて待ち合わせ場所へと急ぐ。かなり走った。ただでさえ、嫌がっていた人を待たせたらどうなるか。息切らしながら軽く汗かいて、待ち合わせ場所に着いた。カフェの中のぞいて、先生がすぐ目に飛び込んできた。静かに本を読んでいた。こちらに気づかない。外で会うのが新鮮だった。
「すみません。お待たせして」
前に立つと、頬杖をついたままつまらなさそうに本から目をあげて、わたしを見た。それから腕時計を見た。
「まだ、少し時間あるんだよね。何かのんだら?」
わたしはカフェオレを頼んで、先生の向かいに座る。先生がまた本に戻ってしまったので、自分もノートパソコン出して、仕事関係の電子書籍読む。
「それ、きれいだね」
「はい?」
また、急に話しかけられた。いつも唐突。
「ピアス、似合ってる」
「あ」
いつもは赤いピアスなんて買わないんだけど。わたし、赤はなんか苦手な色で。でも、気まぐれで買ったピアス。たまたまつけてた。先生は本から目をあげないままで続ける。
「野中さん、赤が似合う」
「え、そうですか?」
どきどきした。先生ってめったにこういうこという人じゃないと思うんだけど。似合ってるなんて初めて言われた。
「わたし、どっちかっていうと赤、苦手なんですけど。赤い服とか1枚も持ってないです」
先生は本から顔をあげてわたしと目を合わせた。
「赤い服は似合わないと思う。こうもっと、ピアスとか、くつとか、少しだけ赤い物が入ると」
「入ると?」
「女らしいです」
そして、そんなこっちが恥ずかしくなるようなことをとつとつと言った後に、また、本に戻ってしまった。カフェオレが来たので、それを飲みながら考える。今のは、一体何だったんだろう?ぐるぐる思考が回る。普通だったら、気のある女の人をほめてるのだと思うけど、この人変わってるし。ただ、小説家的な審美眼で、目に入ってきれいだと思ったものをきれいだと……
「野中さん」
先生が腕時計を見て言う。
「もう、行かないと」
「あ、すみません」
どっちがアテンドしてんだかわからなくなってしまった。