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星読師ハシリウス

星読師ハシリウス【王都篇】9 獣の罠から救い出せ(後編)

作者: シベリウスP

前編前書きにも書きましたが、今回、ハシリウスたち仲間の役割が大きく動くことになります。

ギムナジウムの卒業も間近なハシリウスたち、今後はどうなるのか楽しみです。

転の章 思い出の大旅行


 「まあ、こういう旅行もめったに経験できないから、一生の思い出になるだろうね」

 ジョゼが明るく言うと、ソフィアも、

 「本当です。夏休みには3人でどこかに行こうかと思っていましたが、考えてみると親しい友人みんなと旅をするって手もありましたね」

 そう言って笑う。

 木火の月の10日、ハシリウスたちは、『猫耳族』の新しい門出となる新領地への移住を聞きつけたジョゼの提案で、その移住を見守るという大義名分の下、一足早い『卒業旅行』を行っていた。

 まあ、参加しているメンバー――ハシリウス、ジョゼ、ソフィア、アマデウス、アンナ、ティアラ、クラウン、そしてソフィアの警護役としてアンジェラとクリムゾン――全員が卒業後の進路が決定しているか、すでに何かの役職についているものばかりだから、確かに『卒業旅行』と言っておかしくない。

 みんなは、『猫耳族』の新しい領地としてヘルヴェティア王国から贈られたところ――『ウーリの谷』の東、『シュバルツ・ゼー(黒い海)』に注ぐ大河の畔――『マジャール平原』に向かっていた。首都シュビーツから、『猫耳族』の中心となる新しい邑・コナシチセイトカまでは、徒歩で約1か月、ホーキを使って3日くらいの距離である。

 1日目は、『ウーリの谷』の東端・イブデリ村――ハシリウスとジョゼのふるさと――で一泊することとなった。一行はイブデリ村村長が準備してくれた施設に宿泊することとなったが、ハシリウスとジョゼ、そしてソフィアとアンナとアマデウス、クリムゾン、アンジェラの7人は、ハシリウスの家に泊まることになった。

 アンジェラとアンナ、ソフィアとジョゼが準備した夕食も済み、ティアラとクラウン、クリムゾンも交えて様々な話に花が咲いていた。

 「――そう言えば、アマデウスは卒業したらどうするのさ? どっかのギルドに入るの?」

 ジョゼが訊く。アマデウスは別にアカデミーの内定を受けたわけでもなく、かといって騎士団やレギオンに入隊するわけでもないようだ。だから、職業団体のギルドに所属してマイスターになるのかと思っても不思議ではない。

 アマデウスは、にっこり笑って言う。

 「ああ、俺は、おやじに弟子入りするんだ」

 アマデウスの一族は、高名な演奏家や作曲家を輩出している。アマデウス自身、いかなる楽器も、かなりの技術をもって弾きこなせる。現在、王宮楽師長として、また、王立吹奏楽団の首席指揮者として活躍している父の後を継ぐのは、彼には似合っていそうだった。

 「そうかあ……似合っているかもね。アンナはアカデミーの『治癒魔法研究所』だったね?」

 ジョゼがアンナに言う。アンナは少し頬を染めて答える。

 「ええ……賢者ソロン・ザール様から直々に教わることができるなんて、私は恵まれているわ。でも、ジョゼだって、王宮騎士団の養成施設だなんて、すごいわ。女の子が入るの、王立ギムナジウムどころか、ギムナジウム全体で初めてじゃないの?」

 「王立ギムナジウムからは、初めてですね。ジョゼフィンさんの前には、記録では、第10代女王陛下の時、今では伝説になっている『暁の魔女』マリア・テレジア卿がウーリ州立ギムナジウムから合格し、首席で卒業して女性初のマスターとなり、唯一の女性大元帥になっているのが最初です。それに、今のマスター・エレクトラが州立バーゼルギムナジウムから入団しています。女性でマスター候補になるのは、ジョゼフィンさんで史上3人目ということになりますね」

 こういうことに詳しいクリムゾンが、すらすらと答える。

 「じゃ、ソフィア姫が女王様になるころには、ハシリウス大賢人様とジョゼフィン大元帥様かあ~。幼なじみでこの国を盛り立ててくれれば、俺たち下々は楽だなあ」

 アマデウスが茶化す。ソフィアは、思わず“その時”を想像してしまった。

 ――ハシリウス、今度のこの案件は、どうしましょう?

 ――ああ、それは僕とジョゼに任せておけばいい。それよりソフィア、僕たちにとってもっと大事なことがあるんだが……。

 ――もっと大事なこと……? なにかしら?

 ――この国の世継ぎだよ。ソフィア、僕は君のことがずっと好きだったんだ……。

 ――い、いけません、ハシリウス! あなたにはジョゼがいるじゃありませんか?

 ――ジョゼはジョゼで、大事にしてやってるけれど、この国の世継ぎがいなければ君も困るだろう? 僕は、君が他の男と世継ぎをつくるのは耐えられないんだ!

 ――あ、いけません!(ソフィアの想像では、ここで“ビリッ”という効果音が入る)は、ハシリウス! ジョゼに悪いわ! だめ、ダメだったらぁ……。

 「……いけません! ダメですぅ~❤……」

 ソフィアは、こんなこと↑をつぶやきながら、顔を真っ赤にして、なんか……悶えている。その有様に、ハシリウスとジョゼを除く他のみんなが目を丸くしてドン引きしている。

 「ハシリウス……キミの出番だよ?」

 ジョゼが促すと、ハシリウスははぁっとため息をついて、ソフィアの両頬を引っ張った。

 「きゃん!」

 ソフィアがこちらの世界に戻ってくる。しかし、まだ顔は上気して、ボーっとしている。

 「私、何かハズカシイこと言いました?」

 ソフィアが訊くと、ハシリウスはふうとため息を一つついて言う。

 「いつものことだけれど、見ていてこっちが恥ずかしかった。まったく、どんな妄想が大暴走したら、ああなるんだ?」

 「はうう……言えません。そんなハズカシイこと……」

 ソフィアはそう言うと、耳まで真っ赤にする。ティアラはそんなソフィアを見て、

 ――王女様って、ほんと、何て可愛らしいのかしら……。ハシリウス様ととてもお似合い……。

 そう、見とれてしまう。

 そんなティアラに気づき、ジョゼが話しかける。

 「ねえ、ティアラさん。キミは、ギムナジウムを卒業したらどうするの?」

 「そ、そう……ですね。弟を助けて、種族のみんなと暮らしていくことになるんでしょうね……」

 少し寂しげな微笑みでティアラが言うと、双子の弟のクラウンがその話題に加わってくる。

 「姉さんは、ハシリウス卿のことが好きなんでしょう? だったら、アカデミーに入ってハシリウス卿の側で暮らせばいいんですよ」

 あっけらかんとそう言うクラウンを、ティアラが諌める。

 「ダメですよ? そんなこと大きな声で言っちゃ……。王女様もハシリウス様のことをお好きなのですから……」

 そんな二人のやり取りを聞き、ジョゼは心の中で思った。

 ――あの~、ハシリウスの恋人って、ボクなんですけど……。

 そんなジョゼに、クラウンが熱のこもった瞳を当てて言う。

 「ところで、ジョゼフィンさん。あなたは、『猫耳族』の王妃になるおつもりはありませんか?」

 「へ!?」

 突然そういうことを言われたジョゼは、その意味するところに気づくのにしばらくかかった。気づいた途端、頬を赤くして笑って言う。

 「や、やだなあ、弟さん。それってボクへのプロポーズ? 残念だけど、ボクは先約があるんだ」

 「え! 先約、ですか?」

 ジョゼは、クラウンではなくティアラが意外そうにそう言ったので、ちょっとムッとしてしまう。

 「なに? ボクに恋人がいるのが、そ~んなに意外?」

 ジョゼがそう言うと、ティアラは顔を赤らめて首を振る。そして、クラウンはがっかりしたように言った。

 「やはり、ジョゼフィンさんは、あのアマデウスさんと付き合っておられたのですね?」

 その言葉に、ティアラがびっくりしたように言う。

 「え!? アマデウスさんって、アンナさんと付き合ってらっしゃったんじゃないんですか?」

 「ちょ、ちょっと待って! 何をどうしたら、ボクとアマデウスが付き合っているとか、アンナとアマデウスがいい仲だとかってなるわけ?」

 「……そんな風に見えるなんて、不本意だわ……っていうか、釈然としないわ。なんかとても不愉快だわ」

 ジョゼとアンナが、ティアラとクラウンの姉弟に異議申し立てをする。

 「ジョゼフィンちゃんやアンナ女史、そんなに力いっぱい俺のことを否定しなくても……」

 話を聞いていたアマデウスが、がっかりした表情で言う。

 「あ、ご、ゴメンなさい、つい、否定するのに力が入っちゃったの。悪気はなくてよ?」

 アンナが言うと、アマデウスは肩をすくめて、

 「いいよいいよ、どうせアンナ女史も、ハシリウスのファンなんだから。あ~あ、見せつけられるばっかりで、俺ってなぜここにいるのだろう? マチルダちゃんと“南の海”に行けばよかった」

 そう言う。ティアラとクラウンは顔を見合わせた。今までの話を総合すると、ジョゼの恋人というのは、まさか……。ティアラはジョゼの袖をくいくいと引っ張った。

 「?」

 怪訝そうにティアラを見るジョゼに、ティアラはニコリとして耳元で聞く。

 「ジョゼフィンさんの恋人って、ひょっとして王女様ですか?」

 「なんでそうなるのっ!?」

 ジョゼが思わず叫ぶ。ティアラはニコニコしながら両手を顔の前で振って言う。

 「冗談ですよ……ほんの冗談なんです……。ところで、ジョゼフィンさん……」

 急に真面目になって、ティアラが静かに言った。

 「ジョゼフィンさんの恋人、……もしかして、ハシリウス様……ですか?」

 ジョゼは顔を少し赤らめて、薄く笑うと、小さくうなずいて言う。

 「う、うん……。ボクだってまだ信じられないよ……。ハシリウスは、ボクにはもったいないくらいのヤツだって思う」

 そんなジョゼの姿を見て、ティアラはジョゼの別の一面を見た気がした。今まで、ハシリウスに対して上から目線でズケズケものを言い、活発でお転婆で、女の子らしいところは一つもない――ティアラはジョゼをそう見ていたのだが、ソフィアに負けないほどの料理の腕を持っていたし、今、小さな声で頬を染めて話しながら恥ずかしそうにハシリウスのことを見つめるジョゼは、すごく可愛らしく見えた。

 「ジョゼフィンさん、訊いていい? あなたの魔法の波動、ほかのみんなと少し違うの。ソフィア王女様くらい強い波動だし、ハシリウス様みたいに透き通って温かくもある……強いて言えば『人間の波動じゃない』って感じるの……あなた、何者なの?」

 ティアラの言葉に、ジョゼはびっくりして言う。

 「そんなことまで分かるんだ……さすがにアンナが警戒しただけあるね、ティアラさんは……」

 「アンナさんが? 私を警戒?」

 ジョゼは笑って言う。

 「ふふ、ティアラさんの正体がまだ分からなかった頃の話さ。正直、ボクもティアラさんのことは疑っていた。ボクやソフィアのA級攻撃魔法を吸い取っちゃったでしょ? キミの魔力ってソフィアに勝るとも劣らないくらいのレベルだって、ハシリウスが言っていたし、とてもすごい『闇魔法』を使うことが分かったし……だから、ボクたちはキミのことを警戒していたんだ、『闇の使徒』の手先じゃないかってね」

 ジョゼの言葉を聞いて、ティアラはとたんに顔を曇らせる。

 「……そう、ですね。私は種族のためとはいえ、確かにハシリウス様の命を狙っていたんですから、本来ならばハシリウス様から斬られていても仕方ない身です」

 ジョゼは慌てて手を振って言う。

 「あ……そんなに気にしなくていいよ。キミがハシリウスに何かしたわけではないし、ハシリウスはきっと弟さんのことだって許しているに決まっている。だって、アイツは、昔から悪いことをしていない者にはとことん優しいヤツだったから。ゴメン、ボクが妙なこと言っちゃったから、嫌な思いをさせたね?」

 ジョゼが素直に謝ると、ティアラはニコリとして言う。

 「いいえ、私がハシリウス様を狙ったっていうことは、消しようのない事実です。でも、そんな私たちをこうして受け入れてくれている皆さんのこと、私も大好き……それもまた事実です。だから、私は皆さんといつまでも友達でいたいなって思います」

 ティアラの言葉に、ジョゼはこの上なく可愛い笑顔で言う。

 「うん、それはボクからもお願いしたいな。ティアラさん、これからボクのことは『ジョゼ』でいいからね?」

 ジョゼの言葉に、ティアラは頬を染めてうれしそうに言う。

 「分かりました。では、ジョゼ、私のことも『ティアラ』って呼んでもらえるかしら?」

 「もちろんだよ、ティアラ」

 そう笑ったジョゼの顔に、ティアラはなぜかヒマワリの花が見える気がして言った。

 「ジョゼ、あなたは……ゾンネンブルーメ……」

 ジョゼは、ニコリとして言った。

 「うん、ボクはハシリウスの勇気を補佐する、『太陽の乙女』さ」

 それを聞いてティアラは、セントリウスの言葉を思い出した。思わずつぶやいてしまう。

 「そして、王女様が『月の乙女』……」

 ティアラは、夢を見ているような気分になり、目の前でニコニコしているジョゼ、テーブルの向こうでアマデウスと何かを話しているハシリウス、そしてクリムゾンと何か話しているソフィア……3人の表情をかわるがわる見つめた。『猫耳族』にも伝わっている『大いなる災い』と『大君主』の伝説、その伝説の3人が、こんなに身近にいるなんて、信じられなかったのだ。


 「くそっ、星将シリウスめ……」

 『闇の使徒』デイモンは、『マジャールの砦』で星将シリウスから受けた傷を癒しながら、唇をかみしめていた。今度の作戦、途中までは確かにうまく行っていた――『猫耳族』を襲い、生き残りの命と引き換えにティアラにハシリウスを襲わせる、自分を襲ってきたけなげなクラウンも意のままにしてハシリウスへと向かわせる――しかし、どこで自分の作戦が破綻したのだろう?

 「結局、ハシリウスを武力で倒すのは難しいということですよ……。彼には12星将だけでなく、『日月の乙女たち』や女神アンナ・プルナの加護がありますからね……」

 そう言って、夜叉大将クリスタルが顕現する。デイモンはびっくりして振り返った。

 「クリスタル! 貴様、このデイモンをバカにするのか?」

 クリスタルは、金の長髪をその細い指でかきあげながら、笑って言った。

 「とんでもない……。ただ、ハシリウスは簡単に討ち取れる男ではないと忠告しているのです。考えてもごらんなさい、12人いた夜叉大将、今はヤヌスル、マルスル、イーク、リング、タナトス、そしてあなたと私……いつの間にか7人になっているのですよ? しかも、別格夜叉大将のカノープスすら、あの始末です。36部衆もその3分の1はハシリウスとその与党の手によって消滅しています。これ以上、彼らと争っても、それが我々にとっていい結果になるとは到底思えません」

 クリスタルの言葉に、デイモンは皮肉な笑いを浮かべて言う。

 「だから、人間風情の大君主と話し合って、しなくてもいい譲歩をしようというのか?……いいか、クリスタル、奴らは人間だ。人間は弱い存在だ。我らはその弱い人間どもを根絶やしにし、我らの世界をつくるべきなのだ!」

 クリスタルは秀麗な眉をひそめて首を振って言う。

 「……あなたも、カノープスと同じお考えか……。言っておきますが、ハシリウスは強い。あなたの言う“弱い人間”とイコールで考えていると、あなたもカノープスの二の舞をしますよ」

 「ふん、ところでクリスタル、貴様がここに来たのは訳があるだろう? まさか、まだクロイツェン様はハシリウスと話をしたいなどと仰っているのではないだろうな?」

 デイモンが冷たい目をして言う。クリスタルは薄く笑って答えた。

 「いいえ……あなたがそれだけ自信がおありならば、戦わせよとのお言葉でした。あなたが勝てば重畳、負けた場合には陛下とハシリウス殿との話し合いの場を持てばよいだけのこと……」

 「ふふ、陛下とハシリウスとが話し合いをするなんてこと、絶対にありえないな……。なんせ、このデイモン様がもうすぐハシリウスの死亡フラグを立ててやるからな」

 デイモンはそう言うと、クリスタルを見て哄笑した。クリスタルは、そんなデイモンを見ながら思っていた。

 ――こいつも、カノープスと同じだ。遠からずこいつの墓が『マジャール平原』のどこかに建つだろう。しかし、どうしてわが夜叉大将たちはこんなに戦闘的なバカが多いのだ……ゾロヴェスター王国の悲劇といってもいいな。

 「……では、デイモン殿、お手並みを拝見させていただきましょう。くれぐれも言っておきますが、ハシリウスは強い、そして、彼はツイている。それをお忘れなく――では、ご武運を祈ります」

 「安心しろ、すぐに陛下の御前にハシリウスの首を持って参上するわ。はっはっはっはっ」

 デイモンは、クリスタルが消えると同時に、立ち上がって遠くを見つめ、ふいに鋭い瞳を輝かせる。

 「奴らが『マジャール平原』に足を踏み入れた瞬間が勝負だな……。さて、私もそろそろ準備にかかるか……」

 デイモンは、そうつぶやくといずこかへと姿を消した。

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「ああ~、今日もいい天気になりそうだな~」

 木と火の月の12日、『マジャール平原』への旅の3日目が始まった。ジョゼは一晩を明かした洞窟から出てくると、朝日に向かってう~んと背伸びをする。

 2日目の夜は、標高の高い『ワラキア山地』に宿泊したこともあり、かなり夜中は冷え込んだ。しかし、さすがに夏本番だけあって、太陽さえ昇れば気温はどんどん暖かくなる。

ジョゼが辺りを見回すと、そこかしこで『猫耳族』の人たちが朝ごはんを炊いでいる。その集団の中で、クラウンがニコニコしながらみんなに声をかけているが見えた。

 ――ふふっ、弟さん、すっかり王様の自覚が出てきたじゃない。

 そう思ってくすりと笑ったジョゼに、食事当番のアンナとティアラが話しかける。

 「あら、ジョゼ、今日も早いのね」

 ジョゼはニコリと笑うと二人に近づきながら言う。

 「うん、ティアラ、いよいよ今日は『マジャール平原』に入るね?」

 そう言って、二人が作っていた揚げ物を一つつまんでパクリと食べる。それを見て、ティアラがジョゼに抗議する。

 「あ~! ジョゼ、それは朝食のおかずですよ!? つまみ食いしないでください!」

 「ふぁっふぇ、ふぉふぇもおいひほうはっはんはほ~ん。ふぁ、ふぁ……」

 揚げ物が熱かったんだろう、何を言っているのか分からない言葉をはくジョゼに、アンナが冷たい視線を投げて言う。

 「まったく……ハシリウスくんの分から引いておくわね?」

 その言葉に、ジョゼは慌てる。

 「ちょ、ちょっと! ボクの分から引けばいいじゃない。ダメだよ、ハシリウスから引いちゃ!」

 「あら、ハシリウスくんのことだから、一つくらい少なくても気が付かないわよ。それに、気が付いたとしたら、ジョゼ、あなたが自分の分を『はい、ハシリウス、これ、あ・げ・る❤』ってあげればいいじゃない?」

 「……アンナ、その言い方、とても意地悪く聞こえる……ボクをからかっているでしょ?」

 「ふふっ……否定はしないわ」

 そう言い合っているところに、クリムゾンとアマデウスがソフィア、アンジェラと一緒に現れる。

 「おっはよ~、ジョゼフィンちゃんにアンナ女史にティアラちゃん。いや~今日も三人ともすっごく可愛くて素敵ですなあ~」

 「オハヨ、あんたも相変わらず朝っぱらからお軽いキャラだね?」

 ジョゼがジト目でアマデウスにあいさつをする。クリムゾンは苦笑して、

 「おはようございます、皆さん。いよいよ、今日の午後にはコナシチセイトカに到着しますね」

 そう、トレードマークの緋色のマントを朝風にひるがえして言う。

 「あの……ありがとうございます。私たちの種族のために、レギオンまで派遣していただいているみたいですね」

 ティアラがクリムゾンに言う。クリムゾンは微笑んで言う。

 「気になさることはありません。『マジャール平原』はヘルヴェティア王国の東の果てで、『マーレ・ザルツ(塩の海)』は目と鼻の先。さまざまなモンスターやミュータントも生息していますし、『シルクの国』にも近い所です。皆さんのような種族がそこを開発し、楽園としていただければ、ヘルヴェティア王国にとっても有益ですから」

 「マスターは誰が来ているの?」

 アンジェラが訊くのに、クリムゾンはジョゼをちらりと見て答えた。

 「派遣されているのは、マスター・エレクトラです。ジョゼフィンさん、マスター・エレクトラにお引き合わせしましょうか?」

 「はい、ぜひ! 女性マスターにいろいろ聞くことができれば、ボクも助かります。ありがとうございます!」

 ジョゼは目を輝かせて言う。そんなジョゼを見ながら、ソフィアが笑って言った。

 「じゃあ皆さん、そろそろ朝ごはんにしませんか?」

 「そうだね。じゃ、ボク、ハシリウスを起こしてくるよ」

 ジョゼは満面の笑顔で言うと、ハシリウスが寝こけている洞窟へと走って行った。


 「デイモン様、奴らはもう、すぐそこまでやって来ています!」

 『マジャール平原』の真ん中に造られつつある都市・コナシチセイトカを見下ろす山の頂上で、夜叉大将デイモンが物見の報告を受けてにたりと笑って、隣に座っている男に言った。

 「そろそろ来るぞ、スネイク殿」

 デイモンから話しかけられた男は、まぶたのない無機質な瞳を輝かせて言う。

 「ふん、人間や猫耳にてこずるとは、『闇の使徒』が聞いて呆れる」

 その言葉を聞いて、デイモンは眉をひそめたが、怒りを鎮めて話しかける。

 「ふふ……私一人ではあれだけの人数を始末するのが大変なのさ。貴殿の軍が人間どもと猫耳の雑魚どもを適当に始末してくれれば、私は『大君主』と『日月の乙女』、そして猫耳の王族を始末する」

 スネイクは、鱗でおおわれた身体に鎧を付けると、皮肉そうに唇を歪めて訊く。

 「……もう一度確認しておきたい。我々『蛇身族』は、『マジャール平原』を手に入れたい。そのためにはヘルヴェティア王国軍と『猫耳族』の軍を始末せねばならない。『闇の使徒』は領土的野心はないのだな?」

 「もちろんだ。私が望むのは『大君主』の首だけだ。そのほかの人間と『猫耳族』は、スネイク殿の『蛇身族』の獲物だ。好きなだけ狩り、好きなだけの土地を得れば良い」

 デイモンが言うのに、スネイクはくっくっと喉で笑って言った。

 「よかろう、では、『猫耳族』が到着したら、夜を待って攻撃を開始する」


 一方、ハシリウスたちは、空の上から望む『マジャール平原』に一同見とれていた。

 『マジャール平原』はヘルヴェティア王国の東の果てである。ハシリウスたちはギムナジウムで地理を習った時、ヘルヴェティア王国の東側にある『マーレ・ザルツ』と呼ばれる砂漠地帯のことが記憶に残っていたため、未開の荒れ果てた土地をイメージしていた。しかし、目の前の土地には、大きな川が青い水をたたえてゆっくりと流れていて、草木の緑も美しく、“豊饒の大地”と呼ぶにふさわしい情景であった。

 平原はかなり広く、遠く東側には濃い群青色のキラキラした海がかすんで見える。『シュバルツ・ゼー(黒い海)』である。『ワラキア山地』から『シュバルツ・ゼー』まで、ホーキで飛んでも2日はたっぷりかかると思われた。

 今、ハシリウスたちの行く手には、大勢のレギオン兵たちの手で開墾された土地や、建物が立ち並ぶ風景が広がりつつあった。ここが、ヘルヴェティア王国の好意によって新たに作られた『猫耳族』の邑である、コナシチセイトカであった。

 コナシチセイトカは、『ワラキア山地』を水源とし、『黒い海』に注ぐ大河・モリダエ河が南に屈曲する地点に造られていて、北と東はモリダエの流れで守られている。

 町は4キロ四方で、中心には200メートル四方の広場があり、広場の南側には大きな議場が、西側にはおそらく邑長の住まいとなるのであろう、ひときわ瀟洒な建物が立っていた。

 そして、町の西端にはレギオンの兵舎が立ち並び、練兵場と、いざという時のために丘の上に砦が造られている。何から何までエレクトラらしい周到さで造られた都市であった。

 「来たわね……アリアドネ、レギオンの指揮は任せたわ。指揮所を速やかに砦に移して頂戴。それからダフネ、ソフィア王女様と『大君主』ハシリウス殿、それから『猫耳族』のクラウン卿とティアラ姫は、私の所にご案内して頂戴」

 空を埋め尽くして近づいてくるホーキの大群を眺めながら、マスター・エレクトラは副司令官のバイスマスター・アリアドネと副官のリアマスター・ダフネにそう言うと、踵を返して臨時の指揮所である邑長の家へと歩いて行った。

 「ふう……やっと到着~」

 ハシリウスたちはホーキから降りると、長旅で疲れた腰や背中、お尻をさすりながら言う。

 「あ~、ホーキって長い移動に使うもんじゃないよね~」

 ジョゼが言うのに、ソフィアも肩を回しながら言う。

 「本当、すっかり肩も凝っちゃいました」

 「ハシリウス、キミは確か『空飛ぶ絨毯』を持っていたでしょ? 何であれを使わなかったのかな~? あれに乗ればボクもソフィアもティアラも、もっとラクに移動できたのに。さてはケチったな?」

 ジョゼが腰をもみながらかわゆく睨むのに、ハシリウスは困ったように笑って言った。

 「ゴメン、あれ、定員4人なんだ」

 「だったらちょうど良かったじゃないか。ボク、ソフィア、ティアラ、アンナで4人だもの」

 「だっ! 俺は定員外か!?」

 「もちろんだよ。キミはレディ・ファーストっていう言葉を知らないの?」

 ハシリウスとジョゼがそう言い合っているところに、リアマスター・ダフネがやって来て言う。

 「長旅お疲れ様でした。私はヘルヴェティア王国第4軍団の軍団副官、ダフネといいます。ソフィア王女様、ハシリウス様、クラウン卿とティアラ姫は、私について来ていただけますか?」

 ハシリウスは、ニコニコしてダフネに向かい合って言う。

 「ご丁寧に、ありがとうございます。クリムゾン卿をはじめとする私の友人たちも、一緒にお伺いしてよろしいでしょうか?」

 ハシリウスがそう言うと、ダフネは緋色の装束に身を固めたクリムゾンに初めて気が付いた様子ではっとしたが、すぐに笑顔を見せて言う。

 「もちろんです。では、ご案内いたします」


 ハシリウスたちは、この邑の中心にあり、邑で一番瀟洒な屋敷に案内された。玄関のドアを開けると、すぐに大広間になっていて、そこに身長175センチくらいの、瑠璃色の瞳が美しい人物が立っていた。その人物はヘルヴェティア王国軍団将校の軍服を鮮やかに着こなし、肩までで切りそろえられた少し癖のある髪と同じ瑠璃色のマントを翻し、腰にはかなり長めの剣を佩いている。

 “第4軍団の軍団長は女性である”ということを知っていたから、この人物がマスター・エレクトラだと見当もつけられたが、知らなければ目の覚めるような美男子と勘違いしたかもしれない。それほどエレクトラは中性的で、そして凛々しかった。

 ソフィアがみんなの前に出て、この秀麗な軍団長にあいさつをした。

 「マスター・エレクトラ、コナシチセイトカ建設、お疲れ様です。それから『猫耳族』の入植に関しては、今後もお世話になることと思いますが、よろしくお願いしますね」

 「殿下、お疲れ様でした。それからハシリウス卿、クラウン卿、ティアラ姫、お初にお目にかかります。ヘルヴェティア王国第4軍団長のエレクトラ・エレクシスです」

 エレクトラの声は、容姿がそうであるように中性的で、女としては低い方の部類だった。しかし、その落ち着いた声は、微動だにしない瞳と相まって、エレクトラの不思議な魅力を醸し出している。エレクトラは続けて言う。

 「この屋敷は、クラウン卿とティアラ姫のための邸宅です。私が一時的に軍団指揮所として使用していましたが、今現在を境に指揮所を西の砦に移しますので、どうぞご自由にお使いください。それから、町の住宅建設については、あと少しで終了する予定です。『猫耳族』の皆さんの住居については、すみませんがクラウン卿がお決めいただき、不足する分について後日私までご報告いただければ、速やかに建設いたします」

 てきぱきと言うエレクトラに、クラウンがニコリと笑って言った。

 「何から何まで、お心配りありがたく頂戴いたします。さっそくみんなにその旨を伝えますので、よろしくお願いいたします、閣下」

 「いいえ、これも王国のためですので……ところでクリムゾン卿、せっかく卿がおいでですので、この近辺の治安についてご相談したいことがございます。ハシリウス卿とともに指揮所までおいでいただけますか?」

 エレクトラが言うのに、クリムゾンが鋭い目を細めて訊く。

 「何か、不審な点がおありですか? マスター・エレクトラ」

 エレクトラは、相変わらず硬い表情のまま、うなずいて言う。

 「この邑は狙われています」

 「誰に狙われているというのですか? 『闇の使徒』ですか?」

 ハシリウスも表情を硬くして訊く。エレクトラはそれには答えず、つかつかと窓際によると、鋭い口笛を吹く。すると、

 「グアアッ」

 という声がして、何かが窓から飛び込んできた。そして、それはエレクトラの肩に止まる。エレクトラが“それ”の喉を優しくなでると、“それ”は、翼を閉じておとなしくエレクトラの愛撫を受け、黄色い目を細めて喉を鳴らしている。

 「シュバルツドラゴン……」

 思わずソフィアがつぶやく。ドラゴン族は勇猛で、というより獰猛で、人間にはまず懐かない。ごくごくまれに、ドラゴン族を手懐けられるような人間が現れることもあるが、それでも手懐けられるのは最も気性が温和なヴァイスドラゴンやアクアドラゴンがほとんどであり、ファイアドラゴンともなれば人間も命がけである。

 今、エレクトラの肩に止まっている体長30センチほどのシュバルツドラゴンは、まだほんの子どもではあるが、『ドラゴンの中のドラゴン』ともいうべき獰猛さで鳴らした猛竜で、人に使役されるなど奇跡でも起こらない限りありえない。

 しかし、その“奇跡”が実際に起こったらしく、エレクトラはしばらくシュバルツドラゴンを撫でていたが、やがてその手を休めると、ハシリウスに向かって言った。

 「ゴードンが苛立っています。近くに敵意を持ったモンスターやミュータントがいます。それも、たくさん……」

 「グアアッ、グエッ、グウウ……」

 エレクトラの言葉に反応したように、ゴードンという名のドラゴンは黄色い目を光らせ、翼を広げていきり立つ。ハシリウスは優しく笑って訊いた。

 「マスター・エレクトラ、どのようなモンスターなのか、数はどのくらいなのか、そのドラゴンに訊いてみていただけませんか? それから、運よくここにクラウン卿も、クリムゾン様もいらっしゃいますから、クラウン卿がよろしければここで迎撃の作戦を立ててはどうでしょう?」

 ハシリウスの言葉に、全員がうなずいた。それを見て、ハシリウスはニコリと笑って言った。

 「星将アークトゥルス」

 「何でしょうか、大君主様?」

 ハシリウスの言葉で、金の巻き毛が美しい星将、アークトゥルスが顕現する。ハシリウスはアークトゥルスに命令を下した。

 「星将ベテルギウス、星将トゥバンとともに、この邑の周囲をくまなく偵察してほしい。モンスターやミュータントがいたら、その種類、数、特徴、居場所を教えてほしいんだ。できれば、作戦面での助言がもらえるとなおよい」

 「かしこまりました。すぐに偵察に向かいます」

 星将アークトゥルスは、そう言って笑うと隠形した。

 ハシリウスは、みんなに向かって笑って言う。

 「では、報告があるまで、この近辺の地形などを確認しましょうか」


 マスター・エレクトラは、女性であるがゆえに緻密で手堅い所がある。今回も、コナシチセイトカを狙うものがいると知って、エレクトラはレギオンと『猫耳族』約2000人を『西の砦』に静かに収容し始めた。砦はこの邑を建設する前に完成させていて、食料も武器も十分に備蓄している。1万2000人が籠城しても1か月は持つ。エレクトラは無理をしなかった。

 「この砦が建っている丘は、この付近では最も高い丘です。北側は切り立っていて、モリダエ河に面していますので、こちらからは敵は攻め込むことは困難です。それに、河から直接水を汲み上げればいいので、水の手を切られる心配もありません」

 マスター・エレクトラがそう説明するのに、クリムゾンがニコリと笑って言う。

 「水の手が切られる心配がないのは何よりです。用意周到ですね」

 「……女王陛下からお預かりした大切な部下です。一人として無駄に死なせてはいけません。万全な態勢を可能な限り追求するのが、指揮官としての務めです」

 エレクトラはうれしそうな顔一つせずにそう言う。

 「ところで、マスター・エレクトラ。星将たちが偵察から戻ったようです。報告を聞いて作戦をたてましょう」

 ハシリウスがそう言うと、エレクトラはゴードンと何か話をして、ニコリと笑って言う。

 「分かりました。では、とりあえず『西の砦』の指揮所に参りましょう。クラウン卿とティアラ姫もご一緒にどうぞ。クリムゾン卿にもお知恵をお貸しいただければ幸いです」

 「あ、私は少し部族の者たちと話をしたいことがありますので、あとから参ります。姉さん、先に行って、皆さんの話を聞いておいてくださいませんか?」

 クラウンがそう言うのに、ティアラが

 「クラウン、それは急いでしなければならないことですか? 作戦会議が終わってからしてはいけないのですか?」

 そう訊く。クラウンはにっこりと笑って姉に言った。

 「はい、できれば早いうちに戦いが起こるかもしれないということを知らせておき、動揺を収めたいのです。みんな、『闇の使徒』の襲撃を受けた時に、ひどい精神的打撃を受けていますので、戦への心積もりができる時間は長ければ長いほどいいと思いますから……」

 クラウンの話を聞いて、クリムゾンとエレクトラがうなずいた。

 「そうですね、それはクラウン卿がおっしゃるとおりでしょう。しかし、何が起こるか分かりませんから、なるべく早めに用事を終わらせて、指揮所においでください。衛兵には話をしておきます」


 一方、コナシチセイトカのレギオンと『猫耳族』が、すべて『西の砦』の中に入るのを見ていた夜叉大将デイモンは、

 「くそっ、レギオンのマスターはなかなか鋭いな、我々が狙っていることを嗅ぎ付けたようだ」

 そう言って唇をかむ。それを見て、『蛇身族』の首領たるスネイクは笑って言う。

 「ふふっ、あんな急増の砦ならば、3日ともたないさ。それに、非戦闘員がいると戦いづらくなる……あちらに不利になるだけだ」

 スネイクはそう言うと、

 「では、私はこれから部下たちとあの砦をどうやって落とすかを協議するので、デイモン殿はゆっくりと英気を養われるとよい」

 と、デイモンに笑いかけて、丘の反対側の麓にたむろしている『蛇身族』のもとへと山道を降りて行った。

 「……『蛇身族』がどれだけ強いかは知らぬが、スネイクは少し相手を甘く見すぎているようだな。今回のことも、どこから情報が漏れたのか分からない……『蛇身族』に裏切り者はいないとは思うが……しかし不思議だ」

 デイモンはそうつぶやくと、もう一度、眼下に映る光景――人々がゆっくりと西に移動しているさま――を眺めた。まったく、あのまちにそのままいてくれれば、ことは楽だったんだが……。まさか、『大君主』が手を回したのではあるまいな。『大君主』は、この間、自分の軍団を引っ掻き回してくれた星将シリウスや星将トゥバンのほかにも、何人かの星将を従えていると聞く。ガキのくせに、なかなか侮れないやつだな……。

 「まあ、私としては、どれだけ『蛇身族』に損害が出ようとかまわないのだが、『大君主』の首が取れないという本末転倒な結末は避けたいな……」

 デイモンはそうつぶやいていたが、スネイクの後姿が見えなくなるとニヤリと笑い、丘を逆にコナシチセイトカの方へとゆっくり降りて行った。


 「……ということで、着いた早々難儀なことではありますが、私としては皆さんの生命の方が大事です。ですから、マスター・エレクトラの命令どおり、皆さん方にはとりあえず砦へと避難してもらいたいと思っています」

 クラウンは、仲間の中でも特に年取った一団に、そう誠意を顔いっぱいに表わして説いた。この一団は、仲間たちが『西の砦』に移動を開始しても、武器を手に取ってコナシチセイトカの町から動こうとしなかったのである。

 一団の中でも最も年老いた“長老”格の老人が手を上げて訊く。

 「長よ、こんな年寄まで一緒に連れてきていただいたのは感謝の言葉もないが、わしの息子も孫も、ひ孫たちも、前の領地であるカッツェガルデンで殺された。生きていても楽しみはない。それよりも、攻めてくるのが『闇の使徒』であるのなら、わしも戦いに参加して、この手で息子や孫たちの仇を取りたい。長よ、わしは戦いに参加する許可を求める」

 長老の言葉に、年寄りたちはわれもわれもと手を上げて言う。

 「そうじゃ、わしたちも戦わしてもらいたい」

 「新しい土地を守るのに、ヘルヴェティア王国のレギオンに守ってもらわねばならないようでは、勇猛をもって鳴らした『猫耳族』の名が廃るというもんじゃ」

 「わしも孫や息子、娘を失った。若い者たちこそ大事にせにゃならん。わしらはここで『猫耳族』の基礎になれれば本望じゃ」

 老人たちはがやがやと騒ぎ、事態の収拾が困難になるのを心配するクラウンが言う。

 「長老、それから皆さん。私は、この新しい邑でみんなでまた仲良く暮らしたい。一人として、仲間からは犠牲者を出したくない。皆さんのお心はとても嬉しいですが、どうか『西の砦』に避難してください。そして、そこでみんなで戦いましょう」

 クラウンがそう真剣な顔で言うと、やっと老人たちはうなずき、一団となって『西の砦』へと歩き始めた。

 「あ、クラウン……」

 そこに、クラウンの戻りが遅いのを心配して、ティアラが様子を見に来た。

 「あ、姉さん。やっと長老たちも『西の砦』への退避を承諾してくださいました」

 クラウンは、心配そうに見ているティアラにそう言うと、ニコッと笑った。ティアラもやっと表情を緩めて言う。

 「そう……。皆さん、カッツェガルデンへの思いが強い方々ばかりですものね。でもよかった」

 そして、ティアラはクラウンに言う。

 「クラウン、今度の相手は、『闇の使徒』じゃないみたいよ。どうやら『蛇身族』が私たちを狙っているようなの」

 「『蛇身族』が?……ああ、あの身体中に鱗が生えている、冷たい目をした奴らか。ふん、この爪で斬り裂いてやる」

 クラウンが言うと、ティアラは心配そうに眉を寄せて言う。

 「クラウン、私たちの爪が鋭いとはいっても、相手も相当強いと思っていて間違いないわ。あなたは『猫耳族』の王よ、あまり危ないことはしないで頂戴」

 「ああ、大丈夫さ。それより姉さんこそ、ちゃんと砦の中で、子どもたちを守ってくださいね。戦いは僕たちとハシリウス殿たちに任せていただいて……」

 クラウンは笑いながらそう言うと、先を歩く一団が自分を呼んでいるのに気付き、

 「じゃ、姉さん、僕はちょっと先に行きますので、気を付けて砦までおいでください」

 そう言うと、先を歩く一団へと走って行った。

 ――クラウンは、だんだんお父様に似てきたわ。いい王様になりそう。

 駆けていくクラウンの後姿を見つめながら、ティアラはそう思ってにっこりとした。その時、

 「これはこれは、『猫耳族』のお姫様。お久しぶりですな」

 不意にティアラの前に、『闇の使徒』夜叉大将のデイモンが現れた。

 「!……デイモン!」

 ティアラは反射的に身をひるがえして逃げようとしたが、デイモンが先回りする。

 「おおっと、逃げなくてもいいではないか、ティアラ姫。せっかく久しぶりに会えたんだ。少し話でもしようではないか」

 ニヤリと笑うデイモンに、ティアラはぴしゃりと決めつけて言った。

 「わが父母を殺し、種族の者を何千と殺したお前と、話すことは何もない!」

 ティアラはそう言い放つと、爪を出していきなりデイモンに飛び掛かった。

 「おっと」

 ティアラの爪による攻撃をかわしながら、デイモンは言う。

 「ティアラ姫、私はハシリウスの首がほしいだけだ。そなたら一族には手を出さぬと約束しよう。協力してくれるのであれば、私から『蛇身族』のスネイクに、攻撃をやめるよう話をしてみてもよい」

 「言うな! 私はそんな取引には乗らない! ハシリウス様を裏切れると思うか!」

 ティアラは逆上して、両手の爪を出して斬りつける。『猫耳族』の爪は鋼鉄やダイヤモンドを遥かに凌ぎ、オリハルコンに近い硬さを誇る。並みの鎧程度であれば一閃して両断できる。

 「ほう……ティアラ姫、そなた、ハシリウスのことが好きだな?」

 デイモンが薄い唇を歪めて笑って言うのに、ティアラは頬を染めて叫ぶ。

 「うるさい! 父の仇!」

 何度目かの攻撃をかわしながら、デイモンは面倒くさくなったのか、

 「仕方のないお嬢様だ……」

 そうつぶやきながらゆっくりと剣を抜いた。

 キイイイン!

 デイモンは、ティアラの爪を剣で受けると、素早くティアラの右手をつかみ、ニヤリと笑った。

 「!」

 「ティアラ姫、私がそなたにかけた魔法、まだ解けてはいないのだぞ?」

 「う……う、うう……」

 ティアラは、赤く怪しく光るデイモンの眼光に捕らえられ、ゆっくりと膝から地面に崩れ落ちた。

 「ふっふっふっ、ティアラ姫、そなたの手でそなたの愛するハシリウスの首を挙げてこい。待っているぞ……」

 デイモンは、地面に横たわるティアラの髪をかきあげると、白い額に何かの呪文を剣で書きつけてそう言い、笑いながら虚空に消えて行った。

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「『闇の使徒』よ、もうそろそろ攻撃にかかってもいいのではないか?」

 日が西の空に沈んでしばらくしたころ、丘の頂上から『西の砦』を眺めている夜叉大将デイモンのもとに、『蛇身族』の首領スネイクがやって来て訊いた。彼は、じりじりしていた。せっかく薄暮攻撃を準備していたのだが、デイモンの横やりによって攻撃開始が2時間ほど遅れている。

 「まあ待て、スネイク殿。私があの砦を落としやすくするために仕掛けをしておいた。その仕掛けが動き出してから攻撃しても遅くはない」

 「わが部下は、すでに攻撃発起地点で待機している。あまり攻撃開始を遅らされると、部下の士気に関わる。『闇の使徒』よ、あまり遅くなるのであれば、私たちは勝手に攻撃を発動するが?」

 スネイクは腰に佩いた剣を鳴らして、デイモンに詰め寄る。デイモンは薄い唇を歪めると言った。

 「そこ2・3時間が待てないか? 少し待つだけで、お前たちの損害がぐっと減るのだぞ?」

 デイモンの言葉に、スネイクはカッとして剣を抜きそうになる。しかし、デイモンは慌てずにスネイクの右手を押えると笑って言う。

 「はっはっ……慌ててはいけない。スネイク、そなたはあのハシリウスというガキがどんな奴か知らないだろうが、奴はマルスルの軍2万を一瞬で消滅させているし、南の天王シュールや元星将だった別格夜叉大将のカノープスを屠っている。ガキと言ってバカにはできんのだよ」

 デイモンの言葉に、まぶたのない目を丸くしてスネイクが呻くように言う。

 「……そんなこと、聞いていないぞ? 『大君主』とは、そんなに強い男なのか?」

 おとなしくなったスネイクに、デイモンはうなずいて言う。

 「強い。何より女神アンナ・プルナがヤツの味方だ。しかし、『大君主』とて人間……少し待っていろ、そのうちにハシリウスは首となる」

 デイモンがそう言ったまさにその時、はるかに見える『西の砦』が騒がしくなった。砦の中で何か騒ぎが起こっているようだ。デイモンはその音を聞きながらニヤリと笑って言った。

 「さ、スネイク殿、そなたたち『蛇身族』の出番だ。ハシリウスのことは気にせずに、存分にその武勇を発揮してくれ」

 「何だ? ちょっと待てと言ったり、さあかかれと言ったり……分からないやつだな」

 スネイクが言うのに、デイモンは凄絶な笑いを浮かべて言う。

 「ハシリウスが首になる時が近づいたのだ。奴はこの私が仕留める。スネイク殿は心置きなく『猫耳族』の奴らを一人残らず八つ裂きにしてくれ」

 スネイクは、デイモンの凄絶な笑みと、押え切れずに噴き出してくる殺気にぞっとした。こいつはやはり『夜叉大将』と呼ばれるだけのことはある。そう思いながらスネイクはうなずいた。

 「……分かった。では、すぐに砦の攻略にかかろう」


 「ハシリウス、敵は『蛇身族』っていうらしいけど、どんな敵なの?」

 『西の砦』の門の上に造られた物見台で、ハシリウスはジョゼと見張りをしていた。もうすぐ日が暮れる。日が暮れたら『蛇身族』に有利になる。

 ――日が暮れたら、ジョゼにクリムゾン様と交代してもらおう。ジョゼはソフィアの側にいてもらわないとな。

 沈みゆく夕陽を見ながら、そう考えていたハシリウスは、ジョゼの問いにはっとして訊いた。

 「え? あ、ゴメン、ジョゼ。ちょっと考え事をしていたんだ。何だい?」

 そう言うハシリウスにジョゼは少し頬を膨らませて、もう一度訊く。

 「もう、ハシリウスったら……。『蛇身族』って、どういう敵なのかって訊いたの」

 「あ、ああ。『蛇身族』はね……」

 ハシリウスが答えようとした時、星将シリウスが顕現して言葉を引き取る。

 「『蛇身族』は、その名のとおり、見た目は蛇のようだ。『獣人族』と違い、人間とあまり関係はよくない。身体中が鱗で覆われていて、下手な剣や矢は通さない。そして、暗闇でも相手の居場所を察知する能力があり、身体能力も『獣人族』並みに高い。中には毒を使う種族もいると聞く。とにかく厄介な敵だよ」

 「ふ~ん」

 ジョゼが素直に感心している。ハシリウスはそんなジョゼを横目で見ながら、星将シリウスに訊いた。

 「シリウス、何か起こったのか?」

 星将シリウスは、その鋭く黒い瞳を夕日に向けて言う。

 「いや、現時点では変わったことは起こっていない……。ただ、あの夕日が沈んだ時が勝負だな。ハシリウス、今回は相手が『闇の使徒』とミュータントだ。久しぶりに私たち星将も存分に暴れさせてもらうぞ」

 「ああ、期待しているよ……。あれっ?」

 星将シリウスにそう言って笑いかけたハシリウスは、楼門の下から自分を呼ぶ声に気が付いた。

 「ああ、クラウン殿。どうしました?」

 ハシリウスが下をのぞいてみると、クラウンが深刻な顔をしてそこに立っていた。ハシリウスが話しかけると、クラウンは軽々と物見台まで跳躍してくる。さすがは身体能力の高さで鳴る『猫耳族』である――ハシリウスは密かに感心した。

 「どうしました? 深刻な顔をして?」

 ハシリウスが訊くと、クラウンは心配そうな顔で訊いた。

 「あの、ハシリウス殿。姉さんはここに来られていませんか?」

 「ティアラさん? いや、ここにはティアラさんは来ていないけれど……」

 ハシリウスが答えるのに、ジョゼがその後を続ける。

 「ティアラがどうしたの?」

 「実は、姉さんの姿がどこにも見当たらないんです。コナシチセイトカで別れたきり、この砦の中にもいないようなんです」

 それを聞くと、ハシリウスがニコッと笑って言った。

 「僕がコナシチセイトカのまちに行って見て来よう」

 「待って、ハシリウス。もし『闇の使徒』が絡んでいたら、ティアラも危ないよ?」

 慌ててジョゼが言うのに、ハシリウスは透き通った微笑みで答える。

 「だから俺が行くんだよ。クラウン殿はエレクトラ殿とともに、この砦の中で『蛇身族』を迎え撃つという大切な仕事があるからね」

 「じゃ、ボクも行く」

 ジョゼがきりりと眉を寄せて言う。ハシリウスは、ちょっと考えていたが、

 「ジョゼはソフィアとともにアンナたちを守ってもらいたいんだけれど……」

 そう言った。しかし、“ハシリウス命”のジョゼがおとなしく引き下がるはずもない。

 「バカ言わないでよ! 大切な『大君主』様を一人で行かせられないでしょ? だからボクも行く。ダメって言ってもついて行くからいいよ?」

 頬を膨らませて抗議するジョゼを見て、ハシリウスは説得しても無駄だと思ったので、渋々言う。

 「……じゃ、ついて来てもらおうかな。ジョゼ、勝手な行動をするんじゃないぞ?」

 「分かってるよ、キミを守るのが、ボクの役目だもの」

 ジョゼがぱあっと笑顔を輝かせてそう言った、その時だった。

 「あ、姉さん、姉さんが帰ってきた!」

 不意に、コナシチセイトカのまちを見ていたクラウンがそう叫んで、物見台から城壁の外に飛び降りた。ハシリウスとジョゼも急いで砦の門に続く長い坂道に目をやる。

 そこには、沈みゆく夕陽を真っ正面から受けて、ゆっくりと歩いてくる女の子の姿が見えた。少女には頭の上に猫耳としっぽが見える。間違いない、ティアラだ。

 「ジョゼ、行こう」

 ハシリウスはそう言うと、物見台から梯子をすべり降りるようにして地面に降り立つ。

 「ちぇっ、せっかくハシリウスと二人きりになれると思ってたんだけどな」

 ジョゼも負けじと梯子の途中から地面へと飛び降りる。二人は砦の正門のすぐ外で、クラウンとティアラを待った。

 「……ハシリウス、ティアラが少しヘンだ」

 クラウンとともに歩いてくるティアラを見つめていたジョゼが、ぽつりとそうつぶやく。

 「変?」

 ハシリウスがそれを聞きとがめる。ジョゼはティアラから目を離さずに言う。

 「うん……どこがどうって言えないけれど、何か、いつものティアラとは違うんだ。雰囲気っていうのかな? 説明しづらいけど……」

 二人がそんなことを話しているうちに、ティアラとクラウンは正門近くまで歩いてきた。クラウンはしきりとティアラに話しかけるが、ティアラは“心、此処に在らず”といった風情で聞き流している。

 「あ、ハシリウス様、ご心配おかけしました。姉が戻りました」

 クラウンは、ハシリウスがわざわざ正門まで迎えに出ていてくれたことに感激して、手を振りながらそう言う。ハシリウスもニコリと笑って言う。

 「無事に戻られて何よりです。クラウン殿、ティアラ姫、もうすぐ日が沈みます。もう一度、マスター・エレクトラと打ち合わせしておきたいので、一緒に指揮所までおいでいただけませんか?」

 ハシリウスがそう言い終わった時、すでにハシリウスまであと10歩程度の所に来ていたティアラが、突然ハシリウスに向けて魔法を撃った。

 「死ねっ! 『大君主』よ! “ドレイン・バースト”!」

 「なっ!」「ハシリウスっ!」

 ティアラの“ドレイン・バースト”は、狙い過たずハシリウスを直撃した。しかし、

 「ちっ!」

 ティアラの口から舌打ちが漏れる。ハシリウスは確かに“ドレイン・バースト”を受けたはずなのに、『大君主』へと変貌して神剣『ガイアス』を抜き放っていたからだ。

 「ハシリウス、大丈夫?」

 ジョゼが『太陽の乙女』へと変身し、『コロナ・ソード』でティアラへと斬りかかる。

 「くっ! 邪魔するな、太陽の乙女!」

 ティアラはその鋭い爪でジョゼの攻撃を防ぎながら言う。その顔は、可愛らしくどことなく高貴さを感じさせるそれまでのティアラとは一変していた。

 「姉さん! 正気に戻ってください!」

 クラウンがハシリウスとティアラの間に入り込んで叫ぶが、

 「どけ! 猫耳の王よ。私が欲するのは『大君主』の首のみだ!」

 そう言ってハシリウスを執拗に攻撃しようとする。『太陽の乙女』ゾンネは、不利な体勢もかまわずにハシリウスを守ろうとする。

 「『大君主』よ、その首もらった!」

 一瞬の隙をついて、ティアラがハシリウスに飛び掛かる。しかし、ティアラの爪はハシリウスの神剣『ガイアス』にさえぎられた。

 「ティアラ姫よ、そなたはまだ夜叉大将デイモンのマインド・コントロールにかかっているのか……是非もない」

 ハシリウスは鋭い光を放っている碧の目を細めて、ティアラを見据える。ティアラはハシリウスの眼光をまともに受けて、少しひるんだ。しかし、その時、ハシリウスに“ドレイン・バースト”が効いたのか、突然ハシリウスは神剣『ガイアス』に寄りかかりながら膝をつき、地面へと崩れ落ちた。

 「やった!」「ハシリウス!」

 ティアラが嬉々としてハシリウスの首に爪をたてようとしたが、それはゾンネにさえぎられる。

 ティアラはさっと身を翻すと、ハシリウスから20歩ほど離れた地点に着地して、ゾンネにニコリと笑いかけて言う。

 「ゾンネ、お前とは人混ぜをせずに戦いたい。ついて来い!」

 そう言って、ティアラはモルダエ河の方へと走って行く。

 「望むところだ。クラウン卿、『大君主様』を頼みます。アンナに“ドレイン”を解いてもらってください」

 ジョゼはクラウンに言うと、ティアラの後を追って行った。


決の章 獣の罠から救い出せ


 「ソフィア姫、ソフィア姫! ソフィア姫はいらっしゃいませんか!?」

 クラウンは、ぐったりとしたハシリウスの警護を近くにいた『猫耳族』の者に頼むと、必死になって『西の砦』の天守まで走った。その叫び声を聞きつけたソフィアが、アマデウスとアンナを両脇に従えて天守から降りてきた。三人ともしっかりと鎧兜に身を固め、剣を佩いて軍装を整えている。

 「何事ですか? クラウン卿。いったい何が起こったんですか!?」

 ソフィアは、クラウンの真っ青になった顔を見て叫んだ。クラウンは顔をくしゃくしゃにしながら言う。

 「すみません! 姉のティアラが『闇の使徒』に操られて、ハシリウス卿に“ドレイン・バースト”を撃ってしまいました。すみません、すぐに私が姉を止めてきます!」

 「クラウン卿、少し落ち着きましょう。ハシリウスはどうしましたか?」

 ソフィアは一時の驚愕から立ち直ると、静かな声で、悲壮な顔色をしているクラウンに訊く。クラウンはやや気を取り直して、深呼吸すると言った。

 「ハシリウス卿は、気を失っておられます。姉は『太陽の乙女』と一緒に、砦の外に行ってしまいました」

 それを聞くと、ソフィアは厳かにうなずいて言う。

 「そうでしょうね……では、アンナさん、ハシリウスの “ドレイン・バースト”を解いていただけますか?」

 「……難しいわね、でも、やってみるわ。少し時間をいただいてもいいかしら?」

 静かな目でソフィアの様子を見つめていたアンナがそう言う。ソフィアはアンナを振り向くと、銀色の瞳に静かな怒りを燃やして強く言った。

 「お任せします。絶対にハシリウスを助けてください」

 その時、砦の中がにわかに騒がしくなった。第4軍団の兵士たちや、『猫耳族』の若者たちが手に手に武器を取ってあちこちに駆けていく。その様子を見て、ソフィアは全員を見回して言う。

 「『闇の使徒』と『蛇身族』が攻めてきたようです。私はアンジェラさんと一緒に、アンナさんを守ります。アマデウスさん、協力してください。それからクラウン卿、あなたはすぐに『猫耳族』の指揮を執って、マスター・エレクトラと一緒に砦の防御に参加してください」

 全員がうなずいたところに、マスター・エレクトラとクリムゾン・グローリィが姿を見せた。

 「殿下、敵襲です。すぐに天守にお戻りください。それからクラウン卿、すみませんが『猫耳族』の統制を取っていただけませんか? 敵を前にして『猫耳族』の方々が必要以上に殺気立っています。このまま戦いに突入したら、指揮統制が乱れて敵に付け込まれます。レギオンと『猫耳族』の連携がうまく行かなければ、この戦は負けです」

 マスター・エレクトラが言うと、クラウンはやっと顔に血の気を取り戻して言った。

 「承知しました。マスター・エレクトラ、私は私個人の親衛隊と一族の手練れを率いて、外から敵を攻撃しましょう」

 「内外から攻撃すれば、戦いは有利になりますが……手勢はどのくらいですか?」

 マスター・エレクトラは優しい目をして聞く。クラウンは笑って答えた。

 「200人です。親衛隊が100人、その他が100人。砦には戦闘要員として500人を残します。女性と子供は天守に詰めさせてください」

 そう聞いたマスター・エレクトラは、じっと腕を組んで何かを考えていた。クリムゾンはそんなエレクトラを見て、

 ――200人では少ない。速戦即決を狙うのであれば、むしろ、戦いを外に求めるべきだな。

 そう考えていた。

 エレクトラも同じ結論に達したのだろう、やがて腕組みを解いて言う。

 「少ないですね……では、リアマスターのダフネに1000人を与えてあなたの指揮下に着けます。相手を混乱させたら砦に戻ってください」

 マスター・エレクトラはそう言うと、隣に立っているクリムゾンに言う。

 「クリムゾン卿、あなたに1000人お預けします。すみませんがこの砦の防御総指揮官になってくださいませんか?」

 クリムゾンは笑って言う。

 「速戦即決を狙って、戦いを外に求めるのですね? いいでしょう、この砦はお任せください」

 クリムゾンの笑顔を見て、エレクトラもほほ笑んで言った。

 「お任せします。私とアリアドネは8000で敵を迎え撃ちます」


 『蛇身族』の首領であるスネイクは、闇の中でじっと『西の砦』の様子を注視していた。つい30分ほど前までの砦の中の騒ぎはすっかりおさまっていたが、砦の中からはまだ人々が落ち着いていない雰囲気が伝わってくる。スネイクはニヤリと笑うと、後ろで命令を待っていた伝令たちに言った。

 「総攻撃だ。闇にまぎれて砦の中に忍び込み、『猫耳族』を皆殺しにしろ!」

 「はい!」

 伝令たちは短く鋭い答えを残すと、闇の中に消えて行った。

 スネイクは、この『マジャール平原』の戦いに、『蛇身族』の精鋭2万を投入していた。『蛇身族』の軍隊は、1隊3000人で編成された“タクシス”を基本としている。1個のタクシスは500人からなる6個の“シンタグマ”で構成されており、非常に柔軟性に富み、兵士の勇猛さと合わせてミュータント界最強の軍隊としてヘルヴェティア王国にも聞こえている。

 今回、スネイクは砦の東側から3個のタクシスを並列で進め、南側には1個のタクシスを配置した。砦からレギオンが出てきた場合、この南側に配置したタクシスで退路を断とうというのだ。また、1個のタクシスは予備隊として『モルダエ河』の東に配置し、残りの1個タクシスは『モリダエ河』渡河点の守備に就いていた。スネイク自身の本陣には4個のシンタグマを配置していた。

 「スネイク殿、いよいよだな」

 スネイクは、突然闇の中から現れた夜叉大将デイモンに呼び掛けられてびっくりした。こいつは時々、全く気配を感じさせないときがある。『蛇身族』は闇の中でも相手の体温を感知して所在を知るのに、その特殊能力でもコイツの気配を感じられないとは……それだけでもさすが夜叉大将だな……。

 スネイクはそう思いながら、不気味なほどニコニコしているデイモンに言葉少なく聞いた。

 「デイモン殿は、どうされる?」

 デイモンは、その問いを受けてニヤニヤ笑いを大きくしながら、

 「ふむ……私か、私は別ルートであの砦の中に潜入するよ。武運を祈るぞ、砦の中で会おう」

 そう言うと、独り闇の中に姿をくらました。

 ――ふん、『闇の使徒』か……。あいつもかなりの遣い手ではあるが、どことなく信用ならないな。この作戦が終わったら、アイツとは縁を切った方がわが『蛇身族』のためかもしれんな……。

 スネイクは姿を消した夜叉大将デイモンにうすら寒いものを感じてそう考え込んだ。

 「スネイク様、スネイク様。各タクシスから攻撃の準備が整ったと伝令がありました」

 スネイクは、伝令の声を聴いてはっと我に返る。そして一つゆっくりと頭を振ってから、傍らに控えたもう一人の伝令に命令を下した。

 「よし、攻撃開始だ。各タクシスに攻撃を開始するように合図を上げよ」

 「はっ!」

 伝令は、スネイクの命令を、奥に控えていた係の者に伝える。係の者は、一つうなずくと、合図の花火に火を落とした。

 ボンッ……シュルルルル……

 合図の花火が上がると、闇の中にワアアッと大きな喚声が湧き上がった。

 「ふっふっふっ……いよいよこの肥沃な『マジャール平原』が我らのものになるぞ!」

 スネイクは鱗の鎧を月光に煌めかせ、黒いマントを夜風になぶらせながら、指揮所の者たちとともにゆっくりと前線へと移動し始めた。


 一方、エレクトラの方は、そんな『蛇身族』の配置を読んでいた。

 「砦の北側と西側は、ほぼ直角に切り立った崖。ここからの攻撃は、まずありません」

 クリムゾンがそう言って言葉を続ける。

 「私がこの砦を攻めるなら、東の『コナシチセイトカ』がある開豁地を主攻線とします。そして、南側に一隊を配置し、砦から出てきた部隊を叩きます」

 「相手は『蛇身族』。その身体能力の高さと勇猛さはヘルヴェティア王国にも轟いています。主攻を東と見せかけて、西から特殊部隊で攻め込むという方法はありませんか?」

 エレクトラが訊くのに、クリムゾンはニコリと笑って言う。

 「敵には『闇の使徒』もついているという星将からの報告がありました。とすれば、ハシリウス卿の魔力の高さを知らないはずはありません。あの絶壁に“ファイア・ウォール”を張られたら、一人も登って来られないでしょう。そんなことになったら、敵としては精鋭中の精鋭をみすみす遊兵にするようなものです。念のため、一個百人隊で守りますが、ほぼこちらは無視していいものと思います」

 クリムゾンの言葉に、エレクトラはうなずいて聞く。

 「分かりました。では、こちらの配置はどうしましょうか? 私としては、私の5000を東側に向け、アリアドネの3000を南に向けて配置したいと考えます」

 クリムゾンはそれを聞くと、ニコニコと笑って言う。

 「それで結構です」

 「マスター・エレクトラ、それにクリムゾン卿、僕はどのように布陣したらよいのでしょうか?」

 今までの話を黙って聞いていたクラウンが、そう問いかけると、クリムゾンが答えた。

 「クラウン卿の部隊は、南に布陣する敵の側面を突くため、西から密かに出陣していただきます」

 「西から? ……しかし、先ほどクリムゾン卿は、西からの攻撃は困難だと?」

 不思議そうに訊くクラウンに、クリムゾンは優しく笑いかけて言う。

 「確かに、ハシリウス卿がいる限り、敵は西から攻撃はしません。できないのではなく、しても無駄だと思っているからです。しかし、こちらから攻撃する場合、話は違います」

 クリムゾンの言葉を、エレクトラが補足して言う。

 「戦は、騙し合いです。できると見せかける、できないと思うところから攻める……今回の場合、敵は絶壁である西から我が軍団の攻撃はないと考えるでしょう。おそらく、この砦の南に配置される部隊は、そう考えて左翼か背後をがら空きにしていると思います。そこを叩けば、クラウン卿の部隊が劣勢だとしても、勝てるでしょう」

 クリムゾンとエレクトラ、ヘルヴェティア王国でも指折りの戦上手が二人してそう言うのである、クラウンは安心して笑って言った。

 「分かりました。私の部隊で敵を粉々にして見せます」

 クラウンの微笑みを見て、クリムゾンは莞爾として笑った。

 「その意気です。しかし、あまり深入りはしないように。それから、『蛇身族』の魔法属性は、“土”です。中には違う属性の奴もいるかも知れませんが、約9割は“土魔法”の属性と考えて間違いありません。ですから、こちらとしては“木魔法”を主体に攻めるといいと思います」

 

 砦の中での軍議が終わると、マスター・エレクトラはバイスマスター・アリアドネを連れて、8000の部隊で静かに配置についた。

 「アリアドネ、『蛇身族』の魔法特性は何かしら?」

 突然、静かな声でそう聞かれたアリアドネは、青い顔をエレクトラに向ける。

 「えっ? そ、その……」

 アリアドネは、蛇そっくりの敵の姿と、無機質に輝く敵の目に気おされたのか、青い顔をして口ごもってしまう。エレクトラは笑った。

 「アリアドネ、レギオンの副司令官であるあなたがそんな顔をしていては、部下まで固くなってしまうわよ。クリムゾン様がおっしゃられた通り、『蛇身族』の魔法属性は“土”、だったら、こちらは“木”の魔法で迎え撃てばいい……そうでしょう?」

 「は、はい」

 うなずくアリアドネに、エレクトラはさらに言葉を続ける。

 「私も“木魔法”を副として使うけれど、そんなに強い魔法は使えない。でも幸い、あなたはこの部隊随一の“木魔法”の達者。期待しているわよ」

 その言葉に、心中ひそかにエレクトラに傾倒しているアリアドネは、ぱあっと顔を明るくした。

 「ふふっ、顔に血の気が戻って来たわ。その意気よ、アリアドネ。あなたとクラウン卿の部隊で敵の助攻部隊を撃破したら、そのまま敵の主攻部隊の背後に突撃して頂戴。それまでは私も踏ん張って見せるから」

 「はい。でも、敵の予備隊が出てきたら、どうしますか?」

 アリアドネの問いに、エレクトラは笑って言う。

 「その時は、ハシリウス卿と星将たちの出番よ」

 その時、闇の中に大きな花火が打ち上げられ、同時に明るくなった地面に長い影を落として、『蛇身族』の攻撃が始まった。

 「来たわよ! アリアドネ、南は任せたわ」

 「分かりました!」

 アリアドネはそう言うと、自分の部隊の指揮を執るため駆け出した。


 「突撃せよ! あんな小さな砦は、一撃で叩き潰せ!」

 スネイクの言葉に、配下の部将たちが発奮する。

 「タクシスは、各シンタグマを重層配置して攻撃せよ。味方が倒れてもそのままにしておけ。勝てばすぐに収容してやるから、負傷者は部隊の邪魔にならないようにしておけ」

 『蛇身族』の主攻部隊から聞こえるそんな命令や、突進してくる地響きを聞きながら、エレクトラは涼しい顔をしていた。彼女は砦の旗指物をすべて下ろして、城兵が縮こまってしまっているかのように見せかけていた。

 「まだまだ……まだまだ……もっと敵を引き付けろ」

 マスター・エレクトラは、砦の周りに掘られた空堀の中に自身の部隊5千を隠し、東側から喚声を上げて近づいてくる敵の第一陣、約3000を見つめながら穏やかに言う。配下の兵士たちは、一様に青い顔をしているが、涼しい顔のエレクトラを見て、ほっとして通常の顔色に戻って行く兵士も多かった。

 やがて、『蛇身族』の軍隊がかなり近づき、敵の顔すら見分けがつくくらいまでになった時、

 「それっ! 弓隊、放てっ!」

 エレクトラの号令一下、溜めに溜めていた力を矢じりに乗せて、1000の弓が弦音高く必殺の矢を放つ。

その矢は地面すれすれから『蛇身族』の兵士たちの身に突き立った。

 「うわっ!」「げえっ!」

 口々に叫び声をあげて倒れ伏していく敵兵を見ながら、エレクトラは眉一つ動かさずに命令する。

 「仮借なく放てっ! 敵に息をつかせてはならん!」

 「くそっ! 全軍100歩ほど退けっ!」

 各タクシスの先鋒であったシンタグマが全滅の危機に瀕しているのを見て取ったタクシス長が号令する。『蛇身族』は約千の遺棄死体や負傷者を置き去りにして、いったん退却した。

 「敵は、野戦をしたいようだな……」

 第一陣の攻撃が撃退されるのを見ていたスネイクは、案に相違してかなりの数のレギオンが城外に布陣していることを知り、そうつぶやいた。そして、ニヤリと笑うと、

 「天下最強のわが『蛇身族』の軍を相手に、野戦を挑むか……それも夜間の野戦を。この勝負、もらった。おい、南に布陣している助攻部隊に、敵の右翼を叩き潰せと伝令を出せ!」

 そう命令を下す。

 「はいっ!」

 伝令が助攻部隊に駆けて行くのを見ながら、スネイクはゆっくりと椅子に腰かけて笑った。

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「さて、ゾンネ。この辺りで決着を付けましょう」

 ティアラは、『モリダエ河』の近くまでやって来ると、自分を追いかけて来た『太陽の乙女』ゾンネに向き直って言う。

 「望むところだ。ハシリウスをよくも……」

 ゾンネのジョゼは、息を整えるとそう言い放ち、“コロナ・ソード”を引き抜いた。その様子を見て、ティアラがくすりと笑って言う。

 「ねえ、『太陽の乙女』……いいえ、ジョゼフィンさん。ハシリウスはもうすぐ死ぬわ。あなた、ハシリウスの恋人なんでしょう? ハシリウスが一人で逝くのは寂しがってるわよ?」

 それを聞いて、ゾンネは目を怒らせる。

 「言うなっ! ボクのハシリウスが、これくらいのことで死んでたまるかっ!」

 「ふふっ、『ボクのハシリウス』だなんて、気負っているわね? でもね、ジョゼフィンさん、“ドレイン・バースト”は、相手の力をことごとく吸い取ってしまう魔法よ。ハシリウスが“大君主”だとしても、どんなに大きな力を持っていたとしても、魔力がなくなればそこで終わりよ」

 そう言うと、ティアラはどことなく茫然としていた瞳に憎悪の色を込めてゾンネを見つめる。その『猫耳族』の証である、オリハルコンすら引き裂く鋭い爪を両手とも出して、戦闘態勢を整えていた。

 「そしてあなたも、ここで終わりよ! “大君主”と仲良くあの世に逝きなさい!」

 ティアラはそう叫ぶと、人間離れした跳躍力でゾンネの首筋を狙って爪を繰り出す。ゾンネはコロナ・ソードで右手の爪を弾くが、左手の爪がゾンネの右わき腹を削った。

 「くっ!」

 ゾンネは、ティアラの爪の動きに逆らわないように左回転すると、それ以上爪が体に食い込まないようにしつつ、ティアラの顔をめがけて回転の力を利用した鋭い斬撃を放つ。

 「おっと!」

 コロナ・ソードはティアラの顔をかすめ、慌ててティアラが10メートルほど跳び退く。

 「ふふ、やるわね。でも、あなたの動きは分かったわ。今度は息の根を止めてあげるから、覚悟しなさい」

 そう言って跳びかかろうとするティアラに、ゾンネは困ったような顔を向けて言う。

 「ティアラ、ボクは本当はキミとこんなことで戦いたくない。キミだってハシリウスのこと、好きなんでしょう? 二人で、ううん、ソフィアと三人で、ハシリウスとともに『闇の使徒』たちと戦うことはできないの?」

 それを聞いた途端、ティアラの身体が震えた。ゾンネのブルネットの瞳に、そこはかとない寂しさを感じたティアラの栗色の瞳から、憎悪の色が消える。

 「……ボクたち、友達じゃなかったの? ねえティアラ、正気に戻ってよ!」

 ゾンネの声に反応するかのように、ティアラの身体から力が抜けていく。ゾンネはゆっくりとティアラに近寄りながら、さらに話しかけた。

 「ティアラ、ハシリウスはとてもいいヤツだ。今度のことも、キミが『闇の使徒』に操られていたって知っているから、きっとハシリウスはキミのことを責めないよ?……だから、ティアラ、一緒にハシリウスの所に帰ろう?」

 ティアラは、爪をひっこめ、両手で顔を覆って頭を激しく横に振って言う。

 「……ダメ、ダメです。だって私、ハシリウス様にあんなことしてしまって……。ハシリウス様は私のこと、クラウンや私の種族のことを救ってくださったのに、あんなことしてしまって、私はハシリウス様に会わせる顔がありません!」

 「だったら、ちゃんとハシリウスを殺さねばな、ティアラ。何事も中途半端はよくない」

 「誰っ!」「!」

 不意に後ろから呼びかけられて、ゾンネは慌てて振り向く。そこに『闇の使徒』デイモンの姿を見て、ティアラが凍りつく。

 デイモンは、ゾンネなど眼中にないように、不気味な笑いを浮かべてティアラに話しかけた。

 「ティアラ、お前はもうハシリウスの恋人にはなれない。すでにハシリウスに“ドレイン・バースト”をお見舞いしているからな。あとはハシリウスを殺るだけだ」

 「黙れっ! ティアラはボクたちの仲間だ!」

 ゾンネが身体中から絞り出すような声でデイモンに叫ぶ。しかし、デイモンは涼しい顔でゾンネを見ると、

 「ティアラ、この小うるさい小娘を始末してから、ハシリウスの首を取ってこい」

 そう言う。ゾンネはコロナ・ソードを構えて、さらに何か言おうとしたが、ティアラが

 「はい。デイモン様」

 というのを聞き、背後からとてつもないほどの殺気を覚えて、慌てて振り向いた。

 「うぐっ!」

 「……ハシリウスは、私のもの……。私のものにするの……」

 ティアラは、焦点のない目でゾンネを見つめている。ゾンネは口の端から血を垂らしながら、信じられないものを見るような目でティアラを見つめてつぶやいた。

 「ティアラ……どうして?」

 「……私、大君主様のこと、好き……。あなた、大君主様の恋人……だから、キライ……死んで、ゾンネ……」

 ティアラは感情がこもっていない声でそうつぶやくと、ゾンネのみぞおちに突き立てた右手をさらに押し込み、そして引き抜いた。

 「うわああっ!」

 ティアラの手が引き抜かれると同時に、ゾンネの胸からはおびただしい血が噴出した。そして、ゾンネはジョゼの姿に戻り、膝から地面へと崩れ落ちた。うつぶせに倒れたジョゼの周りに、見る見るうちに血だまりが広がっていく。

 「見事だ、ティアラ。次はハシリウスだ」

 デイモンは満足そうに笑うと、虚空に溶け込んだ。それを虚ろな目で見送ったティアラは、起き上がろうともがいているジョゼを一瞥して、砦の方へと駆け出した。

 ジョゼは、遠ざかりつつあるティアラを、かすんだ目で見つめながら、何とか立ち上がろうとしたが、力が入らない。

 ――ボク、ここで死んじゃうのかな……でも、ハシリウスを守らなきゃ……。

 「くっ……は、ハシリウス……」

 何とか起き上がろうともがくジョゼのもとに、折よく星将デネブが顕現した。

 「大丈夫かい!? 幼なじみさん」

 デネブは慌ててジョゼを抱き起すと、胸元の大きく空いた傷口に“女神の秘薬”を降り注ぐ。ジョゼの傷口は、そのおかげでゆっくりとではあるがふさがって行く。

 「あ、ありがとう、星将デネブ……ハシリウスが危ないんだ」

 苦しげに言うジョゼに、デネブは心配そうな顔を向けて言う。

 「しゃべらない方がいいよ。ちょっと血を失いすぎているからね。ホントはあたしたち星将で奴らの予備隊を始末する予定だったんだけど、なんか胸騒ぎがしたからこっちに寄り道してみて良かったよ。予備隊程度だったらシリウス一人でもお釣りがくるから、あたしがとりあえず女神様の所へ連れて行ってあげるよ。ハシリウスの所には、必ずその後で寄ってあげるから、心配しないで養生しなよ」

 しかし、ジョゼはデネブの肩をつかむと、ニコリと笑って言う。

 「デネブ……時間がないんだ。ボクを、ハシリウスの所に連れてって……」

 「ダメだよ。あんたと言い、シリウスと言い、どうして人の言うことを素直に聞かないんだい?」

 「だって……ティアラはまだ『闇の使徒』の呪縛から解き放たれていない……。ハシリウスもまだ目覚めていないし、このままじゃハシリウスがやられちゃう」

 苦しげに言うジョゼに、デネブは、

 「ハシリウスの側には『月の乙女』がいる。“緋色の悪魔”もハシリウスを守っている。心配しなくてもいいよ。それより、あんたがそんな怪我をしたことを知ったら、ハシリウスが悲しむよ」

 そう姉のようにたしなめるが、ジョゼは必死の顔色でデネブに頼むように言う。

 「それはそうだけど……でも、ティアラとソフィアを戦わせたら……どちらかが……必ず死ぬって気がするんだ。……あの二人は……戦わせちゃいけない。……だから、……デネブ、お願い……ボクをハシリウスの所に連れてって」

 デネブは困ったような顔をして、ジョゼの傷口が何とかふさがったのを確認すると、そのまま抱きかかえて立ち上がる。

 「……あんたの傷は、まだ完全にふさがっちゃいない……。あんたが半神だとしても、死ぬときは死ぬ。それはハシリウスが最も嫌がることだよ? それが分かっているんなら、ハシリウスの所に連れてってやるよ」

 「うん……アリガト、星将デネブ」

 ジョゼはほっとしてデネブの腕の中で目を閉じた。その顔を見ながら、デネブは、

 ――まったく、こんないい娘から想われているなんて、ハシリウスは幸せ者だよ。

 そう思いながら、砦へと飛翔した。

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「アンナさん、大君主様はまだ目覚めませんか?」

 砦の指揮所の中で、外の戦勢を眺めながら『月の乙女』ルナが訊く。アンナは難しい顔に汗をしたたらせて、ルナに答える。

 「……この魔法は、ただの“ドレイン・バースト”ではないわね。すごく念が入っているわ」

 「念が入っている? どういうことでしょう?」

 銀色の瞳を丸くしてルナが訊くのに、アンナは豊かな黒髪を揺らして首を振る。

 「“ドレイン”系の魔法は、対象物の魔力を吸い取る闇魔法よ。だから、それを解くには木魔法の“バウム・エナジー”か水魔法の“ヴェッサー・ヒール”で闇魔法の波動を逆に吸い取ればいいの……理論的にはね」

 そう言うと、アンナは困ったような表情で、眠り続けるハシリウスを見つめて続ける。

 「……理論的にはそうなんだけど、ティアラさんの“ドレイン・バースト”の波動は、ハシリウスくんの光魔法の波動とぴったり一致しているの。だから、私の木魔法や水魔法の波動が“ドレイン・バースト”を吸収するのを妨げているの。困ったわ……何かいい方法はないかしら……」

 そう言って眉をひそめるアンナの言葉を聞いて、アンナの姉であるアンジェラがぽつりとつぶやいた。

 「闇魔法は、光魔法と表裏一体……」

 その言葉に、アンナがはっと何かに気づく。そして、ハシリウスの胸に手を当てて、目を閉じて顔をハシリウスの胸に伏せる。まるで何かを感じ取ろうとしているかのように……。

 「アンナさん?」

 『月の乙女』ルナが、心配そうにアンナに声をかける。アンナは、しばらくそうしていたが、やがてふうっとため息を漏らすと、何かの秘密を見つけたように輝いている顔を上げた。

 「そうよ、闇魔法と光魔法は表裏一体……。だから、ハシリウスの光魔法の魔力で“ドレイン・バースト”の波動を吸い取るか、または“ドレイン・バースト”と同じ闇魔法で“ドレイン・バースト”の魔力の波動を打ち消せばいいのよ……ここにはジョゼがいないし、これはソフィア姫、あなたの出番よ」

 アンナがそう言うと、『月の乙女』ルナはニッコリと笑って言う。

 「私が何をすればいいのでしょうか?」

 「“月の波動”レベルの魔力を、ハシリウスの中で開放してもらいたいんです。そうすれば、ハシリウスにかけられた“ドレイン・バースト”は解けます……!」

 ルナにハシリウスを目覚めさせる方法を説明していたアンナが、何かに驚いたように両手を口に当てて固まった。

 「……残念ですけど、ハシリウスは私が殺してさしあげるの……。治さなくてもいいのよ、アンナ、そして『月の乙女』」

 「ティアラさん! 何を言っているの!?」

 思わず叫び声を上げたアンナをかばうように、『月の乙女』ルナはアンナとティアラの中間に立ちふさがった。すでにルナは『クレッセント・ソード』を抜き、『月光の楯』に半身を隠すようにして、油断なくティアラを凝視している。

 「ティアラさん、念のために訊きます。ハシリウスは大君主としてかけがえのない人です。そのハシリウスに何をするつもりでしょう?」

 ルナは銀色の瞳に鋭い光を込めて、すでに両手の爪を最大限に伸ばしているティアラに訊いた。ティアラは栗色の瞳を焦点なく漂わせ、乾いた笑いをたてて言う。

 「何を愚かなことを訊いているの? ハシリウスに何をする? 知れたこと、死んでもらうの……『太陽の乙女』みたいにね……」

 何かに憑かれたように笑うティアラを銀色の瞳で見つめながら、『月の乙女』ルナがこれ以上ないほどの冷たく通る声で言い放つ。

 「!……ゾンネを倒したというのね……では、あなたは私のかけがえのない友の仇でもあるわけですね……。残念ね、ティアラ。大君主様はこのルナが命に代えても守り抜いて見せるわ。あなたみたいに他人に操られる半人前が、私に勝てると思う?」

 そう言うと、ルナは『クレッセント・ソード』をゆっくりと上段に構えなおす。ティアラはルナの挑発に、栗色の瞳が赤く怪しく輝くほど赫怒した。

 「何っ! 私が半人前!? 小賢しい小娘が調子に乗ってほざいたわね!」

 そう叫ぶとともに、ティアラは目にも止まらぬ速さでルナに斬りかかってきた。しかし、ルナは危なげなくその爪をかわし、ティアラの右腕に斬りつけた。

 「くわっ! よ、よくもやったな! もう許さないっ!」

 ルナの『クレッセント・ソード』はティアラを浅く傷つけたが、その傷の痛みにティアラの魔力が暴走し始めた。ティアラは『闇の魔力』を両手の爪に込め、さっきに増して鋭い攻撃をルナに放つ。

 キイイン!

 ルナはティアラの爪を『クレッセント・ソード』で受けとめた。しかし、ティアラはニヤリと笑うと、手首をひねって『クレッセント・ソード』を虚空に振り飛ばす。

 「くっ! 出でよ『モーン・スピア』!」

 ルナは『月光の楯』に身を隠して、『モーン・スピア』を虚空から取り出す。そうはさせまいとティアラは、

 「ふん! ルナ、くらえっ!“闇の鼓動”!」

 そう叫ぶと、ルナに突きかかって来た。ルナは『モーン・スピア』を構える暇もなく、

 「女神アンナ・プルナよ、大君主の身を守るため、『闇の使徒』に囚われし者をこの槍で浄化させたまえ!“ホルスト・ヴェッセル”イム・ルフト!」

 そう呪文詠唱とともに、ティアラに突きかかって行った。

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「敵の予備隊には星将たちが向かってくれている。星将たちならば一人で2千や3千は軽く片付けてくれるだろう。おそらく敵の戦力も城外にあるもので限界だろう」

 砦の中で、1000人の“最後の予備隊”を指揮している“緋色の悪魔”クリムゾン・グローリィは、城外の戦闘を眺めながらつぶやく。東から攻めてきた敵の軍団・1万弱は、およそ半数のマスター・エレクトラ率いる5000のレギオンに完全に足止めを食らっている。

 クリムゾンとエレクトラが予見した通り、砦の南側に埋伏していた敵の軍勢・約3000が、エレクトラの陣の側翼を狙って動き出したものの、こちらもバイスマスター・アリアドネの3000によって阻止されていた。

 クリムゾンは、『猫耳族』の長老を呼び出すと、優しく言った。

 「私の隊も、もうすぐ出撃します。ついては、『猫耳族』の勇者たちにより、砦の西側を守備していただきたい」

 猫耳族の長老は、莞爾と笑って言った。

 「分かりました。私たちでこの砦はしっかり守って見せますじゃによって、長と姫のことはよろしく頼みましたぞ、“緋色の悪魔”殿」

 クリムゾンはニコリと笑うと、長老たちに言った。

 「分かっています。この砦を守り抜き、『猫耳族』の皆さんの憂いをなくしてから、みんなで勝鬨を挙げましょう」

 そう言うとクリムゾンは、頭を下げる長老たちを残し、緋一色の軍装もいかめしく指揮所から出て行った。


 そのころ、砦の西側から密かに出撃したクラウンとリアマスター・ダフネの1200人は、闇にまぎれて『蛇身族』の助攻部隊の左翼近くに進出することに成功していた。

 「ダフネ殿、あまり時間をおいてはアリアドネ殿の部隊が不利になります。早く突っ込みましょう」

 闇の中から聞こえる、アリアドネ隊と助攻部隊との戦闘の激しさに、クラウンはじりじりとしながらダフネを急かす。ダフネは、ゆっくりと戦況を確認していたが、

 「敵の左翼は、わがアリアドネ隊への攻撃で側方への警戒をおろそかにしています」

 という斥候の報告を聞いて、初めてにこりとして言った。

 「では、クラウン卿、一緒に突っ込んでください。音に聞こえた『猫耳族』の勇姿、しっかりと見せていただきます」

 それを聞いて、クラウンもニコリと笑い、自分の隊に戻って行った。

 「では、アリアドネ様の部隊を救いに行きます。全員、武器に“木魔法”の気を込めて戦うように。『蛇身族』の鱗は刃を通さないと聞きますが、“木魔法”には敵わないでしょう。眼前の敵を撃ち破ったら、わが隊は敵の主攻部隊の背面を突きます。よって身軽に移動できるよう、敵は討ち捨てにしなさい……では、全軍、突撃っ!」


 「ええい、まだ助攻部隊は敵の右翼を突き崩せないのか? 何をしているのだ!」

 『蛇身族』の団長であるスネイクは、モリダエ河の渡河点まで進出した本陣の中で、進まない戦況にイライラしていた。

 その本陣に、前線からの伝令が駆け込んできた。伝令は鎧に立った数本の矢を抜きもせず、血だらけの状態でスネイクの本陣に運ばれる。

 「ス、スネイク様……助攻部隊は敵の一隊に進撃を阻まれているところを、突如現れた別の敵に側翼を奇襲され壊滅しました。……タクシス長は戦死。……主攻部隊は現在、敵の別働隊と奇襲部隊によって背面から攻撃を受け、こちらも壊滅を危惧されるような状況であります……主攻部隊の三人のタクシス長のうち、すでに二人は戦死……すぐにお助けください」

 苦しい息の下で、伝令はそう報告を終えると、かっと血を吐いて絶命した。スネイクは唇をかみしめ、まぶたのない無機質の瞳をじっと伝令の死体に当てていたが、すぐに周囲の部将たちや伝令に命令を下した。

 「人間どもめが!……伝令、すぐに予備の2タクシスに戦線に加わるよう命令を伝えよ! それから、私も押し出す。本隊の各シンタグマは、鶴翼に開いて前進せよ!」

 怒りに燃えたスネイクの声が闇を斬り裂いたが、その声よりも大きい喚声が、スネイクの本陣近くの闇の中で沸き起こった。兵士たちが立ち騒ぐ声や、干戈の響きも聞こえてくる。

 「何だ、いったい何が起こった!」

 驚いて本陣の幔幕を払って外に出たスネイクの眼前に、信じられない光景が広がっていた。

 「おおっ……きゃつらは、星将……」

 二つの予備隊――各3000――は、名状しがたい混乱を引き起こしていた。スネイクがよく見ると、それぞれの隊の中で、大胆にも3000人を相手に切り結ぶ男がいる、それもたった一人でだ。さらに何者かがその混乱を助長するかのように、夜目にも鮮やかな光の線を引く矢を、次々と予備隊に打ち込んでいる。矢は吸い込まれるように予備隊陣地の中に消えると、そこで爆発して兵士たちを薙ぎ払っている。

 そう、星将ベテルギウスと星将アークトゥルスが予備隊に斬り込み、星将トゥバンが得意の弓で援護していたのである。

 「くそっ! 星将たちを片付けるのが先だ! 者ども、アイツらを片付けろ!」

 スネイクの言葉に、部将たち10数名がそろって駆け出したが、彼らが何歩も走らないうちに凄まじい衝撃波が襲ってきた。その衝撃波によって、部将たちは血煙を上げて崩れ落ちる。全員が上半身と下半身を完全に分断されていた。

 「だ、誰だっ!」

 スネイクは剣を抜いて叫ぶ。その姿がおかしかったのか、一人の男が笑いながら闇の中から進み出てきた。

 「久しぶりだな、スネイク。今夜は手加減しないぜ」

 長い銀髪、鋭い黒い瞳、白銀の衣に群青色のベルトを締め、銀の手甲と脛当てを着けた若者の姿……闇の中から現れたのは、星将シリウスであった。

 「き、貴様は星将シリウス!」

 驚き慌てるスネイクを、鋭い瞳でにらみつけながら、シリウスはゆっくりと蛇矛を構えて言った。

 「貴様ら程度で我ら星将を片付けられるかどうか、試してみるんだな」

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 それは、すさまじい光景だった。

 ソフィアとティアラ、どちらも魔力の強さでは甲乙つけがたい二人が、光と闇の魔法、それぞれの力を全開にして対峙したのだ。

 「“闇の鼓動”っ!」

 「“ホルスト・ヴェッセル”っ!」

 二人の魔力を乗せたそれぞれの武器が、瞬息の速さで繰り出され、激突した。

 いずれ劣らぬ光と闇の波動が爆発し、炸裂し、凄まじい衝撃波として辺りを薙ぎ払う。もうもうたる土煙が舞い立った。

 「す、凄い……」

 アンナは、姉のアンジェラ、そしてアマデウスとともに“ヴィンド・ケッセル”でハシリウスを守りながら、ルナとティアラの死闘を見つめていた。私たちの魔力では、あの二人の相手は到底できない。

 「やるわね、出でよ『冥界の矛』!」

 土煙を衝いて、ティアラの声が響き、火を噴くように闇の力を乗せた矛が繰り出される。ルナは瞬き一つせずにその矛を『モーン・スピア』で弾き、受け止めている。

 「“闇の鼓動”っ!」

 ルナの隙を見つけたティアラが魔法攻撃をかけるが、

 「“月の波動”!」

 これも、間、髪を入れぬルナのカウンター攻撃で撃砕される。再び炸裂する魔法の衝撃波に乗って、ルナとティアラは互いに跳び退き、間合いを開けた。そこに、

 「ルナ!」

 という声とともに、赤い衣に金のチェインメイルを着て、金のヘルメットをかぶった『太陽の乙女』ゾンネが、星将デネブに支えられながら現れる。

 「ゾンネ! 生きていたのね。悪運が強いこと」

 ニヤリと笑って言うティアラに、ゾンネはブルネットの瞳を向けて話しかけた。

 「ティアラ……ボクはキミと戦いたくない。でも、ハシリウスやソフィアとも戦わせたくないんだ」

 「何をたわけたことを!“闇の鼓動”!」

 ティアラはそう叫んで、ゾンネに突きかかってくる。

 「ゾンネっ!」「なっ!!」

 ルナとティアラの叫びが同時に起こった。ルナの叫びは恐怖の、ティアラの叫びは驚愕のそれだった。ゾンネは、ティアラの“闇の鼓動”を乗せた『冥界の矛』の切っ先を、真っ直ぐに伸ばした右の掌で留めていたのだ。

 「ソフィア、ハシリウスをお願い」

 つぶやくように言うゾンネの声が聞こえたのか、ルナははっとしてハシリウスを見る。アンナと視線が合った。

 「分かったわ、お願い、アマデウスくん」

 アンナが言うと、アマデウスはうなずいて“ヴィンド・ケッセル”を解いた。星将デネブが抜け目なくティアラとハシリウスとの間に移動して、ティアラの攻撃を防ぐ。

 「女神アンナ・プルナよ、大君主の力を支え、その目覚めを早めたまえ。“月の波動”イム・ルフト」

 ルナは残った力を振り絞ると、ハシリウス目がけて“月の波動”を放った。

 ――ジョゼ、あとは、任せたわ……。

 “月の波動”の力に包まれ、光輝くハシリウスを見ながら、ルナとのシンクロが切れたソフィアは、ゆっくりと地面へと崩れ落ちた。

 「くっ!」

 ティアラは醜く顔を歪めていた。あれだけ血を失ったはずのジョゼ、彼女のどこに、こんな力が残っていたのか――守備魔法が解かれて無防備のハシリウス、シンクロが切れて気を失ったルナ、そのどちらにも攻撃ができないほど、ゾンネの気迫は凄かった。

 「……ティアラ、ボクは、君の中の『闇の使徒』の力を憎む! ハシリウスも、ソフィアも、そして君も、ボクの大事な仲間なのに、その仲間を引き裂こうとする『闇の使徒』を許せない!」

 「何を甘いことを言っているの……!!」

 ゾンネの魔力に圧倒されそうになりながら、強がりを言おうとしたティアラの表情が凍った。ティアラに向けられたゾンネの顔は光に包まれ、その瞳はブルネットではなく金色に輝いていたからである。

 「ゾンネンブルーメ……」

 ティアラの顔が恐怖にゆがんだ。この顔は、伝説のゾンネンブルーメ……諸悪を白日の下にさらし、影は影に、光は光にと森羅万象を分別する……『太陽の乙女』ゾンネの真実の姿!

 「忌まわしき影たちよ! 大君主の側にあり光を統べる『太陽の乙女』が女神アンナ・プルナのみ名において命じます。光は光に、影は影に戻りなさい!“ゾンネン・フレア”イム・ルフト!」

 ゾンネの声が終わらないうちに、ゾンネは神々しい光に包まれた。そしてその光は一瞬にして天空へと広がり、辺り一面を目もくらむような光が支配した。

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 『猫耳族』と『蛇身族』が争った『マジャール平原』の戦いは、『猫耳族』の勝利に終わった。

 『西の砦』を1万2000の兵で一気に攻略しようとした『蛇身族』だったが、東から攻めた『蛇身族』主攻部隊9000が、ヘルヴェティア王国第4軍団の主力5000に足止めされている最中、『蛇身族』の助攻部隊3000を第4軍団支隊3000と『猫耳族』部隊約1000が撃破し、そのまま『蛇身族』主攻部隊の背後に回ったことで、野戦の勝敗は決した。『蛇身族』の損害は約5000、対するヘルヴェティア王国軍と『猫耳族』は約1000だった。

 『蛇身族』の首領スネイクは、野戦部隊の苦戦を見て予備隊6000と自身の旗本2000をも戦線に投入しようとしたが、予備隊は星将アークトゥルス、星将ベテルギウス、星将トゥバンの活躍により壊滅し、スネイク自身も星将シリウスの蛇矛の露と消えた。

 一方、『闇の使徒』夜叉大将デイモンは、ティアラがゾンネの魔法より“闇の呪縛”を解かれたことを知り、自身でハシリウスにとどめを刺すべく『西の砦』に乗り込んだが、目覚めたハシリウスに一撃を加えることもできず、星将デネブの“風の刃”に阻止された。

 『ハシリウス、後日再戦だ! 今度は息の根を止めてやる』

 “風の刃”によって右腕を斬り飛ばされたデイモンは、闇の魔力で星将デネブの攻撃を牽制しつつ、ハシリウスにそう言って虚空へと消えて行った。

 しかし、凄絶な死闘ではあったが、何とか勝利を収めることができたハシリウスたちは、消耗してしまったソフィアやティアラの体力回復を待ちながら、コナシチセイトカの再建に協力していた。

 「ハシリウス卿、本当にハシリウス卿には謝罪する言葉もありません。前回は私が卿のお命を狙い、今回は姉がジョゼフィンさんに重傷を負わせるなど……」

 一日、回復したソフィアやジョゼ、ハシリウスとともにコナシチセイトカの街を視察していたクラウンは、そう言ってハシリウスに謝罪する。

 「い、いいよ、別に気にしなくても。ティアラは『闇の使徒』に操られていたんだし、ボクは全然気にしていない。ハシリウスだって、クラウンやティアラのこと悪く思ったりしていないと思うよ。ね、ハシリウス?」

 ジョゼが満面の笑顔でそう言うと、ソフィアも

 「ジョゼのいう通りです。私は、ティアラさんはいつの日か私たちよりもハシリウスの役に立つ日が来るのではないか……手合せしたときに感じたティアラさんの魔力の高さから、そう思いました。ジョゼのいう通り、ティアラさんはかけがえのない仲間になることでしょう」

 そう言ってニコリと笑って見せる。

 「ティアラさんは、一緒にギムナジウムに帰るんだろう? また一緒に勉強できることを楽しみにしているよ」

 ハシリウスもそう言ってクラウンに笑いかける。クラウンは三人の屈託のなさに思わず目頭が熱くなってしまった。人間とも、こんなに素敵な仲間になれるなんて信じられなかったのだ。

 「姉は、ハシリウス卿のことが好きのようです。ハシリウス卿からそう言っていただければ、姉もきっと喜ぶことと思います」

 クラウンの言葉に、ハシリウスは慌ててジョゼとソフィアを振り返る。しかし、ジョゼもソフィアも半ばあきらめ顔でハシリウスのことを見つめて笑っている。

 「心配しなくていいよ、ハシリウス。ボクたち今さら君とティアラとのことで焼きもち焼いたりしないさ。ボクも、ティアラも、ソフィアだって、それにアンナやライムだって、キミのことが好きなんだよ。キミってやつは、ほんと、誰にでも好かれるよね。根っから先天性女ったらしだね」

 「確かに、私もハシリウス卿のこと、変な意味ではなくて好きになってしまいました。種族のことがなければ、私だってハシリウス卿とともにギムナジウムで勉強したいって思いますからね」

 ジョゼの言葉に、少し顔を赤くしてクラウンが言う。クラウンはどちらかというと線が細くて美貌の持ち主だ。その彼がそんなこと言うと、とってもアブナく聞こえる。同じく顔を赤くしたソフィアとジョゼだったが、ジョゼが茶々を入れる。

 「ふ~ん、ハシリウスって、今度はBLも経験してみるの? 両刀使いで頼もしいことだね」

 慌ててハシリウスがジョゼに抗議する。

 「待てっ! さっきから聞いていると、僕はまるで女ったらしで男ったらしみたいじゃないか」

 「その通りだろ? このスキモノ」

 「スキモノってなんだよ? 僕は変態さんじゃないぞ?」

 「変態さんじゃなくて、スケベさんだねうんうんわかるよ」

 「ちが~うっっ!」

 ジョゼとハシリウスの言葉のじゃれあいを聞きながら、ソフィアもクラウンもくすくすと笑っていた。その時である。

 「お~い、ハシリウス~!」

 道の向こうから、アマデウスが手を振って慌てて駆けてきた。三人の姿を探していたらしい。

 「どうしたんだ、そんなに急いで?」

 ハシリウスが、側まで駆けてきたアマデウスに訊く。

 「そっ、それが……はぁ、はぁ、はぁっ……」

 「息を切らして、なんか危ないオジサンみたいだよ? アマデウス」

 ジョゼがおちゃらけるのに、アマデウスはいつになく真剣な瞳をハシリウスに向けて言う。

 「はぁ、はぁ、……ハシリウス、大変だ。ティアラさんがいないんだ」


 ハシリウスたちは、急いでティアラが寝かされていた部屋に駆け込んだ。ティアラの家は、コナシチセイトカの中央にある白い瀟洒な建物で、1階がクラウンとティアラの執務室や会議室になっていて、2階が二人の生活空間だった。

 ティアラは東側の、朝日が差し込む大きな窓を持つ部屋に寝かされていたが、今、そのベッドには誰もいなかった。部屋が片付いているのを見ると、ティアラは自分で旅支度をして出て行ったらしい。

 「誰が気付いたんだ?」

 ハシリウスがアマデウスに訊くと、

 「私よ。つい30分くらい前にティアラさんの様子を見に来たときには、もういなかったわ」

 アンナがそう言って続ける。

 「私は、ほぼ1時間おきにティアラさんの様子を見に来ていたの。きっとティアラさんのことだから、ジョゼやハシリウスを傷つけたことを気に病んでいると思ったから……。やっぱり彼女、気にしていたのね……」

 ため息とともにそう言うアンナに、ハシリウスは優しい笑いを投げかけて言う。

 「ありがとう、アンナ。君だからそこまで気を付けてくれたんだ。ティアラさんがいなくなったことは、君こそ気にしないでくれ」

 そこに、ソフィアとクラウンがやって来て言う。

 「ハシリウス、マスター・エレクトラにティアラさんのことを頼んだわ。軍団兵の何人かが、東の方に向かうティアラさんの姿を見たっていうから、レギオンを捜索に派遣してもらいました」

 「ハシリウス卿、わが『猫耳族』の中で特に視覚と聴覚に優れ、俊足な者100人を、姉の捜索に派遣しました。ご心配には及びません」

 ハシリウスは、そう言うソフィアとクラウン、二人に笑いかけると、

 「ティアラさんは、きっと僕たちのかけがえのない仲間になる……ソフィアじゃないが、僕もそう思う。『闇の使徒』と戦うにしても、“大いなる災い”を押えるにしても、ティアラさんの存在が大きなカギになる……僕は、昨夜星を読んでそう思った……」

 そう言うと、『大君主』の姿へと変貌して続けて言う。

 「『太陽の乙女』よ、一緒にティアラを探してほしい」

 うなずいて『太陽の乙女』へと姿を変えるジョゼの隣で、ソフィアが眉を寄せて訊く。

 「ハシリウス、私はどうすればいいの?」

 ハシリウスは、優しい碧の目をソフィアに当てて言う。

 「ソフィア、君はここで待っていてほしい。今は、『月の乙女』の出番ではない」

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 ティアラは、膝を抱えて草むらに座り、眼前に広がる湖をじっと見つめていた。ゆっくりと目を閉じて、頬を撫でる風の音を聞く。

 ――私は、ハシリウス様のお側にいる資格なんてない……。だって、ハシリウス様のお命を2回も狙い、『太陽の乙女』まで手にかけてしまったから……。

 ティアラは膝に頬を付ける。

 「あまりそのようなことは気にしなくてもいいと思いますよ」

 「!」

 ティアラは、突然背後から声をかけられて、びっくりして振り向いた。すでに爪を出している。そんなティアラに、黒い甲冑と黒いマントに身を包み、黒い手甲と脛当てをつけ、茶髪の優男だがどことなく威圧感を感じさせる若者の姿……星将ベテルギウスが優しく笑って言う。

 「突然ですみません。私は星将ベテルギウス。大君主ハシリウスを守護している者です」

 「星将……ベテルギウス……」

 ティアラは、ベテルギウスの名乗りを聞いて、身体の力を抜いて座り込んだ。ベテルギウスは笑って言う。

 「私の姿が見えるようになられたのですね。さすが、セントリウスが見込んだ新しい『月の乙女』ですね」

 ベテルギウスの言葉で、ティアラは『蒼の湖』の畔で筆頭賢者である星読師セントリウスから聞かされたことを思い出した。

 『ティアラ姫、あなたは強力な『闇魔法』の力をお持ちです。おそらく、ご自分では気づいていないでしょうが、それはハシリウスを凌ぎます。そして、『月の乙女』の性質は“闇の光”です。ティアラ姫、あなたがその王佐の才を活かすのは、大君主の側でありましょう』

 「私が……『月の乙女』……」

 「はい。いつの日か、近い将来、大君主ハシリウスが辺境へと旅立つとき、あなたと『太陽の乙女』は大君主を助けるために共に旅立たねばなりません。心の準備をしておいてください、ティアラ嬢」

 星将ベテルギウスがそう言って笑った時、

 「おう、ティアラ姫、ここにいらしたか。なんだ、ベテルギウスも一緒か」

 そう言う声とともに、星将アークトゥルスが顕現した。

 「おお、アークトゥルス。ハシリウスはどうしている?」

 ベテルギウスの問いに、アークトゥルスは形のいい指を金の前髪にからませながら言う。

 「大君主なら、もうすぐここに着くはずだ」

 「えっ?」

 アークトゥルスの言葉に、ティアラはびっくりした様子で慌てて立ち上がった。

 「どうしました? ティアラ姫。落ち着いてハシリウスを待ったらいかがです?」

 ベテルギウスがそう言うのに、ティアラは目を潤ませて激しく頭を振って言った。

 「ダメです! 私はハシリウス様のお側にいる資格なんてありません」

 「あなたがハシリウスのお命を2回も狙い、『太陽の乙女』にケガをさせたからでしょう?」

 ベテルギウスは、ティアラの瞳を見つめながら、優しくそう言うと、ティアラは顔をうつむけて、小さくうなずいた。

 「……ティアラ姫、先ほども申しあげましたが、そのようなことはあまり気になさらない方がよいですよ。ハシリウスは、そんなことであなたのことをどうこう思うほど、器が小さい男ではありません」

 「その通りです、ティアラ姫。大君主はそんな男ではありません。それはこの星将アークトゥルスも誓って言えます」

 ベテルギウスに続いてアークトゥルスもそう言って、ティアラの心を軽くしようと試みるが、ティアラは涙をためた目を二人の星将に当てて言う。

 「……そうですね、ハシリウス様はお二人が仰るとおりの方かもしれません。でも、私は自分自身が許せないのです。私は、ハシリウス様のお命を狙い、ジョゼ……ううん、『太陽の乙女』を傷つけた、罪深い女です。ハシリウス様にどんなに謝っても、この罪は消えはしません」

 「だからと言って、ハシリウスの前から消えたとしても、その罪は消え去りはしないよ。ティアラ、ボクたちの側で“大いなる災い”を食い止めるために力を貸してくれないか? ティアラが自分のことを許せないというのであれば、そのことによって罪滅ぼしをすると良い……」

 突然、茂みの陰から声がして、『太陽の乙女』ゾンネがティアラの前に現れた。ティアラは思わず両手で口を覆って固まってしまう。そんなティアラに、『太陽の乙女』ゾンネが優しく語りかけた。

 「ねえ、ティアラ。ボクはキミのことを少しも悪く思っていやしないよ? 実を言うとね、ボク自身、まだ半神じゃなかった頃、『闇の使徒』に操られて、ハシリウスを刺したことがあるんだ……」

 「え……」

 ジョゼの話を聞いて、ティアラは一歩前に踏み出す。驚いたような色のティアラの瞳をまっすぐ見つめながら、ジョゼは話を続けた。

 「うん、ボクだって刺したくて刺したんじゃない。でもボク、その時思ったよ。『もうボクはハシリウスの側にいられない』ってね……。たぶん、今のティアラの気持ち、その時のボクの気持ちと同じだと思う。大切な人を刺すなんて、それがたとえ操られてしたことだとしても、自分自身を許せない……。それは、よく分かるよ」

 「う……」

 ジョゼの話を聞いて、ティアラの瞳がみるみるうるんでくる。それを見て、ジョゼはうなずいて言った。

 「ハシリウスは、優しい。ホントは、ボクを責めたり、叩いたり、罵倒したりしてほしかった。その方がボク自身もボク自身を許しやすかったと思う……。でもね、責めたり殴ったりしても、根本的な問題解決にはならない……ハシリウスはそのことをよく知っているんだと思う」

 そう言うと、ジョゼは少し頬を赤くして言う。

 「ぶっちゃけて言うとね、ボクはハシリウスのこと、凄く愛してる……。愛してるって言葉じゃ、ボクの気持ち、伝えきれないな……きっと、ボクはハシリウスのためなら笑って死んでいけると思う。だって、ハシリウスは、この世を救う『大君主』だもんね? だったら、ボクはこの命を懸けて、ハシリウスを守っていきたい……それが、ボクの愛し方だよ。“罪滅ぼし”ってわけじゃない……ハシリウスはボクを許してくれている……だから、ボクはハシリウスをずっと愛していきたい……」

 「あ……、わ、私も……」

 ジョゼの言葉に、涙を流しながらティアラが答える。

 「私も、ハシリウス様のことが好きです……。初めてです、こんな気持ちになったのは……だから、だから余計に自分が許せなかったの……」

 泣きじゃくるティアラを静かに見つめながら、ジョゼはこの上なく優しい微笑みを浮かべた顔で言った。

 「だったら、ボクと一緒にハシリウスのところへ帰ろう? 『大君主』様は、キミを必要としている。それはハシリウス自身が言ったことだから、間違いないんだ。この先、何が待っているか分からないけれど、ハシリウスを守るためには、ボクだってキミがいてくれた方がいい。ライバルが増えるのは少しフクザツな気分だけれどね?」

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 木火の月30日、エスメラルダ女王は、セントリウスと自室で懇談していた。その一週間前、女王エスメラルダは気分の悪さを訴えて床に就き、そのまま高熱が続いた。そして、前日にやっと解熱したばかりなのである。

 エスメラルダは、自身の寿命が迫っていることを覚悟した。そのため、セントリウスを病床に親しく招き、善後策を協議しておこうという気になったのである。いつになく女王の顔色は悪く、その容貌にもやつれが見えていた。

 ――陛下はお具合が悪そうじゃな……無理もない……。

 セントリウスは、エスメラルダから呼び出しがあることを予期していた。星読師である彼は、女王の星を読み、その体調が下り坂にあることをすでに知っていたからである。

 ――思えば、先帝陛下の突然の崩御から始まり、今上陛下の御代はその初年度から干ばつや異常気象が続いて、陛下のご宸念もいかばかりであったであろう……。

 「陛下、突然私を呼び出されたのは、何か御心配事でもございますか?」

 セントリウスは、わざとそう切り出した。エスメラルダは憂鬱そうに額を右手で抑えていたが、やがてゆっくりと顔を上げると、セントリウスに訊く。

 「セントリウス殿、私はこのところ、ひどく疲れやすくなっています。臣下には伏せていますが、何度かひどい吐血もありました。ひょっとしたら私はそう長くないのではないかと思い、セントリウス殿に星を見ていただこうと思ったのです」

 「ははっ、陛下、何をおっしゃいますか。確かに星を観ずるところ、陛下の星はここしばらく運気が下がってきていることは確かです。しかし、それですぐに陛下がどうこうなるものではございません」

 セントリウスは、わざと快活にそう言うと、続けて真顔に戻って言う。

 「しかしながら、陛下がお疲れなのは星のせいばかりではなく、陛下御即位からこの方打ち続く異常気象や、“大いなる災い”への対策に、心神をすり減らされたためと拝察します。私としては、陛下のご宸襟を安んじ奉るために、ソフィア殿下を摂政とされてはいかがかとご提案申し上げます」

 セントリウスがそう言うと、エスメラルダはやつれた顔を少し緩めて、くすりと笑って言う。

 「さすがは筆頭賢者殿、私の心が読めるのですね? 私は、ソフィアを摂政にしたらこの国はもっとうまく行くのではないかと思い、そのことについてもあなたに訊きたかったのです。しかし……」

 「しかし、何でしょうか?」

 「ソフィアは今、『月の乙女』としてハシリウス卿の片腕となっていると聞きます。ソフィア自身もそのことを誇りとし、何よりもハシリウス卿の力になれることを無上の喜びとしていると聞きました。今、ソフィアを摂政にしたら、ハシリウス卿はどうなるのでしょうか? そして、ソフィアがそれを望んでいるのでしょうか?」

 エスメラルダは一つため息をついて、つぶやくように訊く。セントリウスは目を細めて、しばらく考え込んだ。

 ――ソフィア殿下はハシリウスのことが好きだと聞く。陛下ご自身もハシリウスのことを気に入られ、ゆくゆくは、殿下の婿として迎え入れたいという意向もお持ちじゃ。しかし、ハシリウスの使命は重い。そのことはハシリウス自身も、そしておそらく殿下もご存じのはず……。やれやれ、あのクロイツェンのくそったれ野郎が、わしの封印を解いたばかりに、ハシリウスの星は数奇な運命の星となってしまったようじゃ、是非もない……。

 「セントリウス殿、難しい顔をして、何を考えているのですか?」

 黙り込んだセントリウスに、エスメラルダが静かに語りかける。セントリウスははっと我に返ると、笑って言った。

 「おお、ご無礼をいたしました。この歳になると、いろいろと気忙しくなるものでして……」

 笑っているセントリウスの目に、鋭い光が宿っているのを目ざとく見つけたエスメラルダが訊く。

 「……筆頭賢者殿、あなたの目から見ても、ソフィアの力が必要なほど私の病状は重く、そしてこの国の将来も暗い……そう言うことでしょうか?」

 セントリウスは笑いを収め、真剣な表情に戻って、厳かに訊いた。

 「陛下、『大君主』は一人では『大君主』たり得ません。『大君主』を『大君主』たらしめる本当の力をご存知でしょうか?」

 エスメラルダは、その問いを受けて、しばらく考えていたが、やがて首を振って答えた。

 「いいえ、私は鈍才です。分かりません」

 「『大君主』は、女神アンナ・プルナの寵愛を受けた星読師がなることが多いのです。それは、『大君主』がこの世の生成から流転、そして衰亡までを理解しなければならないからで、その意味では星の言葉が読める星読師が女神の命を受けるのは自然なことです」

 セントリウスは、厳しい表情を緩めずに続ける。

 「しかし、『大君主』は、あくまで女神アンナ・プルナの召命により神としての力を代行している者で、『大君主』の誠意を神々に保証するもの、つまり、創造神アルビオンをはじめとしたパンテオンに、『大君主』の言葉を取り次ぐ者――リョース・アルファル――となる者が必要になります」

 「古い言い伝えに『大君主は神の力を揮う者なれど、繋ぐ者がいなければその御稜威は行われない』とあるのが、そのことを指しているのですね?」

 何かを思い出したように、エスメラルダが言うのに、セントリウスはにこりとして言う。

 「御意。『繋ぐ者』は光と闇の力を理解し、かつ神々の言葉を誤りなく受け止めるものでなければなりません……そう考えると、その能力、才能、そして女神のお気に入りである殿下しか、その任に堪えることができないことは、明々白々です」

 「不憫なこと……。想い人であるハシリウス卿が『大君主』であられるだけでも、ソフィアの恋はいばらの道であるのに、自身が神の想い人となれば、ソフィアの想いはかなうまい……。女としてはソフィアは不幸な星のもとに産まれたとしか言いようがないですね……」

 沈んだ表情でつぶやくエスメラルダに、セントリウスは目を細めて、低い声で言った。

 「陛下……。これは時が来るまで私と陛下、二人だけの胸に納めておいてほしいのですが、実は、私が星を読む限り、殿下とハシリウスはいつかは結ばれる運命にあります。そして、二人の間には世継ぎの姫が産まれることまで、星は教えてくれています」

 その言葉を聞くと、エスメラルダはぱっと顔を輝かせ、セントリウスの手をしっかりと握って言った。

 「そ、それは本当ですか?……ああ、私はソフィアにとっていい母親ではなかったかもしれません。いつも国事を優先させ、ソフィアにも王家に産まれたものの定めとしてその運命を甘受することを強いていました。今回も、ソフィアの女としての幸せをこの国の将来のために犠牲にしてもらうしかないのかと、暗い気持ちでしたが、セントリウス殿のその言葉を聞いて、少し心が軽くなりました」

 エスメラルダの苦悩の表情が晴れ、自分の手を握り締める力が戻っていることを感じたセントリウスは、ニコリと笑ってエスメラルダに言った。

 「陛下、陛下のご病気は、今までのご宸念と、ソフィア殿下のことを思われるために心が疲れただけのことです。私が星を読むに、陛下の寿命はまだ尽きることはありません。御心を安らかに、しっかりご養生なさって、ご快復の後に殿下の摂政就任について大賢人殿とご協議あそばされませ。私も大賢人殿には別に話を通しておきます」


 「ポラリスはおらんか?」

 セントリウスは、宮殿から下がり、『蒼の湖』のほとりにある隠棲小屋に戻ると、すぐに星将筆頭のポラリスを呼び出した。長い金髪をゆるりと束ね、白い装束を着て金の宝冠をかぶった女将・ポラリスは、すぐに顕現する。

 「はい、ここに。セントリウス様」

 「女王陛下の命が旦夕に迫っている。しかし、今女王陛下が崩御あそばされると、“大いなる災い”は加速度的にこの国を崩壊へと導くことになるかもしれん。そうなれば、ハシリウスの力をもってしても止めることはできぬ」

 鋭い目をして言うセントリウスに、ポラリスは目を細めて訊く。

 「では、“星の祀り”を?」

 「うむ、わしはこれから星を祀る。じゃによって、ポラリス、そなたが宰領をし、ベガ、レグルス、スピカ、アルタイル、アンタレス、プロキオンの7人で星将陣を組んでほしい。できれば、わしの家の周りに何人たりとも入れぬ星将結界を張り、7日7夜、誰も近づけぬようにしてほしいのじゃ」

 「かしこまりました……。いつから星を祀られますか?」

 「今夜からじゃ。頼むぞ」

 「委細承知いたしました。お任せください」

 ポラリスがそう言って微笑みとともに隠形すると、セントリウスは遠く南にかすむヘルヴェティカ城を見つめてつぶやいた。

 「ハシリウス、そなたの旅立ちが近づいてきている……。これからはそなたたちの時代じゃ」

(第9巻 終了)

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

突然ですが、この話から次の前後編は『日月の乙女たち』の交代や『繋ぐ者』の降臨、そして『特異点』の出現と、『辺境編』に続く大きな転換点になります。

なので、少し時間をいただけたらと思っています。

特に『特異点』の取り扱いを再考していますので、出来上がったらきっとお楽しみいただけるものと思っています。

では、次の『星読師ハシリウス』でお会いしましょう。

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