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ラブイエローリーブス(3)

 次に探したのは地下室だった。

 そこは、がらんとした空洞と呼ぶにふさわしい。石造りの壁が剥き出しで、何も無かった。ただ、いくつかのパイプが、あっちの壁からこっちの壁に突き抜けている。改装をした時に、上下水道を作り直したのだ。印刷しなかった設計図の中にも、それは描かれていた。

「市岡さん」

 コンクリートと石に囲まれた無機質な空間には、あまり探すところもなさそうだったが、「隠された子部屋」とか「配電板のボックス」とか、そんなところを探すことにした。

「なんですか?」

「幽霊って信じますか?」

 オレは、ふと聞いた。

「え?」

「この屋敷は幽霊が出るって言われている」

「ええ、そうですね。私は見たことがないわ」

「そうですか」

「そうですよ。だって、そうでしょう?死んだ人が幽霊になるんだったら、この世は幽霊であふれかえっていなくちゃならないもの。有史以来、どれだけの人が亡くなったか」

「たしかに。でも、多くの人は、自分が死ぬ事を受け入れて。それから死ぬといいますけどね」

「なんですか、それ」

 オレは、配電板の蓋を開け、その中に何もないのを確認した。

「昔、読んだ本なんだけどね。キュブラー・ロスって人が書いた本なんだ」

「それには何が?」

「末期癌患者へのインタビューの本なんだよ、それ」

「そう。聞いてみたいわね」

 本心とも、そうでないとも言えない声で言った。

「第一段階では、自分が死ぬってことを否認するんだ。末期癌を宣告された時。私は病気じゃないって」

「そうでしょうね。私だって、そう感じるでしょうね」

「だが、次第に受け入れる。人によって時間はバラバラだ。数秒から数ヶ月」

「それで?」

「次に『怒り』の段階がある」

「怒り?」

「そう。なんでオレなんだ?どうしてあいつじゃないんだ、みたいな怒りの段階。目に写る全てものが怒りを呼び起こすような段階で、キュブラー・ロスは、これを第二段階としたんだ」

「何段階まであるの、それ」

 少し、うんざりするような声色を感じたが、途中で話を辞めるのも変だった。

「五段階。第三段階は『取り引きの段階』と呼ばれる」

「取り引き?誰と」

 オレはバタンと、ボックスの蓋を閉じた。

「神様と、だよ。言っておくが、これは末期癌患者へのインタビューが書かれた本の話だ。年代は1969年」

「少し、古いってこと?」

「まあね。それに、日本国内の本でもない。まあ、それほど違いはない、と思うけどね」

「それで、何を取り引きするの?」

「多少の延命と引き替えに、『教会に身を捧げる』とか『自分の生涯を神に捧げる』とかっていう取り引きがなされるんだ」

 市岡は、何も言わなかった。ただ、薄ら寒い周りの壁を見回した。

「ここには、何も無いわね」

 市岡が言い、オレも同意した。

「出ましょう」

「そうだな」

 オレは、下りてきた地下室への階段に戻って、そこを上がった。ようやく、一階へ出る。湿った空気から解放されて、ふと深呼吸したくなった。

「それで、桜井さん。第四段階ってなに?」

「え?」

「さっきの話。三つ目までしか話してないでしょ?」

「ああ。第四段階は『抑鬱』と言われている。いろんな夢が実現出来なくなったという『反応抑鬱』とあらゆるものを失おうとしている『準備抑鬱』の二つがある」

「そう、なの」

 あまり理解していないように聞こえたが、それ以上、話をしなかった。興味も失いつつあるように聞こえた。

「最後の段階は『受容』と言われている。『もし、患者に充分な時間があり、そして第四段階までを通過する若干の援助があれば、自分の運命について抑鬱も怒りもない、ある段階に達する』とキュブラー・ロスは言っている」

「どんな段階?」

「ほとんどの感情が無くなった状態なんだ。ある患者は、こう言っている。『長い旅行の前の短い休息』だと」

「休息の時間?死ぬ前の?」

「患者の関心は狭まっていく。そっと一人きりにしてもらいたいと思うようになるんだ。もはや延命処置も望まない。患者のほとんど全部が、この『受容』段階で死んだ、とされている」

「そう」

「そう。だから、死んだ人間全てが幽霊となってこの世に現われてくるとは限らない」

 市岡が、ぱっと振り返った。オレの話に感心したのか、と一瞬だけ思った。

「ああ、そういえば、そういう話をしていたわね」

 オレは首をすくめた。二階へ上がったところだった。

「ここ、閉めたかな」

 ふと見ると、開けておいたはずの特別室のドアが閉まっていた。

「さあ。風じゃないかしら」


 夜中の一時を過ぎて眠気が訪れていたが、オレはそうは言わずにいた。市岡も、眠いとは言わなかったから、オレ達は三階に上がった。どうしても、あの特別室に近寄りたくなかった。明日の昼間にしよう、オレはそう思った。

 三階は、騒然たる眺めだった。カーテンの無い窓からは月の明りが漏れている。しかし、電灯は無く、蜘蛛の巣だらけの家具や絵画、古い機械が詰め込まれていた。

「無理ね」

 市岡が言い、オレは頷いた。

 そろそろ、自分の部屋に戻る時間だった。


 三日目にして、初めて一人で眠ることになった。

 涼子は眠っていたし、それを起こそうとは思わなかった。頭痛がするって言ってたし。

 市岡は、涼子の部屋の隣を使っていた。特別室の左隣、つまりオレの部屋の隣には誰もいないはずだった。

「じゃあ、どうして声がする?」

 オレは、独り言をつぶやいた。シャワーを浴びたあとだった。じっと聞き耳を立てていると、男と女の言い争っているような声に聞こえた。内容までは分からない。

「くそ」

 オレは、一度横になったベッドから飛び起きると、部屋を飛び出した。

 隣の部屋のドアを開く。鍵は、すべてオレが管理している。

「やっぱり・・・」

 そこには誰もいなかった。そっとドアを閉めた。

「どうなっているんだ」

 その時、誰かの視線を感じてオレは振り返った。特別室のドアが開いていた。

「閉めたはず・・・」

 そうだ。二階に戻ってきたときに、そこが閉まっていたことは覚えている。

 ちょっとだけ、放っておこうかと思ったが、閉めに戻ることにした。鍵をかけた覚えは無かったし、それが勝手に開くということもあるかもしれない。

「ロックしておこう、な」

 独り言が多いのは、怖い証拠・・・。放っておけ。どうせオレは怖がりだよ。

 ドアまでたどり着き、中を覗く。中は電灯がついていた。

「あ、そうか。ブレーカーを上げたから」

 スイッチを切らずにブレーカーを上げたから、ついていて当り前だ。もしも、ドアを開けたのが幽霊だったとしても、わざわざ電灯を消せとは、なんてエコロジーな幽霊なんだろう。オレは、おかしくなって、一人にやついて部屋に入った。明るければ怖くなんか・・・。

 大きな音を立ててドアが閉まった。

「馬鹿野郎!」

 思わず叫んだ。途端に、電灯が消えた。音声反応式か?まさか。馬鹿はオレ。

 何処からともなく、低く抑えたような笑い声が聞こえてきた。

「いい加減にしろよ」

 オレは、辺りを見回した。窓のそばに、白い影。

「お前か?」

 そっちに一歩踏み出したら、背後で大きな笑い声がした。振り向くと、そっちにも白い影。

「ほう、団体様か」

 そう言った途端、そこら中に影が現われた。おい、集団かよ。

「ちょっと、待て」

 じりじりとオレの周りを取り囲むようにして輪をせばめてくる。なるほど、鈴木のおばちゃんが嫌がるわけだ。だが、彼女も無事に出られたのだ。オレが駄目という理屈にはならんだろう?

 幽霊が理詰めだという保証は無いが。

 白い輪は、オレを取り囲んでぐるぐると回り始め、目の前が真っ白になった。ちょっと、誰か助けてくれ。

「圭吾」

 ドアが開いて明りが差し込んだ。その明りの中に涼子が立っていた。

「大丈夫?」

 白い影は消えて、二三度点滅した電灯が復帰した。急に明るくなったせいで、オレは目をしばたかせた。

「なんとか無事だ」

 ようやくオレはそう言うと、その場に座り込んだ。涼子がオレの肩に手を置いた。

「ありがとう、涼子」

「ええ。一人で来ては駄目よ」

「そうだな」

 まるで、子供に諭しているようだな。

「さあ、行きましょう」

 オレは頷いて立ち上がった。ドアまで歩き、ふと立ち止まった。

「どうしたの?」

「ついでだから」

 そう言って、壁にかけられたジャケットのところに戻り、その中を探った。


 涼子の部屋で、それを開いてみた。

 遺書のはずだった。そこには、びっしりと文字が書き込まれていた。

「パソコンで書いたみたいね」

「そうだな」

 読み始めたオレの隣で、涼子はじっと立っていた。

「寝た方がいいわよ、圭吾」

 オレは、ちらっと涼子を見上げた。

「寝られるわけないだろう。あんなことがあったあとで」

「寝られるわよ。わたし、いつものことよ」

 そりゃあ、おまえはそうかもしれないが。

 遺書には、うだうだと自分の才能の限界だとか、世の中がどのくらい間違っているのか、だとか、不平不満が書き連ねてあった。まあ、いちいち説明するまでもない。聞いたら、きっと気分が悪くなる。そういうのはオレだけで充分だ。

 涼子は、遺書に触れて、目を閉じた。

 サイコメトラーとかいうらしいな、最近の言葉では。

「何か、わかるのか?」

 涼子は目を開けた。

「まあ、いろいろ」

「いろいろって、なんだよ」

「別に。今は話せないわ」

「どうして?」

「確信が持てないから」

「なんだよ、それ」

 そういうと、オレは立ち上がり、涼子の手から遺書の手紙を取り上げると封筒に戻した。

「何するのよ」

 涼子は、ちょっと膨れっ面で言った。

「いや、それを抱きしめたまま寝付かれると気持ち悪いしな」

「何でよ。圭吾、自分の部屋に戻ればいいでしょ」

 オレは、ちらっと涼子の顔を見ると、すぐに目をそらした。

「いや、あまり戻りたくはないんだよな」

 涼子は、いたずらっぽく微笑んだ。

「怖いんだ、圭吾」

 オレは、むっとして涼子をにらんだ。

「いや、幽霊なんていないのはわかっているんだがな」

 涼子は微笑み続けていた。

「いるわよ。さっき、圭吾も見たでしょ?」

「いや、あれは」

 言いかけたオレを、涼子が手で制した。

「さっきのは、アストラル体の屍」

アス・・・何?

「魔術の用語でいうとね、そうなの」

「何者だ、そのアスなんとかって」

「アストラル体っていうのはね、少し前に死んだ人の魂みたいなものね。普通の人は、そこからさらに高い死後体験を続けるために、その個人の個性が残っているアストラル体を置き去りにして高みをめざすの。だから、あれには意思はないの。抜け殻だから」

「わけがわからないことを・・・」

「幽霊イコール記憶の痕跡っていう説があるの。提唱したのは十九世紀後半から二十世紀前半に活躍した、オリバー・ロッジという人なんだけど」

「それがなんだっていうんだ?幽霊なんて存在しないよ」

 涼子は、ベッドに腰掛けると、人指し指を立てた。

「圭吾。こっちにいらっしゃい。わたしには圭吾の心の中も見えているの。圭吾、本当は幽霊の存在を信じてる。でも、それが怖いから、必死に否定しようとしている」

「そんなことはない・・・」

「来なさい、圭吾」

 そう手招きされて、オレは何処か、自分の意思とは無関係に涼子の方へ歩き出した。涼子の隣へ腰をかける。そっと、涼子は、そのオレの頭を両手で抱えるようにした。

「ちゃんと理解すれば、何も怖がることなんてないの。人はね、理解できないもの、知らないものを恐れるの」

「そう、だな」

 ぼうっとしたまま、オレはつぶやいた。

「魔術の世界観では、人は死ぬと低次アストラル界へ行くの。これは波長の異なる超物質界で、この世界と同時に存在するの。魂は常に高次を目指すものだから、しばらくすると高次アストラル界へ旅立たなくちゃいけないの」

「それが、幽霊となんの関係があるんだ?」

 と、いうより、突拍子もなくて理解できなかった。

「そうやって、取り残されたアストラル体が、意思を持たない幽霊なの。幽霊イコール記憶の痕跡って、そういう意味なの」

 ちっともわからない。

「だからね、恐れる必要はないわ。抜け殻のアストラル体は語りもするし、時々いたずらもするけれど、決定的な力はないの。言ってみれば、行動パターンのプログラムみたいなものだから」

「精神世界の話をされてもな。所詮、宗教だろう?」

「魔術は宗教じゃないわ。話をかき混ぜるのはやめて。わかりやすく言えば、インターネットの世界みたいなものよ。そこにあるのは実態のないデータという情報だけなのに、あたかもそれが生きているかのように話をするし、バグが起きたりもするけれど、結局、現実世界の人間、そのものには直接の影響を与えることはできないでしょう?」

「そうかな?」

 涼子は、ぱっと、オレの頭を離した。

「もう。真剣に聞いてよ」

 オレは首をすくめた。

「そう、言われてもな」

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