ラブイエローリーブス(1)
第二話です。
1人称スタイルで書いてありますが・・・「オレ」の態度が偉そうなわりにヒモっぷりがパナい。
いやー、主人公には感情移入しないでお読みくださいw
何処かで虫が鳴いていた。
秋だなあ、風流だなあ、と思っていると、随分と近い。部屋の中か?
ベッドから起き上がると、フローリングの床の上に、やつはいた。黒い体のこおろぎだ。
オレは、そっと掴むと、窓を開けて外へ投げ捨てた。二階だったが、死にはしないだろう。どっちでもいいが。
やっとのことで失業保険が出て、オレは一日中駐車場でプレリュードの修理をしていた。バンパーを交換していたのだ。
おかげで、肩が痛い。
解体屋で見つけてきた同じ車種のシルバーのバンパー。オレのプレリュードは黒だったが、塗装代が無くて、今日まで出来なかったのだ。
貧乏は嫌だ。
はっきり言って、十六万キロも走っている車を修理するなど、割が合わなかったが、仕方無い。
「涼子、マッサージしてくれよ」
オレは、ベッドの上でクロスワードに夢中になっている女に言った。秋だっていうのに、下着とTシャツで寝そべっている姿を見て、痩せすぎだな、と思ったオレは、たぶん中年で、彼女は、もうすぐ二十だ。
「圭吾、まだ二十九でしょ?」
体を起こすと、涼子は言った。また考えていることを読みやがったな。
「あと三ヶ月はな」
「誕生日には何が欲しい?」
「まだ先の話だよ」
「そうだけど、聞いてもいいじゃない?」
そうだけど、先の話じゃないか。
「いいから、考えてよ」
仕方無くちょっと考えてみるが、大学生でバイトもしていない涼子が買えるようなものは思い浮かばなかった。オレが欲しいのは、おそろしく高価な物か、非合法な物ばかり。
赤いフェラーリだとか、黒く光る拳銃だとか。たぶん、昔に見たマイアミバイスのせいだ。
「仕事、かな」
「仕事?」
「いつまでも失業保険ってわけにはいかないだろう?」
「そう?いいんじゃない?だって一年くらいでるんでしょう?」
それはそうだが、いろいろと先々困るだろう?若者は気楽でいいよな。
「あ、そうだ」
「なんだ?」
「仕事、あるわよ」
まさか、十九の恋人に仕事を紹介されるとは思わなかった。
「なんだよ」
「わたしの知っている人がね、アパレル業界の社長なの。その人に頼めば就職先ぐらい・・・」
「ちょっと待て。なんで、お前、そんな人と知り合いなんだ?」
オレと涼子が知り合ったのは、半年よりちょっと前のことで、お互いに、それほどいろんなことを知っているわけではない。だが、そんな人が親戚にいるなんていう話は聞いたことがない。
「別にいいじゃない。以前、ちょっと関係があったのよ」
関係があった?おい?どういう関係だ?
「違うわよ、そういう関係じゃないわよ」
むっとして、涼子が答えた。
涼子には、幽霊が見える、という特技がある。
オレは、幽霊なんて信じない方だが、彼女が嘘を言っているわけではないことは知っていた。少なくとも、彼女には見えるのだから、他人のオレがどうこう言う筋合いでは無い。見えちまうものは仕方が無い。
それが、彼女の思い込みだろうが錯覚だろうが知った事か。彼女自身の純粋さにオレは惚れているんであって、少々気がおかしいからって、関係無い。ノーマルな感覚からすれば、霊感があるなんていうのは精神病の一種にすぎない。まあ、あまり当たり触りのない精神異常だから、オレは気にしないことにしている。
しかし世の中には、そういう彼女の能力を信じる人間がいて、さっきのファッション衣料の社長というのも、その一人だった。そういうことらしい。つまり、幽霊を追い払ってやったんだろう。よく分からんが。あえて、オレは深く聞かなかった。
涼子の能力というのは、どうも一部の世界では有名らしいのだ。オレが涼子と付き合い始めてから半年も経っていないから、そのあたりのことはよくわからない。興味もない。
それよりも、仕事の紹介の方に興味がある。
「アパレル関係はやったことないなあ」
オレは、ぼそっと言った。
「そうでしょ?圭吾、飽きっぽいから今までにやったことのない仕事の方が楽しいでしょう?」
オレは頷いた。それは正しい。だが、世間的には間違っている。
「だが、それは経験も無いって意味だぜ?」
「下なるもののは上なるもののごとし」
唐突に涼子がつぶやいた。
「なんだ、それ」
「魔術の基本」
平然と、涼子が答えた。
「だから、それがなんだよ」
魔術、という言葉にすでに嫌悪感を感じながら、オレは尋ね返した。
「物事には法則があるってこと。似たもの同士は同じように行動するの」
「意味が判らないんだがな」
「大丈夫よ。器用だから、圭吾なら出来る」
「何を?」
「新しい仕事、よ」
「あのな・・・」
何を根拠に言うのかね?だいたい雇ってくれるのか?
「雇わせてみせるわよ、圭吾」
「涼子。お前、何をしてやったんだ?その社長とやらに」
オレは、涼子をまじまじと見た。不気味だった。
とにかく、そんなわけだから、オレはピカピカに磨き上げたポンコツに乗って、面接に行くことになった。地方都市だから、車が無いと生活に困るのだよ。電車で面接なんて行ったことがない。
「あなたが桜井圭吾さん?」
四十前後と思われる男が、オレに言った。
「ええ。黒崎涼子さんに紹介された者です」
情け無い。年下の恋人に仕事を見つけてもらうなんて。
それはともかく、その会社というのは、端から端まで歩いたら半日かかりそうな工場をを構える一流メーカーだった。東京に本社ビルを構えてはいるが、それを生産する工場は、地方にあるってわけだ。それも、本社から、わざわざ社長自らやってくるなんて、恐ろしい。涼子、お前は、本当に何をしてやったんだ、この男に。
「黒崎さんのご紹介とあらば、なんとかしましょう」
にっこりと微笑んで、社長は言った。オレはドギマギしながら勧められるままに椅子に座った。
「それはともかく、その前に仕事を頼みたい」
何?どういうことだ?
「黒崎さんに頼みたい仕事があるんですよ。あなたの仕事に関しても、そっちのほうがいいんじゃないか、と思っているんですよ」
話が見えない。
「どういうことでしょうか?」
篠原、という名詞を渡しながら、社長はオレをまっすぐに見つめた。成程、その年で大会社を経営するからには、それなりに胆は座っているって。
「私どもは、黒崎さんの能力、もうこれに関しては非常に高く評価しておるわけです。是非とも、彼女には、これからもご協力いただきたい」
オレは頷いた。頷くしかないだろう?
「そこでです。桜井さん、あなた、マネージャーになりなさい」
「はあ?」
「超能力者、黒崎涼子さんのマネージャーです」
「マネージャー?」
「そうです。黒崎さんは、類まれな才能をお持ちだ。加えて、自然魔術にも黒魔術にも詳しい。知識と才能の両方を持ち合わせている。素晴しい。私はね、桜井さん。黒崎さんは、もっと活躍するべきだ、と常々、思っていたんですよ」
「それとオレと、何の関係が?」
「黒崎さんは欲が無さ過ぎるし、それに、自分の才能を活かそうとはなさらない。だが、世の中には彼女のような人材を必要としている人間も多いのです。桜井さん。あなたなら彼女を説得することが出来る。そのための資金は、私が工面しましょう」
どうも、話がうますぎると思ったのだ。
つまり、オレには興味無いって事だ。篠原社長が雇いたいのは涼子であって、オレではない。だが、涼子はああいうやつだから、自分の能力について、人に公言して回るタイプじゃないし、出来れば幽霊なんて関わりになりたくない、と思っている。
ところで、一流企業が霊媒体質や超能力者に興味があるなんて意外に思うだろう?
だが、そうじゃないんだな。
詳しい話は知らないが、大小様々な会社の社長っていうのは、案外、神頼みが好きなんだよ。超能力とかな。
実際、韓国のある自動車メーカーの社長は風水に凝っているし、名前を聞けば、誰でも知っている、ある日本の電機会社には、超能力研究所がある。有名な話だ。九十年代には、そのことを公言している。世界的大企業のあれだ。アルファベット四文字の。
実際、そういう会社のトップってのは、神様に頼りたくなるほど重圧に耐えているってのは、想像がつく。だが、もっと重要な事は、社長の好奇心だ。ようするに、そういうの、好きなんだよ。超能力とか、そういうのが。
名目的には、テレパシーだとか予知能力を商品開発に繋げる研究なんだが、かなりの部分で、社長の個人的趣味の部門だと、会社内部ではささやかれているらしい。
世間的には、そういうことを公言するのはマスコミからバッシングを受けるから、秘密にしているが、年一回開かれる超能力者の会合には、日本のトップメーカーの担当が顔を揃えているって言う。
まあ、あれだ。十年前には、ロボットの研究してます、なんて言うと、馬鹿にされたものだが、今や花形産業だ。世の中、何が起きるか分からない。ひょっとしたら、時世代携帯電話の端末には、テレパシーの理論が応用されるとも限らない。
オレには信じられないが。
涼子は、まじまじとオレの顔を見つめていた。
面接に行った、その日の夕方のことだった。
「そんなこと頼んでないのに」
ふくれっ面で言うが、その頃にはオレの方は、当り前のことだ、と思うようになっていた。考えてみれば、知識もないのにデザイナーや職人になれるはずないし。
「それで、どうする?断わるか?」
「何を?」
「だから、今回の仕事をだよ」
「圭吾はどうしたいの?」
オレは、ちょっぴり意外に思って、答えをためらった。
「オレは、お前が絶対に断わると思っていたんだがな」
「そんなことないわよ。圭吾のためならするわよ」
「そこまでオレに惚れているとは思わなかったな」
オレは、微笑んで言った。
「違うわよ。だって、圭吾と一緒にやるぶんには、それほど負担じゃないもの」
「何が?」
「幽霊と話すの」
「自殺したデザイン事務所のやつとか?」
涼子は首をすくめた。
「そうなると決まったわけじゃないわ」
篠原社長が頼んできた仕事っていうのは、つまるところ『お祓い』で、自殺したデザイナーの霊を説得して欲しい、とこういうわけだ。
オレには馬鹿げているようにしか聞こえないのだが、本人が本気なんだから仕方無い。ついでに、仕舞いこんだまま死んでしまった、デザイン画も探し出して欲しいって、そういうわけ。
涼子が、妙に乗り気だったので、篠原に連絡をとり、オレ達は金曜日に現地に向けて出発した。付き合い始めてからオレ達が長距離ドライブするのは、初めてだった。
高速道路は空いていた。
深い緑が高架を行くプレリュードのウインドーから見えた。遠くの山は徐々に色づき始めていた。もう、夏も終わりだ。
エアコンを効かせた車内は涼しかった。秋が目の前に迫っているとはいえ、昼間の気温は三十度に近い。ガラスの面積の多いクーペは、すぐに蒸し風呂のような暑さになる。エアコンを切るなんて考えられなかった。
黄色くなり始めた水田を渡る風に、稲穂がさざ波を立てていく。見渡す限りの水田。目的地の山は、もうすぐだ。
「なあ、涼子」
オレは、ラジオをいじっていたノースリーブのキャミソールにカットオフジーンズという季節感の無い女に声をかけた。
「なあに?圭吾」
「この間の事なんだがな」
「この間?」
「ああ。下なるものがなんとかというやつ」
「下なるものは上なるものがとし」
「そう、それだ。ネットで調べてみたんだがな、錬金術とか、そういうのだったが?」
涼子は、シートベルトを両手でつかむと、それを引っぱるようにしてオレの顔を笑顔で覗き込んだ。
「圭吾。わたしの言った事に興味を持ったの?」
うれしそうに言う。
「いや、気になっただけだよ」
「そう?でも、調べてくれたんでしょ?」
「まあ、そうだが。でも、ちっともわからなかったよ」
涼子は、うれしそうにしたままラジオの電源を切った。
「こは真実にして偽りなく、確実にしてきわめて神聖なり。唯一者の奇蹟の成就に当たりては、下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし、っていうのよ。本当は」
「そうなのか?」
だったらなんだ、と思った。特に興味があったわけじゃない。偶然、思い出したから検索をしてみただけ。すぐに飽きたんだ、本当は。
「世界には隠された法則があるってことなの。似ているもの同士は似た性質を持つし、大宇宙の法則は、小宇宙である自然や人間の体の法則とも一致するってことなの。エメラルド板に刻まれていた、ヘルメスの言葉よ」
だからなんだ。
「太陽崇拝の思想なのよ、圭吾。太陽がすべてを作り出したって考え方」
「なんだ、宗教か」
涼子は首を振った。
「違うの。魔術の基本なの」
それは、聞いたよ、前に。
「例えば、朝顔って、どうして夜の間は花がしぼんでいるんだと思う?」
「何?なんだって?」
オレは聞き返した。涼子は、目をキラキラとさせて、まくしたてた。
「それはね、太陽が夜露の冷たさや闇の恐ろしさから、朝顔の花を守ってあげようとしているからなの。太陽の意思で、そうなるの」
意味の判らないことを言い出した、とオレは思っていた。
「科学的なことを言えよ」
涼子は、オレがそう言っても笑顔を崩さなかった。
「科学というのはね、知識。ただの知識。完璧な知識というのは、唯一者の意思を読み取ることにあるの。その完璧な知識こそ、魔術と呼ばれるものなの」
オレは、眠くなりそうだった。
「わからんね、全然」
オレは、欠伸を噛み殺して、サービスエリアに向けてダブルクラッチで減速した。
プレリュードは群馬県に入った。何故群馬か、と言えば、リョー・サカモトというデザイナーが自殺した別荘が群馬県にあったからだ。デザイン事務所もパタンナーの会社も東京にあるのだが、人嫌いで知られたサカモトは時折、群馬の別荘で仕事をしていた、という。
ところで、アパレル産業において、制作の側というのは、大きく言ってデザイナー、パタンナー、工場の三つに分けられる。もちろん、三つ全部を一社でやっているところもあるが、今回はその三つ各々が別の会社である。
オレは、勘違いしていたが、篠原の会社というのはパタンナーと呼ばれる、型紙を制作する会社で、あの大きな工場には打ち合わせに来ていただけらしい。勘違いさせるようなことをするなっての。
とにかく、涼子は上機嫌だった。
考えてみれば、付き合い初めてから、何処かに泊りがけで出かけたことなんてなかった。仕事の内容はともかく、考えようによっては、群馬の別荘に泊まりにいく旅行、と言え無くもなかった。すくなくても、涼子はその程度にしか考えていなかった。しかも、無料だし。
その別荘は、山奥にあった。森の中に、ひっそりとたたずむ古めかしい洋館だった。
「ようこそ。お待ちしていました」
もらった地図を見ながら、たどりついたのは太陽も西に傾いて、薄暗くなり始めた頃だった。九月だというのに、ヒーターをつけるほど気温は下がっていた。
「すみません、遅れてしまって」
オレは、プレリュードを車寄せに停めると降りた。門から入って五十メートル先にロータリーのようになった部分があり、そこには既に白いカローラが停まっていた。「わ」ナンバーだった。レンタカーだ。
「圭吾が方向音痴で」
涼子がにこやかに助手席から降りてきた。
「あなたが黒崎涼子さんですか?」
そう言った男は、まじまじと涼子を見た。
「かわいらしい方ですね」
かわいらしい、という言い方に、オレはちょっと先が思いやられた。こんな小娘なのか、という意味にしか受け止められなかった。
「失礼、申し遅れましたが、私、篠原社長から案内を仰せつかりました、緒方と、申します」
「あ、これはどうも。私は桜井圭吾です」
「ええ、お伺いしています。とにかく中へどうぞ。日も暮れてしまいますし」
別荘は、邸宅と呼べるほど広く、そして静かだった。
「周辺三キロ以内には人家はありません」
緒方が言って、玄関を開けた。鍵を使ったところをみると、一人では入りたくなかったのだろう。篠原から話を聞いていたオレは、有り得る話だ、と思っていた。
「それにしても、大きな建物ですね」
「ええ。大正時代に建てられたんです。寝室だけで十ほどあります。別荘というよりも、プチホテルですね」
涼子ははしゃいでいた。玄関を開けたところはロビーのような作りになっていて、さすがにフロントは無かったが、正面に豪華な階段、二階までの吹き抜けになった周辺の三方にそれぞれの部屋が作られていた。その階段の手すりについた飾りを見つけて、飛んでいく。
「ねえ、圭吾、見て見て。ウサギさん付いてる」
お化け屋敷ではしゃぐなよ、とオレは思った。
「二階のどの部屋を使っていただいても構いません。リョー・サカモト・デザインから正式に当社の所有に移りましたので。十日の予定でしたか?」
「いえ、九日間です。再来週には涼子を大学に戻さないと」
「分かりました。これが、私の連絡先です。明日には東京に戻りますが、携帯ですから繋がります」
「そうですか。緒方さん、今夜は、こちらにお泊まりで?」
オレが尋ねると、緒方は、少し言いにくそうにした。
「いえ、近くのホテルに予約を入れています」
「あ、そうですか」
いきなり二人だけか。
一通り中を案内すると、レンタカーで緒方が帰って行き、オレはキッチンに向かった。
ここでのオレの役割は明確だった。要するに、今回の仕事は、涼子がいないと始まらない。逆にいえば、オレはいらないわけで、そんなオレがするのは、涼子のめんどうをみることだった。つまり、食事、洗濯・・・。
何をしているんだろうな。来年、三十だっていうのに。
管理人はいるのだが、通いで来るだけで、住んではいない。その管理人も、掃除をしにくるだけで、食事は作ってくれない。そもそも、ここは、リョー・サカモトが趣味で買ったにしろ、書類上は会社、つまり「リョー・サカモト・デザイン」の持ち物で、ようするに、保養施設だった。サカモト本人以外は、誰も好んで泊まりに来なかったみたいだが。
もともと、怪奇現象は起きていたらしいのだ。
「じゃあ、サカモトさんが改装したのね?」
鍋で温めただけのレトルトシチューを食べながら、涼子はオレに言った。
「そうだ。サカモトが買ったのと同時に、改装工事が行われている。そこで事故が起きている」
「事故?」
「作業員の一人が屋根から転落したんだ」
「そうなの?」
「ああ。幸い死ななかったらしいが、彼は、幽霊を見た、と言って二度とは、ここへ近寄らなかったらしい」
「ふーん」
それだけか?
「もともとの持ち主って言うのは、華族かなんかだったらしい」
「らしい?」
「ああ、よく知らない」
「なんで?」
なんでって・・・。若者って、どうしてこう物を考えようとしないのかね。聞けばいいと思ってやがる。
「しばらく誰も住んでいなかったんだ。手入れも何もされないまま。それもあって、サカモトは改装せざるを得なかったんだ。ようするに、大がかりな修理と掃除だな」
「でも、幽霊までは掃除できなかったんだ」
そう、だな。
オレは回りを見回した。大きなテーブルの隅に二人で座っていたのだが、残りの椅子は十三もあった。十三・・・。
壁には、古そうな絵がかけられており、それは向かい合う形で左右にあり、オレの後ろには大きな窓。装飾のされた窓枠は、厚手のカーテンが下りていて、外は見えない。
正面にはドアが一つ。閉じられている。
涼子の後ろにも入り口があって、それはキッチンに続いていた。広いキッチンで、どんな料理でも出来そうだった。もっとも、今夜、オレが作ったのは、レトルトシチューにサラダ、フランスパンにバターを塗って、お惣菜コーナーで買ったトンカツをレンジで温めて・・・。
「ところで、今夜はどうする?」
オレは、パンを口に放り込むと言った。
「どうするって?」
「調査に来ているんだぜ、一応」
「明日にしましょ。今夜は疲れたわ」
そうだろうよ。ここへ着くのが遅れたのは何も、オレが道に迷ったからだけではない。
涼子がやたらとはしゃいであちこちに車を停めさせ、写真を撮ったり、お土産を買ったりしていたからだ。それから温泉に入って。よく、日が暮れるまでにたどり着けたものだ。
「じゃあ、片付けたら部屋で会うことにしよう。涼子は先にシャワーでも使ってろよ」
「そうね。そうする」
屋敷の中は、おそろしく静かだった。半径三キロ以内に人家は無い、と聞いていたが、辺りを走り抜ける車の音も無い。
普段、近くの幹線道路を走るトラックや改造車を快く思っていないのは確かだが、無ければ無いで、寂しく感じる。慣れとは恐ろしいものだ。
聞こえる音は、ただ自分が洗う食器のかちゃかちゃという音だけ。自然に耳は敏感になる。普段なら聞こえるはずの街の雑音を求めて。
背後でドアの開く音がした。
「涼子、シャワーは終わったのか?」
そう言いながら、オレは振り返った。
そこには誰もいなかった。ただ、薄暗い闇だけが、ぽっかりと開いたドアから覗いていた。
夕方、緒方が説明したところによると、この洋館は地上三階建て、地下一階の建物で、二階部分に十部屋の寝室を備えていた。そのうち正面の二部屋はぶち抜きにされていて、特別室のようになっていた。サカモトは、そこで死んだ。
だから、その部屋が一番豪華だったのだが、使うのはやめた。
オレは、キッチンから出て食堂を抜け、さらに廊下に出た。廊下は暗い。申し分け程度の明りがついてはいたが、廊下全体を照らし出すほどのものでもなく、ただ歩けるくらいの薄暗さだった。
その廊下を歩いていくと、夕方に入ってきたロビーに出る。そこから見上げても、誰もいなかった。ロビーの天井にはシャンデリアが吊られていた。
「あれは、どうやって電球を変えるんだ?」
オレは、独り言をつぶやいた。自分の声が、不気味に反響して吹き抜けの天井に響いた。
オレは、薄気味の悪さを感じていた。誰かが見ているような、そんな気分だ。首を振って、再び二階を見上げる。
そこから見えるのは、一階部分に二つ、二階部分に五つのドアで、ロビー両側には廊下が伸びていた。玄関から入って右側が食堂で、左側には工房というか、ようするにデザインをするための部屋が設けられている。
二階に上がって、オレは下からは見えない少し狭い廊下を左に入り、涼子の部屋に向かった。ここは、デザインルームの真上に当たるはずだ。廊下の両側に部屋が二つづつ。奥の二部屋が、オレ達に割り当てられた部屋だった。
「さっき、キッチンに来たか?」
ドアを開くと、涼子がタオルを巻いただけの姿で立っていた。
「行かないわよ。今、出たばかりだもの」
「そうか。じゃあ、風かな?」
「風?幽霊じゃないの?」
平然と言うので、オレはため息をついた。
「いないと思うけどな、そんなものは」
涼子は微笑んだ。
「圭吾には見えないのね?でもたくさんいるわよ、この建物」
「たくさん?」
「うん。昔の人から新しいのまで。人間だけじゃないくて動物霊も」
「それは・・・随分とにぎやかだ」
「でも、肝心のサカモトさんが現われないのよ」
「あの特別室でなら何か分かるかもしれないな」
「そうね。今から行ってみる?」
「いや、明日にしよう。今日は、もう寝たい」
「じゃあ、圭吾もシャワーして来たら?ベッドで待っているわ」
涼子が意味深く微笑むので、オレはにっこりと笑って大きく頷いた。
真夜中だった。
部屋の中で、かさこそと音がした。
枕元に置いた携帯で確認すると二時過ぎだった。隣では涼子がすやすやと寝息をたてていた。
フットライトだけが部屋の中で唯一の光りだった。ぼんやりと壁にかけられた絵が見えた。黄色く色づく小麦畑の絵。その隣ににかけられた涼子の服。
誰かが歩き回るようなカーペットを擦るような音。
オレは目を凝らしたが、何も見えなかった。
何処かで、水が滴るような音もする。
ピチャン、ピチャン、と気持ち悪い周期で音がする。
涼子を起こそうかとも思ったが、気持ちよく寝ているやつを起こすことも無い、と判断した。そっとベッドを抜け出し、テーブルに投げ出したジーンズに足を通す。部屋の中は、肌寒く感じられて、上着も拾った。
足音は聞こえなくなっていた。音を立てないように、窓に近寄り耳をすませた。
水の音は、窓の外から聞こえていた。
雨か。
オレは、厚いカーテンを開けると、きしむ蝶番を外した。
月が出ていた。
慌てて周りを見回すが、月と星以外に明りの無い暗闇が広がるだけだった。満点の星空。天の川がくっきりと見えた。
水の滴るような音は窓のすぐ外でしているようで、そうでないようにも聞こえた。
「どうしたの?」
涼子が目をさましたようだった。
「いや、雨かと思ったんだが」
「水の音?」
「涼子にも聞こえるのか?」
「聞こえるわ」
「何処かで水道が痛んでいるのかな?」
涼子は、ベッドに戻るように手招きした。オレは、上着を脱いで、素直にしたがった。
「よくあることよ。こういう建物には」
「何が?」
オレは涼子の首に手を回して尋ねた。
「幽霊の出る建物って、こういう音がするの」
あ、そう。
「心配ないわよ、圭吾。ゆっくり寝ないと疲れがとれないわ」
だがね、涼子。気になって寝られないだろう?
「ちゃんと眠りなさい、圭吾。夜更かししてちゃ駄目よ」
そういうと、涼子はオレの胸に顔をつけて、再び寝息をたてはじめた。
頼もしい霊能者だよ、まったく。
水の音は続いていた。




