ブラッディーレッドドレス(2)
ところで、オレはオカルトは信じない。
涼子が行きたがっていた場所は、彼女の妄想と関係がある。
涼子が言うには、彼女は物に残った記憶を読む事が出来る。いや、正確には、勝手に見てしまう。
信じられないだろう?
オレもだ。
だがとにかく、彼女はそう思っている。それが彼女の妄想であることを、いつかオレは彼女自身に納得させたいとは思っていたが、無闇に否定することが彼女にとって精神の不安定をもたらすことも事実だったし、実際、それでオレ達の関係がぎくしゃくしたこともあった。
涼子が多くの人間が集まる場所に言った時、いろんな思念が彼女の心の中に吹き荒れることになる。それが本当かどうかは、実際上の問題としては関係のないことだ。パニックになってしまうこと、それ自体の方が問題だからだ。だから、彼女は人ごみを極端に嫌う。
何度も言うが、オカルト現象があるということをオレは信じない。そういうことをいうやつがいることは知っているし、たまたまそれが当たることもあるってのは知っている。
そんなもの偶然だ。くだらない。
普段は、そうならないように心に蓋をしている、と彼女は言う。だが、それも非常に精神力を消耗するらしい。まあ、そうだろう。何が原因にせよ、パニックを必死に抑え付けるのは苦労するだろう。
「誰でも持っているのよ」
涼子がそう言った。
「何が?」
オレは聞き返した。
「物や人の気持ちを見通すこと」
「ああ」
それが本当なのか、違うのか、そもそも、彼女の能力が本物なのか、それとも、彼女の思い込みなのか、オレには分からない。確かめる方法も無い。
はっきり言えば、どうだっていい。
彼女には見える。オレには見えない。それでいい。
だから、いちいち彼女の言動を疑ってみせたりもしないことにする。
涼子は、心に蓋をするのに疲れた時、人のいない場所に行ってリフレッシュする。
ところが、そういう場所っていうのは、よくない事をする人間が、それを隠す場所でもあったりするわけだ。
今回、彼女が見つけたのは、一番最悪なものだった。
それは、死体。殺された人が埋っている場所を見つけてしまったらしい。
たまたまバイクでリフレッシュに出かけたら、そこが犯罪現場だった、というわけだ。
以前にも、そういうことがあった、と彼女は言う。何百年も前の殺人さえも、思念が残っていることがあるともいう。彼女が、絶対に行かない場所は古戦場である。
馬鹿らしいけれど、オレが言っているんじゃない。涼子が言っているのだ。
まあ、話だけならおもしろい。
いずれにしても、そういう時、彼女は気が付かない振りをして、そこの幽霊に気付かれないようにする。
「幽霊に気付かれちゃうと付きまとわれるの」
涼子は、プレリュードのCDデッキのボタンをカチャカチャやりながら言った。
「付きまとわれるって、どんな感じで?」
「ストーカーみたいなものよ。ただね、彼女には物理的な壁だとかドアだとかが意味無いから」
「何をして欲しいんだい?その彼女っていうのは」
今回の幽霊は女なんだろう。いちいち質問するのも涼子は嫌がる。確認されるのが嫌いなのだ。自分が人の心を読めるからって、他人はそうではない。時には確認も必要だ。でも、それを意識するのが嫌なのだ。自分が、他人と違う生き物だ、という感じが嫌なのだろう。
「わかんない」
「わかんないって?それじゃあどうしようもないだろう」
「でも、前も見つけてあげたらいなくなったじゃない」
そうなのだ。オレと出会う以前の涼子は、そういう幽霊をひたすら無視するか、説得して助けられないことを納得させていたらしい。だが、オレは彼女と一緒に、その死体を見つけに出かけたことがある。
偶然だと思うがな。
そうすれば、涼子の気が晴れるだろう、と思ったからだった。だから、今回は二度目の死体、ということになる。この間のは、白骨死体だった。本当に死体が出てくるとは、オレは思っていなかった。
「そうだったな。とりあえず見つけてやればいいのかもな」
涼子は首を振った。
「そんなのわかんないでしょ。圭吾もわたしも殺されたことないし。殺された人がどうして欲しいかなんて、わからないわよ」
もっともだ。涼子といると、いろいろな発見をする。日常生活に役立たない、センシティブ過ぎる発見だ。そんなことばかり考えていたら、気が狂う。
だからオレは考えない。
「ここか?」
その場所に着くと、オレは車から這い出した。車高の低いクーペから降りるときは、ひょいっと降りることは出来ないものだ。そんなことをすると、頭を打つ。
「うん、ここ」
暗い顔で助手席に乗ったまま涼子が言った。
山の中の狭い道で、林道の指定を受けている。目に入るのは林と石ころばかり。道路の上にも枝が張り出してきていて、あたりは午後三時だというのに薄暗かった。
空を覆う広葉樹の隙間からもれてくる光はまぶしいばかりだったが、あたりはひんやりとしていた。近くを川が流れているようで、水の音がしている。木々が密集していて、遠くまでは見通せない。緩やかな山の斜面だが、一方は切り立っていた。道路には、こぶし大の石ころがいくつも散らばっている。
「何処だ?」
車の中に声をかけた。
「右の奥。道路から三メートルくらい入ったところ。大きな石があるわ。その向こう側に埋められているはずよ」
まるで宝探しのような言い方だった。出てくるのは、決してお宝ではないのだが。とは言っても、その時は、死体が出て来るなんて、まだ信じていなかった。
「手伝うか?涼子」
涼子は無言で首を振った。そして、顔を両手で覆い隠した。仕方無い。
オレは、トランクからシャベルを取り出すと歩き出した。
「ナタでも持ってくるんだったな」
独り言をつぶやくと、オレはびっしりと苔むしたガードレールを乗り越えた。その一部に、白く色の変わっている部分があるのに気が付いた。誰か、最近、ここを乗り越えたらしい。
深く考えるのはやめにして、シャベルの先で草を掻き分け、奥へと進んだ。
そこには、涼子の言う通り、大きな石があった。一抱えどころじゃない。三十インチのブラウン管テレビほどの四角い石だ。オレは、それを回り込んで、その奥を見た。
色が違う。そこだけ、明らかに、誰かが掘り返したように草が生えていない一角があった。何かが埋っていることは確かなようだ。
オレは、ごくりと唾を飲み込んだ。
しばらく、じっと立っていたが、オレは覚悟を決めた。そっと、シャベルの先で土を掻き分ける。柔らかな土は、すぐにばらばらと脇に積み重なった。シャベルを突き立てるような掘り方をする勇気は無かった。それでもし、死体の頭にでも突き刺さったら、オレはしばらくの間、何も喉を通りそうにない。
ここから死体が出てくる、と信じていたわけじゃない。けれど、誰だって慎重になるだろう?こんな薄暗い森で、こういうことをする時は。
十センチほど掘ると、赤い布が現われた。厚い生地で、ジャケットの一部のようだった。これ以上掘り続けると、シャベルで埋っているものを傷つけるかもしれない。
呆然と立ちつくした。
自分の手で、そっと土をどけてやろう、などとは思わなかった。死体になんか、触りたくない。
以前のときは、何十年も前に死んだような死体だった。きれいなもんだ。白い骨だけが現われて、それで掘るのをやめた。その先は、オレの仕事じゃない。警察がやってくれる。匿名で通報し、その後のことは知らなかった。
だが、これは、あきらかに埋められて間もない死体だ。これ以上掘るのはやめにしたかった。想像するだけでも身の毛がよだつ。どうするんだ?もしも、顔を掘り出して、そいつの目からムカデかなんかが這い出してきたりしたら。
その途端、背後の林が鳴った。
オレは驚いて、よろめきながら後ろを振り返った。涼子だった。
「脅かすなよ」
オレは、心臓を左手で抑え付けると、ようやくそれだけ言うことが出来た。
「見つけた?」
オレは頷いた。ちらっと、涼子も赤い布切れを見て、オレに目配せした。どういう意味だ?『もういい。』なのか、それとも『ちゃんと掘れ。』か?
「もういいわ」
オレの気持ちを読んだのか、涼子は言った。オレは、ほっとしてシャベルを脇に放り出した。胸のポケットをまさぐってタバコを探した。
見当たらなかった。そうだ、禁煙したんだった。
涼子は震えていた。
「大丈夫か?」
そう聞くと、彼女は頷いた。
「大丈夫、大丈夫」
ちっとも大丈夫には見えなかった。
オレ達は、電話をするために移動した。そこは携帯の圏外だったし、第一、オレは携帯から通報する気なんてなかった。街に近づいてきて、最近、めっきり少なくってしまった公衆電話を見つけると、赤のボタンを押して数字を三つ押した。
「はい、110番です。どうしましたか?」
「人が埋っているのを発見しました」
オレは落ち着いた声で言った。
「え?なんですか?」
オレは、さっきまで車を走らせながら、即興のデタラメを考えていた。
「この間、何かを埋めているようなやつを見かけたんです。だから、さっき確認に行ったんです。赤い服が出てきて、それが死体だって分かったんだ」
「場所は何処ですか?」
オレは、地名と道路の名前を言った。
「そこには、赤いペンキでガードレールに印を付けてきた。すぐに分かるよ」
相手が何か言ったが、オレは受話器を下ろした。あとは警察の仕事だ。オレのやるべきことは終わった。
車に戻ってエンジンをかけなおした。
「落ち着いたか?」
涼子に尋ねると、彼女は首を縦に振った。
「もう、大丈夫。犯人の顔が見えて、それから彼女が何をされたのかが分かったの。それで・・・」
「そうか。それは警察に伝えたほうが良かったか?」
「ううん。いいの。信じてもらえないわよ」
「そうだな」
無性にタバコが吸いたくなった。一月前、涼子の勧めもあって、禁煙した。今日までは成功していた。仕事がらみのストレスが無くなって、タバコの必要性も感じられなくなっていた。だが、今は無性にタバコが欲しい。
「彼女は、首を切られて殺された。それから乱暴されたの。あいつは、死体を犯したのよ。それから腹を裂いて・・・」
「もういいよ、涼子」
オレはうんざりして言った。涼子は泣き出した。オレは、そっと涼子の肩を抱いた。
翌日の新聞には、惨殺された女性の死体が発見された、という記事が載った。
通報してきた男の行方を警察は追っているらしい。オレの事だ。時間の無駄。
涼子は、オレのベッドで寝ていた。枕元には、抗欝薬が置かれていた。精神病の症状なら、涼子は事欠かない。気持ちをハイにしてくれるような薬を合法的に手に入れられるというわけだ。
ようするに、彼女の霊媒体質なんて、病気の一種なんだ。根拠のない強い思い込み。
おかしなガードレールの感じや、何かが埋められているような痕跡。そういうのが、その力の正体だ。霊能力じゃない。
偶然に死体を発見したからって、不思議な力があるなんて信じないほうがいい。
そうは思ってみても、死体を発見した気持ち悪さが消えるわけじゃない。涼子は睡眠薬を飲んで寝たが、オレはそういうわけにいかないから、ウイスキーを飲んで寝た。だから、起きてからこっち、頭ががんがんしていた。
ベッドの下に脱ぎ散らかした服を集め、その中から自分のジーンズを選び出すと、それに足を通した。あいにく冷蔵庫の中には何も入っていない。このところ、朝食は食べないことにしていたからだ。
「近くにはコンビニしかないが・・・」
寝ている涼子にそう言って、頬にキスするとオレは立ち上がった。頭の奥の方でズキンとした。二日酔いじゃなくて、風邪かもしれない。
朝からセレナミンだか、ヴァリウムだかを飲んだ涼子はハイだった。
抗不安薬の一種だ。おかげでペラペラとよくしゃべった。コンビニで買ってきたオレンジジュースを飲んだが、サンドイッチはいらないと言った。
所詮、精神病薬と言っても、麻薬の一種。タバコやコーヒーと同様に、食欲の減退がある。だが、それは分かっていたから、無理に食わせた。
「犯人はね、二十代の男なの。白いセダンに乗っているの。ナンバーも見たわ」
本当によくしゃべる。
「あいつはね、おかしい男。普通に女性と付き合うことが出来ないの。暴力だけがあいつをやる気にさせるのよ」
止めるのも気が引けて、オレは聞き流していたが、内心、早く別の話題に移ってくれるように思っていた。もう、関わりの無い事件だ。
涼子は話す事で、自分の気持ちを整理しているのは分かっていた。心理学的にも間違っていない。殺された女性の気持ちと、同化してしまうような涼子だったから、彼女の受けた心の傷は相当に深い。話す事が出来るうちに話す方がいい。
そうは思っていたが、聞き終わる頃には反吐が出そうだった。
その殺された女性は、車に乗せられて山奥まで連れて来られ、そこで殺された。殺した死体を男はレイプした。それから切り刻んで、その一部を男は口に入れた。涼子の話を要約すると、そんな感じだ。
オレだって、私立探偵だったこともある。探偵の仕事とは、あまり関係は無いが、異常犯罪だとか、快楽殺人についての本は何冊か読んでいる。流行ったからな、映画や本で。
だから、そういう人間が、世の中の何処かにいるだろうとは思っていた。
でも、本当に、そんなやつと出会うとは思っていなかった。涼子が話し終わる頃には、犯人の男を見つけ出して殺してやりたくなっていた。
オレは深呼吸して、涼子を抱きしめた。
許せないやつは、世界にたくさんいる。だけど、いちいち殺して回るわけにはいかない。
加奈が電話をしてきたから、オレ達は出かけた。
本当は、今日も就職活動しなくてはいけないのだが、涼子達は夏休みだった。毎日が気楽でいいよな、学生は。
昨日とは違って、加奈は大学の近くの喫茶店に来ていた。オレ達が入っていくと、加奈は気が付いて手を振った。
「ごめんね、涼子。毎日のように呼び出して」
「いいわよ、加奈。わたし、暇だもの」
歌うような調子で言う。オレは暇じゃないんだがな。
だが、オレの事は無視したように加奈は涼子を見つめて微笑んでいた。ちくしょう、どうせオレは涼子の付き人ぐらいな存在だよ。
「それでさ、涼子、みーちゃんの首輪、見つけたのよ」
そう言いながら、加奈は小さな紙袋を取り出した。それを、テーブルの上に置く。ちらっと覗いた紙袋の中には、なんだか茶色の染みのついた首輪が入っていた。よくやるぜ、まったく。
オレと涼子は並んで椅子に座ると、やってきた店のおばちゃんにコーヒーを二つ注文した。おばちゃんが去っていくと、涼子が口を開いた。
「この袋、預かるわね」
そう言いながら、手元に引き寄せた。まだ薬の聞き目が残っていて、涼子はずうっと口元に笑みを浮かべていた。もともとがかわいらしい顔をしているから、それほど違和感が無いが、普段、彼女はそんなに笑ってばかりいるような人間じゃない。オレには、不気味だった。
コーヒーがやってきて、オレは砂糖とクリームをたっぷり入れた。涼子は、クリームだけを入れて、ちょっとだけ口をつけると、苦そうな顔をした。
「そうそう涼子、今日の新聞見た?」
加奈は自分の紅茶を飲み干すと言った。ミルクティーだった。
「なあに?」
不気味な笑みのまま涼子が加奈を見た。
「変死体が見つかったのよ。その人の身元が分かったんだけど、うちの近所の人なの。わたしは直接知らない人なんだけど、わたしの先輩の友達なんだって」
オレは顔を上げた。
「近所?」
「そう」
オレには、二文字だけで返事をして、すぐに涼子に向き直る。ああ、そうですか。
「怖いわよね。どうやら連続殺人なんですって。涼子も一人で出歩かないほうがいいかもよ」
「大丈夫よ、加奈。わたしには圭吾がついているもの」
圭吾の警護って?そんなことを口走ろうものなら、加奈はオレをオヤジだと言うに決まっているから、オレは言わなかった。オレは、ちらっと涼子を見た。大丈夫。薬の効いている彼女は、人の心を読む能力が下がっている。
「それより加奈、みーちゃんを殺した人を見つけたら、どうするの?」
加奈は涼子をまっすぐに見つめた。
「会いにいくわ」
「どんな人かも分からないでしょう?」
加奈は曖昧に笑った。
「本当はね、涼子。知っているの。確証が無いだけなの」
「なんで知っているの?」
「立ち去るところを見た人がいるの。でも、彼は、猫は既に死んでいた、と言い張ったのよね」
「そっか。どんな人かは聞かないわ。先入観を持って霊視するのは良く無いから」
「そうね」
彼女達は、それから二時間も大学のことだとか、誰かの彼氏のことだとかをしゃべっていた。飽きもしないで、そんなに話が出来るものだ、と感心するよ。
オレは、すっかり退屈になって、少年ジャンプとヤングマガジンと、週刊女性を読むのに専念することにした。読むものが無くなっても、彼女達の話は終わりそうにも無かったのだが。
夕方になって、加奈が帰り、涼子とオレは食事に行く事にした。自分の部屋で何か作ってもよかったのだが、そういう気力が無くなっていた。女の長話は体力を消耗させる。
プレリュードの中で、涼子は加奈から預かってきた首輪を握り締め、じっと目を閉じていた。時々、びくっと震える。オレは黙って運転していた。
陸橋を渡り、ファミレスの駐車場に入る頃、涼子はようやく目を開けて、大きくため息をついた。それから、見たもののことを話そうとした。オレは左手で制した。
「食事の後にしてくれないか」
涼子はちらっとオレを見た。
「ずるい、自分ばっかり」
それはそうだが、涼子だって食事の後にすることは出来たはずだった。
うまいともまずいとも言え無い定食を食べ、オレ達は再び車に乗った。
涼子は話し出した。
「最初に見えたのはみーちゃんの子猫時代ね。加奈もかわいらしくて。たぶん、中学生ぐらい。彼女の部屋は、今とは違う作りだったけれど、場所は同じ」
そのあと、事件とは関係の無い、猫の思い出話をされて、オレは退屈だった。これだから女ってやつは・・・。
「それから、ナイフが見えたの」
ようやく核心に触れた頃、プレリュードは涼子のアパートの前までたどり着いていた。
「みーちゃんを殺したのは高校生の男の子。すらっとして細身。背は高いわ。こういうことをする人って、みんなよく似ているわ。暗い顔をしていて。目だけが光っているの。普段は普通に過ごしているんだけど、殺す相手と一緒になった時、突然凶暴になるの」
「凶暴になる?」
まあ、適当にあいづちを打つことにした。
「そう。目が光るのよ。話がうまくて相手はすぐに騙される。動物も同じ。見かけの優しさに騙されるの」
「動物って、人間よりも直観力がありそうだけどな」
なんとなく思ったことを口にすると、涼子は首を振った。
「こんなことをする人間はね、誰でも騙してしまうのよ」
アパートの前で、エアコンをかけっぱなしにして二十分。涼子の話は終わり、オレ達は別れた。加奈には、オレから連絡することで涼子とは話をつけた。
電話には、すぐに出た。
「加奈さんはいらっしゃいますか?昼間会った、黒崎の友人なんですが」
加奈の母親はうさん臭そうな声で、「お待ちください」と告げ、すぐに本人が出た。携帯にかければ良かった、と思った。どうも、大学を卒業してから携帯電話に触れた人間というのは、携帯電話に先にかけようとするのに抵抗がある。
「圭吾さん?」
加奈もうさん臭そうな声で言った。どいつもこいつも。
「加奈?涼子から聞いたよ、犯人の特徴。伝えるから、聞いていて」
「うん」
「涼子が見たのは四年前の姿だから、そこは間違えないで」
「うん」
「身長は百七十から百八十。痩せている。髪の毛は茶色でロング。一見、優男」
「ヤサオトコって何?」
「あ?いいんだ気にするな。年齢は十七くらい。たぶん高校生。黒のMAワンにチノパンだ」
「懐かしいわね、チノパンって」
うるさい。どうせオレは来年三十だよ。
「で、分かったか?加奈の思っている男か?」
「うん」
加奈ははっきりと断言した。
「そうか。じゃあ、加奈は黙って家にいろ。オレが話を付けてくる」
「え?」
「オレが話してくるって言ったんだ。来週中には行く。女一人で行かせるわけにはいかない」
「でも圭吾さん、あいつの住所知らないでしょう?」
「そうだ。だから今から聞こうと思っていたんだ」
「あ、そうなの?」
「調べてくれ。住所さえわかれば、オレ一人で充分だろ?」
「調べるまでもないわよ。うちの前の家なんだから」
「そうか。じゃあ近いうちに、話をしてくるよ。やつは何時に帰ってくる?」
四年前は高校生だったかもしれないが、今は二十一か二十二になっているはずだ。大学に行っているのか、それとも働いているのか。
「仕事から帰ってくるのは、夜遅くだわ。今日もまだ帰って来て無いみたい。車が家の前に止まって無かったから」
「わかった。もう一度言っておくが、絶対に一人で行くなよ」
オレは、そう言うと電話を切った。
加奈には感情的になって言ったが、それは演技というものだ。
一人で行かせるのは気が進まなかったから、オレが感情的になってみせて、彼女の気持ちを落ち着かせただけだ。
第一、なんの下調べもしないで怒鳴り込むほど、オレは馬鹿じゃない。そういうのは、コンビニにたむろっているガキのすることだ。
そんなわけで、次の日、早朝からやつの家の前で待っていた。
早起きは苦手だった。仕事を辞めてから、そういうのには縁が無い。だから、寝ないで行った。今日だけは、そうしておかないと、やつの仕事先がわからないからだ。
オレはプリュードの窓を開けて、シートを倒し、空を眺めていた。
夏の太陽は、四時過ぎに上り始め、六時過ぎには暑くなり始めていた。
加奈が言うには、やつの名前は鈴原大作だった。
六時半ごろ、路上駐車してあった白いチェイサーに乗り込むと鈴原は暖気もしないで走り始めた。オレは、尾行した。
会社の名前は「プランニング・コンベンション」とかいう、何をやっているのか分からない名前が付いていたが、要するに内装業だった。スーパーや小売店の内装を請け負っている会社だ。
オレは、適当に辺りをぶらついてビルの中がどうなっているかを観察した。
それから、自分の部屋に戻って、寝る事にした。とても眠かった。
夕方、涼子が電話してきて、「食事を作ってあげる」と言ったが、オレは断わった。
尾行する予定だったからだ。「起こしてくれてありがとう」と伝えて電話を切ると、彼女は不機嫌そうだった。勝手な。
とにかく、夕方の六時頃には鈴原の会社に行って、そこに勤めている女の後をつけて声をかけた。二十代半ばの女だった。
「わたしは、こういう者ですが・・・」
そう言いながら、パソコンで作った名詞を手渡した。オレはスーツだった。紺色の当り前のスーツ。
「探偵事務所?」
不思議そうな顔をして、女はオレを見上げた。女が小柄だったせいもあるが、オレの身長も低くはない。
「ええ。ある人の評判をお聞きしたいんですが。お時間、よろしいですか?」
オレは営業スマイルをした。これでも、そのスマイルには自信があった。事故調査で身に付けた、相手を身構えさせないためのスマイルだ。
「ええ、ちょっとだけなら」
妙に恥ずかしそうにして、女が答えた。私立探偵っていうのは、こんな場合、一番効く肩書きだ。テレビや映画の影響で、とてもミステリアスな印象があるからだ。実際の探偵の仕事なんて、そんなにミステリアスでも無いんだが。
「ありがとうございます。実は、あなたの会社のうちの一人が転職を考えてらっしゃるのですが、わたしの依頼人というのは、その転職先の人事の方なんですよ」
「はあ、なるほど」
「秘密は守れますか?」
「え?」
「これから、わたしが尋ねることについて、誰にも話さないと約束して頂けますか?特に、ご同僚や本人には」
女は、じっくりとオレの顔を見つめたが、やがて頷いた。
「ええ。守ります」
興味津々というわけだ。
「鈴原さん、という方はご存じですか?」
「ええ」
ためらいがちに答える。
「親しいですか?」
「いえ、それほどでは」
オーケー。親しい友人なんかに聞いたら身も蓋もなくなる。本人の耳には入らないほうがいい。
「彼は、会社での評判はどうですか?」
オレは単刀直入に聞いた。めんどうだったからだ。話のテクニックというのもあるのだが、予備調査なんだし、第一、金が出るわけでもない。
「そうね、普通なんじゃないかしら」
オレは頷いた。普通、と言われても、なんの面白みも無いのだが。
「無断欠勤とか、そういったことは?」
「無かった、と思います」
「そうですか。彼は、どういった仕事をされているんですか?」
「店舗改装の現場責任者です」
オレは頷いた。
「そうですか。ありがとうございました」
そういうと、オレは右手を差し出した。女は、釣られて手を出した。大げさに握手する。
「くれぐれも秘密に・・・」
そう言って微笑むと、さっと手を離し歩き去った。
会社で話をするかどうかなんて、本当はどうでもよかった。たぶん、仲の良い友達や同僚には話すだろう。そのうちには、鈴原の耳にも入るかもしれない。
だが、それがなんだって言うんだ。