弁当七番勝負! 魔法猫組の魔剤弁当!②
エルムは飛び去った炎竜を見送ったあと、ブレイスの方に向き直った。
「さてと……。帰りはまた炎竜に乗せてもらうとして、この熱帯雨林でどんな食材を調達したいんだ? 最初が竜の角の粉だったから、嫌な予感しかしないが……」
「ふふ、アレに関するものですよ」
ブレイスが指差したのは、熱帯雨林の木々に絡みつく細かい糸だった。
それは何重にもグルグルと巻き付いていて、場所によっては木が糸巻きのように白くなっている。
一方向だけにあって、明らかに周囲と比べて異質な風景だ。
「おい、ブレイス。アレって、まさか――」
「んゆ? エルムもブレイス様も、これからどんな食材を調達するのかわかっているの? レンも知りたいわ~!」
好奇心旺盛な猫獣人らしく、レンは瞳をキラキラと輝かせていた。
それに対してブレイスは悪戯っぽい笑みを浮かべ、自らの唇に人差し指を当てる。
「それはまだ秘密です。臨機応変な魔術対応というのも、一種の修行ですからね」
「秘密の修行……やった! ブレイス様の特別なレンだけの修行! 楽しみだわ!」
エルムは二人の猫獣人のやり取りを黙って眺めていた。
食材がどんなものか察したので、非常に先行き不安なのだ。
「……いや、そもそもアレは食材になるのか……?」
そんな小さな呟きを漏らしながら、糸が張り巡らされている方へと進むのであった。
この世界の地理は、竜脈の魔力などによって極端な気候が点在する。
たとえば、周りは牧歌的な地形であっても、一箇所だけ氷山地帯だったり、砂漠地帯だったり。
この熱帯雨林も、その一つである。
ひとたび普通の人間が立ち入れば異様な魔力で方向感覚を失い、熱帯雨林特有の湿度と高温で力尽きるだろう。
「うぅ……」
現に身体能力の高い方のレンでさえ、慣れない地形で疲弊し、身体中に汗と糸の切れ端を纏わり付かせながらヨタヨタと歩いている。
「大丈夫か、レン?」
「あ、暑い……。ただ暑いだけじゃなくて、纏わり付くような蒸し暑さ。……あと本当に糸が纏わり付いて、不快指数がうなぎ登りだわ」
だろうなぁと苦笑いを浮かべるエルムだったが、本人は普段通りの涼しい顔をしていた。
なぜか外見的にも糸が纏わり付いた様子もなく、汚れてはいない。
「あれ? エルムはどうして糸がくっついてないの?」
「俺は対不浄の加護があるから、基本的に汚れないんだ」
「なにそれ、羨ましいー!!」
レンは糸と汗だらけの格好で、頬をプクーッと膨らませた。
しかしそれもスタミナ切れで、すぐにしぼんでしまった。
もう、かれこれ数時間歩きづめなので仕方がないのかもしれない。
「あうぅ……。疲れたのは気合いでなんとかなるけど、どうしても顔がベタベタして気持ち悪い……。も~……顔を洗いたい……水浴びしたい……」
レンは耳をペタンとしょぼくれさせながら、エルムの背中を掴んで体重を預けた。
少女の足先が力なくズリズリと引きずられる。
エルムとしてはどうにかする手段はいくらでもあるのだが、レンの修行も兼ねているとなれば話は別だ。
「うーん……」
どうしたらいいかと立ち止まり、ブレイスへ視線をチラッと向ける。
「そうですねー。ここらへんなら丁度よさそうです。――あっれれ~? 偶然にも、あちらの方に水場がありますよ~?」
ブレイスは悪戯っぽい笑みを浮かべながら、水場があるという方向を指差した。
エルムとしては、何かバハさんがたまに浮かべる笑みに似ているという感じで先行き不安になっていた。
「み、水場! 水浴びができるんですか!?」
そんな事は露とも知らず、レンはパァッと笑顔を輝かせる。
「はい、水質は大丈夫なはずなので、存分に水浴びしてきてください」
「や、やったああああ! 身体を綺麗にできるー! あ、ブレイス様も水浴び一緒にどうですか? エルムは汚れないのが悔しいからダメだけどー!」
「儂は遠慮しておきます。誰かに肌を晒すというのは苦手なので。お兄さんと昔話でもしながら待っていますよ。レン、ごゆっくり」
「はーい、では水浴びしてきますね!」
レンは元気を取り戻して、水場があるという方向に走り去ってしまった。
それを見送ったエルムはブレイスと二人きりになり、溜め息を吐いてしまう。
「こんな危険地帯なのに一人で水浴びか……。大丈夫なんだろうな、ブレイス?」
「大体の情報は入手しているので平気ですよ。それに、いざとなったらお兄さんもいますし」
「俺の予感では、平気の度合いがろくでもないな……」
ブレイスは少年の笑みではなく、もっと年齢を重ねたような悪意ある笑みを見せた。
「修行というのは、本人が望む形だけでは力を得られませんからね」
「そういうものか」
「……そういうものですよ」
ブレイスは表情を緩めて岩に座った。
エルムも当然のように隣に腰掛ける。
「こうしてお兄さんと冒険してると思い出しますね。六百年前の……過酷だけど、生きていると実感できていた旅の記憶を……」
「旅……か。あの頃はいつも六人と一匹で世界中を冒険していたな」
――今も色あせない、名も無き救世主たちの旅路。
当時まだ伝説装備を持っていないが、全員のまとめ役だった“竜装騎士エルム”。
その相棒の“バハムート十三世”。
数々の魔道具を作り出してサポートしてきた“緑の魔道具士ハンス”。
魔力を操り多彩な活躍を見せた“紫の魔法使いブレイス”。
巧みな話術や催眠術で人心掌握をする“灰の紳士ラット”。
誰よりも強くあろうとしたハーフエルフである“赤の決闘士サンドラ”。
水中を華麗に泳ぎ回る不死身の存在“青の人魚姫アナ”。
滅びを待つだけだった絶望色の世界を駆け巡り、人々を救って鮮やかな色彩を与えていった七つの存在。
「……けど、世界は平和になってしまい、お兄さんとの旅も終わりを告げました。そして、待ち受けてると実感したのは――別れでした」
「別に会おうと思えばいつでも会えただろう? そんな大げさな――」
エルムはブレイスの肩に手を置こうとしたが、それをギュッと掴まれてしまう。
「お兄さんからしたら大げさ……ですか?」
「お、おい。急にどうしたんだ」
「お兄さんには“ぼく”の……。いや、ぼくたちの気持ちなんてわからない! お兄さんは不老不死として永遠に生きるのに、それに置いていかれてしまう者の気持ちなんて!」
「ブレイス……」
ブレイスはいつもの余裕ある表情ではなく、感情を剥き出しの怒りと哀しみが入り交じった顔をしていた。
嘘偽りのない、本気の気持ちだった。
エルムはそれに軽々しく触れようとしてしまったことを反省した。
「すまない」
「……いえ、こちらこそ……ごめんなさい。お兄さんは何も悪くないんです。当時、ついていくことのできなかった五人のどうしようもない後悔なんです。お兄さんに寂しい思いをさせてしまうのではないかと……」
ブレイスは頭を下げて、表情を見せたくないのか――そのままだった。
「正直に言うと、バハムート十三世が羨ましかった。永遠の命を持ち、何のしがらみもなくお兄さんと一緒に居られる。あのボリス村の住人にも密かに嫉妬してしまいました。今を一緒に生きることができるという当然のように与えられた権利。ぼくなんて必死に必死に必死に……寿命を延ばす方法を探して、それでも……ッ!」
「――おかえり、ブレイス」
エルムは、ブレイスの髪の毛をクシャッと撫でた。
小さな子どもをあやすように、大きな手のひらで優しく。
六百年経っても、二人の関係は変わらず大人と子どもなのだ。
「……いきなりズルいですよ、お兄さん」
「自然と、そう言ってやりたいと思ったんだから仕方がないだろう?」
それならぼくも――とブレイスは勇気を持って積年の思いを告げた。
「たッ、ただいま、お兄さん! ――ぼくはあなたのために戻ってきたんです! やっと、やっと素直に言えた!」
ブレイスは涙を隠すように、エルムに抱きついた。
手の震えは止まり、心の迷いは消えて、どうして今まで生きてきたかの意味を再確認した。
これまでの選択は、すべてエルムのために――
『キャーッ! バケモノ蜘蛛がーッ!?』
そんな二人の時間を遮るように、水場の方から悲鳴が聞こえてきた。
嫌な予感が的中したという顔のエルムと、最初からわかっていたような表情のブレイスは顔を見合わせて笑っていた。
「ブレイス、弟子ができたのならお前もお兄さんみたいなものだぞ?」
「ふふ。お兄さんみたいに振る舞えるかはわかりませんが、こういう修行はそれなりにつけてあげる予定です。さぁ、ゆっくりと駆け付けましょうか」
「……鬼か」
「儂は猫ですにゃー」





