皇帝、帝都の休日
※皇帝視点。
若き皇帝シャルマ・ジーオは孤高だった。
幼少から帝王学を叩き込まれ、学業も剣技も常にトップ。
外見も神話の神々のように煌びやかな金髪、美貌、肉体美を揃え持っていた。
天は二物も三物も与えた。
だが、親しき者は与えられなかった。
完璧すぎる故に、家族ですら親しく接してはくれない。
皇帝故に、民草とも距離を置かれる。
そのために友人すらいなかった。
日々、威厳を示し、日々、公務に励む。
理想の皇帝を体現し続けた。
そんなある日、妹のアリシア・ジーオから手紙が届いた。
それはボリス村という場所のことだった。
とても楽しげに内容が綴られている。
普段、皇帝の妹という立場に苦しんでいるアリシアが、こうも感情豊かに手紙を出してきたのだ。
皇帝は驚いた。
その中に書かれていたエルムという人物。
どうやら彼がアリシアを変えたらしい。
面白そうな奴だ──と思った。
早速、信頼の置ける親衛隊の隊長を呼び出して、エルム宛てに書簡を出す事にした。
ほんの戯れだ。
理想の皇帝を体現し続けなければならない、孤高の存在の気まぐれ。
それからまた日々の公務に戻った。
謁見を求めてくる数十人の列が並ぶ。
公爵、大公、伯爵、将軍──。
誰も彼もがご機嫌麗しゅうという定型文か、それに似た言葉を吐き出してくる。
皇帝はそれらをつまらなさそうに、氷のような目付きで見下す。
普段なら作業として公務をこなすのだが、なぜか今日だけは違った。
不満のようなものがチクチクと、ささくれ立つような感覚。
「エルム……」
不意にそう呟いてしまった。
手紙で語られた人物のことが、いつの間にか気になって気になってしょうがなかったのだ。
周囲の貴族たちが不思議そうな顔をしたが、皇帝が一睨みしたら何事もなかったかのように公務は進められた。
皇帝とは帝国そのものであり、その人物が何もなかったという仕草をしたら、何もなかったということなのだ。
絶対の存在、理想の若き皇帝。
それがシャルマの孤高であった。
その夜、シャルマは憂鬱だった。
皇帝としてでは無く、ひとりの人間として好奇心に支配されてしまったからだ。
後日のつまらない生誕パレード準備など放り出して、エルムにいち早く会いに行きたくなった。
それほどまでに王宮の外の世界を魅力的だと感じさせたのだ。
今やシャルマの中では、エルムという名前と、外への好奇心は同意義。
青年になって、やっと初めてのワガママかもしれない。
紙にペンを走らせ、書き置きをした。
しばらく留守にするが心配するな、パレードは影武者に任せる。──そんな内容だ。
部屋を抜け出し、城から荷運び用の馬車に隠れて、王宮を脱出した。
ゴトゴトと揺られる感覚。
シャルマは玉座に座るときと同じように、威光を帯びる両腕組み、何者をも畏れさせる不敵な笑み、そして──。
寝た、夜だったので。
どこでも堂々と寝られる……それもまた皇帝の資質である。
* * * * * * * *
朝起きて、馬車の中にあった外套をかぶって正体を隠した。
自信に満ち溢れた表情で帝都へと繰り出した。
──道に迷った。
普段はほとんどが馬車での移動だったので、徒歩では道がわからないのだ。
だがしかし、エルムと会うためにはどうにかしなければならない。
この些末事さえ解決すれば平気だ。
──平気では無かった。
道に迷わずとも、シャルマはノープランであった。
エルムの顔も知らないし、いつ帝都にくるかもわからない。
そんなことは微塵も考えず歩き続けていたら、書簡に込めた魔力からエルムと遭遇することになったのだが、本当に全くの偶然である。
偶然なのだが、皇帝にそんな事実は関係ない。
ここは帝国、皇帝のための世界である。
皇帝がエルムに会いたいと思ったから、世界がそう動いたと考える。
結果的に二人は出会った。ただそれだけだ。
出会い頭、皇帝はエルムを試したのだが、その優しさと、底知れぬ強さに感銘を受けた。
俄然、興味が沸いてくる。
「余は面白い奴が好きだ。さぁ、ゆくぞ!」
自分を世界の中心だと確信している皇帝の表情は、同時に胸の高鳴りも抑えきれない無邪気な笑みを浮かべていた。
その横にいる臣下でも無く、敵対者でも無く、むず痒いような未知の関係の存在──エルム。
初めて皇帝は孤高ではなくなった気がした。