おっさん マイゴ コンビ マシマシ 迷走 チョモランマ 2
夏。
少し暑いから、軒下で涼もう。と言って暑さから逃れられれたのは、社会の教科書に掲載されるぐらい昔の話である。
現在は、炎暑 酷暑 。
マスメディアは、手を変え品を変え外出する事を控えるよう伝えている。なにしろ、「災害レベルの暑さ」なのだ。
それなのに、この「災害レベルの暑さ」を超える「熱さ」が存在する。
兵庫県西宮市で開催される全国高等学校野球選手権。通称「夏の甲子園」高校球児が、一夏に思いを乗せ、阪神甲子園球場でまっすぐに戦う。彼らは、自分の野球人生、野球部員の思い、学校の伝統、父兄の望み、地域の期待。若い背中が担うには重すぎるものを背負い、真っ青なグラウンドで火花を散らす。
夏の甲子園は100回も開催されている。ここまで開催することが出来たのは、アヌのように彼らの純粋な姿に惚れ込む存在がいるからだろう。
古書店 おべりすく
阪急梅田駅高架下の「古書のまち」に存在するらしい。
夏の甲子園が開催されるこの時期、梅田は普段以上に人が多い。にもかかわらず、この界隈は相変わらず人通りが少ない。この場所を通るのは、茶屋町や芝エリアといった繁華街向かう人が主である。
古書店おべりすくも、他の店舗と同様その扉を押すものはいない。なので、クーラーがガンガンに効いた母屋で彼がアイスキャンデーを頬張り、ラジオから流れる甲子園実況に耳を傾けるのも仕方のな事 なのかもしれない。
「ゲームも序盤が終わり、ゲームも中盤」
アヌはちゃぶ台の上で丸まっているしわくちゃの新聞を広げる。そこには、甲子園出場校のデータが全て記載されている。
「現在5回の裏2アウト1、3塁。攻撃するは神奈川代表の○○高校。守るのは佐賀代表の△△高校。マウンドには田中投手が汗を拭っております」
アヌは素早く神奈川県代表校と佐賀県代表校のデータを見比べる。
数字は両者の格の違いを如実にあらわしていた。だが、物語は数字のようには動かない。
「解説は甲子園出場社会人野球で活躍された近本さんです。さて、近本さん。現在の流れをどう思いますか?」
「そうですね。ゲームは序盤から動くかと思っていましたが。両チームともピッチャーが良い」
解説が言うとおり、スコアボードには0が刻まれている。
「まだ点数は入っていない。とても緊張感のある投手戦です」
「そうですね。近本さんが言うとおり、両チームともヒットは出ておりますが、長打はでていませんね」
「ですが、今バッターボックスに立っている南條君。彼は強打者です。神奈川県地区予選では1試合全てホームランという記録も残しています。ピッチャーの田中君は、ピンチの中、この強打者にどう対応するか。ヒット一本出れば○○高校は流れを引き寄せられる。現在が、このゲーム一番の分水嶺といってよいでしょう」
アヌはアイスキャンデーを一口噛む。彼は実況と解説と共に、解説席から試合を眺めているつもりだ。中立を保つ二人とは対照的に、彼の心情は完全に佐賀県代表に傾いていた。
「ピッチャーの田中。大きく肩で息を吐き――投げました。ストラーイクッ。ここでストレート。南條君。手が出ない。これでカウントは2ボール2ストライクッ」
アヌはダンと足踏みし、ガッツポーズをした。残りのアイスキャンデーを一気に齧り、ラジオに話しかけた。
「おっしゃ。よぉ踏ん張った。えぇどえぇどぉ。田中ぁ。あと一球や。あと一球ストライクとれば、味方が点とったるからなぁ。常連校なんてイてまいなぁ!」
棒切れを口にくわえ、ラジオに耳を近づける。自分の声と球場の歓声が混じり始める。クーラーは効いているはずなのに、彼の額には無数の汗が作られていた。
「田中、呼吸を整え、構えました。2アウト1、3塁。田中の5球目。投げま――」
「アヌさん」
前のめりになるアヌに、冷や水のような声がかかった。ちゃぶ台の上に顎をガツンと落とし、激しい音と共に、彼は畳みの上に転がる。甲子園の脳内トリップはこうして幕を閉じた。田中の結果は沸き立つ歓声が教えた。
「ほんげエエエエえええええええええええええええええええ」
母屋の中にアヌの間抜けな声が響き渡る。一応、ラジオからは先程の結果が流れてきた。
「田中、颯爽とベンチに戻ります。ピンチを凌いだ田中。ですが、笑顔はありません。あとは味方の反撃を待つばかり」
「あああああああああああ。やっぱりやないかああああ。えぇとこやったんやで。田中、最後何投ぅったん? 教えてぇなあ」
アヌは頭をワシャワシャとかき乱し、ラジオを激しく揺さぶる。頭上ではガタンゴトンと電車の音が響く。ラジオからは強いノイズが入り、大切なところをかき消してしまった。
「ばっすううううん」
アヌは低い猛獣の唸り声を上げ、背後を見る。そこには一人の男 バストが立っていた。
長身でつややかな黒髪。端正な顔立ちを見て、本を落とす女性もいるほどだ。だが、当の本人は自分の容姿には頓着しておらず、決まって白シャツに黒のズボン。そしてギャルソンエプソン。バストがそれ以外の服を着なければ世界が破滅する。と言われても、彼はこれ以外の組み合わせをすぐに思いつくことは難しいだろう。
「あんなぁ。ばっすん。今、超えぇとこやったんやで。なぁ。自分。これでゲームが決まるような。もう。中盤からのクライマックスってな具合でアカンやつやったんや。わかる?」
「はぁ……」
「んもぉ。そんな試合……」
古書店「おべりすく」の店員アヌはガックリと肩を落とす。一方、バストはアヌの怒りの理由がちっとも理解できない。試合の結果は、後ほど分かるのに。と思うも、それを口には出さない。なので、謝罪とはいわずとも、生返事だけを返した。
「アヌさん」
「なんやねん」
「ちょっと、表に出てもらえませんか?」
アヌは「あぁ?」と鼻にかかった声で返した。だが、すぐに顔は硬直する。
もともとバストは東の古書店「ふしぎの国」のライターだ。「ふしぎの国」も含め、数件の仕事を抱えている。そのような彼が、西の古書店「おべりすく」にいる理由。それは、おべりすくの店長 シア の頼みである。何でも旅行に行くらしく、留守中の守を彼に頼んだ。
シアの旅行。その事実は、アヌにとって鬼のいぬ間のなんとやら。である。
彼が羽を伸ばしている最中、冴えない表情でやってくる守。その組み合わせで彼の中で最悪の事態が思い尾殺される。
(シア姐さんのお早いお戻り!!)
青い髪に着物を着た少女。そして、猛禽類のような瞳。思い返すだけでアヌの下半身が弛緩してゆく。
(えーらいこっちゃ。えーらいこっちゃ)
アヌは慌ててラジオを消し、口の中に突っ込んでいるアイスキャンデーの棒をティッシュに包み、ゴミ箱の奥深くに潜り込ませる。
襟元を正し、さも「少しトイレにいっていました」という具合で、靴に足を滑り込ませた。
酷暑といわれる夏。甲子園球児がダラダラと滝のような汗を流している中、書店員。アヌは酷暑とは関係のない汗を額からダラダラ流し、店舗に重い足を運ぶのであった。




