ルージュ ヴォリュプテ シャイン (婦好戦記×恋のほのお×聖剣物語)
「頼み事ってなんだ?」
人が少ない学生食堂。付き合いの長い歴史学科の弓臤は、神経質に伸びた前髪を触ると、溜息交じりに口を開く。
「実はだな……」
菜切り包丁のようにスパスパと物事絶つ彼には珍しく、口調はどんよりと重い。なかなか本題を切り出さない彼に、俺は鼻から息を吐く。彼が本題を切り出すまで、学生食堂の高い天井を見上げた。美術部が丹精込めて作った現代芸術の吊り下げ式オブジェ。名前があるらしいが、記憶には残らなかった。建築学部所属ならば、そういうオブジェに敏感であるべきだろう。と目の前にいる弓臤は言うが、記憶できない以上しょうがない。そもそも、このオブジェは俺の感性に寄り添わない。もう一言付け足せば、「浅い」芸術品だからだ。
「俺には、妹がいる」
「それは初耳だな。いくつ年下だ?」
「……。今、14歳だ」
俺の動きは完全に止まった。現在大学2年生。20歳になった俺達に6歳下の妹。弓臤に似ていれば、反抗期もあいまり、手に負えない代物であろう。
「その妹が、今度誕生日を迎える」
「はぁ」
話は読めた。その妹に誕生日プレゼントをしたいが、良いものが見付からないというわけだろう。
「その手のハナシなら、波多野に聞けば良いんじゃないか?」
文学部の波多野。弓臤と俺の関係の中で唯一恋人を持っている存在だ。その彼女も一癖二癖持っている。言葉をかければ最後。頭のてっぺんからつま先まで嘗め回すように見られた瞬間、俺達の心に致命傷な言葉が投げかける。俺も弓臤も痛い目を見た。それ以降、極力彼の彼女 吾妻 多英に近づくことはやめた。
「あぁ。波多野に聞こうと思ったのだが……」
俺は弓臤に同情した。いたのだ。彼女が……。
「俺は知らんが、適当にコンビニの化粧品でも渡せば良いんじゃないか?」
俺の提案に弓臤は再び口を噤む。何か思い当たる節があるようだ。色白で思い詰めた表情を浮かべる彼の眉間に、更に深い皺が寄る。俺は、意図せず彼の傷を踏んだようだ。
「婦好を知ってるか?」
法学部の婦好。有名な女性だ。才女として名高く、生まれも名家ときている。栗毛色の髪に薄茶色の瞳。長い髪を編みこみ、それを一つに束ねている。スラリとした長身と、細い顎。女性の顔をしているが彼女のかもし出している雰囲気は男。いや、「偉人」に似た威圧感があった。俺も、学内で数度彼女を見たことがある。
あの威圧感に触れたいとは思わなかった。
「婦好さんがどうした」
「婦好と知り合いでな」
この大学には面白い話がある。人脈の乏しい学科の名前を挙げろといわれれば、工学部全般と、歴史学科 地理学科の名前があがる。自分の世界に篭りがちでなかなか友達を作れない。人脈も作れずに学生生活を終えるといわれている。弓臤もその通りで、プライドは一等高く、孤高を気取っているも寂しがりやな一面がある。そんな彼と俺が繋がった話はまたいつか語ることになるだろう。
で、この弓臤が学内の有名人 婦好とどうして知り合いになれたのか。興味が湧く部分だ。
「どうしてお前と婦好さんが知り合いなんだ?」
「親戚づきあいだ」
つっけんどんに言う弓臤。裏があるらしい。そこを突っ込めば、彼はヘソを曲げるだろう。俺はそれ以上何も言わなかった。
「婦好から言われた。サクの誕生日に安物なんかを贈るなよと」
俺と弓臤の間に重い空気が流れる。あぁ。俺達の行動というのは、理解できる人にはお見通しなんだと。
安物の化粧品の線は消えた。だからといって、高いものは変えない。歴史学科は金がかかる。学者志望の弓臤はバイトなんかせず、日夜図書館に篭り、勉強の毎日。彼に捻出できる金と言えばすずめの涙程度。
「5000円までなら出せる」
予想外に金額設定は高かった。
5000円。そんな大金で14歳の少女をどのように喜ばせればいいものか。頭を抱える俺達に、悪魔の声が降り注ぐ。
「えっ。5000円もあれば素敵なもの買えるじゃない」
振り返ればヒマワリの悪魔。
俺と弓臤は同時に立ち上がり、食べ終わったトレイを持ち上げ、返却口に向かう。この反抗的な姿に、ヒマワリの悪魔は笑った。
「良いわよ。5000円の予算がありながらセンスもない、くっっっっそダサイものを買ったなら、あんた達、どうなるか分かる?」
「お前に関係の無い話だろ。ベル」
ヒマワリの悪魔はニンマリと笑い、俺の顔を下から覗き込む。
「えぇ。関係の無い話よ。童貞くん。でも、私は聞いたわよ。予算5000円。予算5000円で買ったものがどんなものか。婦好さんを通して教えてもらうだけだからね」
彼女の口から出てきた婦好の名前。婦好の関係図はここまで伸びていた。
弓臤の顔も渋い。予算5000円。設定金額のタネが明かされた以上、下手な行動に出ることは出来ない。
「そう言うが、お前はどんなものが素敵なものか知ってるのか?」
「えぇ。私は14歳を経験したのよ。5000円でどんなもので喜ぶか、私は知ってるんだから」
ベルは無い胸を張り、俺達に交渉を持ちかける。
「男のプライドで買うのも結構。でも、男のプライドを守るために、頭を下げるのも一つの手じゃない?」
黄色の悪魔はしたり顔でコチラを見つめる。
可能ならば、俺はこの場からすぐに逃げ去りたい。俺には関係ない話だ。弓臤とベルで買い物に行けばよい。そそくさと他人のフリをして逃げる俺を弓臤は許さなかった。
逃げれば、末代まで呪いかねない声で囁いてくる。
「グッツェー。お前、分かってるよな」
神などはいない。
俺が縋るのは、単位と平穏な日常だけだ。
「はい。ありがとうございましたー」
ヒマワリの悪魔は極上の笑みを俺たちに投げ与えた。
大学の最寄り駅は特急停車駅ということで、栄えている。有名百貨店が数点存在しており、百貨店をグルリと囲むようにオシャレな雑貨屋がある。
ベルは若い女性が入りたそうな雑貨屋ではなく、老舗百貨店に俺達を連れてきた。
ムワッと様々な香水化粧品の匂いが混ざるエリアに、耐性のない俺達は倒れそうになる。弓臤はクラリと貧血に似たよろめきがあった。
彼女が連れてきたのは、英語名で書かれたブランド化粧品。
「弓臤。サクちゃんって肌の色どんな色?」
「……。いろじろ……」
しゃべるのもきつそうだ。ベルは青白い顔をする弓臤の体調をことごとく無視し、事細かに妹の事を質問する。やれ、肌の色だ。やれ顔の形だ。髪の色だ。お前の頭はどうなっているのか。と問いただしたくなるぐらい細かい。弓臤を見れば分かるだろう。と思った。
その考えを持った時、俺はベルが質問する意味を理解した。
弓臤が離す妹の容姿。兄弟というにはかけ離れていた。
面長な弓臤に対し、妹のサクは丸顔
茶色みがかった弓臤の髪に対し、サクは藍色を混ぜた黒髪
切れ長の弓臤の目に、サクは円らな赤茶色の瞳
つり上がり気味の眉の弓臤になだらかな弧を描くサクの眉
一致する部分は骨格の上に皮膚が乗っていることぐらいで、彼らは合致する点が無い。
そこから察することは、「彼らは血のつながりの無い兄弟」という事である。俺は弓臤の横顔を見つめる。
血の繋がらない兄弟に、どうしてプレゼントを渡そうと思ったのだろう。彼女に同情をしたからか。いや、それはない。弓臤との付き合いは長いが、他人に同情することは無い。
彼が、彼女に誕生日プレゼントを渡す理由は明確にある。それを探るのは野暮な事なにだろう。
「これはどう?」
珊瑚色の口紅だった。
金色のスティック部分にはハートがあしらわれ、中央部には銀色のブランド名が刻まれている。
ベルは口紅を手の甲に付け、小指で、口紅の一部の自分の唇に乗せた。
濡れたような唇の表面。鮮やかな発色と蕩けるような潤いで、ほんの少し、彼女の雰囲気が変わった。
「今、流行のリップ。中学生でも持ってる子は少ないから、喜ぶと思うわ」
弓臤は「そうか」とだけ言う。ベルは近くにいる店員を呼びとめ、色々と言葉を交わす。
俺は、弓臤とベルと店員。三人のやりとりをぼぉっと見つめていた。
「おや、サク。化粧をしているのか?」
婦好様は目を細め、私を見つめる。じっくりとコチラを見つめるので、少し恥ずかしくなった。私は、義兄様からいただいたリップを婦好様に差し出した。
「これ、義兄様が誕生日プレゼントにって」
「ほぉ」
婦好様の指が私に触れる。婦好様はスティックを見つめると、唇を上げた。
「弓臤め。憎いことをするな」
婦好様はそう言うと、私にスティックを返した。私は、婦好様が見つめていた場所と同じ場所を見つめる。
銀色のブランド名の下に何かが刻まれていた。
「SAKU」
私の名前だった。そしてその裏には義兄様の名前が刻まれている。
「良いプレゼントを貰ったな」
私は、義兄様から戴いたスティックを胸の中に埋める。婦好様から褒められたことが嬉しかった。
そして、義兄様のあの表情を思い出しただけで幸せな気持ちになる。
「はい。義兄様は素敵な方です」