ミチと蹊と道と路
聖剣物語と似ているけれど、どこか違う。
同じ名前の人物が出ているけれども、
一体何が違うのかな?
「何を読んでいるのですか?」
青年は少女に声をかけた。
「恋愛小説さ。特別を求める少年と幼馴染の日常幕間といったところかな?」
分厚いビロード生地の椅子に腰掛ける少女は、生地と同じ真っ赤なウェーブの髪を気品良くかきあげると、視線を本に戻す。彼女の名前はキルトシアン・ペイトン。少女でありながら王妃の座にのし上がった特別な存在だ。
おまけに、「赤の王妃」との二つ名を持つほど、彼女の存在は、全て「赤」に帰結する。ビロードのように重厚で艶やかな赤い髪。烈火を思わせる大きなつり上がった赤い目。溶かした赤い蝋を連想するみずみずしい唇。最後に、己の存在を凝縮させた赤い輝石のブローチを必ず身に着けていた。
オリヴァカ・グッツェーと呼ばれた本名 オリヴァ・グッツェーにとって二人目の天敵である。
王妃は、脚を組みかえ、頬杖を突き、従者に声をかけた。
「オリヴァカ。貴君は恋愛をしたことはあるか?」
オリヴァカと呼ばれた青年、本名オリヴァは眉間に皺を刻む。それこそ、苦虫を噛み潰した渋い表情である。
「ありませんが」
「そうだろうな。貴君の顔は、童貞です。と貼り付けた精気の無い顔をしている」
少女はさも当然のように言い放ち、本のページをめくる。言われた側の人間といえば、奥歯を噛み締め、悔しそうな表情を浮かべている。つまるところ、図星なのだ。
「言っておくぞーオリヴァカ。恋愛は若いうちに数をこなしておけ。貴君のように若さの曲がり角に来たのなら後に響くぞ」
「失礼ながらキルトシアン様。それはどういう意味で?」
従者の質問に、彼女は素っ頓狂な声を上げる。予想していない低レベルな質問であった。読んでいたページに印をつけることを忘れ、本を閉じ、椅子から立ち上がる。片手は腰に手を当て、反対の手は従者の鼻ッ先を指差す。
「君はやっぱりオリヴァカだ。いいか、言っておくぞ。恋愛というのは気分高揚が悪さをし、互いに強く惹かれ、慕う事を言う。真っ当な人生判断取捨選択ができない二日酔いよりタチの悪い精神疾患だ。考えてみろ。病気の進行は若い方が早いが、治りも早い。病気の予後は、歳を食えば食うほど遅い。恋愛も同じだ。恋愛で人生を捨てるか、全うな人間に戻るかは、恋愛の数をこなし、抗体を作ってさっさと恋愛の疾病から逃れることだ」
少女の力説に、従者は頼りなく「はぁ」と返す。暖簾に腕を押す軽さに彼女は自分の立場を忘れ、舌打ちをした。
「バカたれ! この本でも読んで少しはときめけ!」
そう言って彼女は読んでいた本を押し付ける。
本のタイトルは、「ありふれた物語にHello!~特別な事しか出来ない男の話~」
小説家を夢見る主人公 目見田 蓮と仁和寺 恵梨の物語。感情の矢印は両者に向かっている。互いに己の直感を信じきれず、いじらしく互いの気持ちを確かめ合うのだ。キルトシアンはそんな二人の青さや初々しさに心惹かれた。一方、この主人公が自分の従者に重なって映る。蓮は、「ありきたり」を嫌い「特別」を願った。オリヴァも同じだ。女王付きの従者。という「特別」な地位に固執し、「凡庸」を激しく忌み嫌っている。「特別」であるためには、人間としての生長の余白を埋めなければならない。蓮は、恵梨の言葉で「特別」であろうと一歩足を踏み出す。男の成長だ。だが、この従者は、その事にすら気づいていない。オリヴァの愚かさに呆れ、同時に羨んだ。なぜなら、彼女は「人間としての成長は切り取られている」。一国の王の妻として、国民からは、「完成された者である」よう求められている。
王を支える存在としてだけに在り続けなければならない。彼らがいる風土として、「王妃」は「王」を超える存在であってはいけない。キルトシアン。という尖りきった性格は王の存在を貫いてしまう可能性がある。故に、オリヴァを除く全ての従者は、彼女の成長を拒み、余白を切り取り押さえつけるのだ。「国」という枠組みの中にすっぽりと収まる「王妃」であるように。
いつの日か、彼女は「特別」から「凡庸」に成り下がらなければならない。
しかし、オリヴァは違う。彼が望み、成長すれば、誰かの「特別」になることが出来る。恋愛であり、仕事で在り。そういう人間としての余白がひどく羨ましかった。
「なぁ、オリヴァ」
「何ですか?」
「貴君を呼び出したのは、仕事の件だ。」
彼女は椅子に深く座り、オリヴァに実を屈めとジェスチャーをする。
「その本を殷という国にいるサクという少女に渡して欲しい」
口を開いた途端、彼女の顔は年相応の少女の様相から、一国の王妃へ変化した。
「それは、私の好きな本だ。何度も言うが、この本は恋愛小説だ。だが、凡庸と特別。相反する言葉を埋めるように登場人物が存在する。互いの思いを確認しあい、太極図のようにバランス良く混ざり合う。この物語には夢と期待を纏めた物語なのだ」
そう言うと、一呼吸おき、言葉を紡いだ。
「物語は光だ。人間の夢想は物語に紡がれる。オリヴァ、殷はこの国と同じく戦が絶えない。サクは少女でありながら、現実に触れすぎている。夢想すら紡げない。その少女に光ある物語を触れさせてくれないか。少女で夢想の慰みを与えない事はあまりにも酷だ」
そう言うと、彼女は立ち上がり、懐から赤い宝刀を取り出した。オリヴァを静止する声を振り払い、鞘を貫、虚空を切り裂く。彼女の剣は、太刀筋を残し、空間を断ち切った。
その剣は「門」の聖剣。世界に散らばる23本の聖剣。彼女が手にした宝刀は、時空と空間を司る「門」。
空間に刻まれた太刀筋は軋む音を立て、裂け目が生じた。紺色と茶色をマーブル状に混ぜた空間は、パックリと口を開き、彼らを待ち構えている。
キルトシアンは開いた空間に、宝刀を鞘と一緒に放り込む。
「キルトシアン様、あの剣は」
「どうでもよい!」
彼女は声を荒げ、オリヴァの腕を掴み、揺さぶった。
「よいか、オリヴァ。お前が殷へ行く道は、一人の少女に光を灯そうとするミチだ。我々が歩き出す光を灯す道は蹊なれど、いづれは多くの者が光を手にし道となり、路となろう」
キルトシアンは裂け目を指さす。従者は、この先に何があるのかを理解した。
「行け、オリヴァ。光はミチだ。ミチを切り開け!」
本を胸に抱き、オリヴァは、主人に頭を下げる。主人の力強い言葉に背中を押され、迷うことなく、切れ目に飛び込んでいった。切れ目は、ゴックンと剣と彼を飲み込むと、何事も無かったかのように跡形もなく消えてしまった。
(門の聖剣を与えてやったんだ。殷には確実に着くはずだ)
キルトシアンは従者がいた切れ目を見つめる。
「これで良いのだろう。セシャト。お前が託した聖火は本となった。この本はきっと再び形を変え、大きな路となるはずだ」
そう言うと、王宮は巨人に揺すられるよう、激しく揺れ始めた。王宮だけではない。周りの建物が。世界が。砂糖菓子を潰すようにボロボロと音を立てて崩れていく。
無理も無い。この世界は一本聖剣を捨てた事で世界の成り立ち、根幹を失った。根幹を失いし世界は滅びるしかない。世界は光を失い、闇に飲まれる。常闇は、キルトシアンの耳元で「俗物が」と怨嗟の言葉をかけ「何も生まない子」と呪いをかけていく。それでも、彼女は微笑む。烈火の如く爛々と輝く瞳をたたえ、彼女は心の中にある光を抱き続けた。
「行け。オリヴァ。光を繋げ。物語の蹊を作れ。お前の足跡は、私の――」
とある世界で、轟音が響いた。
セシャト様 Lalapai様 ありがとうございました!