おっさん マイゴ コンビ マシマシ 迷走 チョモランマ 9
「あらっ」
褐色の美女 物語を司る女神セシャト。赤と白色のボーダーで彩られた紙袋を重たそうに両手で抱えている。焼きたてのバゲット山脈の隙間から見える見たことのない石碑。ちょうど、彼女の肩の高さ程の大きさだ。彼女は、紙袋を地面に置き、石碑をマジマジと見つめる。
「こんなもの、あったかしら」
彼女の細い指が石碑へと伸びていく。刻まれた文字をなぞろうとした時だった。
「吸われるぞ」
背後から鋭い声がし、思わず手を引っ込めた。振り返ると、そこには金髪の少年が立っている。大きく凛々しい金色の瞳。少年はズンズンと歩き、石碑を背後にし、彼は、セシャトに厳しい口調で話しかける。
「セシャト。軽々に触るのではない」
「も、申し訳ありません」
「全く……」
苛立ち下に少年は足を鳴らす。少年の表情、仕草から彼女は何かを察し、文字通りしょんぼりと肩を落とした。
「これは、迷子石だ」
彼は、彼女の疑問に答えるような形で口を開く。
「まよいごいし?」
少年は「あぁ」とだけ答え、迷子石について話しだした。
「そうだ。昔は迷子が多くてな。人の往来の激しい欄干などに張り紙をして迷子を探していたんだ。だがな。景観の問題もあり、この迷子石が設けられ、これにだけ張り紙が許された」
セシャトは少年に目配せをする。彼は、懇願する少女の瞳に、一言「良い」とだけ告げて、迷子石を見せた。
迷子石。物語で触れることはあっても、現物で見るのは初めてだ。彼女は石のまわりをぐるぅりと回る。
雨風に晒され、石はくすんでいる。刻まれた文字は毛筆で書いたような柔らかな形をしている。表には「迷ひ子志るべ」と刻まれ、その裏には当時の住所がある。左右には「志らす方」「たづぬる方」とある。
セシャトは腰を落とし、「たづぬる方」と刻まれた文字の上にぽっかり空いた空洞に手を突っ込んだ。
すると、彼女の脳内にある情景が映る。若い母親が着物の裾で涙をぬぐい、息も絶え絶えに白い張り紙を迷子石に貼り付ける。藁半紙には、子供の名前 性別 容姿などが事細かに書かれている。母親は、迷子石に貼り付けられている紙の上に自分の紙をはりつけた。風が強く吹く。彼女が貼ったばかりの藁半紙は吹き飛ばされてしまいそうだ。母親は、すがる思いで迷子石に抱きつく。何度も何度も子供の名前を呼ぶ。目尻からあふれる滂沱の涙。顎を伝い落ちる雫は、藁半紙を濡らしていく。滲み濡れた黒い雫は大地へと吸い込まれていった。
「返して」
女性は天を睨む。風が彼女の色素を飛ばし、いつのまにか白髪の中年女性に姿を変える。
「返してよ。あの人達を返してよおおおおおおおお」
鬼女の叫びにセシャトは思わず口を開いた。
「お返しします。お返しします。きっと、返ってきます。だから、もう……。泣かないで下さい」
セシャトの頬に一筋の涙が零れ落ちた。
「ほら、言うもんではない」
少年は大きくため息をつく。セシャトの意識はコチラ側に戻された。
「お前、吸い込まれていたぞ。迷子石に」
「えっ。わ、私……」
少年はセシャトの手を取り「帰るぞ」と告げた。少年は紙袋を持ち、なだからな下り坂を降りる。
「気をつけろセシャト。迷子石は人の気持ちを蓄えすぎたせいで、不思議な力を持っている。お前と共鳴すれば、どんなヤツが志らす側に現れるかわからんぞ」
セシャトはバツが悪そうな顔をし、「はい」と肩を応えた。
陽が傾く夕暮れ。女性と少年の影が伸びていく。突然、彼は小さく肩を震わせた。何かに気づき、視線だけ背後に送る。
(嘘はつかん。きちんと返したぞ)




