おっさん マイゴ コンビ マシマシ 迷走 チョモランマ 8
「すまんな。見送りまでさせてな」
マルトは杖をつき、ゆったりとした足取りで神戸三宮行き特急の前に立つ。
マルトの傍に立つヘーグも「迷惑をおかけしました」と言い頭を下げる。
アヌとバストは、肩で息を吐き、顔を青くしながら「いーえー」と応える。
「本当に馬がいない。馬の臭いすらしない。馬がおらずとも、この塊は動くのだな」
マルトは車両を見つめ面白そうに目を細める。
「不思議な匂いです。これが……。でんきの匂い」
二人はアヌとバストからスナイル国へ帰る方法が分かったと聞かされた時、さして驚いた表情を見せなかった。もちろん、残念がる表情もない。ただ、休憩時間が終わり、仕事に戻る職人の顔をしていた。
高い象牙色の天井。臙脂色の車体。車体に映りこむ自分達の姿を見て、二人は肩を震わせて笑う。
満足しただろう。マルト達はゆっくりとした足取りで電車に乗り込んだ。
「すまんな。主人達。楽しかったぞ。よく休めた」
「それは良かったっすね」
「ところで、主人達。最後の願いだ。名前を、聞かせてもらえないか?」
アヌたちの頭上から発車を報せるベルが鳴る。アヌは自分の名前を言うべきか迷った。マルト達は、アヌ達を「主人」というが、おべりすくの主人は「シア」だ。なので、主人としてならば、名乗るべき名前は「シア」である。シアを知らずに二人を旅立たせる事は果たして是であるのか。これは、アヌ達がマルト達と出会って最初に感じた心の傷みである。
人々が慌しく車内へ駆け込む。
「マルトさん」
発車ベルの音が止まった。
「マルトさん、ワシの名前はアヌ。こいつはバスト。それだけ。それだけを覚えておいて下さい」
プシュッと空気が抜ける音の後、四人を隔てるようにドアが閉まる。ウィーンと甲高い音を響かせ、モーターが稼動を始めた。ガタンと車体は上がり、ゴトンで下がる。マルトもヘーグの身体も、電車の振動のように揺れていた。
マルトは口を開く。だが、声は聞こえない。
二人の前を風が切る。電車は速度を挙げ、グニャリとカーブする。点の人の顔が線へ変化する。乱れた髪を整えず、二人は、神戸三宮行きの特急を見つめた。
「元気でな。って、マルトさんやなくてコッチが言う言葉やで。マルトさん」
神戸三宮行きの臙脂色の電車は見えない。二人は迷い子の到着駅が、ここではないどこかへたどり着くことを願いながら、ホームに佇んでいた。
阪急梅田駅を出ると、電車は大きくカーブする。高層ビル街を抜け、中津川を走り抜ける。フワフワな椅子に二人はとても喜んだ。ゴトンゴトンと揺れる振動にマルトとヘーグの瞼が次第に重くなっていく。
「マルト様」
「なんだ?」
「あそこは不思議なところでしたね」
「そうだなぁ」
ヘーグの呟きにマルトは何も答えない。頭上から、「まもなく十三 十三」とぐぐ持った男のアナウンスが聞こえる。高層ビルは背後にやり、目の前には低いビル群が現れはじめた。無機質な人の声が人情味溢れる人の声へ変化する。電車は止まり、開いた扉からカラーの違う人間が入れ替わる。
「ヘーグ」
「はい」
「お前は、トリトン村に戻ったら、物語を記せ」
「誰の……ですか?」
「決まっておろう。この偉大にして崇高な領主 マルト様のだよ」
ヘーグは鼻で笑った。電車は十三駅を出発し、神崎川駅を超える。地上の線路から、河川にかかる橋に至った。電車の音はガタンゴトンから、コォコォコォと透明感ある車両音へ変化する。車輪の回る音に紛れ、鐘や太鼓の音が響く。マルトもヘーグも瞼を閉じていた。そして、響き渡る楽器の音に混ざり、女の声も入ってきた。
「返して。私にあの人たちを返して」
女は大木に何かを刻みながら訴えかけている。マルトは、その女性を知っている。
彼の妻 アイリスコールだ。
「返して。返してよおおおおおおおおおおお」
アイリスコールは手を手に掲げ叫んだ。彼女の痛々しい姿にマルトは右手を差し伸べる。
「私は、私はここにいるぞ。アイリ」
「返して。お願い返して。私に、マルト様をヘーグを返して」
「あぁ。帰るぞ。アイリ。私は帰る。我々がいるべき場所へ。我々が帰るべき場所へ」
差し出した右手は砂塵のように消え、淡い光が零れだす。
マルトの身体もヘーグの身体も光に包まれ一つの小さな粒になっていった。
「ねぇねぇ。さっきまでココに人おらへんかった?」
「はぁ? 知らんし。さっき降りたんと違う?」
女子高生が座席を振り返る。
そこにいたはずの二人の男の姿が無くなっていた。