1
その翌日、つまりは夏休み初日、由紀はアルバイト第一日目を迎えた。
十時に店が開くので、その一時間前の九時が出勤時間だ。
服装は動きやすい恰好なら、なんでもいいと言われている。
「おはようございまーす」
挨拶と共にドアを開けると、厨房ですでに仕込みを始めていた近藤母あらため雇い主である近藤由梨枝が振り向いた。
「おはよう、今日からよろしくね!」
「……」
その奥に、無言で視線をやる近藤の姿もある。
――え、なんでいるの?
ちょっとジュースでも飲みに来ただけだと思いたいが、エプロンをしているのが凄く気になる。
由紀ができるだけ近藤を見ないようにしている一方、由梨枝が厨房から出て来た。
「はいこれ、エプロンね」
「ありがとうございます、これ履歴書です」
由梨枝にデニム生地のエプロンを支給されたので、由紀も昨日作成した履歴書を渡す。
「早速、やってもらうお仕事だけどね……」
説明を受けた由紀の主な仕事は、朝の掃除にテーブル拭き、客のオーダー取りと食器洗いなど、要は雑用全般だ。
由紀は早速掃除を始める。まず店内の床を箒で掃いて、その後モップがけをする。
それが終われば掃除中に上げていた椅子を降ろしてテーブルを拭くと、続いて外に出て店回りの掃除に花の水やり。
そんなことをしていると、あっという間に開店時間だ。
オープンの札をかけると同時に、杖をついたおじいさんが来店した。
「お、新しいバイトさんかい?」
「はいどーも、今日からです」
常連らしいおじいさんに、由紀はペコリと頭を下げる。
そのおじいさんを皮切りに、パラパラと常連さんたちが来店する。
彼らのほとんどが、出かける前にここでドリンクを一杯飲んで行くらしい。
ちなみにドリンクメニューはブレンドコーヒーに紅茶、ココア、オレンジジュース、アップルジュース、夏限定のグレープフルーツジュースとなっている。夏の主力はアイスコーヒーとオレンジジュースにグレープフルーツジュースだ。
由紀は伝票を持って常連さんから注文を取ると、厨房へ向かう。
待っているのは、朝から同じ場所にいる近藤だ。
「オレンジジュース二つ、アイスコーヒー一つ」
「……ぁあ」
由紀が伝票を読み上げると、近藤が低く返事をする。
そう、なんとあれから近藤もずっといるのだ。
近藤はコーヒーを入れたり紅茶を入れたり、フレッシュジュースを作るのにジューサーを動かしたりしている。
どうやら飲み物担当らしい。
――どっか遊びに行かんのかい。
由紀が厨房の一画を気にしつつ働き続け、昼のピークが過ぎた頃。
「西田さん、お昼休憩に入っていいわよ。カウンターの隅に賄い用意してあるから」
由梨枝にそう声をかけられた。
――おお、賄い飯!
時折テレビなどで取り上げられる、ちょっと憧れのあった料理である。
由紀がいそいそと用意された席へ行くと、できたて料理が置いてある。
「オムライスだ!」
サラダがついたふわとろ系のオムライスで、しかも可愛くケチャップでハートが描いてある。
笑顔になった由紀を見て、由梨枝が小さく笑う。
「久しぶりに女の子が働いてくれるから、ちょっと張り切っちゃった」
由梨枝渾身のハートのオムライスは由紀としても嬉しい限りなのだが、気になるのはその席の隣で、近藤が先に昼食を食べていることだ。
メニューは同じくオムライス。
ぐちゃっと潰してあるが、ハートが描いてあった跡がうかがえる。
――男子高校生にハートのオムライスって、ないわー。
不良でなくともこれは辛い。由紀は思わず近藤に向かって合掌した。
オムライスでエネルギーチャージしたところで、午後も頑張って働く。
昼を過ぎるとデザートを食べにくる客が増え、ケーキセットがよく出た。
ちなみにケーキは近所のケーキ屋に注文しているのだそうだ。
本日のケーキはフルーツババロアとチョコレートのケーキの二種だ。
「ケーキセット二つ、両方ババロアでアイスコーヒーとオレンジジュース」
「ぉう」
由紀が伝票を読み上げると近藤が低い声で答え、カウンターの横に置いてあるショーケースからケーキを出す。
そうして忙しくしていると、いつの間にかそろそろ由紀は上がる時間である。
「西田さん、そろそろ上がってもらっていいわよ」
客が引けた頃を見計らって、由梨枝に声をかけられた。
「わかりました」
由紀は終わりを告げられた途端に、ドッと疲れが込み上げる。
一日でこんなに立っていることなんて初めてだ。
普段使わない筋肉を使ったのだろう、両足とお盆を持ち続けた両腕がパンパンだ。
――今日は筋肉痛に効く入浴剤を買って帰ろう。
この後の行動を思い描きながら、由紀はエプロンを脱ぎ、真新しい出勤管理の紙に上がりの時間を記入する。
これがアルバイトを多数抱える店なら、機械での管理となるのだろうが、由紀一人なのでこれで十分なのだろう。
エプロンをロッカーに仕舞うと、厨房に顔を出して由梨枝に挨拶をする。
「上がりますので、お疲れ様でした」
「お疲れさま、西田さん」
由梨枝と会話する横で、コーヒーを入れている近藤の姿がある。結局彼はずっとあそこで働いている。
――不良がなに真面目に勤労してんのよ。
そんな気持ちでちらりと近藤に視線をやると、バチッと目が合う。
「……ぁんだよ」
「いや、別に」
由紀はガン飛ばしてくる不良から逃げるように、さっさと帰った。