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だが物の捉えようによってはそうとも言えるかもしれない。
ナンパとは面識のないものを会話や遊びに誘う行為である。
由紀はまさにクラスメイトという関係でしかなかった近藤に、いきなりバイトに誘われたのだから。
「なるほど、ナンパか」
「っておめぇは納得するな!」
初めてわかった新事実にうんうんと頷く由紀に、後ろから近藤の声が降って来た。
振り向くと、料理を運んで戻って来た近藤が、嫌そうな顔をして立っている。
「アホなことを言うなジイさん、誰がナンパしたんだ」
「弘樹よ、照れるな照れるな」
「照れてねぇし! アイスコーヒーだったな!」
おじさんにからかわれた近藤は、頬を赤くしつつも厨房へ逃げた。
「全く、ナリだけデカくなったが純情だなぁ」
おじさんが厨房を見ながらニヤニヤしている。
孫いじりが楽しくて仕方ないのだろう。
――奴め、家庭内ではいじられキャラなのか。
学校では「孤高の不良」っぽいイメージだった近藤の、新たな側面を見てしまった。
「あんまりからかうと嫌われますよ?」
一応由紀が忠告すると、おじさんは額をピシャリと手で叩いた。
「そう言うが、反応が楽しくてついな」
そう言うと、どんな時の近藤が面白いかを語り始める。
どうやらおじさんの愛とイジりは表裏一体らしい。
それでも話としては楽しいので、由紀が相槌を打ちながら聞いていると、ゴン! と音を立てて目の前にアイスコーヒーが置かれた。
「おめぇは、ジイさんの悪乗りに付き合うな」
近藤がそう言って、ムスッとした顔でアイスコーヒーを差し出して来る。
「いちいち反応するから、からかわれるんだと思うけど」
アイスコーヒーにクリームをたっぷり入れながら、由紀がそうアドバイスする。
近藤は自分でもそう考えてはいるのか、ぎゅっと口を引き結ぶ。
近藤はなんだかんだで付き合いがいいというか、会話を適当に切り上げないところがある。逃げ下手なのだろう。
この意外と繊細で気遣い屋な元不良は、ちゃんと会話すると存外気のいい奴なのだ。
もっといろんな人と触れ合うことができれば、怖そうというイメージも払拭できるだろうに。
事実、田んぼ仲間はもう近藤にビビっていない。
実は彼女たちは、あの後バラバラにだが数回客として訪れていて、近藤とも普通に会話する。
彼女ら曰く「だんだんと可愛く見えてくる」だそうだ。
その心理を例えると、猛犬で噛みつき注意だと思っていた犬が、意外と大人しくて可愛げのある犬だとわかり、愛着が出て来るようなものか。
近藤も彼女たちから逃げたりはしないので、苦手ではないのだろう。
――でもこのままだと、夏休み明けに田んぼ仲間まで新開会長に目を付けられるのか。
由紀がアイスコーヒーにシロップを入れつつ、どうしたものかと思案していると。
「どうだい、コイツの淹れるコーヒーは美味いかい?」
おじさんが突然、ニコニコしながらそう聞いてきた。
「えーと……」
由紀は急な質問に言葉を探しながら、近藤がコーヒーを淹れ始めたきっかけを思い出す。
このおじさんは、家庭がうまくいっておらずムシャクシャしていた近藤に、暴力以外のはけ口を与え、あの静かな緑色を生み出すきっかけをくれた人だ。
近藤のコーヒーを淹れる瞬間の香りと色が、由紀は結構気に入っている。
あのコーヒーを飲むとあの静かな緑色を連想し、こっちまで穏やかな気分になれるから。
由紀はアイスコーヒーを一口飲むと、自然と笑みを浮かべる。
「すごく美味しいです。私が今まで飲んだコーヒーで、一番好きかな」
そして口から素直にこんな言葉が出て来た。
「……そうか、一番か!」
これを聞いたおじさんが嬉しそうにして、近藤は怒っているような顔になる。
――褒めたのにその顔はなんだ。
由紀がジトリとした視線で見上げると、近藤はくるっと後ろを向く。
その目元が少し赤いことに、由紀は気付かなかった。
「……おめぇ」
近藤がなにかを言いかけたのだが。
「はい、お待たせ!」
タイミングがいいのか悪いのか、由梨枝が料理を持って厨房から出てきた。
「西田さんどうぞ、ついでに弘くんも今食べちゃっていいわよ」
由梨枝がそう言って並べたのは、由紀のお気に入り賄いメニューのオムライスだ。
――美味しそう、なんだけどさぁ。
由紀のオムライスには兎の顔が、近藤のには「LOVE」の字が書いてある。
強面男子に出すには非常に勇気のいる一品だが、それをやってのける由梨枝は実にお茶目だと思う。
「……」
由紀の隣に座った近藤は自分の皿を見て、無言でケチャップをぐちゃぐちゃに混ぜる。
「これこれ、母の愛をそんなに崩すでない」
由紀がお説教ぶって告げると、近藤がギロリと睨んだ。
「うっせえ。おめぇもコレをされてみろ、居たたまれないぞ」
「残念! うちの母はケチャップで字が書けるほど器用じゃありませーん」
由紀はそう言いつつ、兎の顔の真ん中にスプーンを刺す。
こういう顔の形だったり絵が描かれていたりする料理の場合、どこから食べるかという議論が田んぼ仲間でもしばし起こる。
由紀は端からジワジワ削るのではなく、即成仏させてやりたいタイプだ。
「おいしーい!」
このオムライスの味だけでも、今日出てきて正解だったと言えるだろう。




