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定期試験が終われば、解答用紙の返却というさらなる地獄が待っている。
この地獄を乗り切れば、夏休みはすぐそこだ。
けどその前に、由紀のライフゲージがゼロになってしまうかもしれない危機に瀕していた。
「赤点じゃないけど、平均点でもない……」
芳しくない点数の回答用紙が揃ってしまい、由紀は冷や汗ものだ。
これは確実に小遣いカットへの序章だろう。
西田家の閻魔様もとい母の裁きが怖い。
けれど最後まで望みを捨てず、全ての回答用紙が揃うのを待った。
だが結局全教科、赤点と平均点の真ん中あたりをウロウロしていた。
これは本格的にヤバい。
「夏休みに欲しい漫画やゲーム、買えるかなぁ? これはもしや、バイトを考えるべきなの?」
だがそうなると、自堕落な夏休み生活とはいかなくなる。
どう転んでもお先真っ暗な夏休みだ。
最後の答案用紙返却を終えて、落ち込む由紀の隣の席で、柴田も苦笑している。
「今度のテスト、全体的に難しかったよねぇ」
しかし先ほどちらっと見えた彼女の答案用紙は、バッチリ平均点あたりだった。
――勝者の慰めなんて、傷を抉るだけなのよ。
一人黄昏る由紀だった。
そんなこんなしている内にあっという間に日々は過ぎ、一学期最後のホームルームが終わった。
――この瞬間から夏休みだ!
由紀がさあ帰ろうと、カバンに手を伸ばそうとした時。
教卓で荷物をまとめる中年の男性教師である担任と目が合った。
「西田ぁ、これ職員室まで持ってきてくれ」
運悪く担任を視界に納めたばかりに、用事を言いつけられてしまった。
「うげぇ……」
嫌そうな顔をする由紀に構わず、担任はさっさと教室を出て行き、クラスメイトもさっさと帰って行く。
誰も「自分ついでがあるから」という親切な奴は現れなかった。
――ちぇっ。
由紀は仕方なくプリントを抱える。
担任が進路に関するアンケートなんてものを取ったものだから、プリントの枚数が一人三枚かけるクラスの人数分であるため、結構な分厚さだ。
「自分で持っていけっての」
由紀がブチブチ文句を垂れながら、プリントを手に職員室に向かって廊下を歩いていると。
ガラッ
途中にある教室のドアがいきなり開き、誰かが出て来た。
「うわっ!」
そんなことを予測していない由紀は、出て来た相手に思いっきりぶつかってしまう。
――なんか私、この間からこんなのばっかり!
由紀が手元の揺れるプリントを早々に諦めた時、誰かがプリントを押さえてくれた。
おかげでばら撒かれたプリントを拾う作業が消えた。
由紀はプリントを押さえている手から、ゆっくり視線を上げていく。するとそこには、サラサラロングヘアーを爽やかになびかせ、優しく微笑む女子生徒がいた。
「ごめんなさいね、いきなり出て来た私が悪かったわね」
そう言って頭を下げた相手は、なんと生徒会長の新開亜依子だった。
彼女は由紀より一学年上の三年生だが、美人で頭がよくて優しくて、男女に人気のあるスーパー生徒会長で、地味系女子には雲の上の存在である。
「いえ、ボーっとしていた私も悪かったです!」
由紀は新開会長に背筋を伸ばして九十度に頭を下げる。
するとまたプリントを落としそうになり、慌ててバランスをとる。
そんな間抜けな由紀に、新開会長小首を傾げる。
「じゃあ、お互い様ということね」
スーパー生徒会長ともなれば、目の前の些細なミスは見て見ぬふりをしてくれるらしい。
「以後、気を付けます!」
由紀がそう言って顔を上げると、お辞儀した際にズレた眼鏡の隙間から、新開会長が濃い紫色を纏っているのが見えた。
これは気位が高い人に見られる色で、カリスマ生徒会長らしい色ともいえる。
けれど紫色に混じって、鮮やかなピンク色も見える。
――およ? この色は……
新開会長の纏う意外な色に、目を丸くした時。
「あら、弘樹いいところに」
新開会長が誰かを親し気に呼んだ。
その知り合いに向けて華やかな笑顔で手を振る彼女に、由紀の後方から唸るような声が答えた。
「……ぁんだよ」
――って、この声ってまさか。
振り返った由紀の目の前にいたのは、近藤だった。
そう言えば彼の名前は弘樹だったか、珍しく一人だ。
軍団も夏休みに浮かれて、金魚のフンをしている場合ではないのかもしれない。
それにしても、近藤とは最近ほとほと縁がある。
二度あることは三度ある、三度目の正直、ことわざは様々あるが、本当に律儀に三回目の遭遇をしなくてもいいだろうに。
由紀が微妙な顔をしているのを見た近藤も、微妙な顔をしている。
新開会長はそんな二人の空気を読んでいるのかいないのか。
「この娘のプリント持ってあげなさいよ、かわいそうじゃない」
眉を寄せて思いもよらないことを言い出した。
提案でもお願いでもない、やんわりとした命令形である。
不良が天敵の地味系女子の由紀にとっては小さな親切大きなお世話、しかも職員室はすぐそこだ。
「俺、今帰るところだぞ」
「ちょっと手助けするくらい、いいじゃないの」
不機嫌な近藤に、新開会長は臆することがない。
近藤も新開会長に対して、普通に会話している。
――この二人って、知り合いなの?
不良とスーパー生徒会長な女子生徒の、意外な交友関係に由紀が驚いていると、さらに意外な変化があった。
新開会長の纏うピンク色が、近藤が近寄るとより華やかに色付いたのだ。
ピンクは恋の色。つまり新開会長は、近藤に恋をしているのだ。