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つまり新開会長は朝から近藤の跡をつけて由紀の自宅マンション前まで来て、会話を盗み聞きしていたらしい。
それで今ここにいるということは、この人はもしやタクシーでずっと後をつけてきたのか。
それを、人はストーカーと呼ぶ。
「怖っ、ちょっと怖いよこの人!」
「……俺も今鳥肌が立った」
ヒソヒソ声で言い合う由紀と近藤を、すごい目つきで睨んで来る。
「なによ、二人は仲がいいんだっていうアピール?」
由紀だけをじっと睨みながら、新開会長がこちらに歩み寄る。
眼鏡の端に、どす黒い混沌とした色が映りこむ。
今眼鏡を外したら、夜にこの色を夢に見てうなされそうだ。
「よりによってこんな娘なんて……!」
――こんな娘ってか。
新開会長の由紀を見下す発言に、ガッカリというよりはやっぱりという思いだ。
それにそろそろ周囲の客も、由紀たちの様子がおかしいことに気付いている。
ひそひそと指さされてまでいるのに、彼女はやはり気付いていない。
「弘樹は、私がバイクの後ろに乗せて欲しいってどんなに頼んでも、ずっと無視してたわ」
それどころか、新開会長が一人語りをし始めた。
「夏休み最初の定休日に、弘樹を誘って出かけようと思って家に行ったら、ヘルメットを二つ持って出かけてたから。いよいよ乗せてもらえるのかと思って、急いで家に戻った」
その場で声をかけずに家に戻ったのは、あくまで近藤が誘いに来たことを大事にしたからだろうか。
彼女はどうやら男にリードしてもらいたい派らしい。
「けど、どこにも弘樹の姿はなかった」
一日中待っていたのに来ないから夕方になって再び家に行けば、バイクはもう戻っていた。
『あのヘルメットを被せたのは誰?』
そんな疑問が彼女の中で渦巻き、心の中がモヤモヤしていく。
その際に浮かんだのは、店でアルバイトとして雇ったという地味そうな女子、つまりは由紀の顔だったという。
「そして今日、いよいよ確かめてやろうと来てみれば、案の定だったわ!」
バイクに乗った話を楽しそうにする由紀に我慢ができず、声をかけたというわけだ。
「まだ春香ちゃんなら許せたのに、どうしてその娘なの!」
「俺が誰を乗せるかなんて、なんでアンタに許してもらわなきゃならないんだよ」
新開会長のヒステリーに対する近藤の意見は全く正しいのだが、今はそれを言っては駄目な時ではなかろうか。
「今日だって、仲良く二人乗りして来なくても、バスで来させればいいじゃない!」
「なにお前ら、二ケツして来たのかよ」
新開会長の指摘を聞いて田島が近藤にツッコむ。
「……こっちの事情で連れ出すんだから、迎えに行くぐらいするだろう」
渋い顔でそう告げる近藤だが。
「お前のそういう妙に律儀なところが、火に油を注ぐんじゃねぇの?」
田島が真理を説いた。
まさにそうなのだけれど、近藤だって自分がストーカーされているなんて思ってもいなかっただろうから、これで責められるのは酷かもしれない。
新開会長の攻撃は、次に由紀に向いた。
「なによ、そのダサい眼鏡だって伊達だって話じゃないの」
新開会長がつかつかと寄って来て、いきなり眼鏡を強奪する。
「あ、ちょっ……」
まさかそんなことをしてくると思ってもいなかった由紀は、とっさに防御できなかった。
眼鏡という守りを失った由紀の視界を、新開会長の纏うどす黒い、混沌とした色が渦を巻いて覆いつくそうとする。
以前も色が濁って見えたが、それが酷くなっている。
――怖い、この色怖い!
由紀は色から逃れようと、顔を手で覆って後ずさる。
「おい、大丈夫か?」
近藤の声が聞こえたと思えば、最近見慣れた爽やかな緑色が割り込んだ。
緑色が、混沌の色を押しのけていく。
「可愛い子ぶって気を引こうっていうの? 嫌らしい!」
近藤が由紀を庇ったのが気に食わないのか、新開会長がそう詰った直後。
カシャン!
遠くでなにかが割れた音がした。
――もしかして、眼鏡を投げたの!?
落ちた所が悪くてテーブルにでも当たって、レンズが割れたのかもしれない。
「あの、止めた方がいいっすよ」
由紀の様子がおかしいのに気付いたのか、田島が宥めようとする声が聞こえるが、渦巻く混沌の色はますます膨張する。
この色に似ているものが、由紀の脳裏にふと浮かんだ。
――ドブの色だ。
廃棄物などで汚染された、臭気を放つドブの色。
目の前を覆うのはその色にそっくりだ。
例え相手に振り向いてもらえない恋でも、苦しい思いをした悲恋だったとしても。恋はその人を綺麗な色で包み込むものなのに。
新開会長の色は、綺麗な色じゃない。
初めて見た時は綺麗なピンク色だった恋の色なのに、この変わりようはなんだろうか。




