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由紀がもうじき仕事上がりな時刻に、春香が再び店に顔を出した。
「ねえ、ママと弘兄ぃはさっきの人のことどう思う?」
店に誰もいないことを確認した春香が、そう切り出す。
「うーん、そうねぇ」
「っていうか、そもそもどういう話なんだ」
これに由梨枝は頬に手を当て、近藤は話の元についてを尋ねる。
春香はそこを知らせないで、いきなり面談めいたことをしたらしい。
単にフライングしたのは、予備知識を与えたくなかったのか。
ここは後者だと思っておこう。
「それがさぁ」と春香が説明を始めたのを、由紀も少し離れて聞く。
「事務所の社長が、アタシも来年は高校生なんだから、新しいことにチャレンジしてみろって言ったの」
春香曰く、社長は所属モデルの自主性を重んじるタイプらしい。
それで、最近熱心に撮影現場に顔を出し、話を持って来る人と会ってみることにしたらしい。
話を聞くだけで、今日決めたりはしないことを前提に。
「ここが私の家だって言ってないのも、ママと弘兄ぃにも見て欲しくて」
あの男性の会社は設立して間もない出版社で、この度新しく雑誌を立ち上げるのだそうだ。
「新しい雑誌に一から関わるって、なんが面白そうかと思ってさぁ」
その雑誌は二十代をターゲットにしているといい、十代をメインターゲットに活動していた春香からすれば、確かにチャレンジだ。
「そうねぇ、お話としては持って来いなんだろうけど……」
考えながら話す由梨枝に被せるように、由紀はきっぱりと言った。
「やめた方がいいと思うけど」
これに春香がムッとした顔をする。
「なんてアンタが口を出すのよ」
春香の反応ももっともだろう。
彼女はあくまで家族に相談しているのであって、他人に口を挟まれたくないのはわかる。
けど由紀としても、ここで見て見ぬ振りもどうかと思うのだ。
「相手の会社はともかく、あの人を信用するのは駄目だから」
近藤がじいっと見ている圧を感じるが、無視である。
何故・なに。どうしてについては一切答えない所存だ。
由梨枝がそんな由紀と近藤、そして春香を見回して、意見を述べた。
「うーん、そうねぇ。相手の名刺をもらっているんでしょう? 春香ちゃんところの社長にそれを見せて、仕事の内容とかをちゃんと調べてもらってからでも遅くはないわ」
「……わかった」
春香の気持ち的には乗り気だったのだろう。
けれど家族からもろ手を挙げての賛同を得られなかったので、むくれ顔をしていた。
それから二日後の土曜日。
由紀が出勤すると、開店前の店内にまた春香がいた。
「ちょっとアンタ」
由紀を見るなり、そう呼びかけて来た。
「なんすかね」
立ち止まる由紀に、春香がつかつかと歩み寄って来た。
「例の話、断ったからね」
春香が腕を組んで見下ろす体勢で言って来たものの、身長は由紀と変わりないので、大した威嚇効果はない。
「別に、アンタに言われたからじゃないからね! 社長が調べて、あの出版社を立ち上げたのって、エロい雑誌を出していたところで働いていた人だってわかったからよ!」
元はエロ本会社にいたから信用できないというわけではないが、用心するに越したことはない。
春香ならば焦らずとも、いずれ二十代をターゲットにした雑誌から声はかかる。
社長にそう言われたのだそうだ。
チャレンジするにも、相手を良く見極めろということらしい。
「相手を疑って、自分の身を守るのも大人としての第一歩だって褒められたわ!」
「そりゃよかった」
由紀としては本気で言ったのだが、春香は馬鹿にされたと捉えたのか。
「なによ、私だってあんな奴のことくらい、ちゃんとわかったんだからね!」
ムキになる春香に、話が聞こえていた近藤が厨房から出て来ると、呆れ顔で頭を小突いた。
「春香おめぇ、素直にありがとうくらい言えないのか」
大好きな「弘兄ぃ」に言われて、春香はぐうっと唸り。
「……ありがとうって、いってあげてもいいわ」
やはり素直にありがとうが言えない春香なのだった。
それから春香はずっと店内にいた。
別に母や兄を手伝うわけでなく、ボーっとカウンター席に座っているのだが、そんな彼女に来店した常連客が話しかけてくる。
「春香ちゃん、久しぶりに見るねぇ」
「そうなの、やぁっと長いオフがとれたの」
コーヒーを頼んだおじいさんとそんなことを話したり。
「しばらく春香ちゃんを見ないと、なんだか寂しいのよぉ」
「ホントに? ちょっと嬉しいなぁ」
グレープフルーツジュースを頼んだおばさんと笑い合ったり。
それに時折近藤の手の空いた時に構ってもらったりして、春香は楽しそうだ。
――こういうカンジの娘って、大勢でカラオケにでも遊びに行きそうなイメージなんだけど。
由紀はクラスメイトの派手系グループを思い浮かべる。
教室で聞こえてくる会話だと、彼女たちはいつも大勢でカラオケやショッピングに出かけるらしい。
けれどああいう女子たちと比べて、常に大勢に囲まれる環境にいるであろう春香は、オフの日こそ一人でいるのが寛ぐのだろうか。
店にいたら寂しくなれば誰かがいるし、持って来いの場所かもしれない。
「モデルのお仕事、休みなんだ」
オレンジジュースを飲む春香に、由紀が仕事の合間に話しかけると。
「そうよ、やぁっと秋物ファッションを撮り終えたから、社長が夏休みをくれたの」
春香は朝までのツンツンした態度は鳴りを潜め、あっさりと頷いた。
あれは「お礼を言わなきゃ!」という気持ちが暴走して、ああいった態度として現れたとも推測される。
そんな彼女曰く、ファッション誌は夏発売号ですでに秋物特集をするらしい。
確かに服を買いに行っても、お盆を過ぎると売り場は秋物一色になっている気がする。
だとすると、撮影は早ければ梅雨真っ盛りの時期に行われるということで。
――スタジオならいいけど、外だったら最悪だな。
そんな湿度マックスな時に秋物を着せられるモデルという人たちは、さぞ蒸し暑いことだろう。
モデルとは綺麗で可愛いだけでなく、根性がなければやっていけない職業かもしれない。




