第一話「魔法少女さっちゃん(28)」
某京都、親宿区。
聞いたことがあるようなジャズのメロディーがBGMの、落ち着いていて雰囲気のいいお洒落なバー『ゴールド』。グラスを傾けて喉に流し込んだカクテルはほんのりと甘くて……間條早紀はゆっくりとほのかなアルコールに身をゆだねていく。
「……この後、どうしようか」
横に座るハンサムだけど気の強そうな太眉の男性――厳原隆吾が早紀にゆっくりと語りかけてくる。厳原は早紀の勤務先の大手取引先の若手エースで、屈強な見た目通り押しが強い。弱腰の早紀の会社の社員たちをいつもたじたじにさせている。
そして厳原は会社で受付をやっていた早紀の美貌(そう、完璧なまでの美貌だ!)に目をかけ、ラグビー部時代に培った押しの強さで猛アタック! あれよあれよと逢引を重ねるうちに今のとんでもなくいいムードまで辿り着いたわけだ。
「わたし、ちょっと疲れちゃったなぁ~……」
実際は全然疲れてないしこんなジュースみたいなカクテル数杯で酔うわけないのだが、これは演出だ。早紀はもう今年で二十八歳。今まで『とある事情』でことごとくイイ男を仕留め損ねてきたので今夜こそ行けるところまでいかないと非常にまずい。つまるところ三十路を目前にして完全に焦っているのだ。
そのタイミングで現れた厳原という高収入、高身長、高学歴という今時珍しい『三高』が揃ったまさしく白馬の王子様を逃す手はない。そして今王手がかかった。このままホテルへゴーすればそのまま玉の輿街道まっしぐら、バラ色の未来と女の幸せすべてが待っている。
「フン、フン……!」
「……早紀ちゃん、大丈夫?」
「――へ? あ、うん全然大丈夫だよ♡ お酒回っちゃったみたいだしお外で歩きたいな~」
酔ってるふりをして厳原の逞しい二の腕にもたれかかる。気合が入りすぎて鼻息がガンガンに出てしまったのはこれでノーカウントだ。
厳原にエスコートされるがまま立ち上がり、そのままバーを後にする。支払いはもちろん厳原のカード……高収入イケメン最高!
あとはこのまま怪しいネオンの街並みを歩いて徐々に怪しい気持ちになって怪しいホテルで一晩怪しいことをすれば……うふふ……。
早紀が来たる夜の大決戦を妄想し勝利の笑みを浮かべたその時だった――
『ぴろりろりろりん☆ ぴろりろりろりん☆』
男と女が一晩のアバンチュールを求めるネオン街にはおおよそふさわしくないメルヘンな着信音。周囲にいた風俗の客引きの兄ちゃんや明らかに堅気じゃない派手なスーツを着たおじさまや制服を着た女の子(女子●生とは限らない)と歩いてるスーツ姿のお父さんも、全員が一斉に発信源――早紀の方を向く。
「さ、早紀ちゃん……?」
「ごめんねイヅハラくん、私ちょっと用事を思い出して……!」
「あっ! ちょっと待って!」
先ほどまでの甘えた様子が嘘のように、早紀はひょいと厳原から離れると一気にダッシュで夜の街を駆け出した。怪しげなネオンも爆速で走るとただの光の筋になってムードも何もない。ハイヒールを履いているとはとても思えない速さで追いすがる元ラグビー部の厳原をみるみると引きはがし、早紀は都会の闇の中へと溶けてしまった。
「いや、はっや……」
残された厳原は、早紀の余りにもの俊足にそう言葉を漏らすしかなかった。
♡♡♡♡♡
厳原を撒くことに成功した早紀はポケットから着信音の元であるピンクの携帯のようなものをとりだした。白い天使の羽根のような装飾に真っ赤なハート形のアクセントがついたそれは小学生女児向けのオモチャのように見えるが、早紀の立派な仕事道具なのである。
「アタシがデート中だってこと分かってて掛けてきたんでしょうね……? しょうもない用事だったらぶっ殺すわよ?」
『さ、早紀センパイ! 某京タワーの上にナイトメア出現です! 至急対処お願いします、あと殺さないでください!』
「チッ……すぐ行くから首洗って待ってなさいバカ猫」
こめかみに青筋を浮かべながらとピンクの携帯――『マジカル☆ホン』を切るときょろきょろと周囲に人がいないか確認し……早紀は上空に高らかに人差し指を掲げ叫んだ。
「マジカル☆パニッシャー! メイクアーップ!!」
そういうが否や早紀の右手の人差し指につけていた指輪からもくもくと虹色の光が漏れ出し、あっという間に早紀の全身を包み込んだ。そしてすぐに光は四散し、早紀の服装はシックな大人の女性のいでたちから……メルヘンな魔法少女へと変身していた!
真っ赤なリボンがアクセントになったピンク色の生地に白いフリルのついた、キャピキャピの制服風の衣装が早紀のしなやかな身体を包んでいる。肩までの下していた髪の毛もいつの間にやら真っ赤なバカリボン(成人女性がデカいリボンで髪をくくっていたらそう言うしかない!)で二つ結びになっている。
こんな衣装をもうすぐ三十路の成人女性が着用している事実に恥ずかしさはありつつも、まだイケるんじゃないかという淡い期待もあったりはする。最近ちょびっと体重が増えたからかぴっちりと衣装が身体に密着して気持ち悪い。クソ、またジムで身体を絞らなきゃな……とイラつきながら早紀は右手を道路にかざした。
すると指輪――『マジカル☆リング』から虹色の光が噴き出し、瞬く間にピンク色のほうきみたいな形の乗り物『マジカル☆スイーパー』が現れた。
「十分、いや五分で終わらす……」
握り締めた拳からミシミシミシ……と絶対女の子が出しちゃいけないヤバい音が鳴る。絶好の玉の輿チャンスを不意にされた怒りはこんなものでは収まらない。
早紀は器用にスイーパーの柄の部分に飛び乗り、夜空に浮かぶ三日月を睨んだ。スイーパーは早紀の荒ぶる意志を汲み取るかのように、虹色の光を吐き出しながらものすごいスピードで上昇、加速し始めた。ジェット機に匹敵するくらいのスピードが出ているはずなのに、早紀は一切姿勢を崩すことなくサーフボードに乗るかのように楽々バランスを取っている。そして欠伸すらする暇もなくあっという間に目的地の某京タワーにたどり着いた。
「早紀センパイ! お待ちしてましたっす~! あのタワーの頂上にいるのがナイトメアで――フニャア!!」
「アタシは今機嫌が悪いのよ、ンなこと見ればわかるわよボケ猫」
駆け寄ってきた黒猫に羽根が生えたような妖精――『ネッコ・シー』の土手っ腹に早紀の拳がめり込み、思いっきり吹き飛ばされた。哀れネッコ・シーはそのまま夜空へと飛んでいきキラーンと星になって消えた。……妖精だからどうせすぐに戻ってくるのだが。
早紀はスイーパーに乗ったまま垂直に壁伝いに某京タワーの頂上へと飛んで行った。重力諸々の物理法則を完全に無視した移動だが、度を越した強者は物理法則なんてちゃちなものには囚われないのだ。
「ハンマカンマ~! ハンマカンマ~! 手始めにこの某京タワーをわしの自慢の頭突きでぺちゃんこにして、それから某京全体をぺちゃんこにしてくれるわ~!」
頂上付近には頭が金槌でスーツを着た、奇妙な生命体がガンガンと某京タワーに頭突きをしていた。頭突きの度に某京タワーは赤い塔身をグラグラと揺らしている。どうやらかなりの怪力の持ち主らしい。
スイーパーで頂上まで辿り着いた早紀はストンと鉄骨の上に着地すると、
「アンタがナイトメア? 想像以上にアホそうな奴ね」
「なんだその口の利き方は! わしがハンマー型ナイトメア『フルハンマー男爵』と知っての狼藉かっ!」
ハンマー頭――フルハンマー男爵は手をブンブンさせながら怒鳴り散らした。かなり短気な性格のようだ。
「怒りっぽい男は嫌われるわよ~? まあアタシの方がブチ切れてるンだけどね」
「何者だ貴様~! まず名を名乗らんかい!」
中指を立てた早紀に対し、フルハンマー男爵は怒りで文字通り顔を真っ赤にした。顔面の金槌部分が熱した鉄のように真っ赤になっているのだ。
輻射熱が早紀の肌にまで届いて真夏のように暑い。二メートル以上は離れているのにこの暑さだと頭部は相当な温度に達しているのだろう。早紀はしかし全く臆する様子もなく額の汗を腕で拭いながら、
「暑苦しい奴ね、アタシはアンタをぶっ殺しに来た――『魔法少女さっちゃん』よ、死ぬまでの数秒間くらい覚えときなさい」
そう言うと右手人差し指のリングから虹色の光を放ったかと思うと、素早くピンク色の杖――『マジカル☆ステッキ』を取り出した。
「なに~! 貴様が悪夢界で有名な魔法少女だと~!? 少女とかいうからもっとこう、若い女の子だと思ってたぞ~!?」
プツンッ。
何かが切れる音が確かに早紀の脳内に響いた。瞬間早紀は構えすら取らずに一気に鉄骨を蹴り、フルハンマー男爵の元へと突進した。タメの全くないたった一蹴りで二メートル以上あったはずの距離が一気にゼロ付近まで縮まる。
「なんて速さだ――」
フルハンマー男爵が言い終える暇もなく、早紀のステッキが男爵の身体を貫きハート型の頭部が背中から顔を出した。真っ赤っ赤になっていた男爵の頭は見る見るうちに冷めていきひんやりとした鋼鉄へと戻ってゆく。
早紀が素早くステッキを引き抜くと男爵の身体に空いた穴からは血の代わりに黒い煙のようなものがモクモクと噴き出し始めた。人間に悪さをする『ナイトメア』の身体を構成する悪夢が立ち消えていっているのだ。
「む、無念……ハンマカンマ……」
口からも黒い煙を吐き出しながら、フルハンマー男爵はスゥーっと薄くなって消え去っていった。悪夢がなくなりナイトメアが退治されたあかしだ。
「アタシだって好きでこんな仕事やり続けてんじゃないんだって――の!!」
バゴンッ!!
思いっきり某京タワーの鉄骨をぶん殴ったらひしゃげてぴったり拳の形のクレーターができてしまった。まあこれはさっきのナイトメアのせいにするとしよう。一息ついた早紀に、ふわふわといつの間にやら戻ってきていたネッコ・シーが翼をはためかせて笑顔で近づいてきた。
「早紀センパイさすがっす~! 器物破損さえなければ完璧な仕事っす~!」
「あのハンマー野郎が某京タワーを殴って傷をつけた、いいわね?」
「……妖精パワーで修復しとくっす」
早紀はその返答にフンッと鼻を鳴らすと……予告なしに一気に某京タワーから飛び降りた。
突飛な行動に慌ててネッコ・シーは後を追い地上に降り立つと、無傷の早紀がすでに変身を解いて帰りの荷支度をしていた。
「ねえちょっと、終電ないじゃないどうしてくれンのよ」
「いや、その、スイーパーに乗って帰れば五分かからずに帰れると思うんすけど……」
「アタシにあんな恥ずかしい恰好で自宅に帰れって? いい度胸ねクソ猫」
「はい本当にすいません、これタクシー代っす……」
ネッコ・シーは手(前足?)をかざすと虹の光とともにガマグチ財布を取り出し――それを器用に開くと中から五千円札をぬっと取り出して早紀に手渡した。黒猫の妖精がもうすぐ三十歳になる魔法少女に交通費を現金支給しているという、小学生の夢見る女の子には絶対見せられない場面である。
早紀は「ありがとね~」と言うとひらひらと手を振ってようやく去っていった。
ネッコ・シーは早紀の背中が完全に見えなくなるのを注意深く確認してから、ハァァ~と深くため息をついた。
「歴代魔法少女の中でもずば抜けた戦闘力と才能があることは間違いないけど……本ッ当に滅茶苦茶な御方っすね……」
ネッコ・シーは呆れた顔をしながら某京タワーの修復、そしてその後一般人が近寄らないようにタワー近辺に張っていた結界を解くためにパタパタと飛んでゆくのだった。
滅茶苦茶な魔法少女が活躍していられるのも、全て裏方の猫妖精ネッコ・シーのおかげなのである。裏方はつらいよ……しみじみとネッコ・シーは一人ごちるのだった。
世界を脅かす悪の魔の手――ナイトメアは『魔法少女歴十八年の大ベテラン』間條早紀と、健気なその裏方のおかげで今日も人知れず捻り潰され、平和が人知れず守られているのだった。